番外編

無影将軍は旅に出たい

無影将軍は旅に出たい

 カチャ、カチャリ。


 深夜の魔王城、その一角。

 薄暗い部屋の中に、金属を弄る音が響いている。


「……これは大丈夫だ。次」


 カシの木でできた作業台の前に座った少年が、静かに呟いた。


 極めてシンプルな部屋だった。作業台は極めて簡素なものだし、それ以外の調度品も似たようなものだ。

 ベッドがあり、机がある。

 木製の棚があり、赤や緑の様々な液体で満たされた、色とりどりの瓶が並んでいる。


 見る者によっては、それらが毒薬である事に気づく事ができるかもしれない。

 正気を失わせ、敵を同士討ちさせるときに使う幻惑毒オストラキ

 全身の血が流れ出るまで出血を止まらなくさせる出血毒アルジェオン

 全てがきわめて強力な猛毒、劇毒だ。


 一般的に、剣士や魔術師がこれらの毒薬を用いるケースは少ない。

 危険すぎるからだ。調合するにせよ、刃に塗るにせよ、取り扱いを間違えれば自分の身すら危険に晒す。ただ持ち運ぶだけでも毒に関するスキルに精通していなければならない、文字通りの諸刃の刃。

 実戦にこんなものを用いるのは、それこそ暗殺者アサシンくらいだろう。


 ――となれば。

 となれば、この部屋の主についても大体の想像がつくというものだ。


「これも大丈夫。まだ使える」


 作業台に向かっている銀髪の少年。彼こそがこの部屋の主だった。


 即ち、若干17歳にして暗殺者ギルドの頂点に立つ者。

 人からも魔族からも疎まれる、半人半魔の忌み子。

 魔王軍四天王、無影将軍メルネス。


 彼の目の前には、作業台の上に乗せられた無数の刃物が並んでいる。

 小型の投げナイフや、それよりも大振りな短剣。更には十字型の風車のような形をした、よくわからない投擲武器までもが並んでいる。

 すべて、メルネスが普段から身につけているものである。竜将軍あたりが見れば、そんな細い体によくもまあと感心したことだろう。


 武器の手入れを軒並み終わらせたメルネスが最後に作業台に載せたのは、革製の鞘に包まれた二振りの短剣だった。

 ナイフと呼ぶには少々大ぶりすぎるそれは、見た目に反して異常な軽さを見せていた。作業台に置いてもともとも言わない。羽のような軽さだった。


 メルネスが短剣を手に取り、表面の汚れを布で軽く拭う。

 そして、刃を明かりに透かすように短剣を持ち上げ、


「ん」


 その眉根が僅かに寄った。


 ヒビが入っているのだ。

 長らく愛用してきた短剣の先端に、ヒビが。

 この短剣は二本で一組だが、もう片方にも似たような形でヒビが入っていた。このまま実戦で使用するのは難しいだろう。


「…………」


 かなり長いあいだ、彼は沈思黙考した。


 暗殺者は一度の攻撃に全てをかける。

 一度限りの出会い、一度限りの握手、そしてほんの一瞬の油断。あらゆる手段を尽くしてそのチャンスを確実にものにするのだ。二度目は、ない。

 武器にヒビが入っている――致命傷となりうる一撃が、あるいは、このヒビのせいで台無しになるかもしれない。


 メルネスは更に長い間、口元に手を当てて何やら考えに耽っていたが、やおら立ち上がり全ての武装を回収した。

 腰の鞘に、胸元のホルスターに、次々と武器を収納していく。

 そして、部屋を後にした。


----------------


「おい、起きろ」

「……おう……なんだ……?」

「話がある。起きろ、レオ」

「おう……わかった。眠いから、また今度ね……」

「起きろ」

「げふッ!?」


 俺の心地よい眠りは、悪意ある第三者の手によって強制的な終わりを迎えた。

 正確には『手』ではなく『足』だ。横合いから蹴りを叩き込まれ、俺は夢の世界から追放された。ついでにベッドからも追放された。


 シーツにくるまったままゴロゴロと床に転がり、俺に蹴りを叩き込んだ張本人を睨みつける。

 すなわち、同僚の一人――無影将軍メルネスを。


「おい! 寝てる同僚をいきなり蹴り飛ばす奴があるか!」

「話があるって言っただろ。起きないお前が悪い」

「……お前、いま何時か分かってんのか?」


 魔術文明の良いところは、科学文明の良いところをきちんと引き継いでいるところだ。

 つまり、月の出ていない夜でも街道には煌々とした明かりが灯っているし、ガスの代わりに火精霊サラマンダーの力を借りれば温かいお湯が出るし、部屋には正確な時間を刻む時計がある。


 俺の部屋の壁にかかった時計は、ちょうど三時を指していた。午前の。

 横目でちらりと時計を確認したメルネスが、


「三時だけど?」

「そうだな、午前の三時だ。世間一般では"夜更け"とか"深夜"って呼ぶ時間帯で――つまり、多くの人が寝ている時間帯でもある。もちろん俺も寝ている。わかったら帰れ」

「僕はもう寝たからいいんだよ。それより、これを見ろ」

「ああ……?」


 メルネスが俺のベッドの上に放り出したのは、二振りの短剣だった。

 ひと目でわかるレベルの相当な業物である。おそらく風精霊シルフの加護を受けているのだろう、感覚を研ぎ澄ますと刀身全体を風の魔力が包んでいるのが分かる。ごおごおという嵐の音すら聞こえてきそうだった。


 《魔道具マジックアイテム》――ではない。

 それよりも上位の、《魔神器アーティファクト》。


「お前が愛用してる短剣か」

「そう。たしか、《風神剣シルフェンエッジ》とか言われてた。ギルドへの貢物の一つだ」

「へえーっ。まあ、ギルドマスターのお前が使ってるんだから何かしらのレアアイテムだとは思ってたが、こんな業物とはな……あの、ほら。こないだの戦いの時にも使ってたよな?」

「そう、お前との戦いで使ったせいでこうなった。見ろ」


 メルネスが短剣をこつこつと指で叩いた。覗き込むと、なるほど、短剣の先端――背の部分に小さなヒビが入っているのが分かる。それも、二本両方とも。

 うーん、やっぱ《魔神器アーティファクト》でも壊れる時は壊れるんだなあ。戦闘中に壊れたりしたら怖いよなあ……。


 ……じゃない!

 壊れた武器をわざわざ俺のとこに持ってきたってことは、つまり、


「お前が悪いと思う」


 じとっとした目つきでメルネスが言った。

 予想通りの一言だった。


「この武器は……とても頑丈で、七年間使っても刃こぼれ一つしなかった。それが、これだ。お前との戦いの直前にチェックした時はヒビなんて入ってなかったから、間違いなくあの戦いが原因だ」

「ちょっと待て。俺のせいか? 本当に?」

「武器が壊れてもおかしくない戦いだった。だいたいお前、エドヴァルトの鱗だって砕いてただろ。"久々に本気を出した"みたいな事だって言ってた。忘れたのか」

「うっ……」

「お前には、これを直す義務があると思う」


 メルネスが唇を尖らせた。

 ううっ! あの時の事を持ち出されると弱い!

 俺のレクチャーのおかげか? それとも食堂のバイトを未だに続けているのが効いたのか? こいつ、ちょっと見ない間に随分と口が達者になったじゃないか……!


 メルネスの言うとおり、あの時の俺は間違いなく本気だった。なにせ相手は魔王と魔王軍四天王の五人パーティだ。手加減なんぞできるわけがない。

 呪文の3/4をレジストしてくる対エドヴァルト、心情的に殴りにくいリリなど難関は多かったが、中でもガチで戦わざるを得なかったのはメルネスだ。何合も本気で打ち合い、幾度となく背後を取られかけた。

 達人同士の本気の戦いに、武器の方が耐えられなかったのだろう。


 そして、《魔道具マジックアイテム》だろうが《魔神器アーティファクト》だろうが剣は剣である。

 手で握って、至近距離で斬って、刺す。武器が受ける衝撃は我々が思っている以上に大きく、当然、ヒビの入った剣なんて実戦で使えたものではない。ちょっと硬いものを斬りつければ、この《風神剣》はたちまちに砕けてしまうだろう。

 戦闘中に武器が使用不能になれば、使い手――メルネス自身の命が危うい。


「……わかったよ。確かにこれは、俺にも責任がある」

「実際、どうなんだ。直せる?」

「楽勝だよこんなの。むしろ鍛えなおして三倍の性能にして返してやるわ!」


 大言壮語ではない。俺にはそれだけの人脈があるし、実際に(鍛冶屋として)様々な武器防具を修繕してきた経験がある。面倒だからやらないが、やろうと思えば鍛冶ギルドのギルドマスターだって務まるだろう。

 ただ、高い鍛冶スキルを発揮するにはそれ相応の素材が必要だ。修復するのがアーティファクトなら、なおさらである。


 俺はメルネスに風神剣を返しながら、テーブルの上に地図を広げた。魔王城の遥か西、砂漠地帯の中心にある町を指し示す。


「アテンの町だ。ここに、知り合いの魔石商がいる。トーマス魔石商社の社長で……ヤツがガキの頃からの知り合いだ。あいつにはたくさんの貸しがある」

「どうするの?」

「《魔神器アーティファクト》にも使えるような魔石と言えば、やっぱアダマンタイトだろ。トーマスからアダマンタイトを一塊ほど譲ってもらおう。それで《風神剣》を修理すればいい」

「……アダマンタイトって、かなりレアな鉱石だろ。そんなに上手くいくかな?」

「いくよ! いかない理由がない! アテンに行って、鉱石貰って、城に戻ってくるだけだ。楽勝だろ」

「そっか。わかった」


 メルネスが頷き、《風神剣》を鞘におさめる。

 事実、楽勝だと思っていた。アダマンタイトは確かにレアアイテムだが、トーマスのやつなら一つや二つのストックくらいは持っているだろうし、仮にこれがダメでも次のプランがある。三日……いや、二日もあれば万全の形に修繕できるはずだ。


 鍛冶屋に限らず、職人としてやっていくなら人脈コネは重要だ。

 希少鉱石の仕入れ。販路の確保。新しい技法の研究に、店の宣伝。

 すべて人脈がモノを言う。若くて野心的な職人ほど『腕ひとつで成り上がる!』みたいな事を言うのだが、実際に腕だけで食っていけるのは、それこそ超人的なスキルを持つごく一部の変態だけだ。


 技術と、人脈。その二つのバランスこそが重要なのである。


 その点、俺はまったく問題ない。これまで世界中を旅して、世界中にコネを作ってきた! アーティファクトの一つや二つ、サクッと修復できるとも!

 むしろ今回の件は、メルネスに俺の腕を見せつけるチャンスと言えるだろう。

 豊富な人脈! そしてギルドマスタークラスの鍛冶スキル!

 フフフ……驚き、ひれ伏すメルネスの顔が目に浮かぶわ!


 そんな軽い気持ちで寝直した俺は、夜が明けるのを待ってからメルネスを連れてアテンの町へ赴いたのだが――。

 トーマス魔石商社の受付。俺たちはそこで、思いもよらぬ反撃を受けていた。





「退職いたしました」

「は?」

「ですから、トーマス・ウィクソン前社長は全権限を現社長へ引き渡し、退職……というか、引退いたしました」

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