Scene005


 時計の針は五時半を回ろうとしている。

 夏の日差しはまだまだ活発で、あと二時間くらいは落ちそうにない。

 その家は、どちらかと言えば俺よりも相星の方が近いところにあった。というか、ほぼほぼ御近所さんだった。


「あ、この家、隆君のおじいちゃんとおばあちゃんの家だったんだ」


 という感想を口にした。どうやら通学路にもなっているらしい。つまりは爺婆は

「峠勢」に所属していると言える。

 鍵を鍵穴に差し込む。古いからか、鍵が刺さらなくて若干いらいらしたけれど、やがて解錠した。ちなみに合鍵は俺の家から持ってきた。


「じいちゃん、ばあちゃん、邪魔するよ」


 玄関を開けるなり、靴を脱ぎ散らかして廊下に上がる。やがて嗄れた声と共に腰の曲がった老人が、満面の笑みで襖を開けて出てきた。


「おお、タカシか。んん? そっちはギアールフリエンドかいな?」


 漢字も綴りも満点だが、読み方は0点だった。

 ベースボールはバセバジュウイチとか読むんだろうか。

 それはそれとして。


「ばあちゃんは買い物?」

「さあ? 寝てる間にどっか行きよった。ところで、今日はどうした?」


 言いながらも、じいちゃんは俺が背負っている少女に気づいた様子だ。

 表情が鋭くなる。


「……話がある」

「うむ。まあまあ、とりあえず上がりなさい。お姉ちゃんも」


 相星も「お邪魔します」と言って黒のローファーを脱いだ。



「さて、それじゃあ……どうするかのう。まずは、自己紹介からか」


 じいちゃんの家はそれほど大きくはない。祖母との二人暮らしだから、身の丈にあった、年相応の家だ。木造の家は、一歩踏む度に軋み――それこそ、先日のような大地震が来ればひとたまりもないくらい――ひどく頼りないけれど、でも、そんな雰囲気の家が俺は嫌いではなかった。

 高校生二人、老人一人が、まあそこそこのゆとりをもって、けれど、足を伸ばす程の余裕もないくらいの小狭な居間に集まった。俺の前にじいちゃん。俺の右隣に相星が居て、丸テーブルを囲んでいる。一応四つ、それぞれの前に湯呑みが出された。湯呑みに統一性はなく、およそ、まだ二人が元気だった頃に旅行先で買ったお土産だろう。俺に差し出されたものは観光地の地名が掘られている。ついでに、相星に出されたものは無駄に大きく、一見茶碗に見えなくもない。相星は苦笑を漏らした。

 さて。


「こっちの嬢ちゃんが目覚めてからしてもいいんだけども……この調子ではいつ起きるかわからんからの」


 幼女は高熱が出ていたから、相星が着替えさせて(服は姉のお下がりを引っ張ってきた)冷却シートを額に貼って布団に寝かした。今は別室にいる。

 じいちゃんは緑茶を啜ると、息を吐いた。


「世永生太郎と言います。七十八になります」


 じいちゃんは相星に向かって言った。


「えっと、相星叶絵と言います。隆君のクラスメイトです」


 よろしくお願いします。と言い添えて、慇懃いんぎんに礼をする。

 すると、じいちゃんの目の色が変わる。


「ほおおお、タカシもそういう歳になったんかいな。こりゃ死ぬまでにひ孫の顔くらいは拝めそうじゃのう」

「じいちゃん……今日はそういう話じゃないんだ」


 ていうか相星がリュウって呼んだだろう。気づいてくれ。面倒だから正さないけど。


「まあまあ、固い話を固くなってするもんでもなかろうに。そういうところは明生あきおに似とるの」


 明生は父の名前だ。じいちゃんは父方の祖父で、ちなみに、母方の祖父母は俺が生まれる前に亡くなっているから、俺の中で祖父母はこのじいちゃんと今買い物に行っているばあちゃんだけだ。


「あれ? おじいちゃん、これって重くなるような話なんですか? 私はそういうつもりはなかったんですけど」


 相星が尋ねると、じいちゃんは軽く唸って、


「あの嬢ちゃんに聞いてみんとわからんが、場合によってはの」


 と返した。


「ああっと……なあ、じいちゃん。要件を先に言うと、俺はあの娘をここで一旦預かって欲しいって言いに来たんだ。それだけなんだぜ? なのに、どうしてそれが、重い話なんかになるんだよ」


 俺たちはつい三十分前くらいに彼女と出会った。出会ったなんていい方は不適だとは思うけど、とにかく出会った。

 彼女はひどい高熱で、かと言って救急車を呼ぶなと言われたし、かと言って俺の家には預けたくなかった。猫でも犬でもあるまいし、家に入れてやれと言われそうだけれど、とにかく俺は嫌だった。だから、少し遠いけれど、祖父母の家までやってきて、彼女を預かってもらうよう頼みに来たのだ。


「正直、病院に連れていくのが、やっぱ一番いいんだろうけど……。ほら、あの娘巫女服とか着てたし、なんか訳ありって感じじゃん」


 危篤とは言っても、一分一秒を争う様子でもなかった。気を失ってからは呼吸も安定していたのだから。


「訳あり……そうじゃな。お前らの判断は正しかった」


 またお茶を啜って、落ち着いた声音で言った。


「まあまあ、何を話すにも、やっぱりあの嬢ちゃんが起きてからじゃのう。それに、これは長い話になる。お姉ちゃんも家に帰らんといけんし、もちろんタカシも帰らんといけん。何かしらあればこっちから連絡するから、今日はもう帰りなさい」


 話し終わってから、もう一度お茶を啜る。そして湯呑みが空になったようで、コツっと音を立ててそれをテーブルに置いた。

 それとほぼ同時にビニール袋の擦れる音がして、戸がカラカラと開いた。

 ばあちゃんが帰ってきたのだ。

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