第2話 餌

 遠征から戻り、着替える。鎧は1人で脱ぐには難しい為手伝いがあるが、その下に着込んだジャケットと下着は、自室に帰ってから1人で脱ぐ。汗もかいているし、さっさと水浴びを済ませて肌着に着替えたい。


 その時、俺はある事に気づく。俺の身体に何かが書いてある。何かの模様……いや、魔法陣のようだ。解読は出来ないが古代の文字で円形に、それもかなり広範囲に渡っている。


 慌てて姿見の前に移動し、まじまじと観察する。背中にも同じようなのが書かれてある。これは一体何なのか、答えなどある筈はないが頭の中を探していると、部屋に置いてある姿見の端っこにメモが1枚ついているのに気づいた。


『その模様は、お前がまだ魔王ではなかった時、バルザロという魔術師に実験で書かれた魔法陣だ。それ自体が魔力を帯びている為、解呪にはバルザロ本人かそれ以上の魔術師の力がいる。この事はロードワースはもちろん新魔王軍の兵士達も知っている』


 魔王になる前という事は、1年以上前という事になる。1年ずっとこんな不気味な模様を身体に背負って生活していたという事になる。

 何という事だ。俺は衝撃を受けるが、この衝撃も昨日受けた物に比べればたかだか1日分重いだけの物なのだろう。


 まあしかし、見た目こそ最悪だが、実害は無いようだ。もしあったら手持ちのメモに最優先でこれを消すように書いてあるはずで、そこまで悲観的になる程の物ではないのかもしれない。


 しかし頭が自由にならないという事は、自分の身体が今どうなっているかも分からないという事なのか。


 次に気づいた時には、手の1本が無かったなんて事にはなってない事を祈るしかない。



―――



 気づくと同時、左腕に激痛が走る。

 見ると、二の腕に矢が刺さっており、流血している。痛みで指先に力が入らない。


 くそ! 何だこの状況は!?


 周囲は暗く、そして狭い。足元すぐ側には川のような水の流れがあり、俺が右手で触れている壁には苔が生えている。


 どこかの洞窟だろうか? いや、よく見ると壁はレンガだ。しかしこの暗さ、唯一の光源は、道のまっすぐ先にあるぼんやりとあるだけだ。


 地下か。だとするとこの水は、地下水道だ。おそらく首都とか、巨大な都市の地面の下だ。


 だが周囲に人は1人もいない。


 ここにいても何も解決しそうになく、仕方なく俺は傷ついた左腕を庇いながら歩き出した。それと同時にメモを見つけ、この謎の状況の答えを求める。


『俺はトルイ。勇者だった。記憶がない。新しい事を覚えられない』

『魔王は倒したが世界は平和にならなかった。この世界にはまだ悪がいる』

『よって俺が新たなる魔王となる事にした。ロードワースは俺の右腕だ』


 暗いので3枚とも読むのに苦労したが、その苦労は報われなかった。ますます頭が混乱しただけだ。だが走り書きで書かれた4枚目だけは、読んだ甲斐があった。


『城下町での交渉中に近衛兵隊に襲われた。俺だけは脱出して、地下水道を通って逃げている。まずは拠点へ戻れ』


 それから拠点の地図が1枚ついていた。こうなった時用に常に用意してあるのか、逃げる寸前に誰かに持たされたかまでは分からないが、とにかくありがたい。


 これで矢に刺された時の対処法もついてたら完璧だったのだが、贅沢は言ってられないだろう。俺は痛みに歯を食いしばりながら、早足で進む。


 しばらく歩き、ようやく広い場所へ出た。広いと言っても地下なのでたかが知れてるが、おそらく貯水池だろうか。大きな円形の深い水溜りを、いくつかの水門と人1人がようやく通れる程の道が囲んでいる。天井は鉄格子なので、空が見えた。日は高く、今は昼過ぎのようだ。


 梯子がついていたので、それで地上へ登るべきか、それともまだ地下を歩き続け、人目を避けるべきか微妙な所だ。


 すると水中に引き込まれた。


 音は全くしなかった。誰の気配も感じなかった。俺の身体が着水するまで、俺は右腕の痛み以外何も感じていなかった。


 水中になってようやく、背後を取られていた事に気づく。水が口と鼻から同時に入り、泡が視界を覆う中、俺を水中に引きずり込んだ謎の人物は、鮮やかな手並みで俺の両腕を後ろ手に縛った。


 とはいえ、縛られていた事に気づいたのは、俺が水上に引きずり上げられてからの事だ。


「2度ほど先に攻められて痛い目に合っているので、先に攻めさせて頂きました」


 女だった。平坦な口調、長く白い脚、濡れた肌着、そして水中から上がるとすぐにかけた眼鏡。


 見覚えはない。だが発言からして、会った事がありそうで、しかし味方ではなさそうだ。


「トルイ様、ご安心ください。私は味方です」


 味方だった。いや、流石にこれを信じるほど俺は自分を失っていない。


 飲み込んだ水を必死にがふがふと吐き出しながら、かろうじて「誰だ?」と尋ねる。ちゃんと言葉になっているかは確信がないが、女は答えた。


「私はカリマ。逆賊ロードワースに拉致されたあなたを救い出すように命令されています。城までご同行願います」


 カリマと名乗った女は肌着を絞って水を出し、すぐに服を着ると、俺の肩を掴んで立ち上がらせた。まだ肺が苦しいが、それ所じゃない。何とか脱出の手を考えなくては。


「カリマ、久々じゃないか」


 覚えのある声が、空から落ちてきた。俺にとって覚えのある声は少ない。


「ピンチのようだなトルイ」


 親友にして相棒にして逆賊のロードワースだ。


 カリマの表情が曇る。しかしすぐに冷静な表情のまま、臨戦態勢に入る。


「無駄な抵抗はよせ。今回は準備万端だ。あの時のように逃がしたりはしない」


 他の道からぞろぞろと、黒い鎧を着た兵士達が入ってきた。地上にも、ロードワースの他に何人かいるようだ。


「取引が餌だってのは知ってたのさ」


 立場がそっくり入れ替わったらしい。この絶体絶命の状況に対し、カリマは一体どうする?


「近づけば、トルイ様を殺します」


え?


「やってみろよ」


え?


 しかしカリマは俺を殺さなかった。諦めたらしく、側にいる俺にしか分からない位の小さな小さなため息をついて、両手を挙げた。


「出来るはずねえよな。カリマ」


 そう言うと、ロードワースは笑っていた。悪役みたいに高らかだった。

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