5-2. コミュ力に才能なんてないから安心しろ
――思うに、食というのは究極にして永劫不変の娯楽であると思う。
生きている以上は食わなければならない。その点においては野生動物も亜人も人間も等しく同じだ。
生命維持だけではない。食事は時として精神的なリフレッシュにも用いられる。
たとえばインキュバスやサキュバスのような淫魔たち。彼らは人から吸い取った精気……どうやって吸い取るかはここでは割愛する……を糧とするが、それはそれとして定期的にオレンジやレモンのような柑橘類を摂取している。
なんでも、濃厚すぎる人間の精気は味が濃すぎるから、サッパリとした果物を食べて口の中をリフレッシュしないと色々と辛いのだそうだ。本当かよ……でも食堂に来る淫魔の連中、どいつもこいつも柑橘類を齧ってるし本当なんだろうな……。
「はいお待ちどうさま! 八番テーブル、ドワーフ風キノコソテーあがり!」
「お待ちどうさまでーす!」
「……でーす」
料理長のおばちゃんと俺。威勢のよい声が魔王城の食堂に響く。
周囲を見渡せば、実に様々な種族が入り混じっている。
グチャグチャした、よくわからない紫色の粥を大事そうに運ぶゴブリン。
木の実と葉野菜のサラダを黙々と口に運ぶダークエルフ。
肉をナマで齧っている
そう。魔王城の地下2フロア分をぶち抜くこの広大な空間こそ――魔王城でもっとも人が多い場所。大衆食堂『魔のネズミ亭』である!
俺とメルネスは何をしているのか?言うまでもない。《
「ねえレオ」
「名前を呼ぶな、バレるだろ! ――はいはい、ゴブリン風サラダひとつね!そっちのカウンターでどうぞ!」
「会話の……コミュニケーションの達人にしてくれ、ってお前に頼んだはずなんだけど」
「頼まれたな」
首肯する。
三日後に待ち受ける、メルネスが率いる隠密部隊の新規大量面接。他の四天王が忙しいためにメルネス一人で面接官をやらなければいけないのだが、会話・対人スキルにまるで自信がないので鍛えてくれ……というのが今回の依頼だった。
「対人スキルを磨きたいんだろ? 何がおかしい」
「なんで食堂で接客なの。しかもこんな格好で」
「……部下の気持ちになってみろ。四天王がウェイターやってたらおちおちメシも食えねえだろ。変装は必須なんだよ」
そう、今のメルネスの格好はウェイトレス用の制服にヘッドドレス。平たく言えば女装させている。胸元には「メル」の名札。
どこからどう見ても小柄で無口な女魔族の新米ウェイトレスさんだ。メシ食ってるアイツら、まさか魔王軍最強の暗殺者がウェイトレスをやっているなど夢にも思うまい。
「会話の特訓は?」
「それもさっき説明しただろ! 接客業にはコミュニケーションの基本がぎっちり詰まってるんだよ! ……34番テーブル、野兎のグリルおまたせしましたー!」
「しましたー」
グリルの香ばしいかおりが食欲をそそる。16人前の大皿を二人で運んでいると、メルネスがなおも愚痴をこぼす。
「そもそも僕にはコミュニケーションの才能がないと思う。そこも考慮してほしい」
「偉そうに言うなバカ。コミュニケーションに才能もクソもあるか」
叱り飛ばしつつ、内心メルネスの言いたい事は分からなくもなかった。なにせ、かく言う俺も昔は口下手で苦労したクチだからだ。
“他人と比べて自分はなんて口下手で、なんてコミュニケーションが下手なんだ”……そういう自己嫌悪は、会話が苦手なら誰もが一度は通る道だろう。
「コミュ力に才能なんてない。場数! そして経験値が全てなんだよ!」
「ふうん」
「どれだけ多く人と会話して、どれだけ多く会話で失敗してきたか……結局のところ、コミュ力なんてそんなもんだ。だから城で一番経験値を稼ぎやすい
「ふーん。痛」
メルネスの額を指で小突く。
「……その“ふーん”が分かりやすい失敗例だな……101番テーブル、スープヌードル12人前お待ち!」
「おまちー」
湯気を立てる金色のスープ。その中で、小麦を練ったヌードルがゆらゆらと揺れている。
メルネスと共に12個のお椀を曲芸のように運びながら会話する。
「いいかメルちゃん。会話っていうのは他人との共同作業だ。相手の投げた言葉をちゃんと受け取り、投げ返さなきゃならん」
「まわりくどい。分かりやすく言って」
「相手の立場に立って話を聞いてみろ。
”私は貴方の話をちゃんと聞いてます”ってアピールするんだよ」
例えば俺達が運んでいるこのヌードル。美味しいと感じるヤツもいればマズいと感じるヤツもいるだろう。
これ美味しいね――その言葉に対する返事ひとつとっても、選択肢は無限だ。
『そうだね、美味しいね』で同意を示すのが正解かもしれない。
『お前が言いにくそうだから代わりに言ってやる。このヌードルすげえ不味いよな』が正解かもしれない。
それどころか『俺はステーキが食いたかった』が正解な時もあるだろう。
結局のところ、正解を掴み取るには相手の気持ちを汲み取らないといけない。
あなたは何を言いたいんですか。あなたはこの言葉にどんな想いを込めているんですか――相手の立場に立って、相手の気持ちを汲み取る能力が試される。これはどんな会話でも同じ事だ。
「仕事だろうがプライベートだろうが、会話で必要なのは思いやりの心だ。相手の立場に立って、相手が一番欲しがってる話題を振ってやれ」
「思いやりとか、ギルドでは真っ先に捨てろって言われたんだけど」
「クソギルドめ……」
「何かないの。会話の奥義みたいなもの」
「奥義。奥義ねえ」
……確かに、
幸い、奥義と呼べるほど大層なものでもないが、会話を“上手く見せかける”テクニックというものはいくつか存在する。俺は少し考え、かつて学んだ中で一番簡単なものを教えてやる事にした。
「そうだな。とにかく黙って相手の話を聞いとけ」
「……なにそれ。それじゃあ会話にならないじゃん」
「“話し上手は聞き上手”って言葉があるんだって!」
不審そうな顔を向けてくるメルネスを手で制する。
会話は自分ひとりでするものではない。
自分の会話スキルが壊滅的ならどうするか……答えは簡単だ。
相手に喋ってもらえばいい。
その昔、俺がはじめて会話らしい会話をした時もそんな感じだった。ただただ相手が喋り、俺の方は聞く事に専念する。時折、相手が喋っている内容で気になった部分を質問するだけ。
そんなものでも会話はちゃんと成立するのだから、”相手の話を聞く”事がいかに大事かわかろうというものだ。
「案外、人は自分の話を聞いて欲しがってるものなんだよ」
「なんで?」
「そりゃやっぱ、吐き出すと楽になるからだろ? 職場の愚痴とか、打ち明けたいけどなかなか言えない秘密とか……ましてや、お前は面接官やるんだろ。話し上手より聞き上手を目指してみろ、きっと上手くいくから」
「ふうん。相手の立場に立って、でもって、聞き上手か……」
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食堂のバイトから開放されたのは、陽も沈んでだいぶ経ってからの事だった。
メルネスのコミュニケーション力不足はもっと深刻なものだと思っていたが、なんのことはない。リリの指揮能力と一緒で、素養があるのにこれまで伸ばす機会が無かっただけだった。
(見込み通りだ。こいつは致命的に会話経験が不足しているだけだ)
俺の言うことをよく聞き、注意された事は繰り返さない。経験不足なだけなら幾らでもやりようがある。
このまま三日間食堂のバイトで経験値を稼ぎ、その合間に俺の会話テクを叩き込めば面接本番には十分間に合うだろう。思ったよりも簡単に片付きそうで、俺はひそかに安堵のため息をついた。
自室にメルネスを招き、向かい合うようにして古ぼけたソファに座る。
「よし……んじゃ、今日のまとめだ。俺が相手してやるから、模擬面接してみろ」
「僕が面接官で、お前が面接される側?」
「そういう事。なんでもいいから、本番のつもりで俺に質問してみろ」
「……なんでもいいの?」
「なんでもいい」
言ってから後悔した。メルネスの目が微かに細まるのを俺は見逃さなかった。
……まずいな。考えてみればこいつ、最初の面接の時もずっとだんまりだったんだよな。ちょっと安請け合いしすぎたか?
クリティカルな質問はやめてくれよ……女性遍歴とか……!
「お前さ」
「おう」
気をもむ俺に投げかけられたのは、かなり予想外の質問だった。
「“人類を滅ぼす為に魔王軍に入りたい”ってあれ。嘘でしょ」
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