第4話
理不尽なことがあっても、辛いことがあっても、楽しいことや可笑しいことがあっても、構わずウルフはどんどん成長していく。
もう彼は、あたしと同い年くらいに見える。身長はあっという間にあたしを超えてしまったし、身体も逞しく大人になって来た。
しばらくすると、ウルフはもう一緒にお風呂に入ろうとはしなくなった。
眠るのも別々だ。相変わらず屋根裏部屋でいろいろな話を聞かせてくれるけど、それが一段落するとウルフは言うのだ。
「じゃあ、ユイ。お休み、また明日ね」
ウルフの
独りで階下に降りて眠るのは淋しかったけれど、ウルフが居る屋根裏部屋を見上げながら、あたしは再び一人でベッドに入る生活になった。
そして連載打ち切りになったペット雑誌の仕事の代わりに、あたしは新しい童話の企画を懇意にしている編集者に持ち込んだ。
「うん、なかなかいいよ。なんだか、いままでと違う感じだね。心境の変化でもあった、のかな?」
ウルフのお蔭だと思った。ウルフがあの屋根裏部屋で聞かせてくれた、たくさんの物語。わくわくドキドキさせられたり、ときにはきゅんと切なくなったり、可笑しくて笑い転げたり、ふんわり幸せな気分をもらったりした数々のお話は、あたしの中に蓄積されて熟成して、いま芳醇な香りを放ちはじめている。
無数のキャラクターたちが次々と生まれてきては、自由気ままに動き出し、早く自分たちに冒険をさせろ、恋をさせろ、夢を見させろと急かすのだ。
久しぶりに、書きたいと魂が叫んでいる。書かないと溢れて洪水を起こしてしまいそうな創作意欲に、あたしは寝食を忘れて書き続けた。
そして、ウルフは2度目の誕生日を迎えた。
「ユイ。俺、19歳になったよ」
すっかりあたしより大人びた容貌になってしまったウルフは、もう男の子ではなくオトコに見える。
彫りの深いセクシーな顔立ちに、榛色の眼に愁いの影をつくる長い睫毛、銀色の髪はゆるい天然のウェーブを描いて肩先で風に揺れている。逞しさの中に見え隠れする、シャイな危うさ。10代の名残を惜しむような不安定な魅力は、胸の奥を何故だか苦しくさせる。
思わず見惚れて、どきどきしていると、ウルフは照れくさそうに嬉しそうに笑う。その洗いざらしのシャツみたいな、清潔な笑顔まで眩しい。
19歳になったウルフが、これまでと変わったこと。
それは人間の姿でいるほうが長くなったことだ。
ウルフは農園育ちだった前世を生かし、小さな庭で野菜を育てはじめた。それから海辺に行っては、魚を釣ってくる。まあ、漁師だったこともバイキングだったこともあるわけだし。
それから、この近辺は高齢者が多い。近所のおばあちゃんの買い物を手伝って重いものを持ってあげたり、おじいちゃんにつき添って役所や郵便局で手続きをしてあげたりして、可愛がられるようになった。孫のように可愛がる近所の方々から、しょっちゅう煮物や常備菜、おしんこなんかを貰って帰ってくる。
だからウチの食卓には、ウルフが育てた野菜料理や釣ってきた魚料理、おばあちゃん達の味が並んで、温かさとほっこりしたおいしさに包まれるようになった。
突然出現した銀髪ハーフの青年ウルフは、ご近所の方々の間で「ユイの異母兄妹」ということになっているらしい。
姉弟と言っておいた方がいいのではないかという杞憂は、あっという間に杞憂でしかなくなり、ウルフは明らかにあたしよりも年上に見えるようになった。
もう身長だけでなく、考え方も落ち着きも、表情も、あたしより年上だと認めざるをえない。
「ユイ」
ウルフ19歳の誕生日から、さらに半年ほどたった頃、真剣な顔で彼があたしの名前を呼んだ。
「なに?ウルフ」
「俺は、あと半年くらいで26歳になる」
「うん」
あたしは24歳になるから、もう年齢でもウルフはあたしより大人になるのだ。
「ユイ、お願いがある。訊いてくれる?」
「なに?」
「俺の、
✵ ✵ ✵
ウルフは言った。
もしもあたしが彼の
1年に1歳ずつ、もう10年しか生きられない大型犬ではなく、人間と同じ寿命を手に入れる。
「考えてみてくれる?ユイ、俺に新しい人生をくれないか?」
「そうしたら、もうウルフは完全に人間になってしまうの?」
あの銀色のもふもふが、もう完全に見られなくなってしまうのはとても淋しい。
抱きしめているだけで安心するあのふわふわとした感触、顔を埋めて深呼吸すると微かな獣くささに胸がきゅんとなる。ピンと立った両耳から、ちょっとつんと尖った鼻筋までを撫でると、ウルフは決まって気持ちよさそうに眼を細める。
温かい舌で舐められると、嫌なことも辛いことも全部帳消しになる。ぷにぷにとした肉球は赤ちゃんのほっぺみたいで触っていると幸せな気分になるのに、その間からときどきびっくりするほど鋭い爪が覗いたりして、そのコントラストに笑ってしまうのに。
夜はもう別々だけど、あたしは忘れてなんかいないよ。ウルフのリアルファーは、どんな高級な羽毛布団より心地いいってことを。世界で唯一の、あたしの絶対的な抱き枕だったウルフ。あのウルフは、永久に消えてしまうの?
「消えない、たぶん」
「ホント?」
「うん。それに、俺の旅も終わる」
「旅?」
「うん。永遠の
「もう、生まれ変わることはないの?」
「生まれ変わっても、おそらく前世の記憶はなくなる」
そう…なんだ。
「そして生まれ変わっても、俺たちはまた
それなら。
何を迷うことがあるだろう。10年しか生きられない、あと7年位しか一緒にいられないなんて耐えられない。ウルフとずっと一緒にいたい、この命が続く限り。ううん、何度生まれ変わっても。ウルフのいない人生なんて、もう何の価値もないものに思えた。
「ユイ、俺の3度目の誕生日に答えを訊かせてくれ」
あたしの心は、もう決まっていた。
「あたし、もう…」
そう言いかけたあたしの唇に、ウルフはそっと人差し指を当てて言葉を遮った。
「ユイ、よぉく考えて。一時の感情に流されないで。だってこれはとても重大なことだから。一度そうなったら、もう後戻りはできないんだよ。俺と、半分人間で半分獣の俺と、
リスク?そんなもの。
それにウルフは、何度生まれ変わっても、永遠の
でも、ウルフがそう言うなら考えよう。
迷いのない、一点の曇りもない笑顔で、その日が来たらあたしはウルフに答えよう。
「うん。ちゃんとちゃんと覚悟して、ウルフの26歳のお誕生日に、あたしは答えを出すね」
そう言ったあたしを、ウルフは本当に嬉しそうな顔で見た。
「ありがとう、ユイ」
ううん、ありがとう、ウルフ。
世界にこんな大切な存在がいることを、教えてくれて。ありがとう。
ウルフの3度目の誕生日まで、あたしたちはたくさん、たくさん笑って過ごした。
ウルフは相変わらず、おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられたし、食卓にはおばあちゃん達の心がこもった家庭の味が並んだし、野菜はおすそ分けできるほど収穫できたし、海は新鮮な恵みを与え続けてくれた。
夜空を見ながら、屋根裏部屋でウルフはさらに様々な物語を訊かせてくれて、それはいつもあたしを不思議なファンタジーの世界へ連れて行ってくれて。
そしてウルフがくれたインスピレーションから生まれた童話は、小さな素敵な賞に輝いた。
幸福だった、これまでの人生で一番。
それが、あたしは、少しだけ怖かった。
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