5-3. 勇者、長年の悩みを聞いてもらう

「“人類を滅ぼす為に魔王軍に入りたい”ってあれ。嘘でしょ」

「……はー」


 俺は小さく息を吐くと、ソファに深く腰掛けなおした。

 僅かな沈黙。メルネスはずっとこちらを見ている。


「その質問はシュティーナあたりから飛んでくると思ってたよ。まさかお前とはな」

「相手の立場に立って考えるのが会話の極意だって言ってただろ」


 感嘆する俺に対し、やや憮然とした顔でメルネスが返した。


「だから、試しにお前の立場で考えたんだ。 ……そしたら、簡単なことだった。魔王軍に合流しなくてもお前ひとりで滅ぼせるじゃないか、って気づいたんだ」

「偉いな。そこまで人の気持ちになって考えられるなら、お前、もうコミュニケーションの達人だよ」

「なんで滅ぼさなかったの?」

「はははは、俺も知りたいわ! なんでだろうな?」

「とぼけないでよ!」


 ローテーブルに置いておいた文鎮を投げつけられる。すかさずキャッチして何か文句を言おうとしたが……やめた。メルネスの表情は暗く沈んでいた。


「……悲しくなかったの?」

「ん?」

「守ってやったのに捨てられたんでしょ。命をかけて戦ったのにさ。

 なのに、なんでお前、そんなにヘラヘラしてられるの。

 人間なんて全員死ねばいい、って思わなかったの」


 ……まだ敵対していた頃、何かの役に立つかと思いメルネスの生まれを調べた事がある。

 半人半魔。人と魔族との混血。幼少時から気味悪がられ、奴隷商人に売り飛ばされ、あちこちを転々とした末に暗殺者アサシンギルドに買われた少年。それがメルネスだった。


 ギルドの連中も、もともとは暗殺対象もろとも死ぬはずの捨て駒としてこいつを買ったんだろう。だが、幸か不幸かメルネスは類まれな才能を発揮した。暗殺対象を仕留めたばかりか、追っ手を撒き、あるいは殺してギルドへ生還した。

 それ以来こいつは暗殺者アサシンとして生きてきた。ついにはギルドマスターにまでなり、独自のルートでエキドナとコンタクトし、魔王軍四天王となった。


 人間が憎いのだろうな、と思った。だからこそ、人間を滅ぼす力を持っていながらそれをしない俺が理解不能なのだろう。


「僕は人間なんかどうなってもいい。だからエキドナに協力してる。

 でもお前は、そういう……えっと」

「人類への憎しみ?」

「そう。そういうのとは別で動いてるように見えた。なんでだよ。

 信じてた奴らに裏切られたら悲しいし、憎むもんじゃないの」

「……お前」


 思わず感心した。このメルネス、他人なんてどうでもいいですって顔をして、実は結構な世話焼きなのかもしれない。

 なんというか、魔王軍に入ってから新しい発見が多すぎる。クールな切れ者だと思っていたシュティーナはただのポンコツ女だったし、アホの野生児だと思っていたリリは真面目な良い子だった。

 そして、無愛想かつ無感情だと思っていたメルネスがこれだ。


「おいおい泣くなよ……俺が悪いみたいだろ」

「うるさいな」


 面接の日、俺の志望動機を聞いて黙り込んでいたのは、別に俺の魔王軍入りが不服だったからではない。どうもこいつ、人間たちに追い出された俺に心の底から同情してくれていたらしい。

 つくづく世の中には自分の目で見ないとわからないものが多すぎるな、と他人事のように思った。


 こうも真摯な姿勢で問われては、俺もはぐらかすわけにはいかなかった。


「憎しみっていうか……どっちかっていうと悲しかったし、寂しかったな。

 ついに“お前は要らない”って言われちまったんだから。

 長いこと人間を守ってきた身としては、そりゃあ遣る瀬無いさ」


「……? 長いこと?」


「だが、泣き寝入りしないのが俺のいいところだ。逆に考えたんだよ!

 ようやく人間どもが勇者離れしたんだ、これで好き勝手できるぞ……ってな」


 俺が生まれた時の話をしよう。

 あれはだいぶ昔の事だ。


 機械文明が最盛期だったころだ。

 魔術が世界中に普及する前だ。

 大陸の形が今と少し違い、聖都のあたりがトーキョーと呼ばれていた時代だ。


 打ち上げられたロケットは星の海を渡り、無数の人工衛星が地上を見守り、不可視の超高速情報ネットワークがこの星を覆っていた。

 そんなとある日の事だった。

 何の前触れもなく、トーキョーのど真ん中にが開いたのは。


 ぽっかりと口を開ける底なしの黒い大穴。

 やがてそこから現れたのが、無数の悪魔どもだった。


 ……いや、悪魔という言い方は適切じゃないな。

 インプにドワーフ。オークにゴブリン。

 サキュバスやインキュバスといった、現代でお馴染みの魔界の住人たち。

 そいつらを全部ひっくるめて、当時は『悪魔』という呼称が採用されていた。


 彼らはエキドナと同じだ。薄暗い魔界に嫌気が差したんだろうな。

 暖かな光を求めて地上、人間界へやってきたようだった。


 中には人間と平和的に共存しようとするやつもいたが、多くの悪魔は身勝手に振る舞いだした。人を襲う奴らも出てきた。

 当時の人間がどうするかって言えば、そりゃあ、応戦するわな。


 《穴》は世界中に開いていった。極東の島国の混乱が、やがて世界中を覆う人間と悪魔の大戦争になるまで、そう長い時間は要らなかった。


 そして悲しいかな――人間は弱い。今も昔もそれは変わらない。

 当時は悪魔どもの生態もよく分かっていなかったから、数人がかりで悪魔1体を追い払うのがやっとだった。


 ――もっと強い武器を。

 ――悪魔どもを倒せる武器を。

 ――悪魔どもの脅威から、人間を守ってくれる最強の武器を。


 それが世界の選択だった。

 各国首脳は人種や宗教といった垣根をすべて取っ払い、対悪魔用の究極兵器の開発をはじめた。


 悪魔を倒すには悪魔の力。

 悪魔に悪魔をぶつけて倒す。


 悪魔達の力を参考にして作られたのは、人類を守護する最強の刃。

 悪魔の力を宿し、完全自律稼働し、無限に成長する生体兵器。

 全部で12体のデモン・ハート・シリーズ。


 その一角。最後の生き残りが俺だった。


『人間を守れ。世界を救え』。そんな至上命令を植え付けられて作られた。

 俺は生まれた瞬間から勇者で、それ以外の生き方を知らなかった。


 どんな勇者もいずれは老いて死ぬんだろうさ。どんなに世間から惜しまれようと、疎まれようと、最後は揃って墓の下っていうのが人間の終わり方だ。

 だが、俺たちはとびきりタフで、とびきり長命に作られてしまった。

 世界を覆った悪魔達の諸問題が解決し、機械文明が滅び去り、世界が今の魔術文明になってからも半永久的に生きなければならなかった。


 気の遠くなるほど長い年月、人を守る勇者として生きてきた。

 仲間はひとりひとり消えていったが、俺だけは一人死に損ねてしまった。


 強くなりすぎた俺には死に場所すらなくなっていった。

 人間に紛れて生きる中で、時々世界がピンチになり、その度に世界を救ってきた。

 誰かに乞われて救う事もあれば、自分から救う事もあった。


 自分がやっている事が正しい事なのかどうかわからなかった。

 人間たちの自立を妨げる、ただのお節介なんじゃないか。

 その疑問に応えてくれる奴はいなかった。

 さりとて、世界を護るという義務を放棄することもできなかった。


 ……だから正直、全世界から拒絶された今回の一件は嬉しかった。

 悲しかったし寂しかったが、喜びのほうが大きかった。


 ”勇者なんて不要だ”という、世界中からの温かい言葉。

 それは俺にとっては貴重な……人生初の、勇者を辞める機会チャンスの到来だった。


「人間を守らなくていい。万が一そんな時が来たら、その時は自分がやりたい事をやろう。第二の人生を謳歌しよう。そう決めてたんだ。

 だから、ずっとやってみたかった“魔族に味方する”なんてことをやってる」


「……待って。お前の言ってる事、全然わからないぞ」


「エキドナが魔界に帰らなくてよかったよ。あいつの親父知ってる?

 魔王キュクレウス。あれはすぐ魔界に帰っちまって、話す暇もなかった」


「待てってば!」


 メルネスに制止され、ようやく俺の口は止まった。


 話し上手は聞き上手だという。

 人はみな、自分の事を話したがっている。話して楽になりたがっている。


 何の事はない。俺自身もそうだったのだ。

 俺自身、この話を誰かに聞いてほしかった。

 いつ打ち明けようかと悩んでいたが、心が楽になるのを感じた。


「言ってる事がわからない。そもそも、魔王キュクレウスが人間界に侵攻したのって何百年も前だろ。伝承だと」

「そうそう。当時世界を救ったっていう謎の大賢者様。あれは俺だ」

「……お前、何歳なの? いや、そもそも」

 メルネスがかぶりを振った。

「何者なの?」


「ただの勇者だよ。生まれつきやたら強く作られただけのな。

 歳は……わからん。1000歳を超えたあたりから数えるのをやめた」


 くるくると羽ペンを回しながら、これまでの人生を思い出す。


「でも、随分長く生きてきたよ。

 色々な町に立ち寄って、色々な職を体験して、色々な人間と出会った。

 絶対守ってやりたいと思うような良いやつもいれば、1秒でも早くこの世から消えてほしいような悪党だっていた。その上で言うんだが」


 ぴしりと羽ペンの羽でメルネスを指し示す。


「お前ら、いい奴らだよ。エキドナも四天王もバカだが、いい奴らだ。

 この俺が、お前らの為になら頑張ってもいいなって思うくらいにはな」

「バカって」

「だから安心しろ。魔王軍が求めてる《賢者の石》は、必ずお前らにプレゼントしてやる。お前ら全員が幸せになれるよう、俺が助けてやる」


「………………もー」


 ふいに、メルネスがふてくされたような声をあげた。そのままソファにうつ伏せに倒れ込み、色白の足をじたばたと動かす。


「よく分かんない。お前、詳しく説明する気ないだろ」

「おいおい説明してやるよ。

 だいたい、本当ならここまで話すつもりなんてなかったんだぞ」

「……じゃあなんで話したんだよ」


 じろりとこちらを睨んでくる。


「メルネス。コミュニケーションに於ける最大の武器は姿だ」

「なにそれ」

「口下手だろうが、笑顔が硬かろうが、“私はあなたと話したいんです”って姿勢があれば相手は必ず応えてくれる」


 湖畔でメルネスと話した時から感じていた事だった。こいつは確かに口下手だが、そんなことは大した障害にはならないだろう、と思っていた。

 なにせこいつは、コミュニケーションにおいて一番重要な武器を持っている。


 病気の人間を治す時、一番大切なのは患者の意志なんだそうだ。

“治りたい”と患者が願わなければ、どんな名医でも完治させるのは無理なのだと。


 その点、メルネスは最初から前向きだった。自分が口下手なのを真摯に受け止め、新しい環境で何かを掴むために自分から旅に出て、しまいには俺に“会話の達人にしてくれ”とお願いしてきた。

 そういう真摯な姿勢こそが、コミュニケーションにおいては一番重要な事なのだ。

 俺がちょっと秘密を語ってしまうくらいには。


「お前にはそれがある。マジメでまっすぐな想いがな。

 だから大丈夫だよ。面接官だって上手くやれるさ」


 メルネスの銀髪をくしゃりと撫でてやる。

 当の本人はふてくされ、ソファに寝転がったままそっぽを向いてしまった。


「……もう知らない。疲れた。ここで寝る」

「おいやめろ、自分の部屋で寝ろ。明日も食堂で仕事だぞ!」

「おやすみ」

「おい!」


メルネスを揺さぶりながら、窓の外を見る。

生まれてから何千年も経過した今でも、夜の月は変わらず世界を照らしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る