第2話 恐怖を克し立つことを勇気と呼ぶ
「ボウケンシャトーロク?」
「そう、冒険者登録。」
数秒程目の前の邪悪と恐怖を素材に作られたような鎧が何を言っているのか理解できなかったニーナだったが、傍から見れば驚異的な速さで立ち直り、慌てた様子で登録の用意を始める。
「え、ええとですね、冒険者として登録されるば、場合ですね?とりあえずこちらにお名前、所属等を記入していただくことになるんです、が……」
禍々しい鎧であるが中身が可憐な少女の声であるためか、初見程の恐怖は感じないがそれは10が8になった程度であり、やはり逃げられるのならば今すぐ逃げ出したい。
機嫌を損ねてはならぬと慌てて羊皮紙と羽ペン、インクを鎧の前に並べる。
「…………。」
「………あの?」
しかし無言。何か間違えたのかと恐る恐る問えば、鎧に埋め込まれた宝石とこう表現するのも違和感があるが目が合う。
「………悪いケド、代筆ってできる?」
「え、あ、はい!え、ええと、お名前を教えてもらっても……」
名前。
名前とは文字通りその者の存在の証明である。人の肉体は百余年生きれば上等であるが、名前は数百年であろうと語り継がれる。
それになにより良くも悪くも……どちらかと言えば極めて悪目立ちするこの鎧が無名の存在とは思えない。
冒険者の中でも情報を売る者、ギルドの職員、好奇心で耳をそばだてる者、要するにギルドにいる全員が鎧の名を聞き逃すまいと静まり返る。
「………フルネームじゃないと駄目?」
「……フルネームで、お願いします。き、規則なので……」
嘘である。偽名登録は原則としては認められていないが、フルネームで登録しなければならない、という規則はない。
貴族の嫡男がお忍びで冒険者登録をする際に、名前のみで登録することはままある。気付かれる気づかれないにしろ、「ここにいるのは貴族姓を持つものではない」というポーズが必要なのだ。
しかし、ここでこの威圧と同等の謎を孕んだ存在の名前をはぐらかされる事をこの場の誰も望んでいない。
誰もが心の中でニーナに賞賛を送る中、しばし俯いていた鎧が言葉を発する。
「……エルダアドルフォ・ニュクセルシア・ヒュプノヴァニア」
「はいぃ?」
「だから、フルネーム。私の名前はエルダアドルフォ・ニュクセルシア・ヒュプノヴァニア。」
「ち、ちょっと待ってくださいね!?エ、エルダー…」
「エルダアドルフォ、「ダ」の後は伸ばさない。」
「ひゃいっ!」
ニーナが鼻先が触れる程に近づいた鎧の顔に悲鳴を上げる中、彼女の名を聞いた周囲の者達は声を潜めてその名に心当たりがないか話し合う。
「姓はヒュプノヴァニア、だよな……そんな貴族いたっけか?」
「いや、いなかった筈だ……貴族ではないのか?」
「お前、あの名前聞いたことあるか?」
「いや、ない。というかアレが無名なんてあり得るのか?」
「つーかあれ、女……なのか?」
「俺よりでけぇぞ……」
中には本格的にエルダアドルフォ・ニュクセルシア・ヒュプノヴァニアという名を調べるためにギルドから飛び出す者もいる。
だが、そんな者達の出鼻は悲鳴と共に挫かれることになる。
「うおおおおお!!?」
「どうした!?」
まるで不可視の何かに吹き飛ばされたかのように外に出た筈の者達がギルド内に転げ戻ってくる。
何事かと何人かが扉の外に目を向ければ、そこには眠っているのかぴくりとも動かないドラゴンが二頭もギルドの前に鎮座していたのだ。
こればかりは鎧とは危険度の格が違う。
思わず武器を抜いた冒険者達だったが、鎧……エルダアドルフォの言葉にまたしても硬直することになる。
「あぁ、それもう死んでるよ。」
「………は?」
冒険者の一人が気の抜けた声を出す。ギルド前に寝そべるドラゴンを見れば、致死に至るような傷は一切存在せず、死んでいると言われてもにわかには信じがたい。
しかし、眠っているとしても呼吸のために身体が多少動くはずだというのにそんな素振りすら一切なく、冒険者の一人が恐る恐る近づきつついてみるが、それに対しても一切の反応が無い。
「毒……じゃねぇな、本当にいきなりぽっくり死んだみてぇだ。」
「鼻先に穴みたいな傷口がある、ここから何か流し込んだとか。」
「いや、多分これ指が食い込んだ跡だな、肉も変色してないし毒が流し込まれたとは…………いや待て掴んで引っ張ってきたのか!?」
成体のドラゴンが下手な家屋よりも巨大である事を考えれば、眠っているかのように絶命している二頭の竜が亜成体に成り立て程度である事は察せられるが、その事実を差し引いても馬車程の大きさを誇るドラゴンである。
それを二頭、恐らくは片手で一頭ずつ掴んでここまで運んできた、など誰が信じようか。
少女の声によって多少緩んだ緊張が再び高まる中、当の本人は何処吹く風と言った様子でありそれと相対させられているニーナの胃がすくみ上がる。
今すぐにでもストレスごと中身を吐き出したい衝動に耐えながら、ニーナはエルダアドルフォが話す内容を羊皮紙に代筆していく。
「……まぁ、こんな感じ。」
「アリガトウゴザイマス、ショッショーオマチヲ」
まるで関節部が錆び付いてしまったかのようにぎこちない動きでニーナはカウンターの奥へと歩いていく。
そして大声を上げない限りはカウンターの方には声が届かない距離まで離れると……
「う、うぅぅぅぅぅぅ………っ!!」
「よ、よくやった!よくやったニーナ!」
「マスターに特別手当出るように言っておくから!よく頑張ったね!!」
精神力の限界に達したニーナは膝から崩れ落ち、慌てて他の職員がそれを支えてニーナの敢闘を讃えた。
冒険者とは得てして山賊のような人相の者も少なくない。その為、ギルドの職員ともなれば強面の相手をする程度なら慣れたものではあるが、あの遠目ですら鳥肌の立つ漆黒の鎧はあまりに例外すぎた。
それに真正面から応対し、個人情報を聞き出してきたニーナを誰が責められようか。
それが例え、腰が抜けてへたり込んだ状態で顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたとしても、それを無様と笑う者はいない。
「後は任せろ。なに、ギルドの等星制度と以来の受け方について説明するだけだ、。六等星……いや、亜成体とはいえドラゴンを二体仕留めたのが事実なら四、いや三等星から登録でいいだろうか、皆?」
職員の中でも最年長の男性がニーナの背を撫でながらそう言った時だった。
エルダアドルフォが引き起こした緊張とはまた別の、より生物としての本能に根ざす緊張が咆哮と共にギルドだけではない、この街全体を震わせた。
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