第6話 すり替え

 朝起きると、見ず知らずの女が隣で寝ていた。しかも服を着てない。

 ベッドから慎重に身体を起こす。女と同じく俺も着てないのに気づき、息を殺しながら驚く。


 昨日の事……は思い出せない。いやむしろ、旅に出発した後の事が思い出せない。しかし魔王を倒さなくてはならない。そんな使命感だけがぽつんと頭の中にある。


 隣で寝ていた裸の女を起こさないように、ゆっくりと立ち上がった。ベッドの下に落ちてた服から、男の物だけを選んで着る。女はぐっすり眠っている。


 机の上に、メモが置かれているのに気づいた。俺は自然とそれを手にとってじっくりと読む。段々と状況が飲み込めてきたが、この状況になった直接の経緯は書かれていない。


「ふわぁ……おはようございます。トルイ様」

 欠伸をしながら、女がベッドに横たわったまま俺に挨拶をした。


「あ、ああ。おはよう。ミル……ラ?」

 すると女は勢いよく上半身だけを起こして、驚きながら尋ねてきた。


「記憶が戻ったんですか!?」


 どうやら何か勘違いをさせてしまったみたいだ。俺は慌てて訂正する。

「いや違う。メモに書いてあった名前だったから、そうじゃないかと思って、勘で」


 ミルラはほんの一瞬だけ残念そうな、寂しそうな顔をして、すぐにそれをかき消すように笑った。

「あはは、そうでしたか。私はミルラ、近衛兵隊所属です。紋章はえっと……」

 服を探しているようだったので、俺は頼んだ。

「それよりも先に、前を隠してもらえると助かる」

 胸が見えっぱなしだと落ち着いて話が出来そうになかったからだ。

「あ、これは失礼しました」

 シーツで上を隠すと、ミルラは照れながらまた笑った。



 その日1日をかけて、俺は民からの陳情書や魔獣の目撃証言の資料を読み漁っていた。少しでも関わりがありそうな物は抜き出し、書き写し、その上現時点での判断を書き足して仕分けしていった。


 忘れてはいけない事を書いたメモとは別に、残党狩りの為の資料を蓄える。ミルラが同行してくれるとはいえ、調査関係を全て頼りきりにするのはよろしくない。元々提案したのは俺のようだし、こうして文章で残しながらなら、俺の頭も少しは役に立つだろう。


 ミルラは街に情報を収集しに行った。噂話レベルでも、資料と照らし合わせて信憑性を確認していくのは効率的だ。食料やテントなど、物資的な旅の準備自体は城にある物でほとんど間に合った。事情を知っている一部の人々、例えばこの国の王などは俺を応援してくれているようだ。


 昼過ぎあたりに、バルザロという魔術師が尋ねてきた。嫌味で、高慢な男だという事が少し話しただけでも分かった。バルザロが連れていた助手のカリマは驚くほど静かに歩く女で、腕を骨折しているらしく、添え木を包帯で巻いていた。


 バルザロは俺に、医療魔術の研究に協力するよう要請してきた。上手くいけば記憶能力が戻るかもしれないと言ってていたが、信頼するに足る根拠はなかった。第一、俺の状況を知っていて、ミルラがいない時を狙ってきているあたりがまず信用出来ない。


 とはいえ、以前の事も今後の事も分からないのではっきりと拒絶はしなかったが、丁重にお帰り頂いた。だが、バルザロは帰る前にこんな事を言った。


「彼女を見て何か思い出しませんか?」


 カリマという女は黙って真っ直ぐと俺を見ていた。そこには何の感情もないようだった。


「……いや、何も」


 そう答えると、バルザロは髭を触りながら目を細める。

「人間、幸福でいるコツは忘却にあるのかもしれませんな。勇者様はきっと、人を殺した後でもぐっすりと眠れるのでしょう」


 どういう意味か分からないが、馬鹿にされている事だけは分かった。

 2人が部屋から出ていってからしばらくして、もしかしてあの折れた腕は、俺がやったのか? という疑念が浮かんだが、メモに書いていない以上俺に確かめる術はなかった。まあ、あの女と戦う理由も思い浮かばないし、多分違うだろう。


 夜になってもミルラが帰ってこなかった。探しに行こうか、とも思ったがやめた。詳しい行き先も分からないし、書いて残していないという事は信用して良いという事だと判断した。とはいえ、明日も戻ってこなかったら困る。

 だから俺は書き残す事にした。


「ミルラが戻っていないようなら、探しに行く」


 重要なメモの1枚に加える。これで合計5枚。あまり増えすぎると確認だけで時間を取るし、混乱してくる。俺にとって本当に重要な事だけを書くべきだ。

 しかしこれなら、ミルラさえ見つかればすぐにこのメモを燃やすはずだ。燃やさずに捨てればいいのではないかとも思うが、何か意味があるのだろう。昔の俺の判断に従う事にした。



―――



 目が覚めた。今は……夜中か。俺は机に突っ伏して寝ていたようだ。

 机の上にあるランタンにはまだ灯りが残っていて、資料とメモが照らされていた。


 ノックがした。というより、この音で起きたのか。

 目を擦りながら起き、まずはメモを確認する。

 その間にもう1度、ノックが鳴った。


 俺は扉を開ける。そこには女が立っていた。

「トルイ様、遅くなりました」

 女はそう言う。見覚えの無い顔だが、相手は俺を知っているようだ。迂闊な事は言えないのだが、相手も黙っている。


 何だか良く分からない沈黙が流れて、先に痺れを切らしたのは俺だった。

「どちら様ですか?」

 女は無表情のまま、抑揚なく答えた。

「近衛兵隊所属。ミルラ・カドハンスです」


 ミルラ。メモにもその名前がある。しかも命の恩人であると書いてある。

「とりあえず、中へ」

「はい」

 ミルラは、驚く程静かに歩く女だった。


「それは?」

 と、俺はミルラの腕を指して尋ねる。包帯が巻いてあり、添え木がしてあったからだ。

「……骨が折れています」

「何故?」

「……いえ、トルイ様には関係のない事です」

 まさか俺が折ったんじゃないよな? そんな事をする意味がない。


 その後俺は5枚目のメモを燃やしながら、この静かな女ミルラと旅に出るのか、とぼんやり考えていた。

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