第8話 浄化

 ガイオークスの内部、翡翠色の空間の中。玄馬は台座の上で胡坐をかきながら、球体画面が映し出す外の光景に顔をしかめていた。そこには灰色の塊が蠢いていた。それはオークだ。呪いを受けたオークたち。涎をたらし、血を流し、知性の感じられない呆けた顔でぼぅっと立っているか、奇声をあげ、暴れまわるか、互いに殴り合いをするか、用意された食事をむさぼるか……その他にもあまり言葉には出したくない行為の数々がガイオークスのカメラから送りこまれてくる。

 呪いの隔離所と呼ばれる場所は国の東側、その最東端にある。隔離所は真っ白な大理石を積み上げて建てられ、外側だけの印象なら神殿のように見なくもない。だが、ひとたび足を踏み入れれば嫌な感覚がひりひりと肌に突き刺さるようだった。


「ひでぇなこりゃ……」


 思わず呟いてしまう。清掃なども行き届いていないのか、あまり直視したくないものも視界の端には映っている。

 隔離所の内部には広間がある。そのど真ん中に陣取るようにガイオークスは鎮座していた。その周囲には神官たちが並び、杖を掲げ、何やらを詠唱している。すると呪いを受けたオークたちの姿にも変化が現れる。特に暴れている面々が少しづつ大人しくなっているように見えた。まだ大半が興奮気味で、奇声は相変わらず響いていたが、それも待っていれば収まった。


『気分を落ち着かせる術だ。元々は痛みを和らげる術だったのだが、それの応用でな。調整をうまいことすればあのように暴れる連中を少しは抑えられる』


 同じくガイオークスに乗り込むブレイデルが一人の神官に視線を合わせてくれる。ガイオークスにどのような機能があるのかはわからないが、詠唱される呪文もはっきりと聞き取れる。


「魔法すげぇな。なんでもありだ」


 改めてファンタジーな世界のありようには驚かされる。気分一つとっても魔法で何とかできるというのは冷静に考えれば恐ろしいことだ。今はそれがプラスに働いているからこそ、落ち着いていられるわけだが。


『国を支える神官衆だ。この程度は容易なことだ。それに引き換え貴様ときたら』


 わざとなのだろうか、ブレイデルの溜息は大げさだ。


「うるせぇなぁ! 俺だって覚えればできるようになるんだよ! たぶん……」


 結局、玄馬は術の一つも覚えられずにいた。ひどく簡単な、それこそ魔力を持つものなら少なからずできるものを浮かせる術ですら、玄馬は行うことができない。詠唱、呪文、いくつか唱えてみたものの、うんともすんとも言わない。


「そもそも、俺は魔法なんてない世界から来たんだぜ? すぐに使えるようになるほうがおかしいってもんだ」


 神官ですら「魔法を扱えない呪いでも掛かっているのではないか」という始末である。それほどまでに幻馬の魔法の才能はからっきしであるらしい。さすがにその状況には長も無言であった。

 アドバイスとして、どんな魔法を使うのかイメージをしっかりと持てなどといわれたが、それで簡単に出来るなら今頃超特大の魔法を打ち込んでやる……と息巻いてみたが、散々なものだった。

 結局のところ、幻馬は魔法というものにピンと来ないのだ。イメージを固めるなどと言われても、雑念のようなものが混ざる。心のどこかで「無理だろ?」というイメージが邪魔をするのだ。

 しかし、やはりその身に内包された魔力というものは凄まじいらしく、つき添いで玄馬の様子を見ていた神官たちも首をかしげるばかりだった。


『使えるようになってもらわねば困る。貴様に有用性が見いだせなければ長がなんといおうと、俺は貴様を置いていく』


 ブレイデルが叩きつけるように言った。呪いを解くため、わずかな希望にすがるように西の都へと旅立つ。それが玄馬とブレイデルに与えられた使命だった。

 玄馬にしてみればいきなり異世界という場所に飛ばされ、勇者だ救世主だと言われて見知らぬ世界を旅してこいというものだ。戸惑いがないわけでもない。しかし、同時にもとの世界に戻るにせよ、オークたちの手助けをするにせよ、西の都に向かわなければなにも変わらないということは彼自身も気が付いていることだ。

 使命を果たせば元の世界に戻れるかもしれない。西の都であれば呪いを解く手がかりがあるかもしれない。何とも信憑性に欠ける情報ばかりでいささか不安……いや、だいぶ不安でもあるが、そこはもう気にしないことにした。

 そして、旅立つ前の大仕事がある。それこそが、呪いに侵されたオークたちの浄化である。


『そろそろだ。感覚というのは覚えているか?』


 兵士につれられ、ガイオークスの周囲にぞろぞろと呪いを受けたオークたちが集められていく。


「あぁ、なんでか知らんがこいつに乗るとそのことだけははっきりとわかる。へまはしねーよ」


 支えに手をかけ、立ち上がる玄馬。目を閉じ、意識を集中させる。魔法は使えないのは事実だが、なぜかガイオークスと繋がることで幻馬ははっきりとイメージを認識できるのだ。それこそ余計な邪念が混ざらないほどに明確にである。

 数秒と掛からずにガイオークスとの接続は完了した。厚手の衣服を着こむような感覚。目をあければガイオークスの双眸が捉える景色を玄馬も見ている。両脚が大理石の硬い地面を踏みしめている感触、右腕にはメイス、そして周囲に漂う瘴気の陰鬱な重み。それらを認識すると同時に己の体から容赦なく魔力が吸い上げられていくのがわかる。


「違う、食べるのは俺の魔力じゃねぇ……瘴気だ」


 接続直後は不思議とぼんやりする。それは眠りからの覚醒に似た感覚だ。ぼぅっとする意識を手繰り寄せながら、玄馬はガイオークスを諫めるように言った。相変わらず魔力を吸い上げるガイオークスだが、その矛先は周囲に漂う瘴気にも伸ばされているのがわかる。

 真っ黒なもやが隔離所のあちこちから湧き出る。突然現れたように見えるそれらは瘴気だ。凝縮された瘴気が視認できるまでに集まっている。同様にそのもやは呪いを受けたオークたちからも吐き出されている。よく見れば神官や兵士たちからもわずかにだが漏れ出していた。


「オークって種族全体に呪いがかかってるってのは本当なんだな」


 これらを放っておけば彼らはいずれ狂獣となる。ブレイデルの説明は覚えている。呪いの行き着く先、呪いが完全に肉体を支配した時、その生物は破壊のみを行う狂獣と化す。玄馬が見てきた狂獣は二体、どれも二十メートル、四十メートルと常識では考えられない巨大な存在だ。しかもそれらが呪いの源である瘴気をまき散らす。

 もし仮に、この場にいるオーク全員が狂獣と化した時のことをほんの一瞬だけ考えてしまった玄馬はぞっとした。何十メートルを越える化け物がそれこそ何十、何百と溢れる。そんなことになればこの国は跡形もなくなるだろうし、このガイオークスで止められるかどうか……


「この状況がオークだけじゃないってのがまた恐ろしい話だな」


 呪いはオークにだけかけられたものではない。長や神官たち曰く、あらゆる種族にこれらの呪いがかけられているという。それは人間であっても例外ではなく、わずかに入る情報では狂獣の出現で小国や街が壊滅しているという。

 そしてそれを何とかできると目されているのが、自分、阿賀崎玄馬ということだ。

 世界を救う。確かに物語ではよくある話だ。玄馬とて男なのだから燃えないこともないが、同時に元の世界に戻ることも考えなくていけない。

 その為には使命を果たさなければならない。その使命とは世界にはびこる呪いを解くこと。そしてその呪いを解くための方法を求めてまずは魔術が盛んな西の都へと向かい、情報を得ねばならない。問題なのはその二つともがなんとも信憑性のない情報ばかりで、玄馬はいまいちピンと来なかった。

 とはいえ、それ以外に方法はあるのかと言われると、難しい所だ。正直、そんなものない。


「大導師……世界を救う……ねぇ」


 何が悲しくてオークの騎士と二人旅なのかはこの際、考えないことにしたが、一度頭によぎるとしつこくこびりついてくるのが妄想というものだ。


「はぁぁぁ……なんでオークかねぇ」


 溜息交じりに軽口を叩けているぐらいに余裕は出てきた。

 隔離所からはもう黒いもやは見られない。玄馬が外界の反応を意識すると瘴気特有のひりひりした感覚は消えていた。そして眼下の呪いが発症したオークたちを見るとみな一斉に眠っている。ガイオークスの吸収の影響か、何人かの神官がよろめきながら、彼らの様子を観察していた。そしてガイオークスを見上げ小さく頷いた。浄化は完了したらしい。


『浄化は終了だ。だが呪いが体を蝕む以上、またいずれ瘴気が貯まっていく。早くなんとかせねばな……』

「その為には、さっさと西の都に行かなきゃならない……だろ?」

『そういうことだ』


 玄馬は改めて広場のオークたちに視線を向けた。その中に子どものオークを見つける。肌はうっすらと肌色で、ピンク色にも見える。牙もなく、ブレイデルたちような筋肉の盛り上がりもない。まるで絵本に出てくる子ブタのキャラクターのようだ。そんな幼いオークを兵士の一人が抱きかかえていく。


「あんな子どもでも呪いにかかるのか?」


 気になってしまった玄馬は無意識のうちに広場を見渡した。ガイオークスと繋がって感覚が過敏になっているせいなのか、玄馬は眠っているオークたちの中に他の子どもや女性の存在も感知した。


『あぁ……年齢も種族も関係ない。呪いは、全てを侵食する。瘴気の毒が強まれば、俺もあぁなるだろうよ……』

「そうかい……」

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