(破-乙):世界を滅ぼしてでも世界を救おう
開戦は一瞬だった。瞬く間に距離を詰められる。
愛用の魔剣ティルヴィングを抜き放ち、レオの斬撃をかろうじて切り払った。
「貴様、何を言っている……! 気でも違ったのか!」
「まったくの正気だよ。俺の仕事は人類を、世界を守る事だ。
その為に造られたし、そのために生きてきた」
二合、三合。打ち合う度に骨まで軋む。一撃一撃が重い。
奴の武器は何の変哲も無いただのロング・ソードだったが、《
「世界を守れないとアイデンティティを維持できないのさ。
人類が俺を要らないと言うのなら、何が何でも必要だと言わせてやる。
――――俺は、世界を滅ぼしてでも世界を救う!」
「愚かな事を……! 手段と目的を違えるな!
守るべきものを自分で燃やし尽くして何になる?
何一つ残らぬ荒野が待つのみだ!」
「荒野! 結構じゃねえか!」
喉を鳴らし、目の前の元・勇者は心底楽しそうに笑った。
ああ、なるほど。こいつはもう勇者ではない。こんな台詞を素面で言うような奴は、もはや勇者とは呼べない。
「俺が守ってきた世界だ! 俺が滅ぼして何が悪いッてんだ!
何もかも更地にしてゼロからスタートすんのも、悪かねえだろ!」
レオが手をかざすと、ふいに天地が反転した。青い空が見え、何か堅いものに叩きつけられる。誰かの悲鳴が聞こえた。
「――――エキドナ様ッ!」
シュティーナだ。そこでようやく、自分が数十メートルも吹き飛ばされ、仰向けに転倒させられた事に気づいた。レオの《
無造作に放った、牽制の下級呪文で、魔王の我を。馬鹿げた威力!
慌てて身を起こし、後ろに飛び退く。我にトドメを刺そうとしていたレオが目前に迫り、割り込んだエドヴァルトの巨体がかろうじてそれを押し返した。エドヴァルトとレオが切り結び、シュティーナが後方から《
「レオ殿、莫迦な事はやめよ……! なんたる短慮! 貴公らしくもない!」
「そうです。我らが戦う必要がどこにありますか!」
「……寝ぼけてんのかクソ四天王ども!」
エドヴァルトとレオ。二人を包み込むように無数の《
エドヴァルトは問題ない。
レオはどうか――こちらも無傷だ。ありえないことだった。
《
それを喰らって、無傷! 防御呪文を詠唱した素振りすら見せなかったというのに、異常すぎる防御力だった。
「ハナシ聞いてたのか? 俺の心臓が欲しけりゃ殺して奪えって言ったろうが!」
「そんなの、あなたが力を貸してくれれば済む話でしょう!
あなたの心臓を抉り出す必要など、どこにもない!」
「うるせえ!」
返礼とばかりに、今度はレオの《
上空に打ち上げられた巨大な光球が分裂し、空を覆う無数の光の剣へと姿を変える。その数――――その数、数十、数百! いや、それ以上!
冗談ではない! こんなの、まともに捌けるか!
「いかん、シュティーナ! 下がれ!」
「……!」
「シュティーナ!」
エドヴァルトが咄嗟に飛び、身を挺してシュティーナを庇った。
光の剣が突き刺さると共に内側から爆ぜ、竜将軍の巨体を焼く。追い打ちをかけるようにレオのロング・ソードが煌めいた。シュティーナが様々な
我も慌てて援護に向かおうとしたが――無理だ。こちらにも相当量の光の剣が降り注いでいる。一発一発が凄まじい威力、凄まじい重さだった。掠っただけでも重篤なダメージになりかねない。
回避し、防御し、叩き落とす。とてもではないが二人の援護は出来ない。レオの剣がエドヴァルトに迫った。
「俺はもう嫌なんだよ! 何が超成長だ、何が無限に生きる人類の守護者だッ!
死という終わりすら俺にはやってこねえ。人類を守って守って、やっと勇者は要らないと言ってもらえて、それでもなお終わりが来ねえ!」
「――どきなさいエドヴァルト!」
エドヴァルトが飛び下がる。同時にバチバチという破裂音が響き、巨大な光の矢が地面を抉りながら一直線に駆け抜けた。
シュティーナの《
そう、確かにレオに直撃した。
そのはずだったのだが――――。
「――誰を恨めばいいんだ?
俺を作った人間か、俺を作るきっかけになった魔族か?」
「は、ぁ……っ!?」
シュティーナが呻いたのも無理なき事。
白煙の中から現れたのは五体満足のレオだった。
多少のダメージを負ってはいるが、致命傷には程遠い。
先ほどと同じだ。防御力が異常に過ぎる。
「めんどくせえ、両方ブッ壊してやるよ。
今日限りで勇者なんぞ辞めだ!」
下級呪文なら分かる。だが《
(まさか)
……我はその時、以前メルネスに聞いた毒耐性の話を思い出していた。
幼少時から繰り返し同じ毒に触れていると、いつしか耐性が出来て毒が全く効かなくなるというものだ。中には――メルネスのようなギルドマスターともなれば――ありとあらゆる毒の類を無効化するらしい。
この毒耐性を時には攻撃に、時には防御に使うのだそうだ。
レオの場合はどうか。
奴のコンセプトは“超成長”だと言っていた。
能力をコピーし、無限に成長する生体兵器だと言っていた。
――――まさかこいつ、防御面も成長するのではないか。
喰らった攻撃には耐性ができ、最後には効かなくなるのではないか。
我の《
「死にたくないのなら……己の世界の存続を願うのなら。
死力を尽くして、この俺を止めてみるがいい!」
「……!」
レオがそう言っている間にも、我の推論を裏付けるかのように《
背筋に冷たいものが走った。
この場にいるのは五人。
我、シュティーナ、リリ、メルネス、エドヴァルト。
当然ながら全員がレオと戦い、全員が敗れている。
もし、戦うたびに耐性がつくのなら……
既に我らの攻撃の殆どは、こいつに通じなくなっているのではないか。
我らではもう、こいつを倒せないのではないか。
まずい。まずいぞ。
数ではこちらが勝っているとはいえ……このままいけば、全滅する……!
「――ぐ、おおおおおッ!?」
「エドヴァルトッ!」
エドヴァルトとシュティーナの悲鳴が我の思考を一瞬で現実に引き戻した。
そして目を疑う。どういう事か……エドヴァルトの強固な
彼の脚は何らかの呪文で凍りつき、逆に上半身には未だ呪いの炎が燻っていた。
「《
レオが厳かに告げた。左手には氷の、右手には炎の残滓を纏わせている。
最高位呪文をアレンジ強化し、しかも、相反する別属性を瞬時に同時発動。こいつ、本当に何でもアリか……!
「バカな……! 吾輩の……!」
「ワガハイの竜鱗対策は済ませておいたよ。温度差による脆性破壊。分かるか? 分からないよな。ふふふ」 笑い、大きく拳を振りかぶる。 「消えろ。竜将軍」
エドヴァルトの姿が視界から消えた。いや違う、レオが渾身の力で彼を殴り飛ばしたのだ。レオの体格からは想像もつかない一撃だった。魔術だけではない――身体能力も怪物じみている。
エドヴァルトは遠く離れた岩壁に叩きつけられ、動かない。死んではいないが、復帰には少し時間が必要だろう。
その“少しの時間”が、今この瞬間では限りなく致命的だった。
「一人目」
「貴様ッ!」
我が再び斬りかかり、レオが剣で受ける。その僅かな隙をついて、銀色の光がレオの背後で煌めいた。
無音にして最速。対象の命を断つためだけに放たれる必殺の一刺し。
咄嗟にレオは身を沈め、隠密機動で背後を取ったメルネスの
今の
その両方を完全に回避されるとは、あまりにも想定外。レオの――勇者のスペックの底が見えぬ!
それでも、『敵が強すぎるから勝てません』などと平和な文句を言っている場合ではない。逃げ場などどこにも無いのだ。
勝たねば、終わる。勝たねば――死ぬ!
「――続けッ!」
我とメルネスで挟撃し、更にシュティーナが呪文で援護する。……三人がかり!
死角から二刀短剣で斬りつけつつ、メルネスがレオに問うた。
「どっちなのさお前。
死にたいの? それとも殺したいの?」
「どっちもだよ! こうして世界に喧嘩を売って、誰かが俺を殺してくれればそれで良し。そうでないなら、俺の自殺に付き合って、世界にも滅んでもらうまでだ!」
「嘘つけ」
レオとメルネス、二人が目にも留まらぬ速度で地を蹴り、空を舞った。
メルネスの二刀短剣が閃き、レオの首を刈る。残像を残してレオが背後へ回り、こちらもバックスタブを繰り出す。
消える。
現れる。
消える。
現れる。
見えない階段を駆け上がるような、あるいは宙で舞うような動きだった。もちろん華麗とは程遠い。どちらかが死ぬまで続く
こと高速戦闘に限り、メルネスは我含む誰よりも優れたものを持っている。下手な援護は邪魔になるだろう。シュティーナに合図し、援護射撃よりも自分の治癒を優先させた。
その間にも、空中での高速戦闘は熾烈さを増している。殺し合いの最中だというのに、メルネスはいつになく饒舌だった。
「死にたいなら――殺したいなら、魔王軍になんか入らないで、最初から世界に喧嘩を売ればよかったんだ。なのにお前、仕事の効率化とか、他人への教育とか、すごく熱心だったじゃないか。
後先を考えてたんだろ。残された連中の事を考えてたんだろ。
世界を滅ぼしたがってる奴のやることじゃないよ」
「黙れ」
「憎いんじゃない。殺したいんじゃない」
――出し抜けにメルネスの姿が増えた。全部で12人、高速移動による分身術。
さしものレオも一瞬で本体を見分ける事は出来ないようだった。分身たちが稼いだほんのすこしの時間で、メルネスが背後に回り込み、今度こそ背中を短剣で突く。
「お前の、ほんとの目的は――」
メルネスが最後まで言葉を言い終える事はなかった。その前に彼の短剣が、腕が、全身が凍りつき、氷像となって地面へ落下した。
冷気による自動反撃。こんな手まで隠し持っていたのか……!
「……二人目。ははッ、ははははッ」 レオが仰け反り、狂ったように笑った。
「ほんとの目的? 最初に言ったろうが!
俺は世界を救いたいだけだ。世界を滅ぼしてでもな!
ははは、はははははは!」
「――にいちゃん!」
飛び込んできたのはリリの声だった。
彼女は戦いが始まって以来一歩も動かず、じっと唇を噛み締めていた。涙をぽろぽろと流して訴える。
「戦え。お前も四天王だろうが」
「たたかいたくないよ」 ぶんぶんと首を振る。 「にいちゃん、全然楽しそうじゃないもん。笑ってるのに、全然楽しそうじゃないもん!」
《フェンリル》に変身する事もなく、リリは一歩一歩レオに歩み寄っていった。
「
いろんなこと教えてくれたでしょ?
「……」
「こんどはあたしが
悩み、きいてあげるから!」
「……悩み。悩みか……聞いてくれるか?」
「うん」
「………………。そうだな。目下、俺の最大の悩みは」
レオが一瞬だけ迷う素振りを見せた気がした。
目の錯覚だったのだろう。レオが手を一振りすると、蒼、赤、緑……様々な光が一斉に奴の全身を覆った。
《
「――見込んだ
「……!」
「まずい……! リリ!」
我は慌ててリリのカバーに入ろうとしたが、少し遅かった。レオの蹴りをモロに喰らって吹き飛ばされる。なんとか空中で体勢を立て直すと、身一つで《フェンリル》と力比べするレオの姿が見えた。
いや、力比べにもなっていない。あの《フェンリル》が力負けしている。
強烈なパンチと蹴りを連続して叩き込まれ、白い狼の巨体が吹き飛んだ。岩壁に叩きつけられ、《フェンリル》の口から苦悶の唸り声が漏れる。
間を置かずに飛ぶのは追撃の《
「三人目」
…………いま、改めて実感した。
こいつは紛れもない化物だ。
人間でも魔族でもない、完全無欠の怪物。
古代の人間が生み出してしまった悪魔だ。
このままでは勝てない。
我らは全滅する。
人間界は滅ぶ。
魔界も救えぬ。
((シュティーナ))
《
もはやまともに戦うのは無駄だった。この状況を打破する策は、一つしかない。
((あれを使う。42秒間、時間を稼げ))
((……また、無理をおっしゃいますね。レオ相手に42秒ですか))
((そなただけが頼りだ。無理なら、全てが終わる))
((やりますとも。ええ、ええ。やってみせましょう!
貴方ときたら、最初に会った時から無理難題ばかり!))
((すまんな。生きて帰れたらとっておきの酒を馳走しよう))
レオは動かない。ここから去る様子もなく、さりとて倒れた者にトドメを刺す様子もない。
エドヴァルト、メルネス、リリ。視界の端で、倒れた三人が力なく起き上がろうとしているのが見えた。完全な五人同時攻撃を仕掛けるなら――おそらくこれが最初で最後のチャンスだろう。
――もし、レオの本当の目的が我の予想通りなら。
勝てるかもしれない。殺せるかもしれない。
今はその僅かな勝機に賭けるしかなかった。
我の合図と同時に、シュティーナが《
レオが放つのも《
我はもはや手出しをしない。呪文の詠唱に集中するのみだ。
レオはゆっくりと彼女の元へ前進する。シュティーナは足を止め、呪文を放つ合間合間に彼へ語りかけた。
「レオ!」
「なんだよ」
《
微かに残留する紫電を煩わしそうに腕で振り払い、レオがまた一つ歩を進める。
「分かりました……! いえ、さっぱり分かりませんが、貴方が死にたがっている事だけはよくわかりました!」
「何も分かってねえじゃねえか。俺は世界を滅ぼすって言ってんだぞ」
「いい、え! 前々から思っていましたが、貴方は嘘が下手すぎます!」
《
あと少しだ。あと少しで、我の方の呪文詠唱も完了する。
死ぬなよシュティーナ。死ぬなよ……!
「エドヴァルトを殺せたはずなのに、あえて殴り飛ばして。
メルネスの言う事を途中で遮って。
リリの言葉に一瞬ためらって!」
シュティーナは次々と呪文を乱射し、レオの歩みを阻んでいる。
それも無駄だった。あと数歩でレオは彼女の元へ辿り着くだろう。
剣士に接近されたかよわい魔術師がどうなるか……そんなのは言うまでもない。
「貴方は世界を滅ぼすつもりなんて微塵も無い。
あなたが憎み、恐れ、滅ぼそうとしているのは、自分自身でしょう!」
「……」
レオが一歩近づく。
《
「世界を救いたいのに救えない。自分の存在意義を見いだせない、そんな未来を恐れている。いつか本当に、“世界を救うために世界を滅ぼしてしまうかもしれない”自分を恐れている! そうでしょう!」
また一歩。もうレオは何も言わなかった。
「だから慣れない悪役なんかを演じて……正気を保っているうちに、私たちに倒されようとしている。それも《賢者の石》を託し、仕事の引き継ぎをして、人間界と魔界が仲良くやっていけるお膳立てをしてから!
愚かな事です。それで本当に3000年生きているのですか!」
また一歩。
次の一歩でレオはシュティーナを掴み、恐らく致命的な一撃を叩き込むだろう。
「あなたは、自分の――」
「――死ね」
レオが手を伸ばしたのと、我が長い長い呪文の詠唱を終えたのは同時だった。
万全を期すなら、我は無言で呪文を放つべきだったのかもしれない。
だが、シュティーナの危機を前に口が勝手に動いていた。
「……死ぬのは! 貴様だ! こちらを向け!」
我はありったけの魔力を込め、一筋の光芒を打ち出した。
歴代魔王が何とかして勇者レオを倒すべく編み出した秘奥義。
僅かな間、勇者の全能力を封じる拘束術式の光が走った。
「――――《
鈍化する時間の中、レオがゆっくりとこちらを向くのが見えた。
《
レオと目が合った。そして視線が外される。
迫りくる光芒に目が向けられた。
ああ、くそ。駄目だ。これでは当たらない。
回避される。二度目はない。すべて終わった。
なんたるブザマ。何も守れぬまま、何も得られぬまま、我はここで果てるのか。
……そんな我の予想とは裏腹に、レオは避けなかった。
奴はただただ満足げな笑みを浮かべ、《
――もし、レオの本当の目的が我の予想通りなら。
もし、レオの本当の目的が『自分を殺して貰う事』だとしたら。
勝てるかもしれない。
殺せるかもしれない。
こいつの願いを、叶えてやれるかもしれない。
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