Scene002


 もう日が沈む準備に入る時間だった。

 これから段々その時間も遅くなっていって、屋上で過ごしてもいられないかもしれないな。

 グラウンドで野球部だかサッカー部だかが声を上げているのが聞こえた。ちょうどボールを打つ気持ちのいい甲高い音もした。距離的にテニス部の心地いい打音は聞こえないが、すぐ近くに体育館があるからバスケ部の喧しいノイズは嫌でも耳に入った。

 放課後のどこかひっそりとした。しかし、確かに生きて、躍動している静かな熱気を感じるのは嫌いじゃない。

 先に歩いてても良いと言われていたけれど、こうなった以上何が何でも同じだから、俺は相星を正門の前で待っていた。やがて、三分も経たないうちに彼女は自転車に乗ってやってきた。

「おまたせ」と言いながら相星は自転車から降りた。俺たちは並んで、彼女とは逆方向の通学路を歩いた。


「今日は暖かいよね。もういつの間にか夏になって、すぐに秋になって、気づいた時には冬になって、受験が終わって、春になるんだよね」


 チェーンのカラカラという音を引きずりながら。


「ていうか、お前本当に一緒に帰って大丈夫なのかよ。下って、また登るのも大変だろ」


 校舎は山道の中に埋め込まれている。すなわち、登れば峠だし、下ればふもとだ。生徒の間ではそのまま「登り勢」「下り勢」と分けられる。だから、俺が「下り勢」で相星は「登り勢」なのだ。


「う、うん……ダイジョウブ、だゼ」


 勢いで誘ったらしかった。

 それに、住宅街に出るまでおよそ十分程度かかる。その間は下り坂で、そこを自転車を押して歩くのも女子なら尚更きついだろう。隣で女子に無理させているという後ろめたさもある。

 相星もまた、格好が付かなくなったのか、


「世永君は本当に大学……」


 と聞いたけれど、


「なあ、なんで俺に関わるんだよ」


 ぶった切ってやった。

 申し訳ないが、彼女の話には欠片も興味がない。

 強く、彼女の言葉を遮った。しかし、彼女は特に嫌な顔も作らずに答えた。


「んー……そうだね……例えばなんだけどさ、町の真ん中に帽子が、可愛らしい、多分、小さい女の子の帽子。いや、まあ、それがどんな帽子でもいいんだけどね。……そんな帽子が落ちているとして、それを自分が拾ったら、持ち主を探すと思うんだ。多分……それと同じことなんだと思う」

「話が見えない」

「むー、なんて言ったら良いのかなあ。私にとって、ちょっと照れくさいけど、見過ごせない、見捨てられない存在なのかな、世永君って」


 相星は前髪を撫でた。


「……それは、過大評価だろ」

「過大評価? ……そんなことないと思うけど?」

「俺は、そんな小綺麗な帽子ほども価値はない。精々、路傍の石ってくらい」


 路傍の石なんて誰も好んで拾わない。


「ふふ……」と相星は小さく笑ってから「でも、私には帽子に見える。もし、みんなが、世界中の人が世永君のことを石だって言っても、私は帽子だって、胸を張って言えるよ」と言った。小さなほっそりとした手を胸に当てて、自分に言い聞かせるように。否、自分の心に誓うように。


 俺は、そんな彼女の様子にすっかり面食らってしまった。けれど、どうにか声を絞り出した。


「……わからないんだよ。相星が、どうして俺にそこまでの値打ちを付けるのか。何かをした訳でもない。そもそも、俺たちは会ったことも……」


 そこで、彼女が目を大きく開けて俺を見ていた。


「なんだよ」

「私の名前、覚えててくれてたんだ」


 そこかよ……。

 ああ、でも、そういえばこいつの名前呼んだの、これが始めてだっけ。


「出席番号一番だから、たまたま覚えてただけだよ。下の名前は知らないし……」

「カナエ」


 彼女は言う。


「相星カナエ。叶える絵で、叶絵。そうだ、これからは名前で呼んでよ。叶絵で良いよ」

「呼ばねえよ」

「私は隆君って呼ぶね!」

「呼ばなくていいし……てか、なんで、俺の下の名前……?」

「だって、出欠確認の時にいっつもフルネームで二回呼ばれるんだもん。『世永くーん。世永隆くーん。休みですねー』って。病院のアナウンスみたいにね」


 なるほど、俺の名前はだいたいクラス全員知ってるわけか。


「……まあ、それだけじゃ、ないんだけどね」

「それだけじゃないって、どういうことだよ」


 と、そう聞いたところで、俺の家に着いてしまった。


「あ、ここ世永君のお家だよね」

「なあ、おい、さっきの……」

「この先はー、あれだね。私の好感度が上がったら、教えてあげる!」


 ギャルゲーじゃないんだから……。


「おい、いいから教えろって」

「ダメ! じゃあ、また明日も一緒に帰ろうね、隆君!」


 言うだけ言って、俺の質問には全く取り合わず、相星は自転車のサドルにまたがり来た道を帰っていった。


「……」


 一人、取り残された気分だ。

 彼女を背中を見送ると、自然的にペダルを蹴る音もチェーンの回る音も聞こえなくなる。すると、住宅街はひどく静かになって、そんな日に限って、近所を駆け回る小学生の子もいなくて……。

 キュッとするような寂しさだけが残った。

 こういうのは、久しぶりだった。


「ったく……」


 ちなみに、明日は土曜日だから、学校は休みだ。

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