Scene010


 その日も午前から勉強を初め、正午まで健堂を待った。健堂は先月の大会で華々しく予選を突破し、数日後の本戦に向けて最後の追い込みやら最終調整やら、とにかく、今が正念場らしい。それは、もちろん俺たちにも言えることではあった。

 先週、そう、この前じいちゃんの家に行った日だ。その日に実施された全国模試で、俺も相星もC判定だった。この時期にこの判定は、果たして良いのか悪いのか。微妙なところではあるし、俺たちが目指している私立大学はそれほど難関という訳ではない。

 中途半端な結果になれば、片方が合格して、片方が落ちて、別々の大学になってしまう……それは流石に後味が悪い。

 それでは……意味がない。

 健堂は勉強面ではあまり協力的ではないけれど、精神的には俺たちは励まされていた。午前中は特にそうだった。縁の下の力持ち。俺たちの間ではそういう存在だった。そして、彼自身、そういう人間なんだと思う。

 瀬戸内は、相変わらずだった。けれど、一緒に勉強するようになって、進歩はあるみたいだった。最近は専門学校にでも行こうと、そういうようなことを考えているらしい。何の専門学校なのかは教えてくれない。女子の専門学校進学先って、何があっただろうか……。大方ファッション系だろうとは思うが。まあ、何かしら目標があれば、勉強に身も入ることだろう。

 俺たちの高校生活最後の夏休みは可もあり、不可もあり、でも、着実に進んでいる感覚はあった。地に足は着いていて、

 とても充実していた。


「言っちゃあ何だけど、お前、こんなとこで油売ってて良いのかよ?」


 図書館の休憩所で缶コーヒーのプルトップを外す。乾いた音が心地良い。冷たくて苦いコーヒーを仰ぐ。隣の健堂はお茶を飲んでいる。和食系が好きらしい。そこは、それっぽい。

 狭い休憩所には自販機とゴミ箱だけが設置されていて、部屋というより中庭を中継しているだけのスペースだ。その中庭は、今アスファルトを日差しが照り返して、目がちかちかする。腕時計は午後の三時を刺している。


「今更な質問だ」

「今になって、知りたくなったんだ」


 聞いた話では、健堂剣は高校二年の時、すでに全日本選手権で上位の成績を納めている。だからこそ、この時期にすでにスポーツ推薦が確定しているのだが、また、だからこそ、こんなところでうつつを抜かしている場合でも、ないのではないか。

 特に健堂は飄々ひょうひょうとしているから、実際のところがイマイチ見えない。


「短期集中型なんだよ。確かに、時間をかけて練習すれば、練習時間の少ない人よりも身につきやすいだろう。でも、それは最初のうちだけだよ。やり始めは質より量をこなして慣れる。感覚を掴むまで、ずっと練習する。慣れが来たら、今度は量より質を追求する。特に剣道は集中力が命だ。これは他のどのスポーツにも言えることだと思うけど、その中でも剣道は別格だと思ってる。一瞬で勝敗が決まるからな。巻き返しもない」


 目を閉じて語る健堂は普段と違った。それは正に武士の顔だった。


「だから、短期集中だ。練習は朝の三、四時間だけでいい。今だって、別に遊んでいる訳でもない。知ってるか? 学力とスポーツには相関があるらしいぜ。それに、勉強しながらも集中力は鍛えられるからな」

 あとついでに、と付け足して


「俺が行くのはお前らの行く学校よりもレベルの高いところだからな。コツコツ勉強しないといけないんだよ」


 ニヤっと笑う彼は、やはり、紛れもなく健堂剣だった。


「頑張れよ」


 中がまだ少し残っているらしいペットボトルを振り回しながら、健堂は先に戻っていった。

 ふーっと息を吐いて、外を見ると、中庭に影が出てきた。

 俺はコーヒーを飲み干して、三人の元へ帰ることにした。

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