第17話 大導師玄馬

 街の北側で黒煙が上がっていた。それが風に吹かれると悪臭が街を覆う。玄馬は思わずローブで口と鼻を覆った。ブレイデルに至っては息を止めている様子である。それが人を焼いているニオイだということを玄馬は思い知らされていた。だとしてもこの悪臭は何なのだろうかとも思うが、それ以上はあえて考えないことにした。

 結局の所、二人が女をなだめるのに三十分はかかった。というより、女の方が散々泣き崩れて気が晴れたのか、多少の冷静さを取り戻し、突然の無礼を謝罪した。


「申し訳ありません……導師様らしき人が来たと街でも噂でしたので、いてもたってもいられず……」


 女は、レーテアと名乗った。


「申し訳ありません……」


 レーテアは異様に腰が低く、何度も頭を下げてきた。

 その度に何やら自分たちがいじめているようにも感じられたので、玄馬は慌ててとりなすのだが、レーテアは余計に縮こまってしまい、逆効果だった。周囲の住人たちの白々しい視線が突き刺さる。誰一人としてこちらの顔を合わせようとしないわりには背後からは視線を感じた。


「こちらです……どうぞ」


 レーテアの家は石造りでこじんまりとしていたが、それは他の家もそうだった。どうやら基本的な家庭の家というのはそういうものらしい。あいにくと玄馬は中世、近世といった時代の文化的な特徴などわからないので、それが普通なのかどうなのかは判断できなかった。

 レーテアに招かれるまま、扉をくぐると中は外見以上に殺風景なものだった。テーブルと椅子が居間らしき部分に並べらている以外は食器棚と何に使うのかわからない木材や藁がそこかしこに点在していた。暖炉らしきものも見当たるが長い事使われていないのか埃が積もっており、床にはいくつか汚れが目立った。

ふいに家の奥から細身の男が姿を見せた。口髭を蓄えているが、似合っているとは言い難く、無精髭であるのは間違いなかった。男はレーテアと同じく頬がこけており、視線は虚ろだった。

 畑仕事でもしていたのか、両手、両足は土で汚れており、服にも細かな干し草がくっついていた。

 男は玄馬とブレイデルを確認すると、カッと目を見開き、大股でレーテアへと詰め寄った。


「お前! なんで連れてくるんだ!」


 男は今にもレーテアに手を出しそうな剣幕だったが、背後に控える玄馬とブレイデルが自分を見ていることに気が付いて、振り上げかけた腕を降ろした。


「だって、仕方ないじゃないですか! あの子が不憫です!」


 両者の関係が夫婦なのだなというのは察しがつくものだった。夫はヒステリックな声を上げる妻の肩を抱いて、何かを言おうとしていたが口ごもってしまい、目を泳がせた。


「しかし、な? これがあの子の運命なんだ。いくら導師が来ても呪いは消せやしないんだ」

「それでもあの子はまだ五歳なんですよ!」

「おい」


 夫婦のやり取りに割り込むようにブレイデルがずいっとその巨体を割り込ませた。夫婦は揃って小さな悲鳴を上げて後ろに下がる。ブレイデルは構わず「さっさと要件を済ませたい」とだけ言い放った。夫婦喧嘩など見ている暇はないと言いたげだったが、それを口に出さないあたりは彼なりに気を使っているということだ。

 夫婦は顔を見合わせた。レーテアは懇願するような表情であり、夫は暫くは目を泳がせたが、勘ねんしたように「こちらです」と家の階段へと玄馬達を案内した。

 二階といっても何かがあるわけでもなく寝室というだけだった。粗末な作りだが大型のベッドは窓際に置かれている。そのベッドには少女が横たわっていた。


「……どれだけ放置されていた」


 その少女を一目見るなり、ブレイデルの顔色が変わる。異変は玄馬も感じ取っていた。それはオークの国で見た重篤な呪いに侵されたオークたちと同じ感覚である。少女の肉体からは瘴気のようなものが漂っている。


「どれだけって……ルドラトの導師様が一週間前に来てくださり、浄化をなさってくださってそのままですが……」

「ちっ……ヘボを向かわせたか、それともいきなり発症したのか……どちらにせよこいつはまずいぞ。この区画一体が瘴気に沈んでもおかしくはない!」

「ど、どういうことで……」


 焦りの色を見せるブレイデルに夫の方が不安を掻き立てられる。その様子を遠巻きに眺めていたレーテアの方も青い顔をしている。

 玄馬は少女の近くによって、様子を伺った。静かな寝息を立てているが、その全身からは可視化できないだけでひりひりと瘴気が漂っていた。パチパチと静電気が弾ける音がする。それは玄馬のローブから発せられていた。オークの長より送られたローブは多少の瘴気であれば跳ね除ける機能が備わっている。玄馬は己の底なしの魔力と合わせることで呪いに侵されないで済んでいるのだ。


「なぁブレイデル。これってたぶん、この子だけじゃねぇよな」


 ローブの異変を見ながら、玄馬は確認の意を込めてブレイデルへと振り向いた。ブレイデルはガシガシと頭を掻きながら頷く。

 一言で言えば少女は重症である。眠っている為に症状はわからないが、全身からにじみ出る瘴気の量は既に呪いを発症していてもおかしくない。


「この区画だけじゃないだろう。街全体の瘴気が濃くなってきている。こらは恐らくこの娘以外にも呪いに侵された奴がいるぞ。早めに浄化せねば手遅れだ。呪いで街が沈む。いつ狂獣が発生してもおかしくないぐらいだ」


 大きく鼻で息をするブレイデルは街に漂う瘴気をかぎ分けていたようだった。彼が言うのであればそれは恐らく間違いない。


「おい、ここら一帯の連中をかき集めろ。いけ」


 唸り声のようなブレイデルの指示に夫は飛び出す。

 そんなやり取りを傍に玄馬は「ガイオークスを呼び出すのか?」と聞く。

 ブレイデルは「いや、斧を使う」と答えた。


「斧?」


 玄馬はブレイデルが背負う巨大な戦斧に視線を向けた。


「ガイオークスは瘴気を吸い尽くす。この斧にもその機能はあるのだ。こいつ自身がガイオークスを収める装置の役割を果たしているからな」


 ブレイデルはこつこつと柄を叩いた。


***


 レーテアの家の前に数十人の住民が何事だという風に集まってくる。レーテアの夫がかき集めることができたのはたったのそれだけで当たり前だが街の住民の一割にも満たない。集まった住民たちも急に騒ぎ出したレーテアの夫に不信な表情を向けていたし、いそいそと何事かの準備を始める玄馬とブレイデルたちには露骨なまでの蔑視の視線が向けられていた。


「おーしこんなもんでいいだろ」


 適当に積み上げた木箱は登れば集まった住民を見下ろせる高さがあった。そこに登って周囲を一望する玄馬は満足げに頷いている。


「何を始めるつもりだ貴様」


 言われるままに手伝ったブレイデルだったが、わけを聞かされていない。

 玄馬は「まぁまぁ」と軽く手を挙げてもったいぶっていた。彼らの周囲にはぞろぞろと人が集まってくる。おかしな連中がやってきたという興味の方が排他的な思考より勝ったのか、住民たちはひそひそと陰口を叩きながらも玄馬の姿を見上げていた。


「なんとも集まりが悪いね」


 無数の視線が一斉に突き刺さる。僅か数十人とはいえ注目の的になるのは少し緊張するものだ。

 玄馬は息を吸い込み、ローブを大げさに翻しながら「みなさん! どうも、大導師です!」と言い放った。もちろん反応は帰ってこない。

 傍に立つブレイデルは手で顔を覆っていた。


「まぁまぁ皆さん。いきなりの事でなんだお前はと思っているでしょうが、聞くだけならタダ。まぁわたくしめの話を聞いてくださいな」


 にこやかな笑顔を向ける玄馬に反して住民の反応は当然ながら冷ややかである。

 玄馬は構わずつづけた。


「信じられないでしょうが、この街は再び瘴気に飲まれようとしています!」


 どこからか「嘘つけー!」という罵声が飛んでくる。


「どうやらへっぽこな導師が街の浄化を行ったようですが、いやぁなんたるお粗末。なんたる杜撰、そのせいで一人の少女が苦しんでいるのです」


 レーテアが家の中からまだ眠っている娘を抱きかかえて現れる。その瞬間、住民たちが悲鳴を上げて引き下がった。


「なんでそいつを外に出すんだ!」

「呪いが移ってしまうぞ!」


 批難の嵐だった。レーテアは申し訳なさそうに顔をうつむかせている。

 住民たちは罵声を止めない。レーテアの夫が必死に宥めてくれているが暴動にも似たその騒ぎは余計に悪化していくだけだった。

 夫婦は泣きそうな顔をしていた。ブレイデルはひくひくと鼻を動かしている。少し怒っている様子だ。


「あーあのですねー。早い所なんとかしないと手遅れになりますよ。信じる信じないのもそりゃ自由ですが、まずは見ていっちゃくれませんかねぇ!」


 玄馬も声を張り上げる。


「あぁぁぁぁぁ!」


 するとどこかで聞いたような声が聞こえてくる。

 その声はよく通る高い声で、その場にいた全員がその声の主へと振り返る。


「げっ……」

「最悪だな」


 玄馬とブレイデルは肩を落とす。逆に住民たちのその突然の乱入者を見るなり、二人に向けていた怪訝な表情とは打って変わって明るいものとなる。

 そこにいたのはエルフの騎士、アリア・ジルベットであった。アリアは数人の兵士を引き連れていた。


「街について早々、怪しい奴らがいるからと聞いて見てきたら! またあんたたちなの!」


 アリアは小さな体なのに大股で、肩で風を切るようにして玄馬達の下へと駆け寄ってくる。


「怪しいって……怪しい?」

「すっとぼけたこと言ってるっじゃない!」


 アリアは玄馬を指さしてわーわーと騒いでいる。そんなやり取りを困惑気味に眺めていた住民の一人が恐る恐る、「騎士様……お知り合いで?」と尋ねてくる。

 アリアはキッと鋭い視線で振り向くが、すぐに咳ばらいをしてとりなしながら「え、えぇ一応、不本意ながら」と答えた。騎士の知り合い、それだけのことなのだが、玄馬達を見る住民の視線の色が変わった。権力というか、立場というのはどこの世界でも重要なのだなと再認識させられる。世知辛いものだった。


「それよりも! あんたたち、よくも私にあんな辱めをやってくれたわね! あの後、どれだけ大変だったのか!」

「馬鹿、とんでもないことを言うなよ! 別になんもしてねぇだろ!」

「まー!」


 アリアは頬に両手を当てて叫んだ。カチャカチャと白銀の剣を収めた鞘が地面を叩く。アリアが引き連れてきた兵士たちも住民と同じように困惑しており、両隣の仲間と顔を見合わせてどうしたものかという風にオロオロしていた。


「あ、そうだ。おい、お前なんか偉そうな立場らしいじゃねぇか。お前の口から俺たちが真っ当な導師とオークだって説明してやってくれよ!」

「はぁ!? あんたらのどこが真っ当なのよ! 身元もわからない胡散臭い導師に導機を持ち出してるオークよ! しかも邪導機!」

「あのね、あまり大きい声出さないでくれるか。子どもが起きるでしょうが」


 キーッと感情の発露を見せるアリアに玄馬は親指で後ろのレーテアを指さす。娘はまだ起きていなかった。


「あ、こ、これは失礼」


 アリアもさすがに気まずいと思ったのか再び咳払いをした。それでもじろっと玄馬とブレイデルを見上げる。

 まだ何か言いたいことはたくさんありげな視線であったが、アリアはぷいっと視線を背けて集まった住民たちを追い払い始めた。


「ほら、ちょっと、戻って戻って。見世物じゃないのよ」

「待て待て、せっかく集めたのにそりゃないだろ! お前、この街の状況わかってやってんのかぁ!?」


 この街には呪いが、と言いかけた瞬間、アリアが振り向き「呪いでしょ」とかぶせてきた。玄馬は言葉を詰まらせてしまう。


「そんなこと、街に入った瞬間にわかるわよ」

「だったらよ」

「そのことで話があるわ。来なさい」


 アリアは振り返り、背中越しについて来いと言ってくる。玄馬はブレイデルを見て、次にレーテアたちを見た。不安げな視線が玄馬を突き刺していた。


「う、あ……」


 すると、レーテアの腕に抱かれていた少女が目を覚ます。

 

「ぎ、ぎゃぎゃぎゃぎゃ!」


 その目ざめはおよそ子どもらしいものではなかった。まるで狂った獣のように叫びだす少女は母の腕に抱かれているはずのなのに、じたばたと暴れだす。レーテアの夫が駆け寄り、妻と一緒になって娘を抑えつけていた。


「玄馬!」


 ブレイデルは背負っていた斧を抜いて、地面に突き刺した。「浄化しろ!」と顎でレーテアたちを指す。


「お、おう!」


 台座から飛び降りた玄馬はレーテアたちの下へと駆け寄り、暴れる少女を覗き込んだ。その瞬間、少女の脚が玄馬の右肩を蹴飛ばした。そこまで痛くはないが、少女のものとは思えない勢いだった。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!」


 流石のアリアもただ事ではないことには気が付いていた様子だった。


「ちょっと、お二人さん、しっかりと抑えてくれよ。おい、ブレイデル、いつもの感覚でやればいいのか!」

「恐らくだがな! この斧はガイオークスそのものだ。お前の言う『接続』もできるはずだ!」

「よぉし」


 ぱんぱんと手を払いながら玄馬は深呼吸をして、少女に手を翳した。意識を集中させ、ガイオークスに乗り込み、接続するようなイメージを思い浮かべる。

 すぅーっと息を吸い込む。それに呼応するようにブレイデルの斧が禍々しい光を帯びた。心臓の鼓動にも似た音が斧から脈動している。同時に玄馬の体にも淡い光が浮かび上がる。

 少し感覚は違うが、玄馬は『接続』が出来たことを認識した。玄馬の光と斧の黒いオーラがゆっくりと絡み合い、経路を作る。鼓動が激しくなる。玄馬の光はどんどん斧に吸い寄せられていくようだった。


「武器の状態でもこのありさまかよ」


 容赦なく己の魔力を吸い尽くそうとするガイオークスの斧に呆れながらも、玄馬は意識を少女に向けていた。かざした両手に変化はないが、少女から黒いもやのようなものが浮かんでくる。可視化された瘴気であった。そのもやはレーテアやその夫からもいくらか放出されていた。


「家族全員が呪いを受けてるのか……けど一番ひどいのは娘さんだな」


 黒いもやは玄馬の体を通り抜け、斧に吸い寄せられていく。そのたびに咀嚼音が響く。

 異様な光景にレーテアも夫も引引きつったような顔をしていた。しかし、同時に獣のように暴れていた少女が少しづつ大人しくなっていた。うめき声はまだ発していたが、それも黒いもやが吸われていく度に収まっていく。

 一分もかからない内に三人家族の体からはもやは消えていた。それでもなお斧は吸収を止めようとしていなかった。

 玄馬は慌てて接続を解除すると、斧は低く唸りながら、徐々にその禍々しいオーラを収めていく。


「浄化完了……一先ずはだけどな」


 玄馬がそのように言ってもレーテアたちはポカンとした表情のままだった。しかし、大人しくなった娘を見下ろすと、夫婦は体を震えさせて、「ありがとうございます!」と何度も頭を下げてきた。


「ど、導師様! ありがとうございます!」


 泣きながらレーテアが感謝を伝える。夫の方も同じだった。


「まぁまぁ、もとよりそのつもりでついてきたわけですから」


 玄馬は夫婦からの純粋な感謝を受け止めながら、少し気恥ずかしい感じだった。困ったなと鼻頭を掻きながら、「ですが、呪いが解けたわけじゃないんですよ」とそこだけは念を押した。


「はい、それは、もう……」


 夫婦もそれは理解している様子だった。

 玄馬もそれ以上は言葉をかけなかった。夫婦はそれでもありがとう、ありがとうと感謝の言葉を投げかけてくれていた。


「それじゃ」


 玄馬は軽く会釈しながら、アリアの下へと駆け寄った。

 ブレイデルも斧を背負って、その後を追った。

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