Scene001


 春昼の空を見上げながら、考え事にふけっていた。

 四月も半ばを迎えまだまだ寒い日もあるが、晴れている日にこうして屋上で日光浴をしている分には暖かい。暇な時間も、グラウンドで行っている体育の授業を覗いたり、それ以外の時間は昼寝をして過ごせば潰れる。

 もうじき放課後を告げるチャイムが鳴る。この怠慢な時間が終われば、まあ、また怠惰な時間が始まるわけだけど、とりあえずは家に帰れる。それだけでいい。

 やがて鐘が鳴る。学校中平等に音色は響き、しんとした校舎内は徐々に熱量を取り戻していく。今日最後の授業が何だったかはもはや覚えていない。

 さて、と。

 一日寝て過ごした体を、キツめに伸ばしてから立ち上がる。軽い立ちくらみを経過した後、屋上の出口へと向かう。

 滝川高校はそれほど大きな学校ではない。クラスは一学年六クラスで、中庭を取り囲むように校舎四つで四角形を作っていて、そのそれぞれは三階の渡り廊下で接続されている。立地的に、山道を切り開いて作ったような場所に建てられているから、グラウンドは校舎よりも低い位置にある。俺のいる屋上はグラウンド側にあるから体育の授業どころか、我々の住む町も一望できる。つまりは昼寝するには最適な場所なのだ。

 その屋上は階数的には四階になる。三階から直接屋上に出られる作りならば階段を上るのも少しは楽になるのだが。確か中学の校舎はそんな作りになっていた記憶がある。

 俺は、錆やらで老朽化し、建付けの悪くなったドアを開けた。


「……っ」


 降りようと、廊下へ続く階段の扉を開けたところで、ところに、人が居た。


「おはよう、世永よなが君」

「……」


 滝川高等学校三年四組、出席番号一番、相星あいほし

 ポニーテル。長い黒髪。楕円形のピンクのメガネ。綺麗な制服。


「ねえ、おはようは?」


 お前はうちの姉ちゃんか。


「……おはよう」

「うん、おはようだね。はい、これ今日の分のプリントと、授業ノート。次の中間テストは五月の中旬だから、それに向けて勉強するんだよ」


 彼女は、クラスの委員長という訳でも、生徒会役員という訳でも、席が隣という訳でも、家が隣という訳でも(俺の知る限りでは、確か家の方角は真逆だったはずだ)、一、二年の時のクラスメイトという訳でも、幼馴染という訳でもないのに、今年初めて同じクラスになって、目も合わせたこともないのに、なぜか俺の世話役になっている。本当に、なぜそうなったのかわれがない。彼女を知っているのも、出席番号が一番だからという理由以外に無い。

 相星はプリントとノートの入ったクリアファイルを差し出した。


「要らないよ……」


 テストなんて、受ける気もない。

 俺は差し出された手を無視して階段を下りた。

 放課後の校舎にほとんど人はいない。各々、家に帰ったり、バイトへ行ったり、部活へ行ったり、教室で駄弁だべっているのは極少数だ。

 ひっそりとした廊下を、後ろから相星が付いてくる。


「でも、ちゃんと勉強しないと……ほら、世永君も進学とか考えてるんじゃないの?」

「大学はいかない」

「ええ! それじゃあニートだよ? 世永君の家って……失礼だけど、そんなにお金ある方じゃないよね?」

「お前に、関係無いだろ」


 三年四組、俺たちの教室に戻ってきた。荷物は、一応持ってきている。

 教室には誰も残っていなくて、ついでに両隣の教室にも誰もいない様子だった。


「あ、そうだ。世永君、今日一緒に帰らない?」

「……帰り道、真逆だろ」

「大丈夫だよ、私自転車通学だし。帰り道、ちょっとお喋りしようよ……」


「もうほっとけよ!」


 教室の隅で、俺は言い放った。

 その声は長閑のどかな学校に突き刺さった。そして、教室の中で小さくハウリングした。

 俺は相星を睨むつもりで見た。

 彼女は世永りゅうを少しだけ驚いた顔で見た。

 身長差が少ないから、平等に対峙する格好になる。


「もう俺に関わらなくていい。何の目的があってこんな……媚び売るような真似してるのかわからないけど、俺はそんなの要らないんだよ」


 正直言って、相星はルックスも、俺の知る限り、性格も良い。俺みたいな(自分で言うのもなんだけど)不良生徒に構うくらいなんだから、多分誰にでも優しいんだろう。だから、わざわざお節介を働いて自分の評価を下げる必要なんてないのだ。


「俺は……本当に自分の勝手で、生きてるんだ。だから……」


 会って間もない人間と、どうしてこんな会話をしなければならないのか。

 相星も思っていることだろう。どうして、会って間もない人間にこんなことを言われないと行けないのか。

 新学期が始まって、一ヶ月も経っていないけれど。彼女のお節介が始まって、たったの数週間だけれど。

 ――俺たちの関係はこれでおしまいだ。

 俺はスクールバッグを担いで彼女の隣を通り過ぎて、


「だからもう、無駄な労力を掛けなくていい。お前は自分の好きなことを、自分のためにすればいい」


 と言って、教室を出た。

 ……出ようとした。

 廊下に一歩踏み出したところで、相星が肩に担いでいた俺の鞄をぐっと掴んだ。


「……あの……相星?」

「そんな、格好良く、逃げようとしないで」


 体勢的に彼女の表情は読み取れないが、語気は強かった。


「うん……わかったから……鞄」


 このままでは肩がよじれてしまう。


「あ……ご、ごめんなさい」


 彼女は少し照れた様子で、ちょろんと出た前髪を触った。

 はあ……これじゃあ、こっちが悪者みたいだ……いやあ、まあ、悪いのは俺なんだろうけど。


「……わかったよ、今日だけなら、な」


 相星は「うん」と満面の笑で頷いた。

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