第10話 悪とは在り方、有り様にあらず
この世界の創世の話をしよう。
かつて世界は混沌であった。
全ては混ざり合い、混濁し、そしてまとまりがなかった。
燃え、凍てつき、朽ち果て、活性し、停滞し、活動する。
あらゆる属性、あらゆる概念は「唯」として成立し得ず、そして命もまた生まれ出でるには混沌としすぎた世界であった。
そんな世界に二柱の神が生まれた。
陽光の神と夜闇の神。
遥かな古代には神の名を知る人間もいたようだが、今となってはその名は時代とともに失われてしまった。
ただ分かっているのは陽光の神は男性神、夜闇の神は女性神であること。
そしてこの二柱の存在により混沌とした世界に「対」の概念が生まれたということだ。
二柱の神は混沌からあらゆるものをすくい上げては、互いにその所有権を主張した。
陽光の男神が炎を己の鎧としたのならば、夜闇の女神は氷を衣とした。
陽光の男神が「生」を尊んだならば、夜闇の女神は「死」を愛した。
陽光の男神が光り輝く「正」を掲げるなら、夜闇の女神は暗く深い「負」を許容した。
そうして混沌は二柱の神によって分けられていくうちに、今の世界へと変わっていった。
それが正しいことなのか、間違ったことなのかは人間に知る術はない。
ただ、こうして生まれた世界が今の形であるからこそ人間が、鳥が、魚が、そして魔物や魔族が生まれた。
今でも二柱の神は遥かな高みからこの世界の全てを見ている。
太陽の光は陽光の男神の慈悲であり、月光の光は夜闇の女神の愛なのだから。
そして、この創世神話から生まれた二つの宗教が存在する。
それが「光神教」と「闇神教」である。
そのうちの片割れである「光神教」は陽光の男神を崇拝する宗教である。
特に「邪悪」な存在を祓う事に熱心であり、邪悪な存在との戦闘が多い騎士や冒険者を中心に多くの信徒を抱えている。
闇神教も「邪悪」を祓わないわけではない、のだが「邪悪」退治のエキスパートたる光神教には一歩譲っているのが現状である。
光神教ではアンデッドや悪魔に効果を発揮する聖別された武器や水の販売のみならず素材から聖別と厳選を繰り返し、特殊な加工を施す事で作成される「聖剣」、果てはそれを扱う聖剣輝士団を要している。
そして光神教に仕える聖職者は皆「邪悪」に対する浄化魔法を覚えているのは当然であり、宿屋で女性聖職者が使っていた「ホーリー」は覚える難易度が低い割に魔力を込めれば込めるほど威力が上がる浄化魔法の基礎として光神教の聖職者ならば当たり前に覚えている。
ここで注意しなければならないのは、「邪悪」とは即ち「根源が邪で悪を為す存在」であり、「悪を為す存在」単品には効果を発揮しないという事である。
その言葉には、ここまで身分も力量も一切考慮せず全てを吹き飛ばしていたエルであっても思わず手を止めてしまうような、この場にいる全員が思わず耳を傾けてしまうような形のない、しかし確固たる力が宿っていた。
声の方向へと顔を向ければ、そこには純白のローブに木から削りだしたのだろうローブと同じく白い長杖(ロッド)を携えた一団が。
先頭に立つ金髪碧眼の男がどうやら声の主であるようだが、それを眺めている間に後ろにいた白ローブたちが動く。
「「神の威光よ、邪なるを縛り、戒めに跪かせよ。「ホーリーバインド」!!」」
「あら。」
突然の登場に
余程の魔力が込められているのか、結構な力で引っ張っているのだが破壊される様子はない。
「司教様!我々が食い止めている間に!」
「神裁魔法……「ジャッジメント」を!!」
「二十秒、なんとか耐えてください。神の威光よ、悪為す者に降り注ぎ、煌雷の断罪を以て正義の証明を……」
魔法というものは原則として詠唱が長ければ長いほど大掛かりで、そして高火力である。
明らかにホーリーなどとは比べ物にならない魔法を行使しようとしている司教に危険を感じ取ったエルは鎖による拘束を破ろうとするが、鎖は絶妙にエルの
「に、逃がさん!」
「うわっ!?ちょ、離れなさいよ変態!」
さらにもがくエルにしがみ付いてきたオットーに、流石のエルも悲鳴じみた声を上げる。
なにせ全身からおおよその液体を垂れ流した中年がしがみついてくるのだ、エレボスの冥鎧が無駄に高性能なのが祟り、その「ぬちょっ……」とも「ぶじゅう……」とも形容しがたい感覚に、特に葛藤もなく竜を屠るエルであっても耐えがたい気持ちの悪さに必死になってオットーを引き剥がそうとする。
しかしエルが必死であるならばオットーは決死の覚悟である。
粉々に砕かれた英雄願望を僅かに残ったプライドで必死にかき集め、せめて一矢報いねば己のために重傷を負った者たちに顔向けできぬとどれだけ振り回されてもオットーはしがみ付いた腕から力を抜くつもりはない。
オットーの幸運は、エルの四肢がホーリーバインドで拘束されていた事である。
もしも四肢のいずれかが拘束されていなければ、今頃は嫌悪から手加減のない一撃を受けて肉ごと骨が粉砕されていただろう。
そして二人の聖職者の必死のホーリーバインドと、一人の中年のなりふり構わぬ決死の拘束がついにエルを二十秒間その場に食い止める事を成し遂げる。
「………降り注ぐは断罪の光、邪なるを祓い、悪を終わらせる裁きの鉄槌。「ジャッジメント」!!」
「ちょ、待」
次の瞬間、遥かな上空に光が瞬く。
それは瞬く間に巨大な雷の球体へと膨張し、肉を詰めすぎた腸詰が破裂するように内側からの力の奔流に耐え切れず破裂した瞬間、「邪悪」な力を欠片もこの世に残さぬ、神の力を限定的に行使する最高位浄化魔法が光の柱の如くオットーごとエルへと降り注いだ。
それはさながら神の鉄槌。邪悪を滅し、闇を払う正しく奇跡。
思わず神へ祈りを捧げる者まで出る始末であり、誰もがあの邪悪な鎧の悪魔が滅された事を確信する。
「エルヴィン司教……貴方の浄化魔法を疑うわけではないが、オットー氏は大丈夫なんだろうな……?」
「彼は教会も認める善人です。最上位浄化魔法……
無傷とはいえ吹き飛ばされた上に驚異的な跳躍で距離を離された事でほとんど何もできなかったラガは魔法を行使し、汗を拭う司教エルヴィンへと話しかける。
エルヴィンは司教であり教区長、この街の光神教会のトップとも言える存在である。
彼が出張るという事は、それだけあの漆黒の鎧……エルダアドルフォを危険であると判断したという事だろう。
とはいえ、ラガには一つ不安があった。
「それなんだが……あの鎧、エルダアドルフォという奴なんだが、ウチの受付嬢が聖水をぶちまけたが全く効果がなかったらしい。」
「聖水を?それは妙ですね……」
「カウンターに置いてある聖水は光神教が聖別したもの、それも確かあそこに置いたのは貴方が直々に聖別したものだ。その性能は疑ってはいないが……」
聖別の技量は光神教内の役職が高位であれば高位であるほど卓越していると言って良い。
教区長を任されるほどの聖職者ともなれば、それこそアンデッドや「邪悪」な存在に対しては致命傷になりうる威力を発揮する。
それが「効果なし」。
それが意味する事実にラガとエルヴィンは周囲がすでに戦勝ムードの中、ゆっくりと光の柱へと視線を向ける。
「私は」
光を
「いつまで」
突き破って
「茶番に」
闇が
「付き合えば………いいの?」
遂に「怒り」を纏って現れる。
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