第3話 交渉

 目の前で女が縛られいたので、反射的に救おうとしたが、直前の行動を何も覚えてない事に気づいてやめた。


 その女は椅子に座りながら、俺を見ていた、その視線は救いを求めるようでもなく、かと言って俺を責めるようでもなく、ただ無感情だった。何となく、静かに歩きそうな女だと思った。


 両腕は後ろに、両足は椅子の脚に、それぞれ丈夫そうな縄で縛られている。人質だろうか、だとしたら俺は、見張りか? それとも彼女と同じ人質か?


「トルイ、聞いてんのか?」

 声をかけられ、そちらの方を振り向くと、そこにロードワースがいた。

「その顔、記憶をなくしたな」


 その通りだ。少なくとも、ロードワースはこの女が縛られている事情を知っているようだ。


「メモを読みながら聞いてくれ。もうすぐバルザロがここに来る」


 言われた通り、俺は3枚のメモを順番に読んでいく。


「そいつの名前はカリマ。宮廷魔術師バルザロの弟子で、奴の右腕でもある。バルザロはお前の身体を調べたがっている変態野郎で、かつてお前はこの2人に騙されていた」


 メモの内容に驚きつつも、ロードワースの話は聞いていた。


「その証拠に自分の身体を見てみろ。そのバルザロに書かれた魔法陣が1年経ってもまだ残っている」


 慌てて確認すると、ロードワースが言う通り、確かに俺の身体には不気味な模様が書いてあった。


「今日はそのカリマを人質に、バルザロにその模様を消してもらうのと、王宮の情報、特に世継ぎの事なんかを詳しく教えてもらおうかと思っている。きな臭い噂がいくつかあるんでな。だから心配するな。利用出来そうな話が聞けたら、カリマはすぐ解放する」


 人質を利用しての内部機密の脅迫。やっている事はまるで悪だが、気付かぬ内に魔王になっていたので仕方がないらしい。


「もうそろそろ約束の時間だ。バルザロには1人で来るように言ってあるが、もしも兵を引き連れてきたらその女を殺して俺達は逃げる。準備しておけよ」


 殺すとまで言われているのに、少しも表情を変えないカリマ。流石にそれは気の毒に思った俺は、ロードワースに尋ねた。


「殺す必要まではないんじゃないか?」

「無事に返せば今度は俺達の命が危ない。大体その女はお前を……待て、バルザロが来た」


 俺達がいるのは、どこかの空き家の2階のようだった。窓から少しだけ下を覗くと、背の低い男がローブを少し引きずりながら、玄関の所まで来ていた。ぱっと見、仲間は1人も連れていないようだ。


「1階にも人が?」

「ああ、部下が何人かいる。交渉は俺が行うから、その間トルイはそこから時々外を見張っててくれ」


 下にいる部下を見張りに置かないのは、おそらくバルザロとの交渉に秘密が含まれるからだろう。


 扉がノックされた。ロードワースが許可する。部下の1人と思わしき男とバルザロが部屋に入って来て、バルザロだけが残った。


 目の前に来たバルザロは、上から見るよりも小柄で、立派な髭を蓄えた初老の男だった。敵である俺達を前にしてもその態度に怯えのような物は一切なく、むしろ友人の家に遊びに来たような余裕さえ感じさせた。


「トルイ様、ロードワース様、お久しぶりですな。ロードワース様に至っては魔王討伐の凱旋式典以来ですから、もう2年程になりますかな?」

「忘れたよ」

 と、ロードワースが答えた。

「ではトルイ様も合わせて2人共に忘れられた事になりますか。いやはや寂しい限りです」


「気取った挨拶はいいから、本題に入ろう」

「ええ、いいでしょう」


 その時、俺はバルザロの行動に違和感を覚えた。普通、人質に取られている人物が目の前にいたら、真っ先にその無事から確認するんじゃないか? 今から交渉するというのなら尚更だ。


「まずはトルイの身体に書いた落書きを消せ」

「落書きとは心外ですな。古代文字をここまで正確に扱えるのは大陸でもそうはいませんよ。まあ自慢ではないですが」

「いいからさっさとやれ」


 促されるまま、俺は服を脱ぎ、ロードワースと場所を交換した。


 バルザロは俺の裏表両面に書かれた魔法陣をじっくりと見ながら、手で持った分厚い本と照らし合わせ、うんうんと頷いていた。


「……やはり私の仮説は正しかった」


 そう呟くと、今度は紙を俺の身体に当てて、ぼそぼそと呪文を唱え、杖で紙をなぞった。何をされているのか分からず不安になる。


「トルイ様、心配する必要はありません。模様を転写しているだけですので。しばらくお待ちを」


「そんな事をしろと言った覚えはないぞ」ロードワースがナイフをカリマの首筋にあてる。「人質を取られているのを忘れたのか?」


「別に忘れておりませんよ」

 バルザロはカリマを見もせず、作業に没頭する。


 しばらくして転写とやらが終わったようで、紙を丸めて筒に収めると、バルザロが立ち上がった。


「では、私はこれで」


 当然、許すはずがない。


「待て。まだ何も交渉が済んでいない。人質がどうなっても」

「いいですよ」


 バルザロはあっさりと言い放ち、さらに続けた。


「この私と『交渉』する気でいたんですか? 申し訳ないですが、『位』が違うと言わせて頂きます。私はただ、トルイ様に仕掛けた計測の結果を見に来ただけ。満足する結果が得られたのでこれ以上ここに用はありません」


 違和感の答えが出た。バルザロがカリマの無事を確認しなかったのは、最初からどうなっていても構わなかったからだ。


「……無事に帰れると思ってんのか?」


 ロードワースが凄んだが、バルザロはどこ吹く風だ。


「医療魔術師は戦闘が得意ではないとでもお思いですか?」


 杖に嵌められた碧霊眼石がロードワースを睨んだ。


「……とはいえ、トルイ様にご協力頂いたのは確かですから、1つだけお教え致しましょう。トルイ様の持つ『何か特別な力』の正体について。知りたくはありませんか?」

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