Scene006


 ばあちゃんが帰ってくるなり、じいちゃんは布団に戻された。

 ピンピンしているように見えて、それでもやっぱり歳は歳なのだ。八十手前の爺は身体もよくない。大病さえ患っていないけれど、先はそう長くないというのが、世永家の見解だ。

 じいちゃんと会ったのは数ヶ月ぶりだった。確か正月に行ったのが最後だから、だいたい五ヶ月会わなかったということだ。もちろん電話で連絡を取ることはしばしばあるけれど、直で会うのは久しぶりだった。

 じいちゃんは明らかに痩せていた。

 以前は小突いてきたり、そういうちょっかいを掛けてきたものだけど、最近はお互いに触れ合うこともなくなった。


「んー」

「どうしたの? 隆君」


 帰り道。

 まだ日は落ちていないけれど、ばあちゃんに「送っていけ」と命令されたから、俺は相星の家に付いていくことになった。


「いや、やっぱりあの娘をあそこに預けたのは良くなかったのかなって。ばあちゃんはまだ元気だけど、それでも一人増えると世話も大変だろうから」


 救急車を呼ぶなと言われて呼ばなかったのは、判断ミスだろう。普通、あんな状況で患者の意見を飲むべきではないはずだ。何かあってからでは遅いのだから。


「でも、おじいちゃんは間違ってないって言ってたし、とりあえずは、あれで良かったんじゃない? なんだったら、私もお世話しに行ってもいいし、それに、隆君のお母さんだって……」

「親には頼らない。もちろん、姉ちゃんもだ」

「前から気になってたんだけど、どうして隆君は、そんな過度に家族を頼りにしないの?」


 細い道をまっすぐ進んでいく。峠の坂道を歩くわけではないから、比較的歩みも楽だ。


「親には、なるべく頼らないことに決めた。特に理由はないよ」


 ばあちゃんにもじいちゃんにも、あの娘のことは口外しないように釘を打っておいた。まあ、あの二人に釘を打ったところで、糠に釘というやつなのだが。しかしでも、祖父母についてはダメな人じゃない。ちゃんと俺のことも考えてくれるし、必要なら親にも言うだろう。何にしても、最低限で最適な処置を施してくれるはずだから、後はあの二人に任しておけば問題ないだろう。


「むー」


 逸らかす俺に、相星は口を尖らせた。


「……まあ、良いけどね。言いたくないことまで無理やり言わせるつもりはないよ。でもね……」


 六時になったらしい。学校のチャイムが遠く遠くへ響いていく。麓の方を見下ろせば校舎、グラウンドが茜色に染められていた。

 鐘の音が鳴り終えてから立ち止まり、彼女は話し始めた。日に照らされているからか、相星の顔はやや紅潮しているようにも見えた。その横顔を見ると、やはりこいつは俺と関わって損をしているように思える。俺なんかに構わなければ、今頃友人と放課後を満喫できていたことだろうに。

 そういえば、どうして俺に関わろうとするのか、その肝心な部分は未だに聞けずにいた。というか、ほとんど忘れていた。


「でも、いつかそういうのも、話してほしい。私は、隆君のことをもっと知りたい。それで……隆君が困った時には助けてあげたい」


 彼女の言葉に嘘はなかった。傲慢だけれど、それは彼女の本心なんだと思う。


「ああ、こんなこと言うとやっぱり恩着せがましいっていうか、良くないよね」


 少しはにかんでから続ける。


「ほら、私自分勝手だから。自分勝手っていうか、自分のことしか考えられないから……」

「違う」


 口に出すつもりはなかった。けれど、気がついていたら声になっていた。だから、その後を続けるか迷った。

 あるいは、彼女と目があって、怖気づいてしまった。

 そして、無様にも、俺は黙り込んだ。


「私、頑張るよ」

「何を?」


 何か言わないと、と思っていたら、柄にもなく合いの手を入れてしまった。

 相星はゆっくり自転車を押し始める。


「隆君に恩を売って、隆君に告白させて、隆君を振るの」

「それに何の意味があるんだよ」

「私って、こう見えてすっごく性格悪いんだよ?」


 そうはまったくもって見えない。胡乱な目を背中に向けていると、少し先を歩いていた相星はふり返った。


「人に好意があるフリをして、平気で期待を裏切って、そうやって落ち込んだ顔を見て悦に入る。私はそういう人だよ」

「どんな性癖だ」

「私は隆君を惚れに惚れさせて、落とすとこまで落として、それから振ってあげる。勝算もあるしねー」

「勝算?」

「隆君は気づいていないかもしれないけど、最近結構喋ってくれるようになったよね」


 不意を突かれて言葉が出ない。ついでに図星も突かれたかもしれない。

 言いよどんでいる俺を見て彼女はコロコロと笑う。

 もう、本当に何なんだよこいつは。


「別に、無口って訳でもねーよ。喋ることがあれば喋るってだけだ」

「うんうん、そうだね。……あ、じゃあ、私の家、あれだから」


 彼女は平凡な一軒家を指差した。山の斜面手前に立てられた家だ。

 そこで踵を返し、


「またな」


 相星の答えを聞かずに、手を上げて俺は坂道を戻っていった。

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