第9話 善くあれど強さは両立し得ず
「ごっふぁ!」
今吹き飛ばしたのは冒険者だろうか、装備が汚かった。
そんなことよりも己の変化についてだ、とエルは再び思考の海に沈む。
確かに昔から女のくせにすぐに手を出す物騒なやつ、とは言われていたがここまで実力行使を厭わない性格だったろうか。
確かに溶けた銅をぶっかけられたり悪魔であると決めつけられたことに腹は立っている。
しかしそれらは怒り、と呼ぶまでには至っていない。己の人間性とは十数年間の付き合いなのだ、自分がキレた時にどうなるかは自分が一番把握している。
もっと周りが見えなくなり、後先考えなくなるものだと思っていたが今のエルは自身が驚く程に冷静である。
しかし冷静という自己判断とは真逆に、思考は「あのオヤジ死なす」で固定されていることから、平常とは言い難い。
「ぐはぁ!」
今のも冒険者だろうか。どうやら適当に振り払っていた「手」の一撃が鳩尾かどこかに入ったらしく、血と吐瀉物が混じったものを吐きながら吹き飛ばされていく。
「汚っ………あ。」
この感情だ。今反射的に抱いた感情は今自分が抱いていたナニカと同じ類のものだった。
まるで蛆のように湧き出てくる邪魔者を払いのけながら、エルは遂に自分の感情の正体に気づく。
(ああそうか、私はあいつが「不快」なのか。)
怒るほどの損害は受けていないが、それを許すほど奴の行為を受け入れていない。
ただ自分がこれからこの街に住むにあたってその存在を欠片も認識したくない、だから今の内に殺しておこう……
(……いやいやいやいや、流石に発想が飛躍しすぎて痛っ!)
ガツン、と。
思考を強制的に中断する頭痛に思わずエルは仰け反る。
何事かと正気に戻れば盾を振り上げた状態ですぐ近くまで男が一人肉薄している。
どうやら考え込みすぎたらしい、とエルは無造作に手を振り今のエル程ではないにしろ中々に巨漢な目の前の男をふっ飛ばそうとする。
しかし無造作の一撃は男が構えた大盾によって弾かれる。
「あれ。」
「ぐっ………借り物の量産品とはいえ
「邪魔。」
「ぐぁっ!!」
どうやらそれなりに力量のある冒険者だったようだが、少し強めに殴り飛ばせば吹き飛んで行った。
それでも盾を
他の者と同じように吹き飛ばされて行ったが、あれは衝撃に耐え切れないと悟り、衝撃ごと身体を後ろに飛ばしたのだろう。
魔力強化がどうのと言っていたしそれが理由なんだろうな、と納得する。
(それで………あれ、何考えてたんだっけ?まぁいいや、あの気違いを殺してから思い出そう。)
エルは気づかない。
先ほどの大盾を持った男、「夕焼けの歌」のギルドマスターであるラガは大盾による打撃をエルの
突然エルが前触れなく仰け反ったことでそもそも攻撃が当たっていないことを。
故に、ラガの当たらなかった攻撃ではどうあっても頭に痛みなど与えられるはずがないことを。
まさにそれを形容するならば進撃と呼ぶ他にない。
精鋭の騎士が、歴戦の冒険者が、まるで赤子のじゃれつきをあしらうように軽く振り払われただけで、冗談のように吹き飛ばされる。
重装兵も軽装の冒険者も、身に纏う防具の貴賎なく黒き鎧に刃を向けた時点で等しく宙を舞い、身体を砕かれる。
幸いにして死者は出ていないようだが、それは慈悲故に、ではない。
意識してまで殺す程の興味を抱いていないから、ただそれだけの理由だ。
そして無関心に立ち向かう者達を払い退けるアレの
その一点たるオットーは恐怖にもつれ、満足に動かない足を必死に動かしながらそう直感した。
「わ、わわ、私のことは……構うな……君たちは………逃げなさい。」
「何をおっしゃいますかオットー様!我々は肉壁になってでも貴方をお守りします!!」
「し、しかしだな、あの悪魔は私を狙っているのだ!それに、領主としてこれ以上民がやられるのを見ているわけには……!!」
おおよそ悪癖による自業自得とはいえ、その性根は善き領主であるオットーの言葉に、地下牢でオットーを任されたもう一人の重装兵は何としてもこの方を守るのだ、と決意を新たにする。
とはいえ、議論の余地なく悪魔と決めつけられて牢に雁字搦めで叩き込まれ、無傷とはいえ溶けた銅をかけられ拷問されるところだった被害者からすればそんなものは三文芝居でしかない。
そして鬼ごっこに興じ続けるほど
「いい加減面倒になってきた。」
ズダンッ!と大地から凄まじい音がしたかと思うと、この場にいるエルを食い止めんとしていた衛兵、ラガと共に領主の屋敷へと急行し、緊急依頼扱いで衛兵に加勢していた冒険者、その殆どがエルの姿を見失った。
「消えた……!?」
「何処に行った!?」
「バカ野郎!上だ!!」
見失わなかった者達、即ち少し離れた位置からそれを目撃していた者達は右往左往する仲間に怒号を飛ばす。
そして全員が呆然と見上げた先、十数メートル程を跳躍によって飛んだエルはあまりの事に逃げる足を止めてしまったオットーの眼前に着地する。
「く……ここは通さ」
「引っ込んでて。」
「が……っ!」
決死の覚悟も、捨て身の肉盾も、エルからすれば邪魔な障害物でしかなく、これまでそうしてきたように目の前に立ち塞がった重装兵もまた、「手」の張り手が直撃した事で血反吐を吐き散らしながら退場していった。
「さて………」
「く、う、ぅう………わ、わた、私は……!悪魔などに……っ、決して屈しは」
「喋らなくていいよ、やることは変わらないから。」
「うおおおあああああ!!」
抵抗のつもりなのか、腰に佩いていた剣を抜いたオットーは「私は今から大上段からまっすぐ振り下ろします」と宣誓するかのような素直な、言ってしまえば馬鹿正直な剣でエルに斬りかかる。
しかし、やはりオットーは英雄ではなかった。
エルにはオットーの剣に、剣術に、決意に込められた意思など考える価値もない。
振り下ろされた大上段からの一撃を掴み、枯れ枝でも折るかのように魔剣ではないが名剣であるオットーの剣をへし折った。
「動きが遅いし分かりやすすぎ、此の期に及んで馬鹿にしてるの?」
「………は、ははは」
エルはあくまでも「この程度で抵抗のつもりか」という意味で放った言葉であったが、オットーの根幹を支える何かを木っ端微塵にするには十二分に過ぎるほどの破壊力であった。
完全に抵抗の意思を潰し踏み躙られたオットーの手から折れた直剣が抜け落ちる。
今度はこちらの手番であるとエルの右腕を漆黒の魔力がより重く、より分厚く覆い始めたその時だった。
「そこまでです、邪なる悪魔よ。」
穏やかながらも、確たる意思を持った声がエルの手を止めた。
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