無影将軍は旅に出たい(2)

「どっ……どぉーいう事だよ! 引退ってのは!」

「言葉通りですが」


 トーマス魔石商社、正面受付。

 銀縁眼鏡をかけた受付のお姉さんが、冷ややかな視線を俺に向けた。


 ちょっと出張で留守とかそういうのくらいは予想してたが、引退だと?

 ありえない……! トーマスの奴とはついこのあいだ会って、話したばかりだ。社長がそう簡単に引退してたまるか!


 憤る俺だったが、続く一言は信じがたいものだった。


「前社長が引退したのは二年ほど前になります。もうだいぶ経っていますよ」

「にっ」


 稲妻に打たれたような衝撃を受けた。

 あ、あれ……? 確かに俺はついこの間、トーマスの奴と茶飲み話を……あれ? あれっていつの話だっけ?


 エキドナが現れたのが一年とちょっと前。それ以降は魔王軍との戦いにかかりきりだったから、少なくとも一年間は会っていない。これは確実だ。

 で、その前は俺がちょっとおかしくなっていた時期だ。最低でも半年間は新生DHシリーズの研究に没頭していたと思う。

 つまり、トーマスと話したのはそれより前。旅人として世界を回り、これまで出会った人達と話して回っていた頃で――。


 ――うん、ごめん。

 フツーに二年以上経ってるわ。


 えっ、嘘だろ? もうあれから二年も経ったの?

 俺の中だと、トーマスと話したのは本当につい最近。ついこの間の出来事に感じるんだけど、マジか……二年前か……。

 歳を取ると時間が過ぎるのが早いって言うけど、なあ……。


 俺はと咳払いし、低姿勢になって受付のお姉さんに尋ねた。


「じゃ、じゃあ、トーマスから俺宛に、なにか言伝ことづてを預かってたりはし……ませんかね? 俺が来たらとりあえず相談に乗ってやれ、とか」

「はあ。失礼ですが、お名前をいただけますか?」

「うっ」


 名前。名前か。名前かー……。


「レ、レ……レ」

「レレレ様ですか?」

「いや……」


 うーむ、困った。

 実は、トーマスには偽名を名乗っていない。『レオ・デモンハート』として付き合っていた人間なのだ。

 トーマスと出会ったのは60年ほど前で、俺が(人間界で)お尋ね者みたいになってしまったのはここ最近――エキドナ軍を倒してからの話だ。昔は偽名を名乗る必要などなかったので、当然と言える。


 だが、昔は昔。今は今だ。今の俺は、


『人間を見限った元勇者』

『次の魔王候補』

『魔王エキドナと手を組んだらしい』

『人間界も魔界も滅ぼすつもりらしい』

『鬼』

『悪魔』

『人でなし』


 など様々な噂が流れるスーパー有名人である。ここで、人間の町のド真ん中で本名を名乗るのは、流石にちょっとはばかられる。間違いなく大騒ぎになってしまうだろう。


 いやでも、しかし。しかし……トーマスは義理堅い男だ。『レオは世間で言われているような人じゃないから、話を聞いてやれ』なんて事を社員に伝えてくれている可能性も、あるといえば……ある。

 もしそうであれば、アダマンタイトを手に入れるのもずっと楽になるだろう。メルネスの武器をずっと壊れたままにもできないし、ここは賭けてみるしかない。


 よし。

 名乗ってみよう。


 ロビーには既に俺たち以外にも幾つかの商人や冒険者の姿があった。おそらく彼らも、"勇者レオ"の名前や噂を知っているはずだが……まあ、大丈夫だろう。目の前でお姉さんを脅迫したり、いきなり剣を抜いたりしない限り、こいつらがいきなり攻撃してくる事はないはずだ。

 それでも念のため、俺はこっそりと《隠密鏡ミラーシェード》の呪文を唱え、いつでもステルス逃走できるようにした。その上で――名乗る事にした。


「俺は、レオ。レオ・デモンハートだ」

「……レオ?」

「レオ……!?」

「勇者……!?」


 ざわり。


 とたんに、静かだったロビーが色めき立った。商人の護衛についていたガードが椅子から立ち上がり、武器に手をかける。その様子を見、商会のセキュリティ・ガードもなんだなんだと周囲を警戒している。

 や、やべえ! 想像以上に凶悪犯扱いされている!

 今こそ説得スキルの見せどころだぞレオ! 武器も使わず、なるべく呪文も使わず、この誤解を解かなくては――!


「……レオ様ですか」

「ああ。トーマスとは古くからの友人なんだ。二年か三年ほど前にもここに来て、彼と話をしている。過去の来訪記録を調べてくれてもいい」

「ちなみに、お連れ様のお名前は?」

「こいつか。こいつは今、いっしょに仕事をしている……」

「メルネスだ」

「うおおい!?」


 それまで黙っていたメルネスが堂々と名乗った。


「魔王軍四天王、無影将軍メルネス。いまはエキドナの方向転換で人間たちとの和平を模索しているから、お前たちを殺したりはしない。安心していい」


 どたどたと誰かが外へ走っていく音が聞こえた。

 受付のお姉さんは硬直している。


「今日は話し合いにきた。アダマンタイトが欲しいんだ。ほら、これ」


 メルネスが両腰の鞘から《風神剣シルフェンエッジ》を抜き放った。そして、熟練の職人でないと視認すら出来ないレベルのかすかなヒビを受付のお姉さんに見せながら、


「これを直す為にアダマンタイトがほしい。見ての通り、この武器は破損してる。壊れてるんだ」


 繰り返すが、《風神剣シルフェンエッジ》のヒビは俺のような熟練工が見てようやく分かるか分からないか、といったところである。

 武器が壊れているかどうかなど、周囲からは分かりっこないはずなのだが……メルネスは『武器が破損している』という事を強調し、自分が無害であることを主張した。


「武器が壊れてるから、僕が本気で戦うことはない。

 安心して……話し合いをしよう」


 硬直する俺。

 硬直する受付のお姉さん。

 短剣をお姉さんに突きつけ、希少鉱石アダマンタイトを要求する四天王の一人。


 しゃらん――と、周囲の人間がいっせいに剣を抜き放つ音が聞こえた。









「――逃げたぞー!」

「冒険者ギルドに連絡しろ! ターゲットは東方面、商業区画へ逃亡中!」

「慌てないで下さい! 市民の皆さんは慌てずに避難を!」

「S級指名手配犯が二名! レオ・デモンハートと四天王メルネスだ!」

「生かして帰すな!」


 周囲の酒場から、宿屋から、剣士ギルドの建物から魔術師ギルドの建物から弓手ギルドの建物からぞくぞくぞくぞくと冒険者達が出てくる。

 そいつらが飛ばしてくる無数の攻撃を回避しながら、俺とメルネスは朝歩いてきた道を全力で逆走していた。


「てめぇーーーはアホなのかよォー! メルネェェェス!」


 商店の屋根伝いを走っているメルネスを怒鳴りつけると、やや憮然とした顔でメルネスが下へ降り、俺と並走した。

 言うまでもなく周囲は大混乱である。大通りは右往左往する一般人で溢れており、それに紛れて出口へと走る。


「あんな堂々と名乗って剣まで突きつけて! 攻撃されるに決まってんだろォ!」

「お前だって名乗ったじゃないか。だから僕も名乗るべきだと思った」

「俺は! いいの! 色々考えた上で名乗ったし、人間界での過去の功績だって色々あるんだから!」

「僕だって功績はある」

「ああそうだな、スゴ腕の暗殺者アサシンとしての功績がな! お前アレだろ、この町で何人殺したとか、そういう功績の事を言ってるだろ!」

「四年前、ここを拠点にしてた悪徳商人を毒殺した。同業者からの依頼だ。警戒心が薄かったからすぐに殺れた。楽で、美味しい仕事だった」

「ほらみろ!」


 ドヤ顔で殺人履歴をひけらかすメルネスに何か言おうとしたが、それよりも早く怒号が飛んだ。腕の立ちそうな冒険者の一団がこちらに向かってくる。


「いたぞー! レオとメルネスだー!」

「……ねえ、いい加減反撃しちゃ駄目?」


 飛んできた矢を指二本で受け止めたメルネスが、ぽいと道端に矢を放り捨てながら俺に聞いてきた。答えはもちろん"ノー"だ。


「ダメだ」

「ちょっとくらい」

「ダーメーだ。エキドナは人間たちとの和平を望んでるんだ。幹部の俺達が不祥事を起こしたら、その度にあいつの理想が一歩遠のく」

「現時点で十分な不祥事だと思うけど……」

「とにかく駄目だ!」

「――ハハハッ! 四天王っつっても噂ほどじゃねえな! ウサギみたいに逃げ回るだけだ!」


 どこかから冒険者の哄笑が聞こえる。


「あんなこと言われてるけど」

「言わせておけよ。今は我慢だ、我慢」

「――《氷槍撃アイスジャベリン》!」


 横合いから氷で形成した槍が飛んできた。それを砕くと、更に追撃で数本。魔術師ギルドの精鋭たちだ。


「よし、当たった……!」

「いや、効いてないぞ! 素手で砕きやがった!?」

「攻撃を続けろ! 呪術師ギルドにも連絡を取れ! ここを奴らの墓場にする!」

「恥知らずの勇者め! 魔王軍と手を組むなど!」

「あんなこと言われてるけど」

「……今は我慢だ、我慢」


 追っ手を大トレインしつつ走ると、行き先にちょっと大きめの交易所が見えた。交易所にはまだ逃げていない商人が数人――と、チンピラ崩れの冒険者が二人ほどいるようで、風にのって彼らがなにやら言い争う声が聞こえてきた。


「オイオイオイ! 俺たちを誰だと思ってんだァ? 勇者レオ様と、魔王軍四天王のメルネス様だぜェ~~!?」

「クックック……有り金を全部置いていきなさい。そうすれば命だけは助けてあげますよ。命だけはね。さもなくば、私の暗殺クロスボウが火を噴きますよ」

「わっ、わかりました! なんでも差し上げますから、命だけは! 命だけはご勘弁を!」

「分かればいいんですよ。クックック」

「ウヒョー見ろよ! こいつらすっげぇカネ持ってるぜェ!」


 ひれ伏す商人。

 我が物顔で交易所を漁る、"勇者レオ"と"メルネス"。

 こいつら……こいつら、人が大変な目に遭っている時に……ふざけた真似を……。


「殺していい?」

「半殺しにしろ」

「やった」

「――テメーら人の名前で悪事働いてんじゃねえええ! 《散弾光スプレッドブラスター》!」

「「グアアアアーッ!」」


 偽レオと偽メルネスが光線に撃ち抜かれて悶絶した。更に、一瞬で距離をつめたメルネスが二人に足払いをかける。転倒した二人に小さな毒針を打ち込むと、偽者二人はとかとかそういう小さなうめき声をあげ、ぴくりとも動かなくなった。


「ターゲットが攻撃! 冒険者二人が負傷!」

「いや違う! こいつら、俺の店からカネを盗ろうとしてたんだよ!」

「逃がすなー! 追えー!」

「殺せー!」

「殺せェェー……!」










 ――結局。

 全ての追っ手を撒いて"穏便に"アテンの町を出たのは、それから三十分ほど後の事だった。


「どうするの、これ」

「まだだ……まだ手はある。プランBだ。俺の人脈は不滅だから、安心しろ」

「レオ、ちょっと泣いてる?」

「泣いてねぇーよ! アホー!」

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