Scene014


 初めて出会った日。


「君が世永くんだよね。相星叶絵と言います。よろしくね」


 まあ、ありきたりで平凡な、ある意味よくあるお話である。

 場所は当然屋上だった。

 その日はよく晴れていて、まだ冷たい風の吹く春だったけれど、日向で昼寝をするには最適だった。気持ち良さ過ぎて、終礼のチャイムが鳴っても、俺は寝倒していたのだ。

 今思うと傑作なのだが、どうやら俺の挙動は、やはり注意深く見ていれば3-4の教室から観察できたらしい。だから、叶絵にとっては好機だったと言えるだろう。

 目を開けると、叶絵の顔があった。


「……だれ?」


 名乗られた直後にこの質問だった。我ながら手間のかかる自分だった。

 彼女はいつも通りの服装だったと思う。短めのスカートに太ももまで伸びたハイソックス。それから、シャツの上にピンクのカーディガンと、大きめのブレザーを羽織っていた。メガネは……確かしてたんじゃなかっただろうか。


「だから、相星叶絵。同じクラスでしょ?」


 俺は始業式を後に教室へは荷物を置きに行くだけだから、同じクラスという感覚はほとんどなかった。けれど、その当時、少なくとも名前は聞いたことがあった。

 でも、それは本当に些細な理由で、実際、出席番号が一番だったから、という以外になかったのだ。その割に平凡な名前ではなく、ほんのちょっとだけ珍しい名字だったから、知っていただけなのだ。


「ああ……相星、か」


 大きなあくびをすると、眠気に襲われる。しかし、彼女がここに居るってことは放課後ってことらしい。寝すぎたことを知ると、俺は立ち上がろうと床に手をついた。


「ここで何してたの?」


 ついた手の隣に、彼女が座った。足を伸ばして。

 気まぐれだった。ここで立ち上がって屋上を去ってしまってもよかったのかもしれない。

 ――多分、俺は嬉しかったんだと思う。


「別に、ただ寝てるだけ」

「ふーん。でも、寝てるばっかりじゃないんじゃないの?」

「何が言いたいんだよ?」

「聞きたいだけだよ」

「……眠くない時は、グラウンドの体育見たりしてる」

「うわ、やらしー」

「……」


 案の定、面倒くさいやつだった。


「女子のなんて見てもつまんねーよ」

「女子の、何を見てるのかな?」

「……試合だよ」

「本当にそれだけかな?」

「それだけだよ!」


 いよいよ立ち上がって、屋上を出る。鳩が何羽か飛んでいた。


「ああ、ちょっとちょっと、ごめんごめん」


 彼女も立って、俺の後を追った。


「これ、今日の分のプリントだよ」

「……は?」


 一瞬、何のことかわからなかった。

 これが、義務であったとしても、その義務をなぜ果たすのかわからなかった。

 例えば、普段から真面目な人が風邪かなんかで休んで、それでプリントとか、ノートとかを届けに行くのなら理解できるのだが。

 端からやる気もなく、授業さえろくに聞かない人間に、どうしてそんなことをするのか。

 全く理解できなかった。


「何だよ……これ」


 けれど、これはさっきと同じ趣旨の質問じゃない。


「だから、プリント……」

「そうじゃない。どうして、こんなことするんだよ」

「どうしてって、授業休んでたから」

「休んでたんじゃない。さぼってたんだ。行けなかったんじゃなくて、行かなかったんだ。だから、こんなことをされるいわれはない」


 自分でもはちゃめちゃなことを言っているのはわかっている。でも、当時の俺には、そういうことをされるのに、抵抗があった。

 俺はこんな人間だけど、助けられる人間は、助けられるようなことをした人間だけだと思う。

 働かざる者、食うべからず。

 逆に、助けられるようなことをした人間は、助けられる人間なんだと思う。


「……やめてくれ」


 そんな風に言った。


「俺はそんな人間じゃない……余計なこと、すんな」

「余計なことって……」

「一つ聞くけど、お前、学級委員とか、なんかなの?」

「いや……私は、委員には入ってないけど」


 こいつは、義務さえ持っていなかった。それなのに、なんだこいつは。


「ともかく、もう俺に関わるな」


 彼女を睨めつけて、俺は校舎内に続く階段の扉を開けた。ドラム缶を叩くような音が校舎内に反響して、それが耳障りだったけど、気にせず階段を下りた。

 階段を降り始めると、扉が閉じる音がするのだが、今日はそれが無かった。


「世永くん!」

 階段途中で振り返ってしまった。

 素直に驚いた。


「また、明日!」


 ――正直、俺は嬉しかったんだ。

 あの日、相星叶絵が話しかけてくれて。

 初めて出会った日、彼女はいつも通りだった。

 自然なようで、不自然に。義務のようだけど、無責任な彼女は、俺からすれば見ず知らずの人間に、話しかけてくれたんだ。

 それが何よりも嬉しかった。

 彼女からすれば、こんなことを言いたかったんだろうか。

 食う者、働くべき。



 土砂は乾いていて、土は硬かった。

 さすがにスコップくらいは欲しかった。素手で掘るには、家を崩す土砂崩れの規模を舐めていた。

 こんなもん、シャベルカーでも数時間かかる。

 幸いだったのは、もう野次馬も警察とかそういった連中も引いた後だったことだ。異常気象が続く今、恐らくまだ事後処理の目処も立っていないのだろう。この事件、行方不明者はいなかったような気がする。

 俺は土砂に食らいついた。実際、いくらか土が口の中に入った。土に埋まった岩石や、彼女の家の窓ガラスやらが、指や爪や手のひらに突き刺さって、正直痛かった。後に引けるものなら引きたかった。

 弱音を叫びたかった。

 でも、俺じゃなかったら、これを叶絵がする。

 それを考えたら、こんなことを彼女にさせる訳にはいかなかった。

 叶絵……。

 お前の腕は、痛いぜ。とんでもなく痛がっている。悲鳴も上げるような痛みがある。痛くて痛くて、辛い。お前も、こんな感覚だったのかな? いや、こんな甘いもんじゃないのかもな。

 家が潰れて、土砂に身体が潰される感覚。

 そんなもんわかるわけがない。

 でもな、お前の腕はちゃんと動く。いくらでも。

 どれくらい掘り進んだだろう。気づけば、俺は大きな穴の中に埋もれていた。傍から見れば俺が生き埋めになったようにも見えるだろう。

 その穴の中で、固いものに行き着いた。板のようだった。その周りを掻いて掘り出す。引っ張った時に、少しだけ破れてしまった。

 水分でしわしわになってしまっているけれど、それは、俺たちの大切なものだった。

 表紙には「英語」と書かれていて、端に「K.A」と書かれていた。


「……見つけた」

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