第20話 発現
あたりに漂う腐臭は想像を絶するものだったが、導機に乗る三人には感じないものだった。しかし、その腐臭は浄化の光を押し返すかの如く瞬く間に街全体に広がり、おどろおどろしい空気を作り上げる。
『何をしている! 住民を下がらせろ!』
剣を構え前進するガラッテからアリアの指示が飛ぶ。足元に連なるように隊を組んでいた兵士たちは頭上から投げかけられる少女の声に飛び跳ねるようにして対応した。声を出さないのは不敬に値するが、口を開けてしまえば腐臭が体の中を汚染しかねない程に強烈なもので、兵士たちは身振り手振りで応じるしかなかった。
混乱と恐怖、さらには腐臭というものは気力の低下著しい住民の動きを遅くするには十分なものだった。大半がうずくまり、震え、兵士たちの先導も耳に届いていない様子であった。数割の住民は唖然と狂獣を眺めている。ある老人は手を合わせて「許してくれ」と呟き、若い母親らしき人物は「あの子がいるのよ!」と狂獣に駆け寄ろうとして兵士たちに止められていた。
「あっちは墓場だって言ってたな?」
住民たちの悲痛の叫びは嫌でも聞こえてくる。ガイオークスと接続した玄馬であれば、意識を集中させることで街全体、隅々まで音が拾えるだろう。鼓膜を突き刺すような悲鳴の数々に玄馬はげんなりとしていた。
「て、ことはあれはなんだ? 元は人間ってことか?」
玄馬はあえて直接的な物言いをした。出現箇所が墓場だというのは住民の声を聞けばわかることだし、黒煙が上がっていたことと照らし合わせれば理解はできる。だとすればあのゾンビのような狂獣はつまりそういうことなのだろう。姿形がどこか人間のように見えるのは材料が人間であるからだ。
『死体が狂獣化するなど聞いたこともないわ!』
ガラッテのアリアは削げ落ちる肉の塊を直視することが出来ずに視線をそらしていた。
『だが、現に奴は存在している! 詮索は後回しだ、奴め、瘴気をまき散らしてやがるぞ!』
ブレイデルの言う通り、腐乱死体のような狂獣は導機と同じ大きさであるにも関わらず、体のあちこちからガスのように黒いもやを噴出していた。その度に内側から肉が膨れ上がり、破裂し、肉片が飛び散る。直視したくない光景である。
黒いもやは瘴気である。しかもひとたび吸い込めばそれだけで呪いに侵されてしまいかねない程の密度をもったもやは意志でもあるかの如くゆっくりと自分たちの方へと伸びてくる。
「瘴気なら食い尽くせばいいだけだろ!」
玄馬の言う通り、その程度の瘴気などガイオークスならば前菜にもならないだろう。玄馬はそのグロテスクな光景にひるむこともなく、魔力を活性化させ、ガイオークスの邪導石を起動させる。
『その通りだ!』
ブレイデルの気迫と共にガイオークスが地面を踏み抜きながら駆け出す。その行動に狂獣も気が付いたのか、のろのろとした動きで肉が溶け出す両腕を伸ばす。動くたびに肉が落ち、新たな腐肉が内側から湧き出る。
突き出した両腕は今にも千切れそうなほどに細く、弱弱しいものだった。
『……!』
瞬間、ブレイデルはメイスを盾にするようにガイオークスに防御の姿勢を取らせた。直後にガリガリと金属が削れる音とボキボキと骨が砕ける音が木霊する。
「気味の悪い攻撃だな!」
『えぇい、防御するまでもなかったか!』
ガイオークスを襲ったのはひびだらけの骨の槍であった。それは狂獣の両腕を突き破り射出されたものだったが、堅牢なガイオークスの前には脆弱な塊にすぎない。狂獣は腕を突き出したままの姿勢で身動きを止めていた。
『貫いてやる!』
ググっとメイスを握るガイオークスの腕に力が入る。ブレイデルはガイオークスに槍投げの構えを取らせた。ガイオークスの最大パワーによる投擲は避けられるものではない。瞬時にして時速二百を超える速度、それに耐えうる頑強さと、破壊力を与える鉄塊であるメイスである。その一撃は要塞すら粉砕するだろう。
狂獣は一向に動こうとしない。良い的だった。ブレイデルはすかさずメイスを投擲しようと、ガイオークスの腕に連動する籠手に力を込める。
『お二人とも! 足元を!』
突如としてアリアの悲鳴にも似た警告が飛びかかる。真っ先にそれに反応を示したのは玄馬であった。それはもぞもぞとする強烈な不快感が体を走ったからだ。玄馬はアリアに言われた通りにガイオークスの足下を見下ろす。
そこには人の形をした無数の肉片がガイオークスをよじ登っている姿があった。それは人の形をしているが、人ではない。削げ落ちた狂獣の肉片が何とか人らしい形を再現して蠢いているのだ。
「うっ……!」
見渡せばその人モドキは無数にいた。今まで削げ落ちていた肉片のいくつかが群れをなしている。気が付かない内にその人モドキはこちらへと迫ってきていた。死の淵から、生きている者を恨めしがるようにひたひたと人モドキが前進してくる。
玄馬はその光景に思わず吐き気を覚える。昔に見たゾンビ映画は所詮作り物だった。だが、そこにあるのはまぎれもないリアルであり、実際にうごめくものなのだ。それを理解してしまっているからこそ、玄馬は「その程度」の事でも気分を害する。
「うっ、くそ! おいブレイデル! 蹴散らせ!」
全身を這う不気味な感触は耐えられるものではない。玄馬はガイオークスとの接続を思わず解除しかけたほどだ。
しかし、そんな玄馬の懇願が無視される。ブレイデルからの返答はなかった。
「おい、こら! 何やってんだ!」
不快感に耐えられずに思わず怒鳴ってしまった玄馬。
ブレイデルから返ってきたのは『地を揺るがすような咆哮』であった。
『グルオォォォ!』
ブレイデルの雄叫びと共にガイオークスが小刻みに震える。膝をつき、崩れるガイオークスはもがき苦しむように掌で地面を抉る。真っ赤な双眸を明暗させ、遂にはメイスすら手放したガイオークスはその場にうずくまるように、震えていた。
「おい、おい! ブレイデル!」
ガイオークスと接続されている玄馬には機体に異常がないことがわかる。だとすれば残るのはパイロットであるブレイデルの異変であった。頭部コクピットの様子を伺うべく玄馬は映像球体を表示させた。ポワンと光が浮かびあがり、玄馬の目線で止まる。
映像を映し出す球体の向う側ではブレイデルが荒い呼吸を繰り返しながら涎をたらし、金色の瞳は黒く澱み、灰色の筋肉質な体は膨張していた。
「ブレイデル!」
『グフゥゥゥ! グオォォォ!』
ブレイデルは呼びかけにも応じない。ただひたすら奇声をあげ、身をもだえさせていた。
玄馬はこの光景を見たことがある。それはオークの国だ。そこで見た呪いを発症させたオークたちの姿に似ていた。
『どうしたのですか!』
群がる人モドキを踏み潰し、剣で払い続けるガラッテのアリアも異変に気が付いたようだった。
「ブレイデルの様子がおかしい!」
そうとしか答えようがなかった。
「まさか……」
このタイミングでブレイデルの呪いが発現した?
しかしブレイデルは彼らのように暴れるようなことはない。大声を上げてはいるが、その凶暴性を抑えつけているかのようだった。
だが、それは同時にガイオークスが無防備な状態をであることを意味する。
玄馬の全身を駆け巡る人モドキの不快感はなおも続いているし、さらに振動が襲い掛かる。
「野郎!」
狂獣がうずくまるガイオークスに飛びかかってきたのだ。骨でできた爪をたて、執拗にガイオークスを殴りつける。堅牢なガイオークスの装甲の前に狂獣は攻撃するたびに余計に自身の肉体を崩壊させていく。だが、そんなことなどお構いなしに狂獣は腕を振るう。ガイオークスにダメージはないが、飛び散る狂獣の肉片が新たな人モドキを作りだしていく。
『任せなさい!』
ガラッテが乗りかかった狂獣を蹴りあげる。そのまま剣に変形させた両足を突き立てながら、ガラッテは狂獣を串刺しにする。
「助かった!」
玄馬は礼を述べながら周囲を見渡す。
人モドキの歩みは遅い。だが、その遅さが、余計に人々の恐怖を借り立て、精神を削った。中にはその人モドキに対して歩み寄ろうとするものもいた。それを兵士が青い顔をしながら制する。
「くそ! 浄化だ、浄化をすれば……!」
ブレイデルの症状は呪いである。ならば暴れる瘴気をつい尽くしてしまえば動けるようになるはずだ。同時に人モドキの動きも止められるかもしれない。意識を集中させ、邪導石を活性化させる。
ガイオークスが唸り声をあげ、瘴気の吸収が始まる。外で活動する人モドキがいくつかが動きを止めてガイオークスから剥がれ落ちていく。
頭部コクピットのブレイデルも様子も目に見えて変化していく。呼吸が整えられ、膨張した肉体が元に戻っていく。だらりとモニターにもたれ掛かるブレイデルに意識はなかった。
「おいこら! 起きろ! 動け!」
怒鳴り散らすように叫んで見せてもブレイデルは身動き一つしない。完全に気を失っていた。
「おい、ふざけんな! ブレイデル! ここでお前が動かないと大見栄張った意味がなくなるだろうが!」
支えの柱を何度も叩きながら、叫ぶが、ブレイデルは動かない。
そうこうするうちに再び人モドキは群がってきた。
ぞわりとする感覚に体を震えさせた玄馬。かすかに見える視界の端ではガラッテが今もなお狂獣と格闘を続けていた。何度も切り付けるガラッテが有利に見えたが、斬り裂かれる狂獣はそのたびに肉体をつなぎ合わせていく。時には人モドキを呼び戻し己の血肉に変え、時には自壊をしながらガラッテの攻撃を受け止める。
「くそ! どうすりゃいい!」
埋もれていくガイオークスの内部で、玄馬は思考を巡らせていたが、そう簡単に天啓がひらめくわけはなかった。
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