星と歌の
てんまる
第1話 窮鼠歌を歌う
私、「綺羅明日香」は教室の窓際の机の陰に隠れていた。
―――放課後の人気のない教室。
夕日が窓から差し込み、オレンジに染まった床に窓枠の影を落としている。
―――ゆっくり息を整えて―――
そう、心をゆっくりと落ち着かせ、意識的に心拍と呼吸速度を下げてゆく。
ヨガにもある基本の呼吸法だ。
そうして自分の存在感を消してゆく。まるで獲物を狙うハンターの様に。
そうしなければ、奴に見つかってしまうかも知れないから―――。
そのまま意識を机の向こう側、外の廊下へと向ける。
遠くから聞こえる足音にこちらに向かう意思は無いだろうか?
物音を立てずにじっと待つ。
じっと―――
じっと――――――
―――何度か遠くに聞こえる足音が遠のき、消え、そして、無音に―――なった。
ブブーーッ!ブブーーッ!ブブーーッ!
「!!!!?」
突然ポケットから流れる振動音―――思わず見るとスマホの着信ランプが明滅していた。
「明日香、あすか、アスカーーー! この前のユニットの件―――」
発信は親友の”七尾かすみ”からだった。
恐らく、いや間違いなく一番の親友。幼稚園以来の幼馴染だ。
だけど―――
「わるっ、かすみ、今取り込み中だから‥!」
一言だけ返して切る。
まぁ、大体用件の予想はついていて、私はそれを受ける気は無いので今はこれでいい。後でこちらから連絡をすることにして、溜息を一つつき、机の陰から立ち上がる。
「みなよんもさすがに諦めたよね? 私を追いかける位なら素敵な彼氏―――」
緊張から解放された反動でつい独り言が漏れる。
「―――彼氏が―――何?」
「ひっ!」
思わず小さく悲鳴が出た。
「な、なんでも‥ありませんんん。」
かすかに言葉に動揺が漏れる。
「―――よくここが判りましたね?」
言いつつふりむくとそこには腕組みをした渡辺美奈代(みなよん)先生の姿。
この教室に隠れるのは今回が初めて。ここに至るルートも初めて通った場所ばかりのはずだった。なぜ判った??
「それは、そこ、女の勘で教師の勘ってやつ?」
『まるっきり当てずっぽうじゃないですかっ!』思わず心の中で突っ込みを入れたが、言葉にはしない。彼女の野性的な勘に痛い目を見たのが初めてでは無いことを思い出したからだ。
ジワジワと間合いを詰めてくるみなよん。
一見にこやかな。笑顔だが、瞳の奥には真剣な光が‥。
脱出口である教室の出入口は完全にみなよんの後ろ。完全に退路を塞がれた格好だ。
「さすがは渡辺先生‥」
言いながら別のルートが無いか考えてみる。何か‥何か方法は無いだろうか。
「私なんかよりもっとVAに向いてる娘、居るじゃないですか? どうしてそうしつこく‥?」
「それは、あなたのハートがVAを、歌を求めているからよ!!」
「ご、誤解ですって!」
「そんなことはない、私には分かるわ!」
断言するみなよん。
だめだ、これじゃいつものパターン‥。
じりじりと後退する私をからかうように窓のカーテンが揺らいだ‥?
「!」
私は一瞬の間合いを取ってしゃがみこみ、揺らいだカーテンをくぐり、窓へと突進した。
「ちょっ!」
これはさすがのみなよんも予想外だったらしく、一瞬反応が遅れる。
それはそうだろうここは二階で窓の方には出入口は無いのだから。
私は突進の勢いそのままに教室の外へ―――虚空へ飛び出した。
そう、カーテンの陰の窓は、開いていたのだ。
日直の娘が閉め忘れていたらしい。誰だか知らないがGoodJob!!
窓の外へ飛び出した私はそのまま半身をひねり、校舎と校庭を仕切る塀の上に着地、そこから夕日に染まった校庭に降りて一目散に走った。
「もう! 絶対に楽しいから! VAルームで待ってるから来なさいよーーーー!」
窓から身を乗り出したみなよんの声が追ってくる。
が、今回は諦めてくれたようだ。
ほっと、溜息をつきながら私は最寄りの駅に向かった。
学校でみなよんの追撃を振り切った私は、数十分後、池袋の西口にある場末のゲームセンターに居た。
池袋駅西口周辺も2020年のオリンピックを機に再開発が進み、
歓楽街からオフィス街へと姿を変えたが、一部には昔の姿を残した場所もある。
ここはそんな昔ながらの雰囲気の残る店だった。
薄暗い店内で明滅するモニター。少しよどんだ空気に古い電子機器の、焦げる様な匂いが微かに混じる。
アミューズメントパーク化した店ばかりの現代では絶滅種と言って良いタイプの店だ。
でも、私はこの店が結構好きだった。
ここではプレイヤー同士お互いの素性は気にしない。気にするのはスコアとプレイのテクニックのみ。
だから、日常を忘れてゲームに没頭できるのだ。
もちろん、制服のままではマズいので着替え、制服は鞄の中だ。
ルーズなTシャツにジーンズ、ロングヘアーはまとめてキャップに押し込み、一見男子の様なラフな格好をしている。
再三のみなよんの勧誘を振り切り、今日このゲームセンターに来たのには訳がある。
今日がこの店にあるオンラインダンスゲームの全国ランキング締切日だからだ。
このゲームは昔ながらの画面上から下へ流れるタイミングマークに合わせステージでステップするというもの。
原型は今から30年近く前に発売され、一時期はかなりのブームになったのだとか。
今ではこの機種を見ること自体少ないが、昔からのファンが付いていて、こうやって年に数度のオンラインランキングも継続的に行われている。
空いていた筐体にカードをタッチしてクレジットをチャージ、ゲームを開始する。
もちろんゲームの難易度はMAXを選択、今日は最高点を狙うつもりだ。
「ぴろろーん」
軽快なスタート音とともに音楽が流れ、画面を多量のタイミングマークが流れる。
―――ダン!ダン!タタタッタ!
前・後・前・前・右!
タイミングマークと音楽に合わせ、手足を動かす。
意識はリズムに7、タイミングマークに3の割合。あくまでタイミングマークは参考で、体を動かすのはリズムに合わせる。
高難易度ではいちいちタイミングマークを見て動いていては間に合わないからだ。
私はゲーム音楽に集中して半ば無意識に手足を動かした。
音楽に体が溶けてゆくようなかすかな浮遊感に身を任せる。
曲は中盤にさしかかり、私は快調にスコアを伸ばしていた。
現時点では全国ランクの暫定一位。
このままのペースでスコアを稼いでゆけば曲の終了時にランキングトップの可能性も高い。
と、そこで私は画面のスコア表示の奇妙な表示に気が付いた。
この機種では現在各地でプレイ中のプレイヤーのスコアの中で、自分に近い順位をグラフで比較し表示する機能がある。
全国暫定一位の私の画面に表示されるのは当然2~4位のプレーヤーとなる訳だが、
そのうち一人のプレイヤーがどんどんスコアを伸ばし、私に迫ってきているのだ。
もちろん、私のスコアも伸びているのだが、そのプレイヤーの伸び方がはるかに早いのだ。じわじわと差がつまり、曲の終盤では逆転されそうな状況。
周りの客もその事に気付きはじめたのか、ざわめきはじめた。
「おい、あの台のスコア、すげーぞ!」
「いや、対戦相手のスコアのが異常だろ!!」
すこしづつ私のプレイするゲーム機の周りに人が増えていく。
状況は私と謎のプレイヤーの一騎討ちとなった。
他のプレイヤーのスコアは二人に比べはるかに低く、どちら
かが全国ランキングトップになることは明白だ。
―――ダン!タタタッタ!タタタタ!
前・前・前・右・前!
曲が終盤に入り、最も難易度の高い場所にさしかかる。
私のスコアの伸びが一段と増す。
だが、追ってきている相手のプレイヤーも同様の難易度なのだろう、驚異的とも思えるスコアの伸びを見せ、私に肉薄する。
すでにスコアはほぼ互角。
―――タタタッタ!タタタタ!
左・前・左・右・前!
曲が最終盤にさしかかる。
すでに相手プレイヤーのスコアが僅かにこちらを上回っている様だ。
私も必死でプレイするが、いかんせん相手のスコアの伸びが異常すぎる。
離されないようにプレイするので精一杯の状況。
「だめか―――!」
たかがゲーム、されどゲーム。やはり自分が好きな物で負けるのは悔しい。
好きだからこそ、負けたくない。
その気持ちはゲームでもスポーツでも一緒だ。
「ぴんぽーーん」
「え?」
予想外の事態。
突然、プレイ画面にチャットメッセージのウインドウが表示される。
しかも送信したのは当の対戦相手のようだ。
―――ジャンジャン!
と、その時曲が終了、スコアとランキングが表示されはじめる。
結果は私が全国ランキング一位、相手は二位となった。
最終盤で逆転されていたのに、最終結果で私が勝ったのは終了直前で相手のスコアの伸びが突然止まったからだ。
もちろん、理由は明白、相手は曲の終了前にプレイを止め、チャットのメッセージを入力したからだ。
‥そのままプレイすれば全国ランキングトップを取れたにもかかわらず。
勝ちを譲られた形だが、私は悔しいよりももっと複雑な気分だった。
チャットメッセージにはこう書かれていたのだ。
「明日香さん、私と踊ってください」
先のゲームの後、私は店を出た。
何だろう、胸がざわつく―――。
自分の感情の微妙な変化の正体を把握できないことに苛立ち、ゲームを続ける気分にはどうしてもなれなかったからだ。
原因がゲームでのチャットのメッセージであることは明白だし、その内容が問題なのも理解している。
あの店で、いや、日本中のゲームプレーヤーにあのゲームをプレイしていたのが私であるという事を知っている者は居ないはずだ。
もともとプレイヤーネームは名前と関係ない物にしているし、プロフィールなども記載していない。
用心のため、と言うほどでもないがゲームの支払いに使用したのもコンビニで現金購入したプリペイドのポイントカードで、こちらからも個人情報が洩れる事は無いはずだ。
なのにあの謎のプレイヤーはメッセージで私の名を呼んだのだ。
まさか適当に書いた名ではないだろう。
であれば、あの相手は私にも想像できないような何らかの方法で、私を発見できるのだ。
星と歌の てんまる @tenmaru99
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