(急-乙):あとは任せた

 ――人間界には勇者と呼ばれる存在が居るらしい。

 そいつは遠い昔、混沌王ベリアルの時代から生き続け、人間界を守護し続け、魔界の軍勢を退け続けているらしい。


 そんな勇者を倒すべく、魔王の一人がある呪文を編み出した。

 試行錯誤を重ね、改良に改良を重ね、我の代になってようやく実用化までこぎつけた、あまりに汎用性に乏しい拘束術式。


 それこそが《対勇者拘束呪アンチ・レオ》。

 世襲制など存在しない魔界において、ただ一つだけ魔王から魔王に伝わる呪文。


 この術で拘束している間だけ、勇者を赤子に戻せる。

 攻撃、防御、回避、再生。何もかもを封じられる。

 もちろん負担も尋常ではない。己の魔力、命、全てを燃やしてようやくだ。それでようやく、ほんの僅かな間だけ勇者を無力化できるのだ。


 ……人間界にやってきて勇者レオの名を聞いた時、薄々予想はできていた。

 きっとこいつこそが3000年生きた勇者なのだろうと。


 たった一人で人類を守り続けてきた、ひどく孤独な奴なのだろうと。



 ----


「……ぐ、うううおおおおおおおッ……!」


対勇者拘束呪アンチ・レオ》の光が蜘蛛の巣のように広がり、レオを包み込む。手に伝わってくる感触はあまりに重かった。

 当たり前だろう。3000年蓄積されてきた力を、我一人で抑えようと言うのだ。あまりの辛さに笑いが浮かんでくるほどの重さだった。

 食いしばった奥歯が砕ける。ぬるりとした感触が顔を伝った。目、耳、鼻、あらゆる部分から血がダラダラと流れているのを遅まきながらに自覚する。

 頭に無数のナイフを打ち込まれているような痛みがあった。全身の骨が軋み、今にも五体がバラバラに四散しそうであった。


 この魔王エキドナが。魔界最強の実力者が、文字通り全存在をかけて《対勇者拘束呪アンチ・レオ》に注力して、拘束できる時間は6。やつの力を封じられるのは、正真正銘6秒が限度だ。


 二度目はない。

 恐らくこれにも『耐性』が付くのだろう。この6秒で仕留められなければ全てが終わる。狂った勇者は人間界を滅ぼし、おそらく魔界へも侵攻するであろう。

 その過程でさらなる力を得るのだろう。


 馬鹿馬鹿しいほどの戦力差。

 本来なら勝てぬ。絶対に。



 だが、奴と我には致命的な差があった。

 ひとつだけ――この瞬間、我が勝っているところがあった。



「――――し」



 この瞬間、奴はたった一人。



「四天王……よ!」



 そして、こちらには頼もしき仲間がいる。


 エドヴァルト。

 メルネス。

 リリ。

 シュティーナ。

 みな大切な仲間だ。我がもっとも信頼する者たちだ。

 我が動けなくとも、みながきっと、我の意志を継いでくれる。

 喉に絡まった血でごぼごぼと無様な唸りをあげながら、我はなおも高らかに叫んだ。


「――――!」




 ----




 ――久々だった。


 ここまで追い込まれるのは久々だ。

 3000年前、魔王ベリアル達と戦った時とはまた違ったピンチだった。

 DH-13――Serpentarius[サーペンタリウス]の奴が出てきた時ともまた違うピンチだった。


 身体が重い。

 指先一本動かせない。

 一瞬が永遠にも感じられる時間の中で、俺は自分が置かれた状況を確認した。


 ヴァルゴからパクった自動復元機能が停止している。

 アクエリアスから教えて貰った自動反撃機能が停止している。

 タウラス、キャンサーから押し付けられた強化呪文も、ジェミニがこれ見よがしに見せつけてきた高速機動も封じられた。


 久々だった。

 本当に久々に――俺は弱々しい[DH-05-Leo]に戻っていた。

 マジで死ぬかもしれない。だというのに、胸に広がるのは歓喜。

 ただただ歓喜が俺の心を満たしていた。


『……ぐ、うううおおおおおおおッ……!』


 聴覚も大きく落ちている。くぐもり反響するエキドナの呻き声が聞こえた。

 薄暗い視界の中でなんとかそちらを見ると、既にエキドナはあちこちから血をダラダラと流し、瀕死の形相だった。

 なるほどな。魔力から命まで何もかもをブン投げて、文字通りの命がけで俺を封じているのか。指先ひとつ動かせない癖に、思考だけがひどく冷静だった。


 以前戦った時にエキドナがこれを使わなかったのは、事前準備に時間がかかりすぎるからだろう。長過ぎる詠唱、そして心身への負担。1対1でまともに使える呪文ではない。

 だが何よりも……ああ。そう、そうだ。それでいい!


 岩壁に叩きつけてやったエドヴァルトが、大剣カラドボルグを杖に起き上がるのが見えた。


 氷漬けにしてやったメルネスが、皮が剥がれるのも厭わずに腕にへばりついた氷の破片をひっぺがし、流血しながら短剣を構えた。


 うつ伏せに倒れていたリリが起き上がる。袖口で涙を拭い、燐光を纏い、真っ白い神狼の威容が姿を現した。


 『――エキドナ、様……!』


 シュティーナがエキドナを支える。そして、攻撃呪文の詠唱を開始した。


 血反吐を吐きながら、エキドナの目は死んでいなかった。

 俺を倒せると……否。

 と信じている目だった。


 一人で出来る事などたかがしれている。どんなに強くても、こうして動きを封じられればおしまいだ。助けてくれる奴など誰もいない。

 決して諦めない事。そして、自分以外の誰かを信じる事。

 それが勇者に一番求められる資質なのだろう。今のエキドナのように。


 その点、俺はダメだった。

 勇者としては最悪だ。


 誰も信じられなかった。諦めが俺の心を支配していた。

 人間は俺が守ってやらなきゃ駄目だと思っていた。

 勇者を辞めた俺を受け入れてくれるところなど無いと思っていた。

 結局、死ぬ直前まで凝り固まった使命に振り回されているだけだった。 


 ……そうそう。こんな言葉を知っているだろうか?

『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい』。

 3000年前に世界中に広まっていた、とある宗教の教えだ。


 これに則れば……ははは。笑える話だ。

 上から目線で偉そうなアドバイスを出し、四天王どもを散々助けておきながら、とどのつまりはなんでもない。


 俺、俺は……


 俺は、助けて欲しかったんだ!

 勇者じゃない俺を認めて欲しかったんだ!


 勇者じゃなくてもいいから、一緒に来い。

 私がお前を助けてやる。

 ――そう言って欲しかったんだ!



『四天王……よ!』



 ……でも、良かった。エキドナを選んでよかった。

 こいつらを最後の相手に選んでよかった。


 “お前を助けてやる”――その言葉こそかけては貰えなかったものの、

 エキドナは人間よりよほど人間らしい。勇者よりよほど勇者らしい魔王だ。

 きっと世界を守ってくれるだろう。

 俺の代わりに、人間界と魔界の橋渡しをしてくれるだろう。


 四天王どももいい奴らだ。

 一緒に仕事した日々、本当に楽しかった。

 業務改善。兵站。食堂のバイト。機械巨人マシンゴーレム

 あんな日々がずっと続けば、最高に楽しかっただろうな。

 ああ、ちくしょう。死にたくない。


『――――あとは、任せた!』


 うん。

 そうやって仲間を信じられるのがお前のいいところだよ。

 おかげでようやく、俺は勇者を辞められる。


 じゃあな。

 あとは、任せた。




 ----


 竜の大剣が叩きつけられた。

 猛毒が仕込まれた無数の投げナイフが飛んだ。

 神狼の爪と牙が肉を引き裂き、骨を断つ。

 魔将軍渾身の雷霆らいていが迸った。

対勇者拘束呪アンチ・レオ》の光が霧散していく。


 レオが、声もあげずに笑いながら、ゆっくりと崩れ落ち――


 ――我は仲間と共に、勝利の雄叫びをあげた。

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