第18話 沈みゆく街

 教会と言ってもそこは街の中にひっそりと建てられた小さなものだった。玄馬はこの世界に対しては欧米諸国のようなイメージを抱いており、テレビや教科書の中でのそこには大抵大きな聖堂が建てられているものだった。しかし街と言っても所謂都市から離れた僻地ではこんなものかというようなこじんまりとした教会である。

 扉をくぐると中にはなる程それらしい装飾が施されており、真ん中に通路があって、両脇には木彫りのベンチがずらりと並び、壁には彫刻がいくつも奉ってあったが、そこには天使や悪魔といったものはなく、動物が殆どであった。どうやらステンドグラスというのもないらしく小さな小窓に見たことのない紋章のようなものがはめ込まれている。そこからほんのわずかに差し込む光は弱弱しいが、構造的な結果なのだろうか、内部に光を隅々まで行き渡らせていた。

 またイメージの話となるが、教会であれば礼拝に来る者が何人かいてもいいような気もするが、この教会にはそのような姿は一切なく、神父などの姿もない。それでも掃除は行き届いているようだった。


「適当に座って」


 先導するアリアは白銀の剣をベンチにおいて、軽装の胸当てを取り外す。サーコートだけの姿となったアリアは背後に控えていた兵士たちに何やら指示を送り、数人は教会の外で待機し、残りは教会内に残っていた。

 ベンチに腰を降ろし、頬杖をつき、小さな息を吐く。ちらっと、玄馬、ブレイデルへと視線を向けるとまた溜息を吐いた。


「まず聞きたいんだけど、なんでここにいるのよ」

「なんでって言われてもなぁ?」


 玄馬はブレイデルと顔を見合わせながら呟いた。別に目的があってきたわけではない。基本的に旅の行路はブレイデルが決めている。彼がこの道順であれば近道になると言ったからその通りついてきたまでだ。その殆どが強行軍であったことを除けばだが。


「このルートが海まで一直線の道だからだ」


 ブレイデルがどっかりとベンチに座り、答える。


「海って……まさか西の大陸に渡るつもり? 何考えてるのよ」


 アリアが呆れ顔を向けながら言う。どうやらこの世界において西を目指すというのはイコール海に出ることらしい。


「金目当ての流浪人が一攫千金目指して自滅してくのは聞いてたけど、あんたたちもその口なの?」

「金などどうでもいい。俺たちは西の都を目指し、そこで呪いを打ち消す方法を探すのだ」

「呪いを打ち消す……まさか、あんな与太話を信じてるの?」


 アリアは今度こそ表情ではなく、「呆れた」と口にした。


「西の都の英知であれば呪いを消し去ることができる。誰が広めた話なのかは知らないけど、そんな根も葉もないうわさを信じて死んでいった人の話を聞かないこと日はなかったわよ?」

「嘘か誠かは俺にもわからん。だが、我が国の神官が西に落ちる光を見た」

「救世主の予言のことでしょ?」


 救世主の予言はオークの国でも聞かされた話だ。西の方角へと星が落ちる時、世界を救う救世主が現れるというのは、どうやら他の国、種族の間でも有名な話らしい。

 そしてオークの神官が言うには玄馬こそがその救世主であり、大導師であるとのことなのだが、玄馬自身にはそのような自覚はあまりない。確かに自分は何やら凄い魔力を持っているようだが、未だに術の一つも覚えてないし、せいぜいガイオークスの力を借りて浄化を施すぐらいだ。ブレイデル曰く「まぁそれでも使えるのならいい」と世辞を飛ばしてくれるが、せっかく手に入れた魔法という力なのだから人並み程度には炎を出したり、雷を出したりすることにはあこがれるものだ。


「そしてこいつがその予言の男だと神官は言っていた」


 ブレイデルは親指で玄馬を指す。


「どうも、その救世主と目されてる男です」


 指名されたので、そう名乗り出てみた瞬間、アリアから向けられた視線は可哀想なものを見るものだった。生暖かい視線と三回目の溜息が大体の心情を現している。


「ねぇ、冗談はいいんだけど」


 アリアにしてみてもこの胡散臭い連中がコラト王より承った任務のターゲットであるなどとは結び付かなかった。術の一つも使えない救世主がどこにいるのか。そんな頑なな考えが出てくるのも無理はない所である。何より人間性はさておき、この少年導師は能天気すぎる。


「俺だって冗談だろと思いたいんだけどねぇ」


 腕を組んでうんうんと頷く玄馬。

 アリアからの視線は生暖かくなる一方だった。


「魔力は確かにあるようだけど……ミゾルでの話じゃあなた、術が使えないそうじゃない?」

「使えないというかやり方がわからんというか……あ、けどさっきも見ただろ、浄化は出来るぜ?」

「そこなのよねぇ……」


 立ち上がったアリアはじっと玄馬を見つめた。宝石のような碧眼が二つ、自分を捉えている。世辞を抜きにしても美しい瞳だった。身長はどうにも低いので、美人というよりは愛らしい少女という表現が当てはまるアリアだったが、その瞳は美しい。吸い込まれるようなというのはこういうものを言うのだろうとぼんやりと連想していた玄馬だったが、パッとアリアが視線を外す。


「魔力はある、浄化もできる、なのになんで術が使えないのかしら。怪しいという以前に変よそれ」

「そうなの?」


 玄馬は答えを求めるようにブレイデルへと振り向く。困った時、わからない時はブレイデルに聞くのが一番だ。


「知らん。俺としてはさっさと術の一つでも覚えてくれれば嬉しいのだがな。浄化も基本的にはガイオークスの機能をお前が制御してるにすぎん」


 ブレイデルは「まぁそれだけでも十分ではあるが」と付け加え、「それより」とアリアの方へ、のそりと体を動かすとべきべきとベンチが軋む。一瞬だけその場に静寂が訪れたが、ブレイデルは咳払いをして何事もなかったかのように言葉を続けた。


「まどろっこしいことはやめろ。俺たちに話があるのだろう?」

「そうね。今はそっちの方が重要だし。あなたたちも気が付いてるわけだけど、この街は瘴気に包まれてるわ。確認が取れてるだけでも住民の半数に呪いの兆候が見られる。既に発症しているものもいるようだけど……それでも比較的少ない方ね」


 アリアの説明に玄馬は多少の驚きを覚えた。街を包む瘴気は容赦がなく、それがどんよりとした空気を作りだしている。それほどまでに街を覆う瘴気の量は多い。なのにこれでも被害は少ないのだという。

 しかしここでふと疑問に思うこともある。


「なぁ、ちょっと聞きたいんだけどさ。瘴気が呪いを引き起こすのはわかるんだが、それってどのぐらいでなるんだ?」


 瘴気が呪いを引き起こす病原菌のようなものというのは玄馬も理解は示していたが、どのようにして呪いとなるのか、そのメカニズムまではわからなかった。瘴気に触れればそれで呪いを受けるというのならば、自分はオークの国にいる間に呪いを受けてもおかしくはない。現にブレイデルはそのような形で呪いを受けているはずだった。

 純粋な玄馬の質問にアリアは目を丸くして「はい?」と答えた。そのような質問が飛んでくること自体、想像していなかったのだろう。


「何言ってんのあんた」


 よほど常識なことなのだろう。アリアはいきなり何を言いだすんだとでも言いたげな視線を向けてきた。


「気にするな。こいつは色々あるんだ。玄馬、瘴気に侵されれば呪いを発現するのはその通りだが、実は俺たちもよくわからんのだ。瘴気は呪いの源、それは確かなのだが、中には体を崩す程度で収まるものもいるし、微量の瘴気にふれただけで一瞬で呪いが発現するものもいる。」

「けど、オークの国は全員が呪いを受けていたと聞いたが……」

「何年も瘴気に包まれればおのずとそうなる。瘴気は自然の作用でいくらかは浄化される。だが、その作用すら追いつかない程の大量の瘴気が大地を包めば、あとに待つのは地獄だよ。俺たちの国も神官が昼夜問わず寝ずの浄化作業を行っていたが、結果は国全体が呪いに侵された。結界を張り、進行を食い止めてるまでに至ったのはお前も知っての通りだ」


 まるで病だ。事実そうなのだろう。呪いという流行病。瘴気という細菌が飛び、弱っていくものから死んでいく。最悪な事に特効薬もないし、浄化という予防も追いつかないし、気休め程度。玄馬は歴史の勉強は流す程度にしかしていないが知識の中にはペストやスペイン風邪というものがある。知識だけの話で、実感はないが、それでも恐ろしいほどの死者を出したという知識だけが、この世界の瘴気と呪いの恐ろしさを補完した。

 だとすればこの街はどうなる。見たところ、浄化が出来そうなものは見かけなかった。一度は行われたようだが、既に街は瘴気に包まれている。それにこの街にたどり着いた時に感じた焼けるニオイ。既に死者まで出ている。


「説明は終わり? 話を続けたいのだけど」


 アリアが眉を吊り上げ、腕を組んでいた。


「あぁ、すまんすまん。んで、話ってなんだよ」

「自分で話の腰を折っといて、あんたねぇ……」


 すまん、すまんと片手で謝るような仕草をしながら玄馬は苦笑いを向ける。アリアは「調子が狂うなぁ」と呟きながらかりかりと髪をかき上げていた。


「まぁいいわ。とにかく、この街は瘴気に包まれているわ。しかもかなり危険、すぐさま浄化に取り掛かろうと思うのだけど、ちょっとこの量はね……だからあなたたちにも手伝ってもらいたいのよ」

「そりゃいいけどよ、だったらなんであの時止めたんだよ」

「あのね、どこの馬の骨ともわからない二人組が演説なんてやってたら不審がられるに決まってるでしょ! 街についた矢先に変な奴がいるって言われて見に来たらあんたたちがいるし……」


 アリアの口調は所々砕けている。どうやらこれが本来の彼女の口調なのかもしれない。


「まぁけど、あんたたちの邪導機の瘴気吸収機能は私も見たことだし、手早く終わりそうと思ったのよ。こういっちゃなんだけど私、他に任務もあるから」

「任務?」

「悪いけど、それは王命に関わることだから口外できないの。とはいえ、この状況を騎士として見過ごすわけにもいかないし、何とかしようって話なの」


 アリアは一度、二人を見渡して、手を腰に当てながら「どうなの?」と聞いてきた。協力するか否かを聞いているのだろう。


「あんたたちには聞きたいことが山ほどあるし、いつかのこともちょっと話し合いたい所だけど、緊急事態よ。別に協力しなくても、あんたたちが悪人とは思えないから、今更拘束なんてしないわよ。ちょっと見下すけど」

「いいぜ? やろう」


 玄馬は即答した。するとアリアは驚いたように目を見開いていた。


「なんだよ、その顔」

「いえ、ちょっと驚いただけよ。そんなにあっさり……」

「ほっといたらやべぇの出てくるんだろ? 俺だって呪いを放っておいたらどうなるかぐらい聞いてる。それに何度も狂獣とは戦わされたしな。見過ごすのは気まずいだろ」


 何を当然のことをとでもいう風に玄馬は答えた。呪いを放っておけば狂獣が出る。玄馬は既にこの世界で四回も狂獣に襲われているのだ。狂獣の恐ろしさというのは実感してきているつもりだったし、あんな化け物が暴れれば街が滅びるのも無理はない。ならばその芽は早いうちに摘み取っておくのは当然の帰結であった。


「瘴気を放っておくことは出来ん。いずれそのツケは我が国にも回ってくるからな」


 ブレイデルも玄馬と同じ意見のようだった。むしろ使命感という点においては彼の方が玄馬よりは上かもしれない。自身の故郷が最悪の状況に追い込まれているのだから、同じような末路を辿ろうとするこの街に関しても思う所はあるらしい。


「そ、そう! じゃ、早速取り掛かるわよ。まずは市長に話を通すわ」


 アリアはまさか快諾してくれるとは思っていなかった。いくらか報酬でもちらつかせることも考えていたし、その場合の取り分なども考慮していたのだが、そんな話を切り出すまでもなく、この少年とオークの騎士は手伝ってくれるだという。


(う、意外に話の分かる奴らね……)


 自分で話を持ちかけておいて、そんな言葉もないだろうとは思いつつも、アリアはそれを僥倖であると考えた。彼女とて瘴気と呪いに沈みゆく街を放っておくなどというのは騎士としてのプライド以上に個人の感情として許せなかったし、二人の怪しさはさておき、能力は買っている。巨大な合体狂獣をいとも簡単に倒し、一切の瘴気を残さずに浄化してみせた二人である。少なくとも、一人でやるよりは遥かに良い結果を生み出してくれるのは間違いない。


「ちゃっちゃと片付けましょう。私も時間が惜しいので」


 そして騎士は任務を果たすべく号令をかけた。兵士たちが敬礼をしながら外へと飛び出していく。アリアは外していた胸当てを慣れた手つきで身に着けながら、玄馬とブレイデルに振り向き、「ついてきなさい」と従えるように言った。

 二人は特に文句も言わず、少女騎士の後ろに従った。

 街の北側の黒煙はまだ上がっていた。

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