第18話 迷宮狂騒曲 三章

「蜘蛛の巣……やっぱりアラクネなんじゃねーのか?」


「もしこれが本当にアラクネが張った巣なら、今頃キミの腕はそこに張り付いて剥がれなくなってたろうね。とはいえこの大きさの巣をただの蜘蛛が張るとも思えないし……少なくとも蜘蛛型の魔物、巣を張る種類ならスモールスパイダーかなぁ……」


少なくともアラクネが張った巣であるならば、そんな気軽に振り払うことは不可能であると手で腕にまとわりついた蜘蛛の糸を払いのけるクラウスの疑問を否定するビィア。


「それを調べるのが今回の課題なんでしょう?まぁ蜘蛛でも百足でも襲ってきたなら迎撃するだけよ。」


「あ、ちょっと待って頂戴な。暗視と高揚……」


何やら小声で呟いていたビィアへエルは怪訝に思いながら振り向くと、一握りの強者一等星冒険者は何を思ったか突然歌い出した。


「ラ─────」


「え、何よいきなり。」


直後、エルの全身を暖かな風が撫でるような感覚を感じる。

今のエルが何かを事は稀だ。

エレボスの冥鎧と文字通り「一体化」したエルは感覚の取捨選択が意図的に出来るようになっている。

仮に今のエルに生卵を叩きつけたとしても、その感触をエル自身が感じたいと意識しない限りは生卵のぬめりも匂いも感じる事はない。

反対に金属製の手指で誰かの頭を撫でたとして、エルがそれを感じたいと望むのならば金属の掌から髪の質感や頭皮から伝わる熱、皮の柔らかさと骨の硬さまで素手と変わらない感覚がエルに伝わるだろう。


だからこそ、鎧の感覚遮断を貫通してエルが感じた感覚はエルにとっては不意打ちの驚愕であり、思わず体を硬直させて戦闘態勢を取ってしまう。


「──────……まぁこんなも…えっちょ、なんで警戒してるの?」


「え?いや……そう、いきなりだったから何事かと思ったのよ。」


強化バフの魔法にそこまで警戒するやつ初めて見たって……」


エルの驚きがフィードバックされたのか、三割増しで濃度を増した魔力を放つ鎧から冷や汗を流しつつ離れるビィアとクラウス。

ついうっかり、と魔力を引っ込めるよう念じるエルだったが、既にその魔力が内包する漆黒の気配はこの迷窟に潜む何か・・が勘付くには十分であったらしい。


「……何か気配が来る、いっぱいの。」


「へ?」


「悪いわね二人とも、今のでこの中にいる奴らを刺激しちゃったみたい。」


洞窟の奥、暗闇すら見透す視力が湧き出るそれを視認する。

頭と胴体、そして胴体を兼ねた頭部から生えた八本の脚。

こちらを睨めつける四の単眼には感情は感じられず、ただ住処に入り込んだ異物に対する敵対心だけが感じられる。


「うわぁ……壁も地面も天井も蜘蛛だらけ。」


「蜘蛛!?大きさは!!」


「今の私の掌くらい。」


「そんなに!?多分クラスタスパイダーの幼体!!ここじゃ不利……いえ、エルちゃんは!?」


ビィアの言葉に、クラウスは驚愕を伴って振り向き、エルは疑問への回答を伴って振り向く。


「いやどう考えてもこの状況でちっさいとはいえ魔物の大群なんざどうしようも……!」


「なんとかできるわよ。」


即答と同時に行動を開始。

鎧から噴出するマントの形をした魔力、エルの感情に反応して無意識に周囲へばら撒いてしまう事もあるが、その形状はエルの意思と操作に従う。

あくまでもマントは初期状態なのだ。

マントの形状を弄る事はエルにとっては手を使わずに粘土を捏ねる感覚、とでも言うべきか。

要するに中々の集中力を要するものであり、自身の腕を型にすることで「手」を形成したり、単純に伸ばす、大きくする、簡単な形に変形する程度ならば然程集中しなくとも実行できる。


そして魔力によって形成された「手」は物体を透過し魂……非物質に干渉する。

エルの両腕に巻きつき形を得た「手」は掌に剣山が如く大量の棘を生やしながら一瞬で巨大化。

それはさながら迷窟の入り口に突如発生したであり、それと同時にクラスタスパイダーの幼体達にとっては地獄へ続くである。


「悪いけど私の後ろにいて、あいつらの身体そのものは止められないから一気に流れてくるわよ。」


二人が自身の背後に入ったのを確認し、エルは改めてこれから起こるであろう事柄に対して何も感じないよう触覚を遮断するよう意識する。

そして次の瞬間、「壁」に突っ込んだクラスタスパイダーの大群が津波の如くエル達へと襲い掛かった。


「壁」……というよりも鎧の魔力を用いた攻撃は肉体ではなくその魂に影響を与える。

そして棘の生えた掌へと雪崩れ込んだクラスタスパイダー達はその魂を棘に串刺しにされて絶命。

しかしその身体自体はエルの魔力を透過するため、棘に貫かれ魂の損傷が反映された事で出来た傷口以外はそのままに後続の蜘蛛に押し出された死骸はエル達の方へと慣性を残したまま飛び込んでくるのだ。


これが一体やそこらであるなら大した問題ではなかったが、軽く見ても数百はいるであろうクラスタスパイダー達が一斉に同じ末路を迎えたならば。


「うっひゃぁああああああああ!!」


絶命したクラスタスパイダーの死骸が純粋に質量の波としてエル達を飲み込んだ。

エルが肉盾になっているとはいえ、大量の人の頭ほどある蜘蛛が雪崩れ込む光景に平常心を保てる者は少ない。

恐慌、と呼ぶにはいささか余裕が有り余っているようにも聞こえるビィアの悲鳴を背に、やはり触覚を遮断して正解だったと視界一面を埋め尽くすクラスタスパイダーを見ながらエルは思う。


物理的な堅牢さはほぼ無い「壁」はクラスタスパイダーの雪崩を受け止めることはなく、それは同時にクラスタスパイダーの雪崩が堰き止められる事もない。

阻まれることなく後続のクラスタスパイダーの魂が次々と串刺しにされ、エルの目には棘に刺さったクラスタスパイダーの魂が何重にも重なって見える。

少し壁となっている「手」を力ませてみれば串刺しにされたクラスタスパイダー達の魂が砕け散るが、間髪入れずに次の魂が突き刺さる。


(ソウル・クラッシュ使っておけば良かった……)


鎧を着たことで使えるようになった肉体には一切の損傷を与えずに魂だけを殺す魔法を使わなかったことを悔いながら、エルはようやくその物量の津波が尽きたのか、静寂を取り戻した迷窟で溜息をつく。


「うっわー……全身ねっちょぐっちょ……」


「くっせぇ………」


「先に進む……より先に身体を洗う必要があるかもね。」


串刺しの結果が反映されたことで刺し傷が出来たクラスタスパイダー達の死骸は体液を撒き散らしながら突っ込んできた。

その為に全身クラスタスパイダーの体液まみれになった三人は、これ以上先に進むよりも一旦体液を洗い流すことを選ぶのだった。

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