第13話 聖なる剣、邪なる鉄槌

 突如として姿を見せた二体の狂獣に対してミゾルの住人は唖然としていた。今朝に引き続き、二度目の狂獣の出現である。

 二体の狂獣は口がないのか、唸り声のひとつも発することはなかったが、四十メートルの頭部のない人型という風体は見るものを威圧するには十分なもので、踏み出される一歩は大地を揺るがし、そのたびに住民に恐怖というものを植えつけた。

 予想などしていなかった出現。しかも二体だ。必然的に混乱が生じるのは仕方のないことであった。陽が暮れ、夜へと切り替わろうとする頃、ミゾルの住民はワッと悲鳴をあげ、ただ狂獣が離れるように駆け出した。一斉に岩盤のような山、街の背後へと津波のように流れ込んでいく。その先にそれ以上の逃げ場はないという事実は彼らにはなかった。ただ身近に迫った恐怖から逃れる為に、彼らはがむしゃらに走っていくだけなのだから。


***


 アリア・ジルベットも状況は確認できていた。荷物をまとめて久しぶりの我が家へと戻ろうとした矢先の出来事である。大地震でも起きたのかというような衝撃は庁舎を襲った。予測できなかった現象にアリアはそのまましりもちをつく形で倒れこみ、それを数人の兵士たち見られていたことにかっと顔を赤くしながらも、それをかき消すように「何事ですか!」と叫んだ。


「ハッ! 只今!」


 兵士たちは律儀に敬礼を返しながら、外の様子を探りに行く。庁舎の中にいては何もわからなかった。揺れはまだ続いている。庁舎の中にても外の住民たちの悲鳴は届いてくるもので、それだけでも尋常ならざる状況が起きていることは理解できた。

 アリアは急ぎ立ち上がり、自分も外の様子を確認するべく駆け出す。慌てふためく兵士や庁舎に勤める事務官たちが進路を邪魔する。アリアは「おどきなさい!」と怒鳴りながら、その小さな体で間を潜り抜けていく。


「王立軍の兵士ともあろうものたちが浮足立って情けない! 住民の避難誘導、状況確認できているのですか!」


 自分が長身であれば兵士の首根っこでも掴んで問い詰めるのだが、アリアにはそれができない。できないからと言って、そのことを怒鳴らずにはいられなかった。それほどまでに兵士たちの動きは散漫で、まとまりがない。一般人と同じように混乱し、慌てふためくだけの姿を見せていた。


(王立軍の質の低下はここまで! いえ、安全すぎる土地がそうさせたというのかしら!)


 アリアは別に戦乱があればよいと思っているわけではない。

 しかし、今の大陸の状況を鑑みれば、気を引き締める必要はあるはずだ。瘴気の拡散、狂獣の出現、下手をすれば国一つが一夜で滅びるような状況だ。

 思考を巡らせ、おたおたする兵士たちを怒鳴りつけるように指示を飛ばし、アリアは遂に庁舎の外に出た。その瞬間に壁のように押し寄せるミゾルの住民が見えた。彼らは街の背後へと向かっている。

 岩盤のような山はまるで住民たちの行く手を阻むように聳え立つ。


「父上と母上もいらっしゃるというのに!」


 さらにその方角には自分の屋敷もある。青い屋根が特徴的な豪奢な屋敷である。敷地だけならばこの庁舎と同じぐらいには大きく広い。父ビレーももとは騎士長だった男。この状況において下手を打つことはないだろうが、どうすることもできないにも事実である。

 アリアは次いで真逆、森林地帯に続く方角を見やる。


「うっ……」


 夕闇の中、沈みかけた太陽の中に二体の巨人のような狂獣を確認する。それらは今だ街へは侵入していない。うっそうと生い茂る山の木々が僅かに狂獣たちの侵攻を遅らせているようにも見えた。しかしそれも時間の問題である。バキバキと木々がへし折られる音がここにまで聞こえてくる。


「なんでこんなところに狂獣が!」


 アリアは白銀の剣の柄に手をやり、狂獣たちの方へと駆け出す。狂獣が来る。ならば自分がすべきことは一つである。


「さがれぇ! 聖導機が出るぞぉ!」


 喉が裂けんばかりの声でアリアが叫ぶ。しかし悲鳴と駆け抜ける雑踏が少女の叫び声すらかき消してゆく。だが、そんなことは構わない。

 住民の波を越えて、大穴の空いた大広間へと出たアリアは白銀の剣を鞘から引き抜き、地に突き刺す。目を閉じ、深呼吸を行い呼吸を整える。

 その瞬間、白銀の刃は淡い光を灯し、アリアを包んだ。その暖かで清らかな光は次第に奔流となり、真っすぐ天へと昇っていく。

 その光景は逃げ惑うミゾルの人々も気が付いていた。遠く、屋敷ににて状況を見守っていたアリアの両親も屋敷のテラスからそれを覗いていた。


「聖なる銀の刃よ、暗黒を斬り裂く真の姿を見せよ! ガラッテ!」


 アリアの歌に呼応するように白銀の剣にこめられた魔力が放出される。鍔に備え付けられた赤い宝玉が輝きを増し、剣を象った紋章がアリアの足下に浮かび上がる。

 魔力の奔流は凄まじく、それらは風となってミゾルの街を駆け巡った。

 そして輝きが最高潮へと達した瞬間。天を斬り裂き、一条の閃光がミゾルの街へと突き刺さる。

 それは巨大な剣であった。分厚く、複雑な装飾と構造を持った刀身は大地に突き刺さり、十字を象る鍔は金色で、中央には赤い宝玉がはめ込まれている。グリップと柄も石柱のように太くさながら巨人の剣そのものであった。

 出現した剣を見上げるアリア。応えるように剣は宝玉を輝かせ、その中にアリアを吸い込んでいく。直後、アリアは玉座のようなコクピットに収まっていた。宝石と白銀で彩られた座席は大きく搭乗者を包み込み、両脇から伸びる操縦桿は剣のグリップにも似ていた。球体水晶のようま部位からはガラッテの状態を知すように巨大な剣のシルエットが浮かんでおり、その上部には外の景色を映し出すモニターが広がっている。


「抜刀!」


 アリアは水晶へと手を翳し、念じる。

 瞬間、剣のようなガラッテが浮遊し、変形が始まった。刀身が中央からわかれ、それぞれが両足を構築していく。鍔はそのまま下方にスライドし、グリップとの間に隠されたガラッテの頭部が出現する。グリップはそのまま後頭部へと折れるようにしまわれていく。鍔の両サイドの内側からは籠手に包まれた両腕が出現し、その右手に両刃の剣が出現する。

 変形の完了したガラッテはそのままゆっくりと地上に降り立ち、剣の切っ先を狂獣へと向ける。


「聖石からのエナジーに異常はない。浄化機構もきちんと働いている……ならあとは私の腕前次第ということ!」


 ガラッテが一歩踏み込む。二体の狂獣は既にガラッテの存在を察知していたのか、身をかがめ、体毛をざわつかせていた。アリアはそれが敵対行動の発露だということを理解した。下唇をかみしめ、操縦桿を握り直す。気が付かなかったが、その掌には汗がにじんでいた。


「こちらは聖導機。道理では負けないはず……!」


 アリアとて、実戦を行うのは初めてなのだ。訓練では乗り慣れた導機であっても、今操っているのはそれ以上の性能を誇る聖導機である。自分がどれほど使いこなせるのか、わずかな疑問はあった。

 しかし、今はそれを考えている暇はなかった。身をかがめ、四つん這いになった二体の狂獣が狂ったように走りだす。


「くっ!」


 ガラッテも駆け出す。右手の剣を構え、民家を飛び越えるように跳躍する。


「飛べ!」


 アリアが水晶に手を翳し、指令を送りこむ。ガラッテは両肩と背中の各部から青白い光を放出し、宙を舞う。それは一時的な加速であり、飛行には至らないが短時間の浮遊は可能とした。その加速とジャンプによりガラッテはミゾルの街を悠遊と飛び越え、一体の狂獣の頭上を取った。そのまま、剣を突き刺すように降下をかける。

 が、狙ったはずの狂獣は四つん這いの姿勢のまま、横に飛び、ガラッテの素直な一撃をいとも簡単に躱して見せた。

 四十メートルの巨体が一瞬にして視界から消えたのである。

 アリアは焦った。


「速い! あぅ!」


 次なる一手を考える間もなく、もう一方の狂獣の腕がガラッテに直撃する。その程度で破損するガラッテの装甲ではないが、コクピットのアリアには衝撃が伝わっていく。それはわずかに操縦を鈍らせた。倒れかけたガラッテの背後から攻撃を避けた狂獣の脚が迫った。


「うぐっ! このっ!」


 ガラッテの背中を蹴りだし、そのまま踏み潰そうとする狂獣。スラスターを点火したガラッテは力づく逃れ、振り向きざまに剣を振るうがその一閃はわずかに狂獣の表皮をかすめる程度で終わる。加速をしすぎ、距離を離し過ぎたのだ。

 アリアは舌打ちをしながら、ガラッテの態勢を整え、視界に二体の狂獣を捉えるようにした。狂獣はゆらりと、四つん這いのまま、こちらへと向いた。


「まずい……この立ち位置は……!」


 周囲の状況を確認して初めてアリアは己のうかつさに気が付いた。ガラッテの背にはミゾルの街がある。これでは振り出しである。二体を抑えなければ街に被害が出る。しかし、アリアは一撃を交えて理解していた。己の力量では二体の狂獣を同時に抑えることは出来ない。

 状況は最悪である。ミゾルの街にいる兵士は殆どが歩兵である。この街に導機はない。本部の置かれているディアン市内であればアルメリーが数機は置かれているでろうが、どちらにせよ間に合うものではない。


「けど、退くわけには……!」


 ガラッテがすり足の要領で間合いを詰める。その度に地面が抉られ、木々はなぎ倒される。森林で戦うということはこういうことだ。生身であれば微々たる動きでも巨人となる導機で行えばそれは数メートルから数十メートルの動作となる。開けた大地であればまだ有効だったかもしれないが、こうも障害物が多いのでは繊細な行動などできるわけもない。

 狂獣たちは耳が良いようだった。木々が倒れる音を聞き、ぐらりと全身を震わせると、一体の狂獣が飛びかかってくる。四十メートルの巨体である。その全重量を受け止めればガラッテとて無事では済まない。条件反射で飛び下がるのだが、それでは街との距離を詰めるだけだった。


「このぉ!」


 飛び下がり、着地と同時にアリアはペダルとレバーを押し出す。ガラッテは再び全身のスラスターを展開し、跳躍、剣を突き出す。

 ガラッテの剣が狂獣の岩の肌を突き刺す。ゴリゴリと岩を削る音がコクピットにまで響く。口のない狂獣は叫び声は挙げなかったが、痛みはあるのか巨体を振り回し、自分を突き刺すガラッテを振りほどこうとする。


「このまま一気に!」


 まずは一体仕留める。アリアはそう判断した。

 目の前の敵にだけ集中するのはうかつだった。アリアは確かに一体の狂獣の足止めは出来たであろう。

 だが、残る一体への対処を視野に入れることを焦りの中で忘れていた。


「あぁ!」


 アリアがそれに気が付いた時には既に残り一体の狂獣は暴走する牛の如く一直線に街を目指していた。そしてそれが油断となる。

 突如してコクピットが大きく揺れ、モニターが暗闇に覆われる。直後に全身を叩きつけるような勢いで振り回されているのが分かった。


「捕えられた!?」


 突き刺していた狂獣が遂にガラッテを掴み、引きはがしたのだ。狂獣はそれだけでは飽き足らずに二度、三度とガラッテを振り回し、力のまま放り投げる。その方角は街の方であった。


「あぁぁぁぁ!」


 放り投げられる最中でもアリアは衝撃に備えた。ガラッテのスラスターを点火させ、着陸を図ったが、勢いは殺せずに、そのまま大広間へと落下、いくつかの建物を巻き込み、数十メートルと機体を引きずってやっと停止する。


「街が……! あいつら! よくも!」


 機体の態勢を整える必要があった。剣を支えにガラッテが立ち上がろうとする。

 その瞬間、ガラッテの周囲を巨大な影が覆った。


「はっ!」


 アリアが頭上を見上げた瞬間。そこには跳躍した狂獣の姿あった。狂獣は真っ逆さまにこちらへと落ちてくる。アリアは固まった。避ける暇などない、避けたところで狂獣の侵攻を許してしまえば、甚大な被害が広がる。

 ならば、迎撃。できるかどうかはわからなくとも、落下してくる狂獣を受け止めるしかない。アリアは奥歯をかみしめ、ガラッテを再び跳躍させようと、魔力を送りこむ。

 が、その瞬間。鉄塊のような塊が飛来する狂獣へと突き刺さり、四十メートルの巨体をその勢いのまま弾き飛ばす。


「え……」


 唖然とするアリア。彼女の視線の先にはぽつぽつと星が見え始める空が映った。

 弾き飛ばされた狂獣はそのままもう一方の狂獣へとぶつかりそのままもつれ合うように後方へと転がっていく。


「なにが……!?」


 ガラッテを起こし、周囲を見渡す。この街に他に導機などないはず。

 だが、背後を確認した瞬間、アリアはその存在を思い出していた。


「あれは……あの二人の!」


 庁舎の前に赤と黒の導機が何かを投げつけたような姿勢のままそこにいた。

 赤い双眸を夕闇の中に光らせ、関節から蒸気を吹き出し、大地を轟かせるような唸り声を上げたガイオークスがそこにいた。

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