Scene007


「あ、隆さーん、おかえりなさい。お茶出すので居間で待っててください!」


 祖父宅のインターホンを鳴らすと、中からエプロン姿の幼い少女が俺を出迎えた。金髪蒼眼でジーンズ柄のエプロンだから、オシャレなカフェにでも上がり込んだものかと、錯覚しそうになる。

 ……その実はぼろっちい木造住宅だけど。


「ああ、違った違った、こうじゃありませんでしたね」


 そう言うと、彼女は身を縮ませ、膝に手を置いて、上目遣いになる。一昔前に流

行ったポージングだが、寄せる胸がないとただの中腰である。


「お風呂にします? ご飯にします? そ、れ、と、も~?」

「いや、お茶出すんじゃなかったのかよ」


 ていうか風呂も飯もまだだろうに。まだ夕方の五時だ。まあ腹も減ったしシャワーも浴びたいところだが、今はとりあえずキンキンに冷えた麦茶がご所望である。


「もう~りゅーさんの、い、け、ず~」


 えらく古い趣味を植え付けられているようだ。

 これは爺に説教せねばならない。

 ――あれから三ヶ月ほど経過した。現在は八月の十二日。夏休みが始まってすぐだという感じもするし、もう一、二週間でこの世の終わり……ではなく、夏休みの終わりがやってくる、と謎の焦燥感に襲われる時期である。

 それはともかくとして。

 目の前の少女……。


「ホープ。身体の調子はどうなんだよ?」

「体調はオールオッケーですよ。でも、おばあちゃんもおじいちゃんもまだ安静にしとけって煩くて――」


 これじゃあもやしっ子になっちゃうーとかなんとか言いながら、元から白い腕を伸ばして、俺の前に湯呑みを出した。


 ……あの日、住宅街のど真ん中に伏していたのは、自らをホープと名乗る少女だった。

 5W1Hの質問におよそ「わからない」と答え、日本人離れしている見かけの割に言葉は流暢だし、ぱっと見小学六年生ないし中学生の割に年齢は十七で、俺の一つ下だし、ほんと、尽く訳の分からない少女だ。

 熱はその日のうちに引いたらしく、体調も悪くなさそうだから、周りは特段心配している様子はないのだけれど、じいちゃんに聞いても、誰に聞いても、重要なことはひた隠しにして、気づけば世永家の世話役と化していた。


「じいちゃんとばあちゃんは?」


 ガラスコップに入った麦茶。そこに浮かぶ大きめの氷。鳴らない風鈴。じりじりと落ちていく太陽。静かな山道。


「ふたりともお散歩です。さっき出たばかりなので、もうしばらくは帰ってこないと思います」

「そっか……」


 俺は言いながら、コップを握って縁側に腰を下ろした。板のところだけは日陰になっているから、若干涼しい。ただ頑張っても物干し竿しか目に入らないのは少々残念だが。

 ……果たして、この少女は一体何なんだろうか。

 という疑念はもはやどこかに置き忘れて、今では年の近い妹ができたような、そんな気分になっている。

 まあ、問題がないなら……いや、あるにはあるが……概してないのなら、俺が管轄するような問題ではない。というか、俺が手に追える問題なんて、そうそうないだろうけれど。

 そんなわけで、ホープはもう世永家の一部になっていた。


「ん……ていうか、じいちゃん家出る時は付いていけって言ったじゃねーか。なんかあったらどうすんだよ」

「うーん……でも、丈夫そうでしたし、たまには二人だけで出かけさせろって、おじいちゃんに言われて。ホープは留守番してご飯の用意を頼まれまして」

「だからって、もしものことがあったら、遅いんだよ。じいちゃんはああでも、坂とか歩いてたらきついし、危ないし」

「やっぱり止めるべきでしたか……」

「当たり前だ。老人の言うことなんてめったに聞くもんじゃねーよ」


 心なしか強くなった語気に、ホープはしゅんとした。けれど、これくらい言わなければダメだ。

 じいちゃんの身体は目に見えて、弱くなっている。この前軽く風邪を引いたときに病院に連れていくと、医者からはもう長くない、というようなことを言われた。近いうちに病院に預けようと、家では話している。

 しかし、短くないというのなら、最期は実家で過ごさせてやりたいという気持ちもあって、その辺りの判断はばあちゃんに任せることになっている。


「飯、食って帰るよ。俺の分あるか?」

「大丈夫ですよ。今日は冷や麦です」


 まったく、夏らしい。

 ひぐらしの声を聞きながら、俺は縁側に寝そべった。

 そういえば、俺だって、ホープが倒れてた時にかばうような真似をした気がする。もしかしたら、俺たち家族と関わることで、彼女にも少しばかり性格的に寝てきたのかもしれない。

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