2-3. 明日自分が死んでも組織が回るようにしろ
『――ご苦労であった。では、詳細を報告せよ』
シュティーナと俺の前に立っているダークエルフの女――名前は確か、えー……そう。ディアネット。ディアネットだ。エルフの名前は覚えにくくて困る。
ともかくこのディアネット、言いつけ通り俺の代わりに魔力供給の仕事を終わらせてくれたようだった。
彼女の手には、出がけに俺が持っていった紙切れ……つまり、仕事の手順を記載した
「はい。ええっと、ゴッドハート卿」
『改め、黒騎士オニキスである。以後オニキス卿と呼べ』
「は、はあ……とにかく、オニキス卿より賜りました
「ちょっと待って。ちょっと待って」
未だ事態を把握できていないシュティーナが、両手で“待った”をかけながら口を挟んでくる。
「
『聞けば分かる。まずは報告を聞いてやるといい、魔将軍よ』
やれやれだ。部下の報告を落ちついて聞いてやるのも上司のつとめだというのに。
実際、なにがあったのかは聞けば分かる事だし、変に口を滑らせて俺の正体がバレても困る。俺は頷き、ディアネットに説明の続きを促した。
「タリスマンの耐久にも問題はなさそうですので、お許しを頂けるようであれば、明日からの魔力供給はわたくしどもで代行させて頂きます」
「――あの。あれは私の作った魔力炉ですけど、お前で大丈夫だったのですか?」
「はい。お聞きになっていないのですか?」
ディアネットは懐から小ぶりな
残ったもう15分のうち、5分でディアネットを捕まえ、5分で仕事の手順を教え、最後の5分は適当にサボってこの部屋に戻ってきた。
全部で30分。
これが俺のやった仕事の内訳だ。
「これを身に着けていれば、自分の魔力波長が一時的にシュティーナ様と同じものになる。シュティーナ様以外でも魔力炉へ魔力を供給できる、と……その、オニキス卿が」
「……」
パッとこちらを向いたシュティーナは無視する。お前は後だ、後。
『そして我はこうも言ったな。“お前と同程度の魔力を持つ者をもう数人見つけ、そいつらと共に魔力供給の仕事をせよ”と』
「はい。私以外にもう三人ほど同レベルの魔術師がおりましたので、四人でタリスマンを使いまわして本日の作業を行いました」
『結構』
大仰に頷いた。
この言葉遣い、魔王になったみたいで結構楽しいな……シュティーナはと言うと、徐々に事情を飲み込んできたのか、黙って俺達のやりとりを聞いてくれている。
『――魔将軍殿は忙しい。その四人でチームを組み、明日からは交代で炉心への魔力供給を行え。人数分のタリスマンは三日以内に支給させる』
「はっ」
『本日は少々時間がかかったようだが、初日ゆえ許そう。次からは手際よくやる事を意識し、仕事を進めよ』
「はっ、承知いたしました!」
『我からは以上である』
「はっ」
会話が途切れ、シュティーナに視線がいった。
部屋の主はあくまでこいつだから、彼女の許しがないとディアネットも退室できない。かわいそうに、ディアネットはカチコチに固まり、退室許可を今か今かと待っていた。
無理もない。シュティーナは魔王軍の中でも最高幹部、しかも習得困難な数々の呪文を修めているとあって、魔術師の中ではそれなり以上に名の通った存在だ。《全能なる魔》の二つ名は伊達ではない。
魔王軍が大所帯だった頃はこうして直接会話することなどまず許されなかった相手なんだから、そりゃあ緊張もするだろう。
しかし、その《全能なる魔》は己の身に起きた事を整理するのに必死らしく、マヌケ面でモゴモゴと言葉にならない何かを口走っていた。
「あー。その、えーと……」
「シュティーナ様?」
「ええと……うう……」
「あの……?」
……このままでは、四天王への畏怖と尊敬がガラガラと音を立てて崩れ去るのも時間の問題に見えた。
仕方がない。助け舟を出してやるしかないか。
『――魔将軍殿。我に一任頂いた魔力炉への魔力供給、これにて完了した』
「はっ? は、はい。ええ、ご苦労でした」
『こうして貴殿の負担を減らすのが我らの仕事だ。ディアネットも心配していた』
「……この子も?」
「はっ。あ、あの、僭越ながら」
エルフ特有の長い耳をぴんと伸ばし、ディアネットがたどたどしく告げた。
「シュティーナ様が大変なのは存じておりましたが、その……恥ずかしながら、いったい何をすれば貴方様のお力になれるのか分からず、我々もどうしたものかと困っておりました」
「……」
「オニキス卿のおかげで、魔力供給だけは我々でも代行できそうです。
他にも何かお手伝いできる事があれば、何なりとお申し付け下さい」
「――――――そ、う。 ……そうね」
「?」
「おほん」
偉そうにひとつ咳払いする。
シュティーナは――少なくとも表向きは――ようやくいつものペースを取り戻したようで、凛々しく指示を出した。
「わかったわディアネット。 ――大義でした。下がりなさい」
「は、はい。失礼します」
俺とシュティーナに深々と一礼し、ディアネットはぱたぱたと去っていった。
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扉が完全に閉まったのを確認した後、
『――どうだ。我のやった事、理解して頂けたかな。魔将軍殿』
「まず、その喋り方をやめて。《
『あいよ』
黒騎士の姿から元の姿に戻ると、さっきまで腰掛けていた椅子に座る。
その間、シュティーナはじっとこちらを見ていた。何も言わずとも、目が“説明しなさい”と言っている。
何が起きたのかは大方把握しているのだろうが、やはり俺の口から聞かねば納得できないのだろう。
「つまりだ」
両手を広げる。
「“お前にしか出来ない”というのが問題なら、そこを解決してやればよろしい。俺の作ったタリスマンで、お前の代わりをさせる――作業者はディアネット含めて四人。タリスマンは予備も含めて六個支給。それだけありゃあ十分だろ」
懐から予備のタリスマンを取り出し、ちゃりちゃりと振る。
もしディアネットに渡したものが破損した時はこいつを渡した上で俺も同行するつもりだったのだが、出番がなかったのは何よりだ。
急造品という事もあって耐久には不安があったのだが、存外、俺の彫金と
「残りのタリスマンはゴブリンどもに作らせてる。仕事自体はディアネット達がやるから、お前は定期的に報告を聞き、何か問題があった時だけ現地に向かえばそれでいい。わかったか?」
「……むう」
「約束通りだ。2時間と30分で、お前の仕事をほぼ永久に一つ減らしてやったぞ」
「……むう……」
反論しようにもなかなか言葉が出てこないようだった。
戦いにおいて重要なのは、相手の隙をつく事だ。
リーダーがやられて統率が乱れた隙。
砦の見張りが交代する一瞬の隙。
大技を叩き込み、相手が必殺を確信した瞬間の隙。
そしてそれは人間関係――こいつは淫魔だけど――においても変わらない。
シュティーナが呆けた隙をつき、俺はずっと言いたかった事を言ってやった。
「いいか。仕事ってのは一人でやるもんじゃない。いろいろな奴が所属してる組織の運用ならなおさらだ。
スペックの高い奴ばっかが単独で頑張るよりも、凡夫でいいから一人一人が自分に出来る事をやるだけでいい。それだけでだいたいの仕事はうまく運ぶもんさ」
もちろんこれは理想論だ。うまく運ばない事だってある。個人個人の能力が低かったり、そもそも人数に対して仕事の総量が多すぎる時とかな。
あれはいつだったか――前に少し商人ギルドの手伝いをしてやった事があるが、あれは酷かった。2倍か3倍の人数がいないと回らないような仕事がバンバン入ってくるもんだから、人は倒れるわ責任者は逃亡するわで散々だった。
当時のギルドマスターを叩き出して俺がギルドを立て直してやらねば、今の商人ギルドはなかっただろう。
とにかく、今の魔王軍のように特定の誰かがいないと仕事が回らない状況というのは極力作ってはならないのだ。
部下に仕事を教える。部下に仕事を任せる。いつ誰が組織を抜けても――極端な話、自分が明日死んでも組織が正常稼働するようにする。それが幹部の役目だ。
なまじっか能力があるばかり、シュティーナはそこのところを履き違えていた。
全部やらなきゃ。
私がやらなきゃ。
私がいないと魔王軍は立ち行かない。
そうではない。
良い意味で代わりはたくさん居るんだから、お前が全部やらなくてもいいんだ。
そうやって支え合うのが組織というものだ。
そういう事を教えたかった。
果たしてシュティーナにその事は伝わったのかどうかわからない。ただただ、神妙な顔を俺に向けていた。
随分と長い沈黙のあと、ようやく出てきた第一声は、
「なんで言ってくれなかったんですか?」
「お前は心配性が過ぎる」
ズバリと言う。
「《
「うっ」
「だいたい、今の魔王軍に居るやつの大半はお前たちが直接面接して、能力を評価して採用したやつだろうが。
そいつらを採用した自分を信じて、部下を信じて、仕事を投げろ。下についたやつを信じるのも上司の務めだぞ」
「……ずっと一人旅をしていた人の言葉とは思えませんけど……」
頬を膨らませて反論する。子供か、お前は。
「いいんだよ俺は。人生経験豊富なんだから、たまの一人旅は許される。こうして結果も出したしな」
「人生経験ってあなた……いや。いえ! そうです!」
黙り込み、俯きかけたところで、
反撃の一手を思いついたらしいシュティーナがぱあっと顔を上げた。
勝ち誇ったように人差し指を突きつけてくる。
「教育した部下に仕事を任せたのは良いとして――――彼らが仕事を頑張っている間、あなたがこの部屋で何の仕事もせずダラダラしていたのは事実です!
怠惰! たるんでいる! これをどう説明するつもりですか!」
「心外だな。ダラダラと日光浴はしてたが、ちゃんと仕事はしていたぞ」
「へ?」
ぺらりと紙を突き出す。
それは――そう、一番最初にシュティーナに書かせた、こいつが持っている仕事のリストだ。
書いてある内容の大枠は最初と変わらない。そのかわり、50個の仕事それぞれに番号と注釈が振られており、更にその中の数個は赤マルで囲われている。
「後ろからずっとお前の仕事と谷間を見ていてわかった。いくつか非効率的な部分がある――50個の仕事のうちいくつかの優先順位を再考案してやったから、適当に参考にしろ。詳細は横に書いた注釈を読め」
「谷……? いえ、ちょっと見せて下さい」
ひったくるように俺から紙を受け取り、上から目を通していく。
「ああ、それと」 羽ペンでぺしぺしと赤マル部分を叩き、強調する。
「赤い印をつけた7個――これは今日からやらなくていい。魔力供給と同じように、暇そうな奴らを探してそいつらにやらせるからな」
「……出来るのですか?」
「出来るように教育する。それが
「…………」
黙ってしまった。
いや、完全に黙りきってはいない――何かうんうん唸りながら、室内をウロウロと徘徊しはじめる。ひどく複雑な表情だった。
まあ、何を迷っているのかはだいたい察しがつく。
俺はあえて部屋から出ず、のんびりと日光浴を楽しみながら遠くの山々を眺める事にした。
昼下がりのセシャト山脈の見晴らしはなかなかに良く、ここが魔王城ではなかったら一流の観光地としても通用しそうだった。
「おっ。この部屋、少しだけど海が見えるんだな」
「……」
「知ってるか? ベーメル海で採れるサーディン、刻んだオニオンと一緒に食うと絶品なんだぜ」
「……」
「それに比べてさっき食ったパンときたら! 悪いが、正直に申し上げてクソ不味かったからな。ここはひとつ、かつて調理ギルドにもスカウトされた俺の腕前というのを――――」
「レオ」
小粋なトークが遮られた。
振り向くと、俯いて指をからめ、何かを言わんと必死になっているシュティーナの姿があった。
「はい」
「その……」
「なんでしょう? 《全能なる魔》、魔将軍シュティーナ様」
「ですから……」
「……」
はあ、とため息をつき、シュティーナが顔を上げる。
そして再度頭を下げた。
「謝罪します。あなたの事を誤解していました」
「……ふん。俺はやるべき事をやっただけだ」
「だから余計にです」
そっけない返事に怒り出すかと思いきや、食い下がる。
コツコツと俺の正面にまわりこみ、じっと俺の目を見つめてきた。
「私は――面接時から貴方をずっと嫌っていましたが、貴方はそれにもめげずにきちんと仕事をして、私の負担を減らしてくれた。
ここで礼を言わねば四天王の一角として筋が通りません」
「お前が倒れたら魔王軍は立ち行かない……とは行かないまでも、確実に潰れかかる。残念な事にそれが真実だ」
書類が積まれた執務机に目をやる。シュティーナはこの数時間仕事にかかりっきりだったというのに、書類の量は一向に減っていなかった。
「魔王軍が潰れたら、今度こそ俺も行き場がない。それは困る――だから俺のためになんとかした。
謝られたり、礼を言われたりする筋合いはない」
「……可愛げがないですね。人がせっかく素直に謝っているというのに」
「だから一人旅だったのさ」
そういうことだ。他人に愛想をふりまく才能があるなら――いや、子供の頃は俺もそれなりに愛想を振りまいてた気がするが――人間界を追い出されたりもしないし、
可愛げがない。素直ではない。性根がネジ曲がっている。これはもう性分なのだろうな。
「じゃあな。俺は次の仕事にかかる。なんかあったら呼んどくれ」
「ええ。改めて、明日からよろしくお願いします、レオ」
「は」
俺の背中にかけられた言葉が想像以上に柔らかく、思わず振り向いてしまった。
複雑そうな、しかし確かな感謝を含んだ笑みを浮かべ、シュティーナが一礼する。なんだ、かわいい顔も出来るんじゃないか。
そのまま手をひらひらと振り、執務室から退室しようとして――とある事に気づいた。
気づいたというか思い出した。
そうだ。こいつが素直になっている今ならいけるんじゃないか?
「そうだシュティーナ」
「はい? なんですか?」
「お前を後悔させる事は絶対にない。その後に俺がなんて言ったか、覚えてるか?」
「は?」
小首を傾げ、記憶の糸を手繰る。
ちょっとした間があり、魔将軍の頬が紅色に染まった。
……こいつ本当に淫魔なのか? 魔術に夢中になったあまり、淫魔としての経験はゼロとか、そういうアレなんじゃなかろうか?
俺は唇をつきだし、これみよがしに報酬を催促した。
「唇でもいいし、頬でもいいぞ。ああ、なんならベッドの――」
「――――出ていきなさいッ!」
――今朝喰らったものよりもだいぶ威力の弱まった《
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