第8話 3冊の本

 世界最高の図書館。

 蔵書の数はもちろん最多で、敷地面積も司書の数も最大。この世のあらゆる知識が集うと言われている。


 今日は幸いな事に朝から記憶が保たれている。先日捕まえた魔王崇拝者の尋問にミルラが行っているので、俺は宿で待機していようと思ったのだが、滞在中の街にこの図書館がある事を思い出し、調べ物をしに来た。


 帰りに記憶がなくなっていても問題ないように、5枚目のメモには宿の名前と簡単な地図を書いておいた。道中なるべく目立たない事、という注意書きも添えた。


 この図書館は、広く一般市民にも開放されているが、貸し出しは貴族か騎士か魔術師にしか認められていない。それでも、市民にとっては知識に触れられる最も有効な手段であり、常に静かに賑わっている


 かくいう俺も、魔王討伐の旅に出る前に1度だけ来た事がある。本を読むのは好きだったし、この空間も好きだった。3階建の天井まで突き抜けた本棚に、びっしりと詰まった本達が、伝説上の巨人のように見下ろして来る感覚。しかもそれが、背表紙の煌びやかな色彩を持って、波のようにどこまでもうねっている。魔王が倒されて世界が平和になったら、1日中ここに居たいものだと昔は夢想した物だ。


 その目標は実際俺の手によって実現した訳だが、今となってはこの莫大な智恵の海も、俺の頭の中に少しも収まる事はない。たった1冊で、俺は溺れてしまうだろう。


 とはいえ、調べ物は出来る。特に俺は、魔王崇拝者の考え方や、背景にしている文化、そして魔王自身の事を何も知らない。おそらく魔王討伐の旅の途中でその辺りの知識は蓄えていったのだろうが、それらは今、全て失われている。よって調べる必要があった。


 しかし巨大な図書館だ。魔王崇拝に関する本なんて、一体どこにあるんだ?


「あの、ちょっと本を探しているんですが」


 青年の司書にそう話しかけると、まずは怪訝な顔で見られた。室内でも脱がない外套に、視線を隠すフードに、顎髭姿というのはいかにも図書館には似つかわしくなかったからだろう。そして青年史書の抱いた疑いは、次の俺の一言で決定的になった。


「魔王崇拝に関する本を探しているんですが……」


 司書が1歩、後ろに下がって距離を取った。まずい、と思って咄嗟に微笑むと、不気味なにやけ面に映ったのか、更に2歩下がった。


 こうなっては仕方ない。あまり使いたくない方法だったが、俺はフードを取り、自分の顔を指差した。


「見た事ないですか。あの、ほら」


 意味はないかもしれないが顎髭を整える。数秒、司書は俺の顔をまじまじと見つめ、それからはっと気付いた。


「勇者トルイ様……?  あの伝説の!」


 自分から言い出すのは恥ずかしかったし、伝説なんて言われた瞬間には鼻がむずむずしたが、その後の青年司書の対応は完璧だった。

 あまり騒がれたくない事を察してか静かに、しかし詳しく魔王崇拝に関しての本を紹介してくれた。俺は貴族でも騎士でも魔術師でもないが、貸し出しも特別に許可してくれるという。いたれり尽くせりという奴だ。


 そして小1時間ほどその青年司書と一緒に本を吟味して、3冊の方を借りる事にした。


 1冊目は「支配からの脱却」。これは元々魔王軍に所属していた魔王崇拝者が勇者への敗北を機にそれを止め、魔王軍の内情を暴露した本だそうだ。魔王軍でも幹部のほとんどは勇者に殺されたらしく、生き残って本を書いているのは非常に少ないと青年司書は言っていた。耳の痛い話だ。


 2冊目は「我輩の闘争」。これは何と魔王自身が書き上げたと噂の物で、魔王崇拝者は必ず読んでいるらしいが、噂の真相は分からない。青年司書自身は本当だと思うと言っていたが、偽者だとする魔術師もいるとの事。内容は魔王軍の拡大方針と、人間のみが支配する世界への抵抗、階級、権威といった物に対する反骨心が熱く語られているらしい。


 3冊目は「人を使う術」。「術」と書かれてはいるが、魔術の類ではなく、あくまでも人心掌握と組織内における人事のあり方について書かれている。名前の伏せられた実例も踏まえた上で、丁寧に指導者のあり方について解説しており、いわゆるビジネス書としての大傑作。

 以前、この国の騎士団長が愛読しているという事で一時期大流行したらしいのだが、この本の作者が本物の魔王だったという事実が発覚し、それ以降この本の話題はタブーになった。

 しかも事実が発覚したというのも、勇者が魔王を討伐した事により、魔王城から魔王の直筆生原稿が見つかったのが原因だそうであり、勇者本人である俺としては何だか妙に申し訳ないような気分になった。


 魔王を語る上で、これら3冊は必読だそうで、他にも意外と魔王関係の本は沢山あるらしい。ひとまず俺は3冊の本を持って宿へ戻った。買出し等もしていたので、戻った頃にはもう夕方だった。


 今から読み始めても、1冊を読みきる前に記憶が無くなりそうだったので明日にしよう。


 ミルラが帰って来たので、「何か情報は得られたか?」と尋ねると、彼女は無表情のまま「文章でまとめてからお話します」と答えた。


 今話しても、すぐ後からもう1度話すのが面倒だったのだろう。


 こういう彼女の合理的な面を見ると、何だか少し、「ミルラ」という名前の響きに違和感を覚えた。人の名前に対して違和感というのはそれこそ妙な話だが、もやもやと、「ミルラ」といえばもっと暖かで元気なイメージが、頭の奥底から湧いてくる。


 もしかすると以前、同じ名前の別人に会った事があるのかもしれない。

 しかし今は目の前のミルラが協力者であり、命の恩人なのだから、この感覚はしまっておこう。そう心に決め、失われていく記憶を眺めた。

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