第12話 受難と予兆

 騎士の仕事は何も剣を握って振るうことだけではない。

 庁舎の執務室。そこはかねてよりこのミゾルに勤める騎士たちの駐屯場所でもあった。分厚い木から切りだした机はアリアには少し大きく、座る椅子も合わせればまるで子どもが大人の席に座っているような印象を与える。アリアはそれとなく体を前の方に寄せながら、精いっぱい背筋を伸ばし、なんとか普段通りに使っていた。


「なにこれ、子どもの本じゃない」


 机の上には玄馬、ブレイデルからひとまず押収した荷物が広げられていた。アリアはその内の一つ、玄馬が持っていた麻袋を確認していた。袋の中には雑多に押し込まれた寝巻らしい布切れや保存食の欲し肉など、金貨や銀貨が詰められた皮の銭袋、そして一冊の本があった。

 アリアはその内から本を手に取り、パラパラとめくる。それは例えるならば物心がついた幼子に読み聞かせるような絵本、文字を教える為の本だった。基本的な単語が絵と共に描かれている。

だと


「導師らしいからどんな魔導書かと思ったけど……なんでこんなものが」


 他に何か入っているかと確認してみても特別怪しいものは見つからなかった。実際は既に部下たちが調べてた後だったが、最終確認と称してアリアは自分で見てみないことには気が済まなかった。

 が、彼女の警戒をよそに出てきたのは拍子抜けのものばかりだ。旅をする為の最低限の準備という何の変哲もないものばかりだった。


「導師の方はいいか……問題は騎士と導機……」


 次いでオークの騎士ブレイデルから預かった血濡れたような真紅の斧に視線を向ける。斧は厳重に立てかけられており、ブレイデルの鎧もそのように保管されていた。鎧と武器は騎士の誇り、無下に扱っていいものではない。


「邪導機……現物を見るのは初めてだけど……オークの国には邪導機が存在すると聞いたことはあるけど……」


 オークの国では現存数が少ない邪導機が稼働する希少な国家であるのは王都にいる頃に耳にした話だ。ルドラトの国も過去にはオーク族の加勢により窮地を脱した歴史があり、その際に活躍したのが「ガイオークス」と呼ばれる邪導機であったことをアリアは思い出していた。


「あれがガイオークスだとすれば、オークの国はなぜ……」


 その時、アリアはこの状況が経過は違えどそれはまるで自分と似ていることに思い至る。

 だとすればあのオークの騎士は邪導機を持ち出して救世主を探しているのではないか。

 

「まさか救世主って……」


 アリアはブレイデルと共にいた玄馬の顔を思い出した。導師らしい真紅のローブを纏った少年。緊張感の欠片も感じないぼーっとしたような少年だったなというのがアリアの印象だ。気になることがあるとすれば少年から感じる妙に強い魔力の数値である……


「いえ、ないわね……」


 何をバカなことをと呟きながらアリアを頭を振った。そんな簡単に目当ての存在が見つかるわけがない。それに、この少年、報告を聞く限りは術が一切使えないと聞く。魔力はあっても術を使えない、使いこなせない導師は多い。彼もその中の一人なのだろう。

 それ以前にアリアは救世主という存在を聞き及んではいてもそれが導師、大導師であるなどという説明は受けていない。この時点でアリアのターゲットから玄馬の存在は外された。


「それにしても……壊しすぎでしょあの二人」


 再びアリアは顔を伏せた。二人の素性に関してはいくつか疑問の残る所であるが、それ以上の問題としてアリアを悩ませるが、街と山の被害である。これらも既に部下からの報告を受けているし、アリア自身も現場へと足を運び状況は把握しているつもりだった。

 まず、大広間に空いた穴。これはディアンの本部に修復用の資材を要請し、人手をまわさなければ工事もままならない。周辺の店屋などは窓や柱が粉砕されていた。こちらは今いる兵士たちに取り掛からせればすぐに終わるはずだ。街の修復に関しては過不足なく行えるはずである。


「どう報告しろって言うのよぉ……」


 問題は、街の背後である。アリアは頭を抱えた。

 このミゾルの背後にそびえる岩盤のような山。そこに唯一存在する洞窟。狭いながら重要な交通路である。それが潰れていたのだ。予想される損害は計り知れない。

 恐らくは狂獣による破壊の余波である。


「きっとあの時だわ……」


 街にたどり着く直前に見た光景では確かにミミズのような狂獣が山肌をぶち抜き、暴れていた。その時は遠くにいた為に被害の全貌は見えなかったが、まさかの事態である。


「あぁけど山が潰れてるし……洞窟の変わりには……」


 洞窟は潰れたが、狂獣の巨体は岩盤の山を盛大に突き崩していた。まさに壁というべき山肌はぽっかりとえぐられ、砂漠の向う側がよく見える程で、状況としては巨大な谷が出来た状態である。

 山がえぐれたとかなんだろう。なぜ故郷に帰ってきたらそんなとんでもないことが起きているのか、アリアは少し頭痛を覚えた。ここ数日、想像以上のことが起こっている。それは平の騎士として訓練漬けの毎日ではなく、責任者としての立場を演じる重圧も理由の一つであった。騎士長という位はこのようなことをして見せないといけないのだ。形はどうあれ、アリアはこの街で一番地位がある騎士ということになる。ディアン本部からの後任が来るまでの間は事態を監督しなければならない。

 そして最大の問題がやってくる。


「アリア!」


 ノックもせずに扉を開け放ってやってきたのはアリアの父ビレーであった。かつては一介の騎士であり、アリアと同じく騎士長であったが、今は商人として成功した男である。ミゾルを治める富豪としての地位を確立し、実質は長のような立場にいる男は普段見せる切れのある実業家としての顔ではなく、だらしのない緩みきった親の顔をしていた。

 ビレーの背後には警備の兵士たちがおろおろとしている。彼らにしてみればそうやすやすと止めに入れる人物ではないのだ。


「いくら父上とて、ノックもせずに……」

「何を言うか。大切な一人娘だぞ。それが騎士長になり、聖導機を与えられ凱旋したとなれば迎え出るのが親の務めであろう! ミルアも今か今かとまっているぞ!」

「ことが片付き次第、きちんと家には伺います。ですが、今は任務を優先させてください。私とて、本当ならすぐにでも出立しないといけないのですから」


 つれない態度を見せる娘に父は言葉を詰まらせる。

 が、しかし次の瞬間には肩を震わせ、恥ずかしげもなく涙を見せていた。


「う、うぅ! 我が一人娘がこのように立派に育ってくれるとは!」


 それは悲しみの涙ではなく、感激によるものだった。


「偉い! 偉いぞアリア! ジルベット家最大の功績、聖導機を授与されるにふさわしい態度だ! コラト王はつかみどころのない御仁だが、見る目はあるようだ! まさか我が家から、そして私の娘が聖導機を預かるとは! これは子々孫々に語り継ぐべき偉業!」

「父上、うるさいです」


 この父親は何はどうあってもポジティブなようだった。

 事実として、騎士長への就任や聖導機の授与は名誉なことである。一般的な導機であれば騎士としての身分があればおのずと回ってくる役割だが、聖導機は違う。古来より大陸を守護してきたと言われる機体であり、その現存数は少ない。完全な形で残っている聖導機は確認されているだけで大陸でもニ十数機、これに対となる邪導機を合わせても五十に届くかどうかで、さらには動けるかどうかも考えると実働しているにはわずか数十機であると言われている。

 古い歴史書は語る。暗黒が世界を包んだ頃、地上に生きるものたちは聖邪の力を持って暗黒を払ったと。何千年も昔の話である。その際に建造されたのが聖導機、邪導機と呼ばれる機械であると。事実は不明である。暗黒というのが、昨今の問題となっている瘴気の事なのか、大陸内での大きな戦争なのか、結局の所古代の者たちは曖昧な情報しか残してくれなかった。

 ただどちらにせよ、聖導機、邪導機は貴重だ。ゆえに貴重なものを送られるというのは名誉なことなのだ。たんに昇進するという意味だけではない。ビリーの狂喜乱舞する理由もそこにあった。


「父上、まさかと思いますが街を挙げての祝い事など考えてないでしょうね?」

「うん? いかんのか?」


 やっぱり。アリアはこめかみを抑えた。

 父が自分を愛してくれているのはうれしい。その直線的な愛を感じることは恥ずかしいが、悪い気持ちではない。だが、親馬鹿なのは考え物だ。少しは周囲の視線を気にして欲しい所だ。

 自分が王立軍への入隊を決めた時もわんわん泣いて、行くなと叫んだり、かと思えば優秀な成績を残したとの報告が耳に入れば先ほどのように喜びに浮かれ「娘は天才だ!」とそれだけで屋敷で催しを行おうとするほどだった。


「嫌ですよ。私は祭りをする為に帰ってきたのではないです! 王命を受け、その報告として戻ってきたのです。今は、この状況ですので、仕方なく残っていますが、後任が来たならばすぐに出ます」

「そ、そうなのか? 私はてっきりディアンを守護する任についたのかと……」


 ビレーは根本的な勘違いをしていたようだった。騎士長になり、聖導機を与えられた娘が故郷に帰って来るということだけで頭がいっぱいだった。まさかすぐにこの土地を離れるなどとは思ってもいなかったのだ。ビレーはまるで親に叱られた子どものようにしゅんとうつむいてしまう。

 が、すぐにパッと顔を上げて笑みを湛えた。


「王命とあらばしかたあるまい! しかし、王命かぁ……」


 とろんと惚けたような顔を浮かべるビレー。大抵こういう顔をするときは娘のさらなる活躍を妄想している時だ。


「父上、仕事の邪魔になりますので、今日は帰ってください。夜には屋敷に伺います。それでよろしいでしょう?」


 こうも言わなければ父は帰らないだろう。アリアは溜息をつきながら、申し出た。


「あぁ、わかった。ミルアの手料理、お前も好きだっただろう?」

「えぇ、母上にも楽しみにしているとお伝えください」


 それだけを伝えるとアリアは、椅子から降りて父親を見送った。半ば部屋から押し出すような形であり、ビレーが廊下の角に消えるのを見送ってから、扉の両脇で待機していた兵士に視線を向け、「あなたたちも下がっていいわ」とだけ言った。

 兵士たちは踵を鳴らして敬礼を行う。自分よりも一回りも二回りも年上の兵士に命令を下すのはあまり慣れない。騎士としての身分を持ってからはそのように努めてきたが、違和感というものはそう簡単にはぬぐえないものだった。


「……鳥の声が聞こえないわね」


 執務室に戻り、帰り支度を行おうとしていたアリアだったが、ふと窓の外を眺めると陽が随分と暮れていた。街灯の灯りがぽつぽつと灯される。夜になろうとしていた。

 この時間帯になると、巣へ戻る鳥たちの鳴き声は羽音が聞こえてくるはずなのだが、届くのは街のざわつきだけだった。獣の声もしない。


「まぁ、あれだけの騒ぎがあればしばらくは散ったままよね……」


 街に大穴、山も崩れる。冷静に考えれば大災害である。人的な被害がなく、街への被害も最小限にすんだという事実がエルフたちに危機感を薄れさせている自覚はなかった。

 だから、鳥や獣の声が聞こえないという異常な事態に気を留めるものはいなかった。


***


「……何だ?」


 ぴくっと玄馬の体が震える。寒気ではないが、ぞわぞわとする感覚だった。

 何かをするわけでもなく、ぼんやりと窓の外を眺めていた玄馬は、「風邪でも引いたかな?」などと呟き、体を摩った。


「……臭いな」


 部屋の片隅で腕を組みじっとしていたブレイデルが唸るような声を上げた。


「え? 俺臭う?」


 確かに二日風呂に入っていない。水浴びのようなことはオークの国でしたが、それ以降はそんな贅沢もしてないせいか、少し体が痒かった。


「違う! そっちのニオイじゃない! 瘴気のニオイだ」


 ぼりぼりと頭をかきながら、ブレイデルは巨体を起こし窓を開けた。ぬっと上半身を出しながら、外の様子を伺う。街の様子は至ってふつうだった。変化らしいものは見当たらない。


「近いな……まずいぞ!」


 ブレイデルの声が切迫したものになる。

 それと同時に玄馬の不快感もはっきりとしたものになった。瘴気特有のひりひりとした感覚が全身を駆け巡る。


「浄化が不十分だったんだ!」


 玄馬が叫ぶ。今朝倒した狂獣は確かにガイオークスが吸収した。だが、砂と化した破片はいくつかは風に舞っていた。だとすれば、残滓のようなものが森に降り注がれてもおかしくはない。

 二人がそのことを悟った瞬間、街が揺れる。そして、うっそうと生い茂る森林の遥か遠く、影は突如として浮かび上がった。

 四肢を持ちながらも頭部はない。いや、頭部は胸部に目込むようにして存在していた。黄土色の肉体は岩のようにごつごつしているが、所々には体毛のようなものも見える。

 四十メートル強の狂獣がそこはいた。


「二体もか……」


 ブレイデルは絶句した。

 狂獣は……二体並んでいた。

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