第6話 手紙
「記憶が戻った……かもしれない」
そう言うと、ロードワースはナイフを研ぐ手を止めて俺の方を向いた。そして片眉を上げて、俺の目を見た。
「何か思い出したのか?」
どう答えようか一瞬迷って、俺は額に手を当てながら何も無い床を眺める。
「魔王を倒す直前の風景とか、何となく……」
「仲間の事は? 俺以外の」
「ああ、ぼんやりとだけど、顔が浮かぶ」
ロードワースがナイフを置いて、近づいてきた。更に俺の目の深くを覗いているようだ。
「アリーの顔は分かるか? エルフの女だ」
「うーん……」
俺は唸りながら、手で目を隠す。
「金髪を、後ろで1本に結んでいる。二股の特徴的な杖を持ってる。背はエルフの割には低くて……」
ロードワースが丁寧に説明してくれたので、俺は言った。
「思い出した! 分かるよ。覚えてる」
「そうか。そんな奴はいない」
そう言うと、ロードワースは元いた位置に戻って再びナイフを握り、砥ぎ石に当てて研ぎ始めた。
俺は何とも言えず、黙る。
「疑った訳じゃないんだがな、きっと記憶が混濁しているんだろう。いいかトルイ、焦りは禁物だ。記憶を戻したいと願うのは自然な事だが、その気持ちが嘘の記憶を生み出せば余計に自分を見失う。分かるか?」
ロードワースの言葉には説得力があった。
「確かに、それもそうだな」
俺は同意を示すが、ロードワースが今考えている事は分かっている。
「それとも」
ナイフを光で照らしながら、その刃越しに俺を見た。
「疑われてるのは俺の方かな?」
「そんな事……」
「ある訳ないよな? 俺はお前の右腕だ。お前の為なら、俺は何でもするぜ」
頼りになる言葉だ。救いの光のようにも感じる。影さえ見なければだが。
「……気にしないでくれ。どうも俺の勘違いだったようだ」
「いつか、治るといいな」
―――
真夜中、俺は目を覚ました。
記憶はない。が、それよりも目の前で行なわれている事の方が理解出来なかった。
俺の口は布で塞がれ、今まさに腕を縛られようとしていた。男が3、4人、いや部屋の隅にもう1人。合計5人で俺を取り囲んでいる。
襲われている。そう気づいた瞬間、縛られつつある腕を目一杯の力で振りほどき、一発、闇の中にいる人物に拳を喰らわした。
そいつはくぐもった声をあげてぶっ倒れた。それに反応し、他の男が俺を押さえ込みにかかる。次は蹴りだ。蹴りを喰らわしてやる。だが足が動かなかった。腕より足を先に縛っておいたようだ。俺の寝てる間に。
2人がかりで腕を押さえ込まれると、流石に抵抗のしようがなかった。身体を起こそうとするも、肩をベッドに叩きつけられる。
「出来れば暴れないでくれると助かる。骨でも折ると言い訳が大変なんだ。お前へのな」
部屋の隅にいた男がそう言った。俺は首だけを起こして、そちらを見る。ランタンで照らされたその顔は、ロードワース。俺の親友だった。
布を飲み込んで声を出せずにいると、ロードワースはゆっくりと近づいてきた。そして俺の寝巻きの中から、メモを数枚取り出し、読み上げた。
『俺はトルイ。勇者だった。記憶がない。新しい事を覚えられない』
『魔王は倒したが世界は平和にならなかった。この世界にはまだ悪がいる』
『よって俺が新たなる魔王となる事にした。ロードワースは俺の右腕だ』
「状況は理解出来たか? まあ、ここまでは良いんだ。問題はもう1枚の、この手紙」
そう言って、ロードワースが4枚目を読み上げる。前の3枚のメモとは違い、折り目のついた紙だ。手紙と言った。誰からだ?
『トルイ様、私はかつてあなたのお世話をしていたミルラという女です。覚えてらっしゃらないでしょうが、誰よりもあなたを慕い、尊敬しておりました。私は今、実家にて幽閉されております。この手紙も、親しい者に無理を言って出させた物です。
本題ですが、トルイ様は今騙されています。かつての友人であるロードワースは、あなたの記憶障害を利用して自身の目的を達成する為に動いています。あなたにとってはこの手紙も信用出来ないかもしれませんが、どうかロードワースを信用しないで下さい。疑ってください。勇者であるあなたならば、真実に辿りつけるはずです。
それと、お怪我はされませんでしたか? 出来る事なら、今すぐに追いかけたい。 ミルラ・カドハンス』
「なかなか熱烈なラブレターだ」
ロードワースが嘲り混じりに言う。
「だが、利用しているとは人聞きが悪い。あくまでも俺はお前の希望を叶えてやりたいだけなんだがな。今日の昼間突然記憶が戻ったなんて言い出した時は肝を冷やしたが、カマをかけていた訳だ。これで納得がいった」
「燃やしますか?」
ロードワースの部下らしき男が尋ねた。
手紙を燃やされれば、俺はそんな手紙を受け取った事すら忘れる。忘れてしまう。無かった事になる。
「……いや」
じっと手紙を見るロードワース。ランタンで照らしながら、しばらく沈黙する。
「手紙の隅に小さくだが、トルイのサインがある。もらった手紙にサインなんてするか? 返信用の物ならまだしも」
部下は答えず、俺は答えたくても答えられない。
「……ああ、そういう事か」
ロードワースが何かに気づいた。そして俺のベッドの周りを探すと、小机の上に置いてある3冊の本を手に取る。ぱらぱらとページを捲る。中に入っていたしおりを1枚、そっと抜き出す。
「ここだ。小さく書いてある」
眼を凝らしている。俺もそれを読み取ろうと努力するが、首を押さえつけられて無理だ。
『俺は自分のサインが入ったミルラからの手紙を持っている。それが無い場合、ロードワースは裏切り者だ。殺せ』
「なるほど。こちらの手紙は言わば餌って訳だ。俺が迂闊にもこれを処分すれば、このしおりに気づいた時にお前が俺を殺しにくる。記憶が無いなりに良く考えたな。感心するよ。面白い罠だ」
ロードワースはしおりを本の元あったページに戻す。そして手紙もメモと一緒に、俺の懐へとしまった。
「ロードワース様、そちらのしおりも一緒に処分すればいいのでは?」
「同じ文面の物を別の場所に仕込んでいる可能性がある。親友に殺されるのはごめんだ。この手紙だけなら、トルイは確信を持てない。明日からじっくり時間をかけてメッセージを探すか、文面を変えた手紙を用意して、そこに再度サインをさせるか。いくらでもやりようはある。何せこいつには」
記憶がない。
それは圧倒的な不利を意味している。
「だが、根本的な解決もしないとな。……ふむ。まあ明日以降にしよう。それじゃあなトルイ。眼を覚ませば、俺達はまた親友だ」
頭を何かで殴られ、視界がぐらりと歪む。
耳鳴りと共に、意識が遠のいていく。
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