Scene004


 あの日から毎日、俺と相星は共に下校するようになった。

 一度だけ、と言ったものの、俺としても、どうして相星が俺を特別視するのかを突き止めたいということもあって、何だかんだあいつのペースに流されている。

 まあ、俺だって最初からそのつもりでいた訳ではない。というのは、初めから一緒に下校しようと思っていた訳ではない。授業が終わって急ぎ足で帰ったり、逆にゆっくり帰ったこともあるし。それでも捕まるから、一度授業時間中に屋上を出たことがあった、けれど、それでも捕まった。どうやら何かしら理由をつけて授業を抜け出してきたんだろう。しかし、そうなると俺も弱い。俺のせいで何度も授業を抜け出されるのはバツが悪すぎる。

 そうやって、俺は泣く泣く泣き寝入りすることになったのだった。


「なあ相星、どうやって俺が屋上を出るタイミングを伺ってるんだ? まさか未来予知なんてこともないだろうに」


 とある日の帰り道。寂れた住宅街を並んで歩く。ブレザーを着る季節は終わり、相星は小麦色のカーディガン姿だ。


「ん? だって、隆君が立ち上がるの、ちょうど教室から見えるんだもん」


 それなりに間抜けな理由だった。

 確かに、そう言われて見れば、あの屋上は間取り的に三年四組の教室からばっちり見える位置にある。なるほど、相星は教室から俺を監視して、俺が移動するのを見計らって教室を出たと。ああ、確か相星の席は教室の最前列窓側、主に出席番号一番の生徒が座る席だったはずだ。

 だからと言って、他に昼寝ができそうな場所もないしなあ……。三年四組の教室がある側の屋上には鍵が掛かっていて入れない。あの屋上で暇つぶしをしているのも……暇つぶしで、暇をしているのも、たまたま立入禁止されていた屋上の鍵が外れていたというのが、そもそもの話だったのだ。


「それで真面目に授業を受けようっていう発想に至らないのが隆君足り得るところだよねー」


 人のモノローグに突っ込んでくるな。


「そういえば、どうして隆君は授業をサボるようになったの? 進級できたってことは、二年まではそれなりに勉強していたってことでしょ?」

「ああ……まあ、やる気の問題だよ。勉強のモチベーションがなくなったんだよ」

「勉強のモチベーションねー。でも、そんなこと言ったら私だって好きで勉強してる訳でもないし……。私が言うのもなんだけど、学校の勉強ってそんなにモチベーションに依らないと思うよ」


 まあ、惰性というか、なんとなく勉強してるやつらって、そう多くはないだろう。というか、それがほとんどだと思う。


「まあ、別に深くは訊かないよ。きっと、隆君の好感度を上げれば、自ずと話してくれると思うし!」


 そう言って、また取るに足らない会話が始まるのだった。

 そんな他愛もない日々の、ある一日。


 それが、すべての始まりだった。



「そう言えば、この前の地震凄かったね。津波の心配はなかったにせよ、とんでもない被害だって」


 彼女が話しているのは、俺たちが初めて一緒に帰った日の晩の話だろう。

 今日が五月の半ば、ゴールデンウィークが終わり、テスト期間間近という時節で、今思えばすでに終わった話だ。しかし、歴史の上では重大な事件で、あれから何週間、という具合にテレビや新聞では一週間ごとに現状を報道している。


「こっちの方まで揺れてたよね。あの時、何してた?」

「あの時は寝てた。知ったのは次の朝ニュースで見たときだ」

「だと思った。……にしても、まだ大きな余震は続いてるし、心配だよね」


 心配だよね、か。

 こんなことを言うのは不謹慎極まりないとは思うけれど、実際、俺はそんな赤の他人の不幸を嘆くような真似はできない。


「親戚でもいるのか?」

「え? いや、そういうんじゃないけど。……もしかして、私のこと偽善者だとか思ってる?」


 心を読む能力でも持っているんだろうか。


「まあな。俺は顔も名前も知らない人に感情移入できない」

「そっか……でも、確かに私は偽善者だよ。……ほら、私たちの町にも同じように地震が来たとして、もし誰も同情してくれなかったら、悲しいじゃん? 結局、私は自分のことしか考えてないよ」


 自嘲気味に話す彼女の横顔は俺にはとても新鮮だった。けれど、これが相星叶絵の素顔なのかもしれない。

 俺は、そこにシンパシーを感じた。


「でも、それで正しいと思う。それで、いいんだと思う。世界はそんなんで回ってるんだから」

「そう、かな……。私は、逆に隆君の方が正しいと思う」

「正しい? はっ、俺みたいばっかりだったら、社会は崩壊するよ」

「正しいっていうか、建前とかじゃなくて、正直に生きているのが、なんていうか……羨ましいなって」


 そんなものだろうか。

 所詮、俺は偽善者になりたくなくて、かと言って本物の善人になるのも嫌で、真実をかたる悪者になって悦に入っているだけだ。

 アンチヒーローを気取っているだけだ。

 それこそ、謂われのない羨望だ。


「それにさ、『顔も名前も知らない人に』っていうことは、顔も名前も知っている人にはちゃんと同情してくれるでしょ?」


 爽やかな笑顔を向けられて、俺は耳が熱くなるのを感じた。


「家族と言えば、隆君の両親って……あれ?」


 唐突に、相星は言葉切り視界の奥を見つめた。もうすぐ俺の家だというところだった。


「……っ!」


 人が倒れている。

 俺は条件反射で地を蹴り、その人の下へ走った。

 静けさに満ちた家々の前で、昔見たアニメのラストシーンのように、ある種安らかに眠りにつくように倒れている、一人の少女がいる。薄暗い道の中、西陽のスポットライトが彼女を照らす。

 少女は巫女服を着ていた。


「おい! しっかりしろ、大丈夫か?」


 彼女を抱きかかえると、すぐに熱があることがわかった。まだ、それほど気温は高くないから、熱中症ではないだろうけれど、何にせよ一大事だ。

 何度か揺すり、声を掛けたが、返答はない。


「と、とりあえず、救急車だね」


 遅れて自転車を引いて相星がやってくる。自転車を止め、鞄からスマートフォンを取り出した。指の動作は覚束おぼつかなく、今にもそれを取りこぼしそうだった。


「えーと、110番110番……あれ、隆君、110番って何番だっけ?」

「いや、今はそんなボケしてる場合じゃないだろ。それに、今かけなきゃいけないのは119番だ」

「ああ、危ないとこだった。…………あ、もしもし……き、救急です……はい、えっと、女の子が道に倒れてて……」


 その時――


「ちょっと……ってください……」


 少女が口を開いた。


「救急車……呼ばないで……」


 弱々しい声音ではあったが、確かに少女は声を発した。

 弱く、細く、今にもちぎれてしまいそうだけれど、そこには何やら強い意志が座っているように感じた。

 目を開けることもなく、否、目を開けることもできないのに、ただ声だけで答える。

 俺も相星も少々唖然としてしまい、スマートフォンの通話口からは『どうかされましたか!』という声が漏れ聞こえてきた。

 徐々に呼吸は落ち着いてきて、彼女は気を失ったらしい。

 白に近い金髪、薄っすら開いた瞼の中は儚い空色で、彼女の身体は腕の中で、今にも崩れ落ちてしまいそうな脆さがあった。

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