第19話 亡者の呼び声

 相変わらず街の北側からは黒煙が上がっている。教会から出て、アリアの後をついていく玄馬だったが、ついついその様子が気になってしまった。あの煙は一日中昇っているのだろうか。だとすれば一体何人の死者が出ているのだろうか。考えたくはなかったが、黒煙が視界に入る以上、考えずにはいられないのも事実であった。

 呪いはいずれ死に至るか狂獣となるとオークの国では説明を受けた。中には耐えきれずにもがき苦しみながら死んでいくものもいると聞く。だとすればあの煙はそんな人々のなれの果てとも言うことなのだろうか。もったりと重たく天に昇る煙は声のない悲鳴のようだとも思う。その中に子どもも混ざっているのではないかと考えると、玄馬はどうしようもなくなってしまう。


「なぁ、アリアだったか?」


 今しがた気が付いたことだが、玄馬はこの少女の名前を始めて呼んだ気がする。


「なに?」

「この街の被害は比較的少ないって話だけどよ、多い場合ってのはどんなもんなんだ?」

「本当に何も知らないのね?」


 アリアの言葉は別にバカにした様子はなかった。なぜそんな今更な質問をしてくるのかという疑問の表情はあったが、アリアは「まぁいいわ」と肩をすくめ、「壊滅するわ」と答えた。

 酷く短く、淡々と事実だけを述べるような言葉。アリアはたったその一言だけを玄馬に向けたのだ。


「壊滅か……」


 繰り返すように玄馬が呟く。それが呪いによるものだということだけはわかる。狂獣によって滅ぼされるのか、はたまた呪いの苦しみの中、息絶えていくのか、どちらにせよ理不尽なものだということだけは理解できる。

 それ以降は終始無言だった。玄馬もブレイデルも、アリアも。つき添う兵士たちに至るまで無言のままだった。物々しい雰囲気を醸し出す一団に対して住民も遠巻きに見つめているだけだった。それでも、ルドラトの騎士長であるアリアがいるだけでこちらに向けられる視線はかなり違う。

 少なくともよそ者を見るような目ではない。

 だからこそか、市長邸についても門番らしい男たちに対してアリアが一言二言と指示を送るだけであとは素通りできるほどだった。

 街の行政を司るにしてはその屋敷は少々手狭だった。元々大きな街ではない為か、本来ならばそれで十分だったのだろうが、瘴気に包まれた影響による活気のなさと物質的な人員不足は屋敷内の清掃に現れていた。

 不潔とまではいかないがどこか埃っぽい内部の奥、そこが市長の執務室となっていた。


「市長、これより浄化作業に入ります。よろしいですね?」


 執務室に入るや否や、アリアは窓の外を眺めている小柄な男へと申し出た。男はゆっくりと振り向くと、形ばかりは整えられたよれよれのスーツ姿を見せた。中年と言ったところか、口髭も蓄えたその小柄な市長は頷きながら「そうしてください」と消えるような声で言った。


「早速この街も長くは持ちません。それでも騎士様が浄化をなさってくれるというだけでも住民たちには勇気となりましょう」


 市長の言葉はどこか投げやりだった。瘴気に侵された街というのはそういうものなのかもしれない。


「市長、我がルドラト国も王立軍も決して周辺諸国を見捨てたわけではありません」


 些か口調を強めながらアリアが反論する。彼女にはそう聞こえたようだった。

 市長は目を閉じながら首を横に振り、「いえそうではないのです」と弁解した。


「我が街以外にも多くの土地で瘴気と呪いが発生しているのは知っています。騎士様たちが奔走しながら解決に当たっていることももちろん承知していますとも。ですが、状況はこうなのです。今更それで恨み言を言うことはしませんが、無常で無念であるのは確かです。せめて私の代で終わるようなことにはしたくなかった」

「導師だけの浄化では行き届かない部分があったことは謝罪します。知らぬこととは言え、王立軍の行いです。ならばそのツケを払うのもまた王立軍ですので」

「そのお言葉だけでも十分でございます」


 市長は嘘を言っているようには見えなかった。

 アリアもそれ以上は何も言わないことを選択したのか軽く会釈だけを済ませると、つかつかと執務室から出ていく。ぞろぞろと部下の兵士たちもついていく中で、玄馬とブレイデルだけはその場に残っていた。


「何してるの? 早くいくわよ?」


 それに気が付いたアリアが途中立ち止まり、呼びかける。

 玄馬は「おー、すぐ行く!」と手を振って返事を返す。

 「速くなさい」とアリア。


「へいへい。さて……」


 くるりと市長へと向き直る。市長は残った二人を不思議そうに見つめていた。


「お二人は……? 見たところ、騎士様と導師様ですが……王立軍の方々ではなさそうで」

「まぁ、俺たちは旅から旅へ渡る二人組って所です。今日、この街にやってきたんですよ」

「そうですか。街のものが迷惑をかけていなければよいのですが……その、特に……」


 市長はちらっとブレイデルの方に視線を向けながら言いよどむ。

 ブレイデルは鼻を鳴らしながら「気にはしていない」とだけ言い放った。それが普段通りの返答であるのはそれなりに付き合いをしてきた玄馬だからこそわかるものだが、初対面である市長にしてみれば唸っていたようにも聞こえたのか、少しだけ身をすくめていた。

 玄馬は苦笑しながら「こいつ口悪いだけですんで」と伝える。市長は引きつったような顔で無理やり笑顔を作っていたが、バレバレだった。


「あの騎士さんとはちょっとした付き合いでね。と言ってもあったのは数日前に初めてなんだが……まぁ縁が合って浄化を手伝うことになった」

「左様でございますか……今は一人でも導師様がいてくれるだけで心強いものです」

「任せてくださいよ。大船に乗ったつもりでいてください。なんせ、俺大導師ですから」

「おい、玄馬」


 なぜ自分がそんな見栄を切ったのかはうまくは説明できなかった。後ろでブレイデルが呼び止めているが、玄馬は「まぁまぁ」と抑えながら、ニヒヒとイタズラっぽい笑みを浮かべながら市長の顔を覗き込むようにして見据える。


「呪いは消せませんがね、この街の隅々から瘴気は取り除いて見せますよ。これは保証します。なんせ、自分は大導師ですから」


 もう一度、大導師の部分だけを強調して玄馬は名乗った。


「だ、大導師様……ですか?」


 市長は困惑していた。大導師というのは名誉ある導師の総称だ。彼自身そんな人物たちにあったことなどないが、初対面の少年がいきなりそんなものを名乗ればそのような顔をするのも当然だった。


「まぁ見ててくださいよ。必ずこの街を浄化して見せます。そこは希望をもって、前向きに考えましょうや」


 ポンポンと馴れ馴れしく市長の肩を叩く玄馬。

 正直な所を言えば自分がいかに胡散臭いことを言ってるのかは理解してる。だが、彼自身としては、街を覆うどんよりとした重々しい雰囲気にが嫌いだった。疎外感のある住民の態度も結局はこんな空気から来ているからに違いないとも思い、ならばこそ瘴気を祓うことで多少の活気を取り戻せればこんな陰鬱とした空気もまた払拭されるのだと玄馬は思うのだ。

 だからこそどこか無責任な言葉が繰り出されるのかもしれなかった。


「さぁ行くぞブレイデル。我らの力で街を救うのだ!」

「……」


 ブレイデルは溜息をつきながら、部屋を出ていく玄馬の後を追う。その姿を市長はポカンと口を開けて見送った。

 途中の廊下、ブレイデルは「何を考えている」と低い声で訪ねてくる。


「ん?」

「下手な気休めを投げかけるな。それでは余計に心は砕ける」

「あぁさっきのことか? 俺もどうかなぁーとは思ったんだがよ。それでもなんかこの空気嫌だろ? 俺はどうにもそういうのが苦手なの。それがなくなるんなら馬鹿の一つでも演じてやるさ。案外、うまくいくもんだぜ?」


 あっけらかんと答える玄馬にブレイデルはまた溜息をついた。


「その自信はどこから来るのか、俺にはわからんよ」

「人助けしようって奴が自信なくてどうすんのよ。ほれ、行くぜ行くぜ。あの騎士ちゃん、待たせると煩そうだ」

「待たせたのはお前だがな」


 そんなやり取りを行いながら、二人は先に外で準備を行っていたアリアたちの下へと急いだ。

 案の定、アリアは「遅い! とろとろしない!」と腰に手を当てて怒っていたが……


***


 街の一角に二体の巨人が並んで立っていればそれだけでも注目の的になるというものだ。赤と黒の重厚なガイオークスと美しい白銀のガラッテという見た目も色も存在そのものが極端に対立するわけである。いくら街の住民が排他的、消極的であってもそのようなものが現れれば野次馬としてよってくるのは間違いないと言える。

 がやがやとかつて程ではないにしても街がざわつく。それは決して活気のあるざわつきではなく、動揺や不信というものの方が多い。導機が現れるというのは結局の所は戦のある所という認識がこの世界にはある。導機とは憧れであると同時に畏怖するべき対象でもあるのだ。

 ガイオークスとガラッテは互いに向き合い、約五十メートル程の距離を保っていた。

 キューンという甲高い音がガイオークスのコクピットを駆け巡る。モニターの真下に設置された装置からである。


「あー……」


 ブレイデルはぼりぼりと額をかく。


『向かって右、ボタンみたいなのあるでしょ? ダイヤル式じゃないでしょうね?』


 装置の脇に設置されたスピーカーから神経質そうなアリアの声が響く。ガラッテからの通信だった。

 通信の向うで、アリアは通信機能の起動がわからない二人にレクチャーをしてくれていたのだ。

 ブレイデルは言われた通りに装置の右側を調べる。確かにボタンのようなものがあった。操縦用の籠手を伸ばせばちょうど押せる位置にある。それを押してみて初めてモニターの端にノイズ交じりのアリアの顔が映り込んだ。


『やっとつながった! 手間取りすぎでしょ!』

「使う機会もなかったのでな」


 強がりを言って見せて波長を合わせる。ノイズが混ざっていたモニター画面が鮮明になる。


『私のガラッテ、あなたの邪導機』

「ガイオークスだ」

『……ガイオークスとで浄化を行います。街全体の浄化なら……そうね、五分と掛からないでしょう』

「ならさっさとやるか」


 言って、二人の騎士は己の導機を起動させ、内部炉心に接続された邪導石、聖石を活性化させる。ガイオークスが唸り声をあげ、ガラッテはゴウゴウと勝鬨のような音色を響かせた。同時に各々の機体が黒と白の光を放つ。

 それは浄化が始まったことを意味していた。可視化された瘴気をガイオークスが喰らいつくし、ガラッテの白い光が街全体を満たしていく。それは遂には黒煙を上げていた街の北側にまで及んでいた。


***


「ん?」


 ガイオークスの吸収機能の制御を管理する玄馬はちりちりと額に違和感が走ったことに気が付いた。それはガイオークスとの接続で鋭敏化した感覚が拾う警戒の色だった。

 それは突然感じたものだ。少なくともガイオークスに乗り込んだ時には感じなかったもの。強いて言えば浄化が始まった瞬間に感じたような気がする。


「ブレイデル」


 ちりちりとした感覚は次第にひりひりとしたものになる。

 玄馬は静かに警告した。ブレイデルからの返答はなかったが、ずしんとガイオークスが重心を移動させたのがわかる。


『ちょっと、何やってるのよ』


 アリアの非難染みた声が飛んでくる。アリアは気が付いていない様子だ。


「北側だ! 来るぞ!」


 もうもうと立ち込めていた黒煙は既に消えていた。代わりに黒いもやのようなものがそこには湧き上がっていた。

 ズズッと街全体が揺れた。重量のあるガイオークスは持ちこたえることができたが、予想できなかった揺れにガラッテは態勢を崩し、膝をつく。

 周囲に群がっていた住民たちはその揺れに混乱して悲鳴を上げていた。


「墓の方角だ!」


 ガイオークスが住民の声を拾った。

 住民の殆どは北側を指さし、視線を向けてはまた悲鳴を上げていた。


「焼却場の呪いが立ち込めてるぞ!」


 また別の住民の声だった。

 ガイオークスの双眸は街の北側を凝視していた。それは同時に玄馬の視界となる。そして、玄馬は墓場、焼却場と呼ばれる街の北で起きている異変を知ることとなる。


「ホラーだな……」


 そこに現れたのは骨とぐずぐずに焼けただれた皮膚を持つ人らしき塊の狂獣であった。その狂獣は、大きさは今までに出会ってきたものとは違い八メートル前後と導機と同等であった。だが、それが逆に不気味さと言い知れぬ嫌悪感を与える。どこまでも人に近い形をしたその狂獣は崩れ落ちた顔を腐敗させ、内側から新たな肉を浮き上がらせ、また腐らせていた。


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