第11話 宣告

 その屋敷は、切り立った崖のすぐ下に人目を避けるように建てられていた。大きさはカドハンス氏の屋敷と同程度で、かつては貴族が使用していたのだろうが、手入れされていない建物は、崖が日の光を遮るのも相まってやや不気味に見えた。


 ここが魔王軍の拠点だと言うのが事実ならば、2日前まで俺もここで暮らしていたはずなのだが、当然その記憶はない。屋敷の前の井戸にも、屋根に穴のあいた厩舎にも、そして門の前に横たわった兵士達の死体にも見覚えは無かった。


 この場所は、ミルラの父であるカドハンス氏に教えてもらった。カドハンス氏は、その領民諸共新魔王軍の配下になっているが、忠誠を誓ったのはロードワースにではなく俺に対してだと言ってくれた。俺としては複雑な心境だが、肝心なのはそれを俺が「覚えている」という事だ。


 そう、屋敷を発つ前に言われた事は覚えている。しかし、道中でどこに寄ったのか、どんなルートを辿ったのか、さっき何を食べたのかは覚えていない。俺の記憶はかなり不安定な状況のようだ。何か条件があるのか、それとも単なる無作為なのか。


 だがひとまず、目的は達成しなければならない。俺はメモを確かめる。


『何があっても必ずミルラの下に戻る』

『手紙を書いた主を探し、困っていれば助ける』


 ミルラの事を覚えているというのは非常に大きい。どんな顔で、どんな人で、どこにいるのか。ミルラという名前と繋がってそれらを自由に思い出せる。もしもこれが無ければ、ミルラが別人にすり替わったとしても俺には分からないだろう。想像しただけでゾッとする。


 警戒しつつ、屋敷へと入る。この死体を作った者が中にいる可能性は否定出来ないからだが、少なくとも現在戦っている様子はない。


 僅かに軋む廊下を忍び足で歩くと、床の下から僅かに話し声が聞こえた。地下があるらしい。どこから行けるのかは分からないので、しばらく階段を探していると、向こうの方からやってきた。


「これはこれはトルイ様。思ったよりもお早いお着きで」


 髭を生やした背の低い男だ。ローブと杖からして魔術師だろう。そしてその後ろから、粗末な服を着た女がついて着た。鎖の切れた手錠をしている。頬もこけ、肌も汚れている。今の今まで捕まっていたような格好だ。


 わざとらしい笑顔ともったいぶったような口調で俺を見る男とは対照的に、女の方は、驚くほど静かに歩いた。


「もう少し一家団欒を楽しまれるかと思っていたので意外ですな。こちらの方から向かう予定でしたが、手間が省けました」


 男はそう言って、不用意に俺に近づいてきた。俺は剣の柄に手をかける。


「おっと、自己紹介をしなくては。私は宮廷魔術師のバルザロ。こちらは助手のカリマです」


 丁寧にお辞儀をするバルザロに、仏頂面のまま俺を見るカリマ。俺は尋ねる。

「外の死体は、君達が?」


「いえいえ、魔術師と言っても私は研究専門ですから、戦闘の方はからっきしですよ。こちらのカリマも今の今まで地下に捕まっていましたので」


 無論、この言葉をすぐに信用出来るはずはない。しかし2人共返り血は浴びていないし、死体にあったのは切り傷だった。


「むしろトルイ様が殺した可能性の方が高いのでは?」


 バルザロの発言、反射的に俺は思い出す努力をする。ここには先ほど着いたばかりだ。が、その前にここを訪れていた可能性はある。


「いやいや今のは冗談です。彼らを殺したのは昨日ここを引き払ったロードワース氏でしょう。トルイ様を崇拝している者を処分し、自分についてくる者だけを選抜したという所でしょうな」


 質の悪い冗談に続けて、かつての友への侮辱。記憶の有無に関わらず、俺が良い印象を抱く訳がなく、自然と眉間に皺が寄った。だが少なくとも、バルザロは俺より事情を知っているようだ。


「そんな事よりも、ここに来たという事は手紙の件でしょう?」

 しらを切っても無駄なようなので、俺は正直に答えた。

「ああ、そうだ」

「手紙の主はここにいるカリマです。新魔王軍に捕まって地下に幽閉されていましたが、トルイ様がロードワースに不信を抱いたので、正体を暴くのに協力させました。何なら証拠を見せましょう。カリマの筆跡と手紙の筆跡は完全に一致するはずです」


「……逆だろ?」と、睨む俺。

「……逆、と言いますと?」と、惚けるバルザロ。


「カリマをわざと捕まらせて、ロードワースに不信を抱かせるように仕組んだ。牢の中から俺をコントロールした。違うか?」


 バルザロは無邪気に、単純に、嬉しそうに笑っていた。

「ふふ、記憶を失ったとて、その鋭さには変わりない。賞賛に値しますな」


 状況が読めて来た。どうやら新魔王軍もといロードワースは、このバルザロという男に嵌められていたらしい。


「ですが、その結果トルイ様は最愛のミルラ殿に再会する事が出来た。一部の記憶も戻った。そして一時とはいえ、親子水入らずの団欒を楽しむ事が出来た。感謝されこそすれその剣で斬られる謂れはありますまい」


「一時、だと?」

「ええ、あなたはもうカドハンス家の屋敷に戻る事は出来ません。ミルラ殿とは会えません」


 剣を握る手に力が篭る。どのタイミングで抜くか、問題はそれだけだ。


「トルイ様、『共感する力』の話は覚えていませんか?」

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