5. 勇者 vs 無影将軍メルネス

5-1. 仕事を辞めたくなったら一度相談しろ

「……で? いったい何があったって?」

「……」


 俺が大急ぎで魔王城を出て小一時間。ようやく見つけたは、城からだいぶ離れた小さな湖畔で一人佇んでいた。

 朽ちかけた丸太に腰掛け、枯れ枝をパキポキと小さく折っては水面に投げ込んでいる。ポチャン、ポチャン――ひろがる波紋をぼうっと目で追うばかりで、俺の方を見ようともしない。


 俺は可能な限りにこやかに、爽やか・かつ・フレンドリーな笑顔を浮かべ、半人半魔の少年に話しかけた。


「何があったんだよ。ほら、黙ってないでお兄さんに話してみろって」

「……」

「一人で抱え込まずに相談してみろ。な?」


 返答はない。というか、こっちを向きさえしない。

 ホーホーとフクロウが鳴き、それを境にあたり一体を静寂が支配した。

 月明かりに照らされた森、そして湖。どこか神秘的な雰囲気があり、年頃の男女であれば良い雰囲気になったのだろう。

 しかし、残念な事にここに居るのは男二人。俺とこいつの二人だけだ。


 と言うには長すぎる間があり、ようやく微かな反応があった。


「歳」

「……ん? 歳?」


 ――そうかそうか。歳か。

 こいつは確か16か17歳。魔王軍に歳の近いやつは少ないから、とうとう寂しくなって家出してしまったのかもしれないな。なんだ、こいつにも人並みの感情ってものがあるんじゃないか。そう思うとちょっと可愛く見えてきたぞ。


「歳がなんだって?

 寂しいのか? お誕生日おめでとうパーティ開くか?」

「……」


 ゆらりと上半身を動かし、湖畔を眺めていた半人半魔の少年――

 《見えざる刃》無影将軍メルネスが、ようやくこちらを向いた。

 そして、ぴくりとも動かずに言い放つ。



「歳上ヅラしないで。僕とお前の歳、同じくらいでしょ」



「――――開口一番がそれかテメェー!」


 夜の湖畔に、俺の怒声だけがビリビリと響いた。

 驚いたフクロウが月を背負って飛び去っていった。



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 勇者、辞めます ~次の職場は魔王城~


 第五話:勇者 vs 無影将軍メルネス

     ――仕事を辞めたくなったら一度相談しろ

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 ……まさに寝耳に水だった。


 シュティーナが飲み会に乱入してきたところまではいい。

 それによってエキドナとの飲み会が中断されたのもいい。


 だが、よりによってエドヴァルトとメルネスの二人が揃ってあんな事になるなんて、いったい誰が予想できただろうか?

 少なくともシュティーナとエキドナには想像できなかっただろう。

 俺だって予想できなかったよ。


『旅に出ます。探さないで下さい

 - 無影将軍メルネス』


『部下の教育失敗の責を負い、自刃致します

 - 竜将軍エドヴァルト』


 探さないで下さい、じゃねーよ。

 自刃致します、じゃねーよ!

 どいつもこいつも次から次へと変な問題を持ち込みやがって!


 この二人は真面目な性格だし、パッと見た限りではシュティーナやリリのような問題も無さそうだったから放っておいたのだが……どうもこいつらはこいつらで大いなる悩みを抱えていたらしい。

 それにしたってやりすぎだろ。何だよ旅に出ますって。何だよ自刃って。


 ともあれ、シュティーナからの報せを受けた俺が最初に考えたのは、“どちらを優先して対応するか”だった。


 自害しようとしているらしいエドヴァルト。

 夜闇に紛れてどこかへ失踪済みのメルネス。

 正直どちらの緊急性も高かった。この二人のどちらかでも欠ければ、軍団の編成を一から考え直さねばならないしな。


 ……迷った末、俺はエドヴァルトをエキドナとシュティーナに任せ(夜も遅かったのでリリは既に寝ていた)、僅かに残ったメルネスの魔力反応を追跡トレースしてここまで追ってきたのだが、これは正解だった。おかげで魔力反応が途切れるギリギリのところでメルネスに追いつけた。

 いや、本当に危ないところだった。こいつの隠密スキルは尋常じゃないから、もう僅かでも出発が遅れたら本気で見失っていたかもしれん。


「……まあ、歳の話はどうでもいい。あの置き手紙は何だよ」

 少し距離を置き、メルネスの隣に座る。

「なんだ旅に出ますって。魔王軍を辞める言い訳にしても、もうちょっとマシな理由があるだろうが」

「別に。ちょっと旅行に行きたくなっただけ」

「そんな理由で四天王がホイホイ行方知れずになってたまるか!」


 メルネスの襟首を掴み、ガクガクと揺さぶる。


「いま四天王が一人でも欠けたら、軍の編成を一から考え直さなきゃならないんだよ! なんだ? 辞めたいのか? それとも何か悩んでんのか? いいからワケを話しやがれ!」


 荒い語気で気を引きながら、密かに《幽縛鎖ホロウチェイン》をメルネスの足に絡みつけておく。実体が無く、術者以外には見えない魔術の鎖を呼び出す拘束呪文だ。

 前にも少し話したが、メルネスのすばしっこさは俺でも少々手を焼く。“無影将軍”の名は伊達ではない――万が一ここで逃げられたら最後、確実に面倒な事になるのは目に見えていた。


 そして何よりも、退職理由を知らないままこいつを逃したくなかった。


 仕事を辞めるというのは別に悪い事ではない。“辞めたくなった時が辞め時”という言葉もある。

 自分の人生なのだから、本当にやりたい事が見つかったなら堂々と辞めれば良いのだ。理由次第では俺はメルネスを見逃し、エキドナ達には『見つからなかった』と報告するつもりではあった。


 だがその点、今回のメルネスはどうにも迷っているようなフシが見受けられる。湖畔で足を止めてぼんやりしていたのがその証拠だ。

 こいつが全力で逃走したなら、俺に見つからずにもっと遠くに行けただろう。それをしなかった以上、本気で魔王軍を抜けたいわけではないはずだ。

 何か悩みがあるのは間違いない……そう思った俺は揺さぶるのをやめ、真摯に問いかけた。


 「メルネス聞け。理由次第では協力してやってもいい。お前が本気で魔王軍を抜けたいなら、上手いこと口裏を合わせてやってもいい――が」

 「……が?」

 「……わかるか? 仕事を辞める時に一番重要なのは、事だ」


 “ちゃんと次の仕事を決めてから辞める”。

 “仕事の引き継ぎをしてから辞める”。

 “気に入らない上司をブン殴ってから辞める”。


 どれもこれも重要だが、やはり一番大切なのは“後々になって後悔しないかどうか”だろう。


 俺は魔王軍に入った事を後悔していない。元勇者が魔王軍に入るという異色の経歴で、しかも未だに魔王エキドナには正式な入団を認めて貰っていないが、極めてベストな転職をしたと思っている。

 どんなに性急な転職だったとしても――どんなに周囲から反対されたとしても、自分が心の底から納得できるならばそれは良い事だ。


 だがその逆。少しでも自分が納得できないなら。心のどこかにひっかかりを感じるようなら、一旦落ち着いて深呼吸した方がいい。

 仕事を辞める事は簡単だが、一度辞めた職場に戻るのは容易な事じゃない。ひっかかりがあるなら、それを取っ払ってからの方がいい。


 「お前、本気で魔王軍から去ろうとしてないだろ。何に悩んでんだ?」

 「……」

 「どうせ俺しか居ねえんだから言っちまえよ。笑ったりしないから」

 「……」


 たっぷり一分ほどの沈黙が続いた。

 ホー、ホー。いつの間にか戻ってきたフクロウが鳴き声をあげる。

 ざわざわと森全体が風に揺れ、フクロウがもう一度鳴いた。

 風が湖面を撫で、青白い月光を反射していた水面が揺れる。


「……おい」


 いい加減沈黙に耐えきれなくなった頃。

 俺が呼びかけるのと同時に、メルネスはようやく口を開いた。


「会話」

「あ?」

「会話の達人にならなきゃいけないんだ。三日以内に」


「三日後、一人で面接官をやるから。

 ハキハキ元気に……威厳をもって喋れるようになれないと……困る……」


 “ハキハキ元気に”の真逆を行く、蚊の鳴くような声だった。


「旅に出たら何か分かるかなって思ったんだけど。

 お前が来たなら、丁度いいや。会話の先生になって。

 僕をコミュニケーションのプロにして」


「…………マジか…………」


 思わず眉間を抑える。


 コミュニケーション力。対人スキル。

 他人と一緒に仕事するにあたって、ある意味もっとも重要な力。

 にも関わらず、どうやって鍛えればいいのかなかなか分からない力。

 それをこいつは、たった三日で達人級にまで鍛えてくれと言っている。


  ただ、真に問題なのは納期スケジュールではなかった。


「……お前、それ、誰かに相談した?」

「いま相談してる」

「誰にも相談してねえって事じゃねえか!」

「なんて話せばいいのか、よくわからなかったし」


 真に問題なのは、その事を誰にも相談せず、変な置き手紙を残して家出していったこいつの異次元思考回路だった。

 見てくれよ! こいつを三日間で達人に育て上げなきゃいけないんだぞ!


 今回の仕事もこれまでと同じ……いや、これまで以上に骨が折れそうだった。

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