第3話 過去

「目が覚めましたか」


 眼をこすり、身体を起こす。どこだかは分からないが、いちいち驚いたりもしない。起きてまずするのは、メモを手に取り、それを確認する事。自分が置かれている状況を確認するというよりも、自分が自分である事を自覚しなければならない。これは習慣になっていて、意識せずともしてしまう行動だ。


 俺の記憶は7年前で止まっていて、自分の名前は分かるが、それでも一応メモに書いてある。いつ自分の名前も忘れるか不安だからだ。


「おはようございます。私はミルラ、近衛兵隊所属です。トルイ様の身の回りのお世話をしています」

 そう言う女の顔に当然見覚えはなく、人懐っこい笑顔を向けられるのに若干の罪悪感があるが、その手に持ったパンと卵焼きは空腹になかなか魅力的だった。


「何から聞きますか?」

 ミルラは俺の扱いに慣れているようだ。

「まず……ここは?」

「お城の一室です。現在トルイ様は魔王軍の残党から逃れる為にここで一時保養して頂いています」


 俺は立ち上がり、部屋の中を見回した。狭い部屋だが、調度品も一通り揃っていて、良い扱いを受けているようだ。

「ここには昨日やってきたばかりです。よく寝れましたか?」

「ん、ああ……」


 テーブルに並べられた朝食を食べながら、俺はメモを確認する。


「もう1つ聞いていいか?」

「1つとは言わずいくつでもどうぞ」

「このメモにある『ミルラは命の恩人だ』というのは何だ?」

「トルイ様が毒入りのお茶を飲もうとした所を私が止めたんです」


「……毒入りのお茶?」

「えっと、トルイ様ご自身から隠さず伝えるように言われてたので言いますが、以前のトルイ様は自殺を考えておられたようです。用意した毒を、未来のご自身に飲ませようとしたようです」


 それはなかなか衝撃的な事実ではあったが、同時に無理もないと思った。記憶が持てない人生に絶望して自殺。ありえない選択肢ではない。


「君には何かお礼をしないとな……」

 そう呟くと、ミルラがくすっと笑った。

「昨日も全く同じ事を仰ってました。……あ、決してトルイ様を馬鹿にしている訳ではありませんよ。ただ、そのメモを書いた時に、『こう書いておけば俺は何かお礼を返すだろう』と仰ってたのを思い出して、つい」


 自分の事は自分が1番分かっている。例え記憶を失っても一部分ではそうなんだろう。


「でも気にしないでいいですからね。むしろトルイ様が先に私の命を救ってくれたんです」

 どういう意味だ? と尋ねようかと思ったが、前にも同じ質問をしたかもしれないと思うと一瞬迷った。それを察してくれたのか、ミルラは続ける。


「私、西の都の出身で、そこの領主の娘なんです。三女ですけどね。トルイ様が魔王を倒すまでは、魔王軍の侵攻が激しくて、領民達が沢山殺されました。それである日、魔王軍の幹部が人質を要求してきて、私が差し出される所だったんです」

 もちろん初耳だったが、きっと俺は前に聞いた事があるんだろう。ミルラが喋りなれていた所からそれが分かった。

「そして引渡しの前日に、トルイ様が魔王を討伐したんです。おかげで今もこの通り、元気に兵士をやっています!」


 そう言われると照れくさいような、しかし魔王を倒した記憶もないので、他人事のような、何とも言えない気分だったので、俺は間を埋める為に質問した。


「領主の娘が何で兵士に?」

「政略結婚回避の為ですね。16歳になってすぐ嫁に出されそうになったので、この道を選んだんです。コネはありましたし、近衛兵隊に所属となれば親の顔も潰れませんから」


 ミルラは随分と行動力のあるタイプのようだ。


「……でも、いつかは結婚する事になるんでしょうけどね」

「ふむ」


 答えたきり言葉が続かず、妙な沈黙が流れた。そしてタイミングを見計らったように、部屋の扉がノックされた。

 ミルラが出る。俺は食事を続ける。


「やあ、おはようミルラ。トルイ様もご機嫌いかがかな?」


 背の低い男だった。魔術師のローブを着ているが、丈があってないのか若干引きずっている。年は50かそこらで、立派なわし鼻の下には髭を蓄えている。


「普通ですよ」と俺が答えると、その男は「結構結構」とにやにや笑った。

 男に続いて、もう1人女が入ってきた。こちらは若く、ミルラと同じくらいの年齢だが、眼鏡をかけていて背が高い。驚くほど静かに歩く女だった。


「もう何度目になるかも忘れましたが、自己紹介致しましょう。私は魔術師のバルザロ。こちらは助手のカリマです。医療魔術の研究が本職ですが、トルイ様の記憶が戻るように手助けもさせて頂いております。以後、お見知りおきを」


 お見知りおきをしたくても出来ない事の皮肉で言っているのだとしたら相当嫌な奴だが、わざわざメモに書いておく程の事でもない。次にこいつに会った時、俺は今と同じ事を思うんだろう。


「トルイ様、ご協力して頂きたい事があります」

 バルザロは真剣な顔で、僅かに声を潜めた。

「貴方の持つ、『何か特別な力』を私の研究の為に生かして頂きたいのです」


 それは俺が魔王討伐の旅に出るきっかけとなった力の事だ。

 言うまでもなく、魔王は強大な力を持っており、人間がいくら束になっても勝てない存在だった。だが俺の持つ「何か特別な力」だけが魔王を倒せた。だから、俺は勇者となったのだ。その過程は記憶にはないが、理屈の上では理解出来る。だが問題は……。


「とはいえトルイ様は『何か特別な力』の使い方をお忘れになっているでしょうから、それを思い出す為にいくつかの実験に協力して頂きたいのです」


「また安全かも分からない魔術をトルイ様にかけるつもりですか?」

 横からそう言ったのはミルラだった。その表情には、明確な敵意が篭っている。


「人聞きの悪い事を言わないでもらいたいね」

 バルザロは口髭を撫でながら、不機嫌に言った。


「ですが、貴方の魔術のせいで、トルイ様は魔王討伐以前の記憶も大幅に失ったのですよ」


 それは初耳だった。まあ、ほとんどの事が初耳だが、取り分けこれは聞き捨てならない。


「以前は魔王討伐直前までの記憶をトルイ様は持っていました。ですが今は、旅の出発以降全ての記憶を失われている。これ以上記憶を失わせる訳にはいきません」

 毅然として言い放つミルラに、バルザロは声を荒げる。


「あれは不幸な事故だった! それに、研究が進めばトルイ様は全ての記憶を取り戻す可能性だってある! 何より私以上に医療魔術に熟達した者がいるか? おらんだろう!」


 いかにも傲慢な物言いに、ミルラが僅かに前のめりになった。すると、バルザロの連れてきたカリマという助手が腰にさした剣に手をかけた。その眼差しは静かにミルラを制している。


「……トルイ様、よくお考えになってください。記憶を取り戻したくはないですか?」


 バルザロから突然話をふられた俺に、全員の視線が集まる。


 俺は黙ったまま、朝食を食べ続けた。

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