第4話 すべき事
いくら記憶が持てないと言っても、俺は鶏じゃない。直前にした事や言った事は覚えてるし、会話の途中で矛盾したり、文脈を見失ったりする訳ではない。
どうやら俺の症状には、「記憶を失うタイミング」という物が存在するらしい。しかもそれは一定周期ではなく、数分ごとにやってくる事もあるが、今日のように朝から晩まで丸一日記憶が持つ事もある。
原因や仕組みは不明。この症状自体が、魔王との激しい戦闘で頭部に受けたダメージによるものらしいので、おそらく脳の中の歯車がズレてしまっているんだろう。治る見込みはなく、今以上に酷い事になる可能性もある。いや、今以上なんてある筈もないか。俺には今しかないのだから。
結局、バルザロの提案は丁重に断る事にした。何をされるか分かった物ではないし、そんな不安な状況に未来の自分を置くのは可哀想だ。
そして何よりも、バルザロよりミルラの方が信頼出来る。メモに「命の恩人だ」と書いてある限り、この方針は変わらない。
「トルイ様、夕食のお時間ですよ」
扉の向こうのミルラがそう言った。ドアを開け、中に入ってもらう。近衛兵隊所属の者に、召使いのような真似をさせるのは心苦しいが、仕方ない。俺の症状を知っているのは、この城内でも僅かな人間しかおらず、一般には勇者はただ戦いに疲れて隠居しているという事になっているらしい。
「ありがとう、ミルラ」
「わっ。まだ覚えててくれてるんですか。今日は調子が良いみたいですね」
まるで自分の事のように嬉しそうに言うミルラ。きっと何回も俺に自己紹介してるだろうに、まだこんな表情を見せてくれるとは健気な娘だ。
「また何か聞きたい事はありますか?」
「そうだな……」
今日の記憶を総決算して、俺は1つの事を考えていた。
今の俺には、「すべき事」が無い。だから途方に暮れるし、自分の命が意味のないような物のように感じて、自殺なんてくだらない事を考え始める。必要なのは「すべき事」だ。
「魔王軍の残党とやらは、具体的にどのくらい残っているんだ?」
「そうですね……表立って活動している訳ではないので正確には分かりませんが、200とか300とか、その程度だと思いますよ。この前襲ってきた狂信的な人間と、僅かな魔力で生き延びている魔獣達、ですかね」
「どこにいるか……なんて分かる訳ないか」
「うーん……」
ミルラは少し考え、あまり自信はなさそうに答えた。
「魔獣の目撃情報なんかは、たまに聞きますね。大抵は辺境ですが、極稀に都にも。もちろんただの噂であったり、狂言であったりもしますが、元魔王軍の人間が生き残って市井の人々に紛れてるのは事実です」
すべき事。行くべき道が、微かに見えた気がした。
「ならばその魔王軍の残党を全員捕まえよう」
ミルラは俺の発言に驚いたようだった。こんな提案をしたのは、きっとこれが初めてなんだろう。
「で、ですが、残党達はトルイ様を探して命を狙っているんですよ? わざわざ自分からそこに飛び込むなんて、得策には思えません」
「まあ理屈ではそうなんだが、暇なんだよ」
「え?暇?」
自分の口を突いて出たその言葉が、妙に俺らしくなく感じて訂正する。
「いや、ちょっと言い方が悪かったかな。残党を根こそぎ捕まえれば、俺はまた人里離れて安心して暮らせる。そうしたら君やこの国にあまり迷惑をかけずに済む」
「迷惑だなんて、そんな……」
「まあ俺がこんな状態である以上、全く迷惑をかけないって訳にはいかないかもしれないが、自分の衣食住くらいは自分で何とかしたい。それに、残党とはいえ魔王の思想を引き継いでいる連中、野放しにしておくのも良くないだろ?」
話し始めてみれば、動く理由ならいくらでもあった。何故今までそうしなかったのか、そっちの方が不思議だ。
ミルラは腕を組んで考えている。不安に思うのも分かる。俺も半分くらいは不安だ。そして何かを決意したように、言った。
「……分かりました! ではその残党狩りの旅、私もご一緒させてもらいます!」
―――
「俺には記憶がない。新しく覚えられない。俺の名前はトルイ。勇者だ」
「魔王は倒したが、残党狩りの仕事がまだ残っている。同行するミルラが資料を持っている」
「ミルラは命の恩人で、近衛兵隊所属の女だ。肩に紋章のある鎧を着ている」
「大事だと思う事だけをこの紙に書け。既にやった事を書いた紙は燃やせ」
4枚のメモにはそう書かれていた。せっかく魔王を倒したというのに、俺はまだ戦い続けているのか、と呆れる。記憶も持てないのだし、いっその事どこか人里離れた場所で隠居していればよかったのに、と思う。
だが、前回までの俺がそう決めたのだから、今回の俺はその方針に従うのみだ。前回とか今回とかいう区切りも奇妙だが、俺の中ではこの表現がしっくり来る。このメモに書かれてある事は絶対。そうでないと、自分さえ信用出来なくなる。
「で、今はどういう状況なんだ?」
俺の目の前には、屈強な男たちが腕を後ろに組んで並んでいた。地下だろうか、日の光は入っておらず、僅かに灯る松明で、地面が砂である事が分かった。
男達は何かを待っているようだった。
俺の座る椅子のすぐ隣に、木剣が刺さっている。俺は何の気なしに手に取る。すると、
「次は自分が!」
屈強な男の内1人が前に出た。
何だこの状況は。
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