第7話 覚醒する魔力

 翡翠色の空間の中、玄馬は己の意志とは関係なく突き進んでいくガイオークスとそれを迎え討つ狂獣の間に挟まれているような錯覚を感じ始めていた。ガイオークスを操るブレイデルは力を貸せなどというが、玄馬にはどうすればいいのかなどわからないし、もはや大声を出して騒ぎ立てる以外に取れる行動はなかった。


「ぶつかる! ぶつかる!」

『黙ってぇ見ていろぉ!』


 そう叫んだブレイデルの表情は笑っていた。


「お前ぇぇぇ! こっちの心配してねぇなぁ!」

『する必要もないだろ? 今のガイオークスは無敵だ!』

「知るかぁぁぁぁ! おぉぉぉぉ!」


 支えにしがみつき、外の様子を映し出す球体に顔の半分がつぶれた狂獣が拡大された。そのグロテスクな光景に玄馬は思わず「うぇ」と吐き気を催すが、それだけだった。

 次の瞬間には狂獣の頭部に鉄塊の如きメイスが再び振り下ろされる。肉を押しつぶし、骨を砕く音が伝わってくる。そう、伝わってくるのだ。玄馬の体に、ガイオークスが感じているであろうすべての感覚が全て。


「う、あ、なんだ?」


 不快感はない。ガイオークスの真紅の双眸が捉える光景を玄馬は見ている。メイスを持つ右手の感触、今だ狂獣の体液が滴る左手、大地を踏み抜く両脚の感覚、そしてガイオークスの全身に駆け巡る魔力の流れを。全ては感覚である。玄馬はそれら全てを感じ取っていた。

 その感覚を認識した瞬間、混乱していた思考はスッとクリアになる。


「ど、どういうこっちゃ……わかるぞ、どうすりゃいいのかが!」


 何かが『繋がった』。

 自身の体から何かが抜けていく。これは魔力だ。自分の体に眠る魔力がガイオークスに吸いあげられていく。だが、それがどうした。その程度の消費はなんの障害にもなりはない。荒々しく吸い上げられる感覚は少し不思議なものだったが、玄馬は自分の内に秘められた魔力というものがいささかも衰えていないことを感じてた。


「じゃ、邪導石への魔力供給を確認……押し出す感覚か? それを全身に回す……息をのみ込み、水を飲み込むように……遠慮はいらない……好きなだけもっていけ!」


 玄馬は自身では気が付いていないが、一種のトランス状態にあった。それでも『感覚』はわかる。自分は今、ガイオークスと一体となっている。ガイオークスは遠慮なしに自身を食らいつくそうとしているが、こちらは逆に潰す勢いで魔力を送りこんでいる。ガイオークスが一つ駆動する度に大量の魔力は消費されていく。しかし、それは玄馬にとっては些細なもの、むしろ減っているなどという感覚すらない。


「わかってきたぞ! この野郎、ずいぶんと食い意地が張ってやがる!」

『うおぉぉぉ! なんだ、パワーはまた……!』


 ブレイデルの慌てた声が聞こえる。同時にバランスを崩したのか、ガイオークスが狂獣へと寄りかかる。その光景も玄馬には見えている。ブレイデルはガイオークスの左拳を叩き込もうとしていたのだ。だが、突然の出力アップに操作性を誤り、空振り、そのまま左肩でタックルする形となったのだ。


「はっはっは! 力貸してやったが、どうやらお前さんじゃ使いこなせないようだな!」


 鼻を鳴らし、得意げな表情を浮かべた玄馬は先ほどの仕返しとでもいう様に嫌味たっぷりにいってやった。


『ほざけ、小僧! まだ足りんぞ!』


 対するブレイデルもニヤッと笑みを浮かべたまま、反論する。すぐさま出力と操縦とのバランスを取り、態勢を立て直しつつ、追撃の形をとっていた。

 ガイオークスは踏みとどまり、左足を軸にして再度メイスを振り回す。上半身を捻り、右腕もスナップを利かせ、遠心力で加速させながら、ガイオークスはメイスの先端を狂獣のがら空きになった胴体へと叩き込んだ。

 その瞬間、ぶちぶちと肉が引きちぎられる音と共に狂獣の肉体はえぐり取られ、上半身は吹き飛び、残った下半身は力なくその場に倒れ込んでいった。


「倒したか?」

『まだだ、浄化が残っている』


 ガイオークスがメイスを地面に突き立てる。


「浄化?」


 尋ねると同時に玄馬は何をすればいいのかを理解した。


「ガイオークスが教えてくれてるのかよ」


 あまりにも都合が良すぎるんじゃないかと苦笑しながらも、玄馬は流れ込んでくる「感覚」に従いながら、意識を集中させた。


『おい、何をするつもりだ』

「黙ってろ、浄化だろ? 俺に任せろ」

『任せろってお前、術は……』


 ブレイデルが言い終える前に、変化は現れた。ガイオークスを中心に黄色い魔法陣が展開される。巨大な円の中に一回り小さな円、その周囲を山のような形をした三角形の記号が現れ、中央には斧のような形状が浮かび上がる。それが展開されると同時に飛び散った狂獣の死骸が淡く光を放つ。次第に光は細かな粒子となり、ガイオークスへと吸収されていく。


『浄化? 確かに浄化だが……周囲の瘴気を根こそぎ吸い尽くす気か!』

「こいつ、随分と腹空かせてるみたいだからな」


 熱として体に力が注ぎ込まれていくのがわかる。柔らかな羽毛に包まれたような暖かな感覚、程よい熱量が玄馬を癒していくようであった。ガイオークスも光を吸収する度に歓喜の唸り声をあげる。


「おぉっとそれまでだぞ、ガイオークス。これ以上は瘴気以外にものまで吸い尽くす。飯は終わりだ」


 狂獣、瘴気の吸収の完了を確認した玄馬は、未だに周囲のエネルギーを吸収しようとするガイオークスに制動をかける。ガイオークスはしぶしぶという感覚だろうか、徐々に吸収機能を停止させていった。


「くあぁぁぁぁ!」


 両腕と背中を反らす。不思議と疲れはない、むしろ元気が有り余るぐらいだった。それでも一仕事終えたという気分はある。


「へっへっへ! どうだ、ブレイデルさんよぉ? こりゃあ俺のおかげって奴だな」


 ガイオークスとの感覚は今も繋がっているのか、そこから見える景色からは狂獣の欠片も存在しない。だが、玄馬は視界の端に酷く小さなものが倒れているのを見つけた。それはガイオークスの足下にあるようだった。


「お? なんだ……? よく見えねぇな。ブレイデル、足下に何か……」

『トカゲだな』

「トカゲ?」


 ブレイデルはガイオークスを屈ませる。玄馬の視界も下がり、足下の様子を見る事ができた。そこには一メートルになるかならないかの大きさのトカゲがいた。


「でか!」


 玄馬のイメージにあるトカゲは精々数センチ程度のものだ。一メートルにもなるトカゲなどテレビの向う側の存在だった。


『はぁ? トカゲはこんなもんだろ?』

「えぇ……普通はもっと小さいだろ……てか、なんでトカゲが?」

『こいつがさっきの狂獣だ。瘴気を受けて狂獣になってしまったんだ』

「トカゲが、狂獣に?」

『呪いを受けたものの末路だよ。呪いは身を蝕み、溢れた時、その生物は狂獣となる……出現する狂獣は何かしらの理由で呪いを受けた生物だ』


 視界に映る大トカゲはピクリとも動かない。死んでいるのかもよくわからなかった。


「浄化は出来たはずだが……」

『浄化は瘴気を祓うものだ。呪いを打ち消すものじゃない。もとを絶つことは出来んのだ』

「じゃあ、こいつは……」

『死んだも同然だな。狂獣の肉体は呪いそのものだ。狂獣を倒せば、元になった生物はこのように肉体だけは元に戻るが……その精神や魂は永遠に闇に葬られる。それはもう死んだも同然だろ?』


 ガイオークスの左腕が地面を小さく削り、掌の中に岩の塊を握る。ブレイデルがほんの少し念じると、ガイオークスの左に淡い光が灯り、掌の中の岩が細かな砂へと崩れてゆく。ガイオークスは掌の中にできた砂をゆっくりと動かなくなったトカゲへとかけていった。


『せめてもの弔いだ。今の所、呪いから逃れる術は死のみだ。死ねば、呪いは肉体から消え去る。残留する瘴気は残るが、それも自然の浄化作用で中和されていく』

「……」


 砂の中へと消えてゆくトカゲを見つめながら、玄馬は呪いを解く方法はないかと念じてみた。だが、物事はそう簡単ではないらしく、先ほどの戦いでは流れ込んでくるようにして刻み込まれた知識も今は影も形もない。

 呪いを受けたものは助からない。突きつけられた事実は同時に玄馬をある結論へと導いた。


「あんたらオークもいずれはそうなるってのか?」

『だろうな』


 ブレイデルの返答は短いが、溜息交じりだった。あまり、口にはしたくない内容らしい。


『オークだけじゃない。あらゆる種族、全てがそうなる。このまま呪いを放っておけば、いずれはな……』


 視界が移動する。ガイオークスが立ち上がり、その体をオークの国へと向けた。メイスを担ぎ、巨体が移動する。


『だから、俺たちは急がなければいけないんだよ』



 ***



 オークの国へと帰還した二人を迎えたのは盛大な歓声であった。ガイオークスの足下には沢山のオークが集まり、活躍を称えるように黄色い声が飛び交う。玄馬とブレイデルはお互いに画面で向き合い、苦笑した。

 「踏み潰すなよ」と玄馬。「当たり前だ」とブレイデルが返す。民衆は再び歩き始めたガイオークスから一瞬は離れるがまたすぐに後を追った。ややもするとファンファーレか何か、管楽器の音色も聞こえてくる。

 ほどなくして国中央の社に到着したガイオークスはそのまま鎮座する。同時に玄馬は吐き出されるようにして光の球体に包まれたまま、既に降り立っていたブレイデルの隣に現れた。


「こりゃまた便利なことで」

「全くだな」


 社にたどり着いても歓迎は終わらないようで背後から聞こえる民衆とは別に今度は無数の兵士たちが拍手と敬礼を向けてくる。一々大げさではないかと思う程の待遇に玄馬は少しふわふわとした感じを覚えた。ようは照れ臭いのである。

 暫くすると神官の一人が慌てて駆け寄り、「す、すぐに長の下へ!」と息を切らせていた。

 言われた通りに二人はすぐさま長が待つ部屋へと移動する。そこには戦支度を解いた長と大勢の神官、武官が並んでいた。


「ブレイデルよ、狂獣討伐、見事なり」

「はっ!」


 長の一声にブレイデルは深々と傅く。長はゆっくりと頷き、次いで玄馬へと右目を向けた。


「お客人……いや、大導師殿と改めて呼ばせていただこう。大導師玄馬殿。やはり、あなたは我らが求めた救世主でありました」

「そ、それなんですがね、長様……」


 苦笑いとも緊張ともいえぬ微妙な表情を浮かべながら、言葉を詰まらせた玄馬。一拍おいて、息を整える。大丈夫、正直に言えばきっと大丈夫と言い聞かせながら玄馬は「大変、言いにくいことなんですけど」と続けた。


「よいのです」


 しかし、長からの返答は予想外のものだった。玄馬が驚き目をしばたく。


「呪いを解く術がないのも承知しております」


 長は頷き答えた。


「ですが、大導師殿。あなたはガイオークスに力を与え、そして瘴気を浄化してみせました。いまだかつて、この国の腕利きの神官でも出来なかったことです」


 長の言葉に玄馬は本当かよ? と言いたげにブレイデルの方へと視線を向けた。

 それに気が付いたブレイデルは小さく咳ばらいをして前を向けと顎でしゃくりながら、「本当だ」と呟いた。


「そもそも瘴気の浄化というものは難しいものだ。我らオークの神官も細心の注意を払わねば逆に瘴気に飲み込まれる。かといってガイオークスを使うにしても、あいつはあの通りの大食らいだ。歯止めが利かずに瘴気以外のものですら吸い込む」


 確かにと玄馬は頷く。乗ってみてわかったことだが、確かにガイオークスの食い意地は凄まじい。冷静に考えると、何の確信もないまま自分の魔力とやらをよく食わせようと思ったなと玄馬は自分の事ながら関心していた。今でこそ、自分の内に秘められた大量の魔力というものを認識できるが、あの時はまだそれすらも感じ取れていなかったのだから。


「左様、ブレイデルの言う通り。それほどまでに瘴気というのは恐ろしく、呪いというものはたちが悪い。ですが、あなたはガイオークスを通じてとは言えそれをやってのけたのです」


 長はブレイデルの説明に付け加えるように言った。


「あなたがこの国に訪れた理由、それはまだわかりません。ですが、あなたはガイオークスに乗り込み、ブレイデルと共に狂獣を討伐してみせました。そして瘴気を浄化した。星見の予言と無関係であるはずがない」


 部屋全体が一瞬にして暗くなる。四メートルという巨体を誇る長がゆっくりと立ち上がった。玄馬も、そしてブレイデルや他のオークたちもそれを唖然と見上げるだけだった。長は手にした剣の柄を西の方角へと指し示す。


「改めてお願い致す。大導師殿、我らと我らの世界を救うべくお力をお貸しください。手がかりは西の都。果たしてそれが正解なのか、それは我々にもわかりません。ですが、座して待っていては滅びるのみ。であれば、我らはあらゆる望みにすがることに決めたのです」


 剣を床に置き、長は縦膝をつき、玄馬を見下ろした。それは頭を垂れているようにも見えた。


「我らに救いを、大導師玄馬殿」


 

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