第4話 狂獣襲来

「はぁ……」


 社の展望台、その手すりに体を預けながら、なんとなしにオークの国を眺めながら玄馬は深いため息をついた。陽はまだ高く、時計を持っていない為に時間はわからないがまだ昼頃だろう。眼下に広がる街はにわかに活気づき、多くの人々……オークがせわしなく働き始めていた。


「呪いとか、大導師とか、言いたいことはわかるけど、わけわかんねぇ……」


 結局、先の会議で玄馬は解放された。とはいえ無言の圧力というか、あんな映像を見せるということは、殆ど拒否権はないに近い。もちろん、玄馬としても手助けしてやれるならしてやるのもやぶさかではないが、方法もわからないのではどうすることもできない。

 現状としてはいきなり迷い込んで、いきなり世界を救えと言われているようなものだ。物語であればよく見る展開だが、いざそれを自分で体験してしまうとなかなかに難しい話である。それに大抵その手の話の主人公はそれを行うだけの何かしらの特典があるはずだ。

 どうやら自分にもそれはあるようなのだが、凄い魔力数とか言われても……というのが正直な感想である。


「ここで「OK!」と言えるのがまぁ主人公なんだろうが、無理無理。どうすりゃいいかわからんて」


 独り言が多くなっているのは少しでも気分を楽にしたいからだ。無理にでも気分を盛り上げ、プラス思考で乗り切ろうという些細な対処である。


「おい」


 背後からぶっきらぼうな声がかかる。もはや聞き慣れてしまった青年の声だ。

 後ろを振り返ればブレイデルが憮然とした表情で立っていた。流石にもう黒い鎧姿ではないのだが、それでも鎖帷子を胴に巻き付け、必要最低限の軽装の鎧を身に着けていた。いわくまだ職務の時間だからということらしい。


「飯だ、食うだろ?」

「……食う」


 そういえばこの世界に来てから何も食べていない。それを自覚すると、自分の体は正直なもので空腹を訴えてくる。ついでに忘れていた喉の渇きも感じ始めてくるのだから始末が悪い。

 ブレイデルは会議の前まで使っていたテーブルを指さし、そこに座るように言ってきた。そして、適当に従者らしきオークを呼び寄せて食事を運ぶように指示を出している。


「偉いんだな?」

「騎士だからな。多少は人を使わんと舐められる」


 向かいに座るブレイデルからはあからさまに他人を使うのは面倒臭いという態度が現れている。自分で何事もしないと気が済まない男なのだろう。そう思うと、この憮然というか毅然とした態度は生真面目さの現れなのかもしれない。


「正直言うとな、俺はお前を大導師なとどは思ってない」


 それは唐突な言葉だった。


「ついでに言えばお前を頼ろうなどとも思っていない」


 その言葉に嫌味はない。恐らく淡々と事実だけを述べているのだろう。それは玄馬にも理解できていた。下手にうやうやしくされるよりは気分が楽だ。


「変に期待されてプレッシャー感じるよりは正直でうれしいねぇ。けどよ、あんたらの呪いってのは具体的にどう解決するんだ? 他に方法はあるのか?」

「西の都だ」


 ブレイデルが言うと同時に従者が食事を運んでくる。大盛のステーキとぶつ切りの野菜らしい青物が添えられていた。ステーキにはソースなどはかかっていないようで、野菜にもドレッシングはない。やや遅れてスープも運ばれてくるがこちらも色が薄く、それこそ塩でゆでただけなのではないかと思われるものだった。そしていびつなフォークとナイフらしき食器が並べられる。


「何の肉?」


 まさかということはないだろうが、気にはなってしまう。鼻腔をくすぐるステーキのこうばしい香りは否応なしに食欲をそそるのだが、一度そんな不謹慎な思考を持ってしまうと払拭するのは難しい。


「安心しろ。家畜、牛の肉だ。トカゲの方がよかったか?」


 言ってブレイデルはフォークでステーキを突き刺すと勢いのままにかぶりついた。その旺盛な食欲はオークらしいとさえ思ったが、どうやら今の自分も似たようなものらしい。玄馬はナイフで切るよりも同じようにフォークで突き刺してステーキにかじりつく。筋が多くて噛みきれないが、大量に塩を使っているのか味の方は気になることはなかった。多少塩辛いのだが。


「でだ、西の都だが……大陸を越えて、海を渡った向う側にな、魔術の研究が盛んな国がある。そこでは外法、禁忌と言われる秘術すらも伝えられていると噂でな。そんな大魔術国家であれば呪いを解く術もあるのではないかと言われている」

「ん? じゃあさっさとそこの連中に頼めばいいじゃないか?」


 詳しくはわからないが、そんな国であれば大導師とやらも大勢いそうな雰囲気はある。が、ブレイデルはステーキを咀嚼しながら首を横に振った。


「そうもいかん。西の都は閉鎖的と聞くし、ここ数十年の間も他国とかかわりを持っているという話を聞かん。海を越えた先にある故にな、手間がかかるのだ。それに本当に呪いを解く術があるのかもわからんし、そもそも呪いを広めているのはこやつらではないかという噂もある」


 説明を続けるブレイデルは既に二枚のステーキを平らげていた。不思議な事に乱暴そうな食事方法のわりにはテーブルにも服にも汚れは飛び散っていない。せいぜい口周りがべたついているぐらいだった。


「それでも今は緊急で、どの種族もてんやわんやだ。全てを確認する為に西の都へ……というものも多いらしいが、海を超え、西の都へたどり着くにはいくつかの障害があってな」

「障害? モンスターでも出るのか?」

「そうだ」


 スープを飲み干したブレイデルは短く頷いた。


「お前も出会っただろう? 狂獣だ」


 それを言われて玄馬はこの世界にやってきて早々に出会った巨大な怪物のことを思いだす。なんと形容していいのかわからない巨大な存在、生物的な嫌悪感を形にすればあぁなるのだろうというような塊。


「ここ数年、狂獣の出現が多発している。それと同時期に瘴気の発生もな」


 また知らない単語が出てくる。

 「瘴気ってなんだよ」と玄馬は筋の入ったステーキと格闘しながら訪ねた。


「呪いの元凶というべきかな。禍々しい気のことだ。毒と言ってもいい。理由はわからんがここ数年、瘴気が各地であふれその影響で呪いが生まれ、狂獣も出現している。たちの悪いことに狂獣は瘴気を振りまく。負の連鎖だ」

「おいおいおい! 聞き捨てならない内容だぞ! その狂獣ってのが瘴気を振りまくだと! じゃ、それに追っかけられてた俺は大丈夫なのかよ!」


 幻馬は何とか噛み千切ったステーキを飲み込み、勢いよく立ち上がる。ブレイデルの話が事実だとすれば、あの怪物相手に長時間の追いかけっこをしていた自分も、神官たちが見せた呪いを受けたオークと同じような姿になってしまうのではないかという不安がよぎったのだ。


「少なくとも、今のお前からは呪い……瘴気のニオイはしない」

「それもニオイでわかるのかよ?」

「あぁ……人間じゃわからんだろうがな、嫌なニオイだ。それはこの国中に、そして俺の体からもにじみ出てやがる」


 ブレイデルはバリバリと野菜を頬張り、それを水で飲み干す。ダンッと乱暴におかれた木製のコップから軋む様な音が聞こえてくる。


「話を続けるとだな……西の都への道のりの途中、海を挟むのはさっき言ったとおりだが、それだけではない。大陸と海とを隔てる瘴気の渦が発生している。足を踏み入れるだけで、呪いに犯される、死の領域だ。そこを超えねばならん」

「不可能じゃねぇか」

「ガイオークスなら可能だ」

「ガイオークス?」

「お前も見ただろ。俺が操る邪導機だ。この真下に奉られているあのマシーンだ」


 ここまで丁寧に細かく説明してくれるのは、自分が本当に何も分からないということを察してくれているのかも知れない。目の前のオーク、ブレイデルは口調こそ尊大だが、案外親切だというのが節々の態度でも分かる。事実、飯も用意してくれるのだから、そこはおそらく間違いないはずだ。

 それに、ブレイデルは案外説明好きなのかもしれない。件のガイオークスとやらの説明をするブレイデルは饒舌で、ほんのわずかだが表情を緩やかのように見える。


「邪導機にはな、瘴気を吸収する機能がある。これがあれば瘴気の影響を最小限に押さえ込めるのだ。それを活用して瘴気の壁を越える。危険性はあるが、決して不可能ではない方法だ。元より、お前が予言どおり来なかった場合はこれを実行することになっていた」

「なるほど。んで、俺が術ってのを使えないもんだから……」

「長たちはその旅にお前を連れていかせようとしている。が、俺は正直ごめんだ。お前が、真実、術の使える導師であれば考えるが、何も使えんのでは足手まといだからな!」


 それだけ言うとブレイデルは笑った。嘲笑ではない。本当におかしくて笑っているのだろう。幻馬もそれに釣られて笑った。


「なっはっはっは! 俺だってお前みたいな暑苦しそうなオークと二人旅とかごめんだぜ! だったら美人なねーちゃんと旅がしてぇよ!」

「ハッ! いかにも人間らしい台詞だな。エルフにでも誑かされてしまえ!」


 特に理由はないが、どうやらこのオークとは気が合いそうだなと幻馬は思う。話してみればずけずけと物事を正直に言うが、嫌味はないし、案外親切だ。少なくとも、知り合いのいないこの異世界で出会えたのがこのオークでよかったとさえ今は思う。

 後々のことを真剣に考える必要はあるが、ブレイデルのおかげでいくらか気分はリフレッシュできたと思う。幻馬はこの世界に来て始めて破顔出来たのだ。


「ま、なるようになるだろ。ここでじたばたしても解決は……」



 新たにステーキをかじろうとフォークを突き刺そうとした瞬間、玄馬は不意にめまいを感じてしまった。それは突然のことだったので、思わずフォークを手放し、左手で額を抑えることとなった。


「お、おい大丈夫か?」


 流石に目の前で異変が起きればブレイデルも慌てるものらしく、玄馬の様子を伺うように覗き込んでくる。


「あ、あぁ……疲れたな? 俺、そこそこ体力はあったと思うんだが……」


 なれない土地にいることで思った以上に疲れが出てきている。そう思い込もうとした瞬間、玄馬は半ば無意識に視線を動かした。その先はオークの国を越えて、遥か地平線、荒涼とした大地だけが広がる乾いた姿である。だが、玄馬は言い知れぬ不安を感じていた。


「なにか……来る」

「あ? 何かだと?」


 言われてブレイデルも同じ方角を見える。まだそこには何も映っていない。


「地平線の向う側……嫌な感覚がする……そう、感覚が……気持ち悪い感覚が……」


 だが、玄馬は感じていた。それは感覚である。明確に、具体的に説明できるものはなく、感覚として捉えているものだった。それは、玄馬に脅威の接近を伝えていた。黒い、大きなものがくる。それは一直線に、毒をまき散らしながら向かってくる。


「来た!」


 そして嫌な感覚が全身を震わせたと同時に玄馬は叫んだ。同時にオークの国、それを囲む城壁から警鐘が鳴り響く。

 同じ方向を向いていたブレイデルもそこまで来て異変に気が付く。いや、見つける。

 遥か彼方から何かが砂塵を巻き上げて向かってくる。社にいるブレイデルではまだその全貌は見えない。だが、城壁に待機する兵士たちはもう見えているのだろう。

 一直線に、呪いをまき散らしながら接近してくる狂獣の姿を。

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