2章 追想
第1話 魔王
夜の天井に無数の穴。最初に目に飛び込んできたのは星空だった。
周囲は見渡す限り畑で、時々カカシが置いてあり、遠くには小屋も見える。道は灌漑に沿って伸び、地平線まで続いている。
視界が狭い。どうやら俺は仮面を被っているようだ。
身体が揺れている。どうやら俺は馬に乗っているようだ。
右腕を見ると、黒い鎧を着ていた。蹄の音に振り返ると、俺と同じ黒い鎧を着た者達がぞろぞろと、5人ついてきていた。
頭の中から記憶を探そうとすると、勝手に手が動いた。そして鎧の隙間から、メモを何枚か取り出した。
『俺はトルイ。勇者だった。記憶がない。新しい事を覚えられない』
1枚目にはそう書いてある。勇者に間違いは無いが、過去形なのが気になる。
『魔王は倒したが世界は平和にならなかった。この世界にはまだ悪がいる』
2枚目。確かに俺の字だ。
『よって俺が新たなる魔王となる事にした。ロードワースは俺の右腕だ』
3枚目に書いてある言葉に、俺は目を疑う。
魔王?
俺が?
手綱を引いて馬を止め、メモをじっくりと見る。ついてきた他の兵士達の内の1人が俺の隣に来て、こう訊いてきた。
「魔王トルイ様、記憶の方が消えましたか?」
「……ああ」
呼び名にこそ違和感を覚えたが、事情は知っているようだ。
「了解しました。今1度状況を説明します」
兵士は慣れた様子だった。
「我々が今向かっているのは、郊外にあるとある教会です。現王に不満を持つ民が頼りにしてる司祭がいます。その人物を説得し、新魔王軍に入ってもらうのが今回の任務です」
任務、ときたか。しかも新魔王軍で、その魔王は俺だ。頭がおかしくなりそうだ。
「ご理解頂けましたか?」
「そういうのって、誰が決めてるんだ?」
「もちろん参謀のロードワース様です」
その名前を聞いて少しだけだが安心する。ロードワースは信用出来る奴だ。
「もしもなんだが、その司祭が説得に応じない場合は?」
兵士は少し間を置いて答えた。
「私たちで対処します」
5人の兵士それぞれが、同じ仮面でじっと俺の方を見ていた。
「説得の際、トルイ様に仮面を取って頂く可能性もあります。あと30分程度で到着予定ですが、また記憶が無くなりましたらもう1度説明致します」
「……ああ、分かった」
仕方なく俺は馬を走らせた。
もしもここで逃げ出せば、この兵士達は追ってくる。5対1では勝ち目が薄い。
メモに書いてある俺の字を見ながら考える。
果たしてこれは本当に俺の意思なのか? 無理やり書かされた物ではないか? いやしかし、俺は俺が旅に出た時点以降の事を何も知らない。もしかしたら、現王はかつての魔王よりよっぽど酷い事をしているのかもしれない。
それにしたって魔王になって国に抗うというのは、勇者としてあるまじき行為じゃないか? 例えそれが良い事であっても、世界を自分の思うままにしようなど、ただの傲慢じゃないか?
疑問は無限にあるが解答は何もない。
ただ、選択肢は2つだ。
メモに従い、新たな魔王を目指すか?
良心に従い、犬死に覚悟で逃げるか?
「もうすぐ着きます」
多分ずっと同じ事を悩んできたのだろう。そして決められなかったから、過去の俺は新しくメモを残さなかったのだ。
迷いながらも、俺は今この流れに身を任せるしかない。
記憶が無い。
それは生きていないのと同じ事だ。だからこそ、この俺の字で書かれたメモは、俺の生その物だ。
命と心なら、重いのは命だ。心が無くても生きていけるが、命がなくちゃ心も何もない。
「裏口をお前とお前、2人で固めろ。お前ら2人はここに残れ。俺とトルイ様で交渉に行く。合図があったら入って来い」
兵士の1人が指示を飛ばし、俺もそれに従う。
かつて教会で勇者と認められ、魔王討伐の旅に出た少年が、今は新たな魔王となって教会を襲っている。奇妙な事もあるものだと、自嘲は仮面で隠れた。
とにかく今は残ったメモと、この名も知らぬ兵士に従うしかない。何か、良心を裏付けるような確信が得られた時、俺は新たにメモを残すはずだ。それを信じて耐えるしかない。
―――
「無事に戻ったみたいだな」
「ロードワース!」
俺は居てもたってもいられず、鎧のままロードワースを抱きしめたくなった。
ここは田舎にある大きな屋敷で、新魔王軍の拠点となっている場所らしい。
「説得は成功したらしいな。これで新魔王軍の傘下に入った村は全部で20になった。理不尽な税から解放されてみんな感謝してるよ」
束になった紙を見ながらそう言うロードワースに、俺は耳打ちする。
「少し、2人きりで話したい事がある」
「迷ってるんだろ?」
俺の考えている事を、ロードワースは俺以上に把握しているようだった。
「簡単に説明するぞ。1年前、新魔王軍を立ち上げたのはお前だ。最初は旧魔王軍の残党がメインだったが、組織が拡大するにつれてお前本人を慕う奴が増えた。魔王と名乗ってはいるが、その本質は義勇軍みたいなもんだ。飢餓でも構わず重い税金を課す貴族共に、民に代わって正義の鉄槌を食らわす。まさに勇者の仕事だ」
反論の素材がない俺は黙って聞くしかない。
「まあ鉄槌と言っても、お前本人が誰かに暴力を振るった事はこの1年、1度も無かった。俺が断言するぜ」
「でも、兵士達は……」
「そりゃ分からず屋にはちょっと痛い目を見てもらう事もある。だが結果的には俺達に感謝する事になる。俺達の敵はあくまでも権力者だ。分かってくれ」
説得させられそうになっている。それだけは分かる。
「ひとまず休め。いずれは国の兵士達と本格的な戦争になる。そうしたら、考える暇も無いくらい、お前には戦ってもらう事になるからさ」
ロードワースはそう言って、俺の肩を叩き、「頼りにしてるぜ相棒」と言った。
信頼という心地よさと同時に、それを失う恐怖も感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます