第16話 呪いがもたらすもの
「ひぃ……ひぃ……な、なぁもう休もうぜ……」
木の枝を杖代わりにして、体を支える幻馬の表情はげっそりとしていた。足はふらつき、荷物を詰め込んだ麻袋などもてるはずもなく、今はブレイデルが代わりに担いでいた。幻馬は先を行くブレイデルの後を必死に追いかけていたが、限界が来たのかその場にへたり込んでしまった。
二人がミゾルの街を飛び出て三日が立つ。その道中は決して穏やかなものではなく、夜通しガイオークスで三つの山を走り抜け、大きな街道に出てからはガイオークスを降りて自らの足でさらに街を越え、また山道に入ればガイオークスで無理やり突破してを繰り返していた。食事と睡眠以外はほぼ休みなしの強行軍であり、さしものブレイデルにも疲れの色が出ていた。
ブレイデルが疲れを見せるということは、つまりは幻馬は地獄をさまよう亡者のような姿になっていた。かたい地面に倒れこんだ幻馬はもう動いてやるものかとその場にとどまった。
この三日間で地面で寝ることには慣れた。覚悟はしていたが、野宿をする羽目になり、毛布替わりにローブを敷いて眠ってみたが、思いの外きつく起きた翌日は体のあちこちが痛みを訴えていた。
「ぐえー! もー嫌だ! もー足が動かん!」
「お前なぁ……」
ぼりぼりと頭を掻きながら、ブレイデルがのっそりとやってくる。
ブレイデルとて無茶を強いているのは理解していたが、一刻も早く西の都へ向かわなければならないという焦りが、そんな無茶を肯定させていた。
しかし、ともブレイデルは考える。自分はオークであるからある程度は不眠不休で活動もできるが、幻馬は人間である。バカみたいな魔力は持っているが、この数日の旅でわかったのは、この少年が予想以上に『軟弱』だということだ。精神的な強さは、図太い性格をしているので、一切気にしていなかったが、こと体力という点においては、人間の村の少年たちより劣っているような気がする。
それでもこの強行軍についてこれたのだから大したものではあるのだが。
「ほれ、うだうだ言ってないで立て。声が聞こえる。近くに村か街があるはずだ。そこまでの辛抱だ」
ブレイデルはぐいっと幻馬の背中をつまんで持ち上げる。
だらりとした幻馬の四肢と頭からは意地でも動いてやらないという奇妙な意思を感じた。
「はぁ……」
軽くため息をつきながら、ブレイデルは幻馬を肩に担いだ。
「……?」
その時、一瞬だけだが肩に違和感を覚えた。痛みなどの刺激ではなく、ごわつくような奇妙な不快感であった。同時に腕の力が少し抜けているようにも感じた。玄馬を落とすほどではないが、力を入れようとすると、それに反発して肩や腕に不快感が走る。
(まさかな……)
肩の違和感がいつの間にか消えていた。漠然とした不安がブレイデルの胸中を駆け巡るが、それも街につけば安堵の感情に押し出される。街の入り口手前で玄馬を降ろし、二人は身なりを整えながら街へと足を踏み入れた。
***
その街には活気がなかった。街の住民の殆どは人間で、そのほかの種族は見られない。
活気のない街というだけならまだしも、足を踏み入れた二人に対して住民たちの視線は冷ややかだった。ものを投げられるということはなかったが、こちらに寄ってくるということもない。遠巻きにこちらを眺めて、こちらが視線を向ければそっぽを向く。典型的な閉鎖空間だった。
もちろん居心地の良いものではないし、奇異の眼差しで見られるのは気持ちの悪いものだった。それはオークであるブレイデルだけではなく同じ人間である玄馬にも向けられていた。
「嫌なニオイだな」
ブレイデルは一々周囲の視線を気にしないが、街に入った瞬間に漂う悪臭に顔をしかめていた。それは玄馬にもわかった。それが何のニオイなのかはわからないが、酷く気分が悪くなるニオイだ。
「焼いたニオイだな。結構な数だ」
「焼いたって……」
「決まってる。人間だ」
「あぁ……」
はっきりと言われて理解した。
一見すれば街は綺麗だ。整備も行き届いているし、ニオイ以外で気になるようなものは見当たらない。それでも充満したニオイは鼻を突き、脳にすら届きそうなほどだった。
これは活気どころの話ではない。
「呪いだな。瘴気のニオイが強い」
ひくひくとブレイデルの鼻が痙攣する。彼自身もきついのだろう。様々なニオイが混ざって入ってきているのだから、その不快感は人の数倍である。
玄馬も瘴気の感触はあった。しかし、街そのものに瘴気は感じない。確かにひりひりと肌を焼くような感触はあるのだが、かなり微弱だった。
「街は既に浄化が済んでいるのかもしれんな。だが、どうやら住民の方はそうでもないようだ」
ブレイデルの鼻は周囲の人々から瘴気を感じ取っていた。
「人間の呪いの症状ってのはどんなのなんだ?」
「さてな……俺たちオークですら様々だ。人間も恐らくは似たようなものだろう。体力がない分、もっと酷いことになるかもしれんが……」
「そうか……」
ひとまずは宿を探さなければならない。陰鬱とした街の雰囲気に飲まれそうな気分を堪えながら、玄馬ははしっこく視線を動かした。街並みは広く店の数も多いように見えるのだが、賑わいを見せているようなものはどこにもない。それでも営業はしているようで光はあった。
宿屋はすぐに見つかった。そこでも二人の扱いはぞんざいなもので、受付にいた老人も料金を示す以外は何もしてくれなかった。ただじろっとブレイデルの方を見て舌打ちをしていたのが気になった。
部屋は片付いている。質素ではあるが久々にベッドで寝れるのは玄馬にしてみればうれしいものだった。さっそく荷物を放り投げ、ベッドの上でに飛び乗り、ふかふかな感触を楽しむ玄馬だったが、ブレイデルは窓際に椅子を引いて外を眺めていた。
「おーどうしたー?」
「いや、なに。俺も一息と思ってな」
ブレイデルはどこか生返事だった。
「なんだよ、さっきのおっさんの態度に傷つくようなナイーブじゃないだろ?」
人は、否、オークは見た目によらないのかもしれないが、少なくともブレイデルがあの程度で傷つくようには見えない。
ブレイデルも「フッ」と鼻で笑い、「よくあることだ」と付け加えた。
「呪いの話はお前も知ってると思うが、ここ数年の間に呪いが広まった。だが、どこが最初に呪いを発症したと思う?」
「……オークか?」
「そうだ。俺たちオークが最初なんだ。そして、お前も見ただろうが呪いを発症させたオークは基本的に理性をなくし、暴れまわる。本能に忠実になるというのかな、欲望にだけ従うというべきか……まぁ面白くないことが起きた。そんなことが続けば、偏見の一つや二つは当然だ」
ブレイデルは淡々と説明していた。どこか他人事のように語るが、視線だけは玄馬には合わせてくれなかった。
玄馬はそれが複雑な問題なのだなと思う。おいそれと口を挟めるような問題でもなく、投げかけるべき言葉も見つからない。玄馬はまだこの世界の事をよく知らないのだから。
「……んだから、西の都を目指すんだろ?」
しかし、だからといって放っておくわけにもいかなかった。
玄馬はのそりとベッドの上で胡坐をかき、にぃっと笑みを浮かべた。
「俺だってオークの国で呪いがどんなもんなのか見せてもらったしよ? お前のさっきの話で、それだけじゃねぇんだなってこともわかった」
呪いを受けたオークたちの姿は玄馬の脳裏にしっかりとこびりついていた。そう簡単に忘れるものではない。
「呪いを解く。そりゃそうだ。こんなことがそこかしこで起きていて、それを止められるかもしれないってなれば、やるしかないよな」
「なんだ急に、気持ち悪い」
一方のブレイデルは玄馬の態度に怪訝な表情を向けていた。
「いうな、いうな、俺もそう思うよ。これで相手が女の子ならイチコロなんだけどな!」
言って玄馬は笑った。自分でもらしくない格好つけをしたことを理解していた。
ブレイデルも「お前はよくわからん」と言いながら、小さく笑った。
そんな二人の談笑を遮るようにノックもなしに、受付の老人が仏頂面で部屋に入ってきた。二人はぴたりと笑いを止めて、老人へと視線を向ける。
老人はじろっと玄馬を見て「あんた、導師だな?」と短く聞いてきた。
「一応、そうだけど?」
実は術が使えませんというのは黙っておいた。どうやらそういう洒落が通じる空気ではないと玄馬も悟っていたのだ。
老人は一瞬だけ視線を下に向けて考えるようなそぶりを見せると、「ちょっと来てくれ」とだけ言って扉の影に消えていく。
玄馬とブレイデルは顔を見合わせて、何事だと首をかしげながら老人の後を追う。既に老人が一階ロビーに降りているようで、二階客室には姿はなかった。
「なんだ?」
「さぁな」
ロビーに降りると状況は一変した。玄馬の姿は真紅のローブを纏った状態である。曰くこの世界においては一般的な導師の姿というものらしい。そんな玄馬の前にばっと女が飛び込んできた。その女は頬がこけており、やせ細っていた。着ている服は清潔だったが、髪は艶もなく、肌もお世辞には張りがあるとは言えない。それでもそれでもまだ年若いらしく、高い声で「導師様!」とすがるような視線を向けてきた。
「な、なんだ?」
困惑する玄馬。その背後からぬぅっとブレイデルが顔を覗かせる。
「ひぃっ!」
女はブレイデルを見るや否や顔を引きつらせて、大げさなしりもちをついた。
老人がロビーの椅子に腰かけながら「なんでオークまで連れてくるんだ」と文句を言ってきた。玄馬は適当に相槌を打ちながら、聞き流し、倒れた女の下に駆け寄った。
「あ、大丈夫です。顔はいかついですが、悪い奴じゃないんで。ボディーガードですよ、ボディーガード」
そんな風におどけながら説明して、なんとか女を安心させようとする。それでも女は震える視線をブレイデルに向けながら、ついで、玄馬へと恐るおそる顔を向けて、再び懇願するような目つきでローブの裾を握った。
「導師様、お願いします。子どもを助けてください!」
女はそれだけを伝えるとわんわんと泣きだし、その場にうずくまってしまった。その泣き声があまりにも大きいためか、宿の外からこちらを眺めている住民の姿もあった。
玄馬はそんな興味本位の野次馬たちの姿をキッと睨みつけるが、相手側は気が付いてもいないらしい。
ブレイデルが「失せろ、見世物ではない!」と怒鳴りつけるとビクッと肩を震わせ、蜘蛛の子を散らす勢いで野次馬が遠のいていく。ブレイデルはふごふごと鼻を鳴らして、「瘴気のニオイだ」と玄馬に耳打ちした。
「この女からも瘴気のニオイがする」
「だろうな。ちょっと、ほら、奥さん。しっかり。泣くのはいいんですけどね? もうちょっと具体的なことを教えてもらわないと」
あまり人の泣き声というものは聞いていたくはない玄馬は何とかして女をなだめようとした。だが、女は完全に興奮状態で、泣き止もうとはしなかった。
宿屋の老人は不愛想な顔のまま奥に消えていった。それ以上の面倒は見てはくれないようで、なんとも薄情な男だなと玄馬は心の中で舌を出した。
「嫌な街だ」
後ろに立つブレイデルがぼそりと呟いた。街に充満するニオイもそうだが、死んだような活気のない空気も、よそよそしい住民の態度も、全てをひっくるめてブレイデルは「嫌な街」と口に出した。故郷のオークの国はどれほど瘴気が蔓延し呪いに侵されようとも、こんな薄情なことはなかった。みなが呪いを恐れながらも、それでも懸命に生きていた。
しかし、どうやらこの街は虚脱感ばかりが漂っていて、イライラする。ブレイデルは無意識のうちに腕と肩に違和感を覚えていた。ごわごわとする奇妙な感触は、遂に虫が這いずり回るような触感へと変化していた。
「とにかく、この人を落ち着かせようぜ」
玄馬は何とか女を立ち上がらせていた。
「そうだな」
朝一番にはこの街を出よう。
ブレイデルはひとまずこの面倒ごとだけは片付けておこうと思った。
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