2-2. 明日の自分が楽になる仕事をしろ
「ありえない。ありえないわ」
「……」
「ありえない……本当にありえない……」
「おい、さっきからうるさいぞ」
もうかれこれ5分以上、ありえないありえないと同じ事を言い続けている。
よくもまあ飽きないものだ。べつに独り言をやめろとは言わないが、こうもしつこいと流石に気が散る。
仕事において、同僚とのコミュニケーションは重要だ。ちょっとした――本当にちょっとした雑談が同僚との信頼関係の礎となる。
俺は片付けの手を止め、彼女の悩みを聞いてやる事にした。
「なんだ? いったい何が不満なんだ?」
顔を真赤にしながら、魔将軍シュティーナは怒鳴り声をあげた。
「――あなたの全てに決まっているでしょうがーッ!」
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つまり、まとめるとこういう事だ。
まずおさらいとして、いまの魔王軍は深刻な人材不足に陥っている。
これは別段不思議な事じゃない。なにせ
そして面接の時にシュティーナもぼやいていたが、仕事自体は山積みだ。
俺との戦いで多くの幹部級魔族がやられた事もあって、今やシュティーナしか出来ない仕事が山積みになっている。
正確には、シュティーナしか出来ないというか、
彼女しかやり方を知らない仕事も多い。
ほら、あるだろ? 正しい手順を古参メンバーしか知らないくせに
俺が昔つきあいで入ってやった騎士団もそうだった。騎士団長が左利きだから彼の剣と盾だけ左右逆に配置しろだとか、道具屋で赤ポーションを購入する時は100個単位じゃないと駄目ですよだとか。
それでいてそういう決まりはどこにも書いておらず、問題が起きてからはじめて「何故知らないの?」という顔でお説教をしてくるからたまらない。こっちは新入りなんだぞ。最初に言え、最初に。
話を戻そう。とにかく、シュティーナは忙しい。
他の四天王も忙しく、自分以外に仕事を任せられる人材は居ない。
もちろん、そういった人材を育成する時間も取れない。
しかし、
もうどうしようもない――こんなの、自分の睡眠時間を犠牲にするしかない。
止まれば沈む自転車操業。結果として、彼女は俺の見立て通り、本当に過労死直前まで追い込まれていたのだった。
どおりで先程の《
今のこいつくらいなら、腕の立つ人間の傭兵を100人も集めれば倒せそうだった。
俺なら? そうだな……以前使った《
とにかくシュティーナに仕事が集中しすぎている。
先日の面接時にそれをひと目で見抜いた俺は、こいつの負担を軽減してやるべく、朝イチで部屋を訪れたわけなんだが――――
「お前の仕事を手伝ってやると言ってるんだぞ。
もう少し愛想よくしてくれてもいいんじゃないか」
「バカなんですか?」
即答だった。
返ってくるのは呆れたような声と冷たい視線ばかりだ。
「人の部屋に勝手に入るわ、魔王様の真似はするわ……
非常識! あまりに非常識です!」
「あー」
「そんな人間にどう愛想よくしろと言うんですかあ!」
魔王軍の大幹部が常識を語るなよ……そう思ったが、口に出すのはやめておいた。本気で殺し合いになってもつまらない。それが弱った女なら、なおさらだ。
「
手を伸ばし、シュティーナが書いていた紙をサッと取り上げる。
「これがお前の持ってる仕事のリストか」
「……ええ。上に行くほど優先度が高いものです」
上から順にサッと目を通す。
応募者の書類選考。
魔術兵団の再編成。
魔王様のお世話をする
城内経費削減。
魔力炉への魔力供給。
その他もろもろ、全部でちょうど50個。紙切れの上にはあらゆるタスク名がずらりと列記されていた。
正直ちょっとヒく。これ全部一人でやってんのか……おかしいだろ……
「投げろよ。他のやつに」
「だからさっき言ったでしょう。居ないんですっ、任せられる部下が」
「わかったわかった。ごめんごめん」
再度ヒートアップしかけたシュティーナを宥める。
俺は卓上から赤いインクのついた羽ペンを取ると、リストのいちばん下――つまり、もっとも優先度が低い仕事――にマルをつけた。
つまり、城内に点在する魔力炉への魔力供給。
魔力炉の元へ赴き、炉心に手を触れ、直接魔力を流し込む。
作業自体はきわめて簡単だが、数日に一度は必ずやる必要があり、これがまた地味に時間を食う。
魔力炉というのはその名の通り、魔力を溜め込んでおく為の装置だ。
炉に
こんな仕事、それこそ適当な魔術師に任せればいいじゃないかと思うかもしれないが、そうもいかない。魔力炉というのは原則として、それを作った魔術師本人のみが魔力を供給できるものだからだ。
シュティーナは魔王エキドナ最初期からの腹心だから、魔王城の中にはいくつかシュティーナ作の魔力炉が存在する。定期的にそれらへ魔力供給をするのは、彼女にしか出来ない事だった――――――昨日まではな。
そんじょそこらの三流魔術師ならともかく、俺の手にかかれば “シュティーナの魔力波長を真似る” 程度は朝飯前だ。
俺が魔術に長けていてよかったな! 感謝しろよ!
「これを今日から俺に任せろ。そうだな……」
頭のなかで作業フローを思い描く。なにせ今日はじめて手を出す、不慣れな仕事だ。ミスするかもしれない事を考えればこれくらいの時間は欲しいか。
「30分と2時間。
30分と2時間で終わらせてやる」
「30分“と”ってなんですか。2時間半と言えばいいでしょう」
というか、と声色が失望に満ちたものに変わった。
「そんなにかかるんですか? 私がやったら20分とせずに終わるのですけど」
「あのなあ」
これだから目先の事しか見えてない奴は困る。自分の仕事が減るのだから素直に喜べばいいものを。
仕方がないのでよくよく言い聞かせてやった。
「そう言うなよ。いいか、勇者の名に賭けて保証してやる。
お前を後悔させる事は絶対にない。2時間と30分後のお前は――
“やった! 明日から楽になるわ!”と狂喜乱舞し、俺にキスしている事だろう」
「はあ」
俺の言う事を信じてくれたのか、単にそれ以上追求する気持ちが失せたのか。シュティーナのリアクションは極めて薄味だった。
そうですか、じゃあお願いしますね、と言ったきりだ。すでに俺から視線を外し、机に向かって別の仕事に取り掛かっている。
「んじゃ、ちょっと行ってくる」
パチンと指を鳴らし、《
頭からつま先までを包み込む漆黒の
血のように赤いマントと、同じ色の剣。
兜の前面はまるで髑髏のような意匠が施されており、眼窩にあたる部分は不気味な薄紫色の光を放っている。
どこからどう見ても、闇に堕して魔王軍入りした、どこぞのスゴ腕騎士様の姿だ。《
『名前も変えなきゃな。なあ、“ゴッドハート卿”とかどう思う?』
「どうでもいいから早く行きなさい!」
『……ちぇっ。わかったよ』
羽ペンと紙をひっつかみ、俺はシュティーナの部屋を後にした。
そして――予想通り、俺の仕事自体は30分で終わった。
----
『――――――うむ。戻ったぞ』
「なんですかその口調は」
きっかり30分後。
シュティーナの部屋に戻った俺は《
魔力で編んだこけおどしの鎧とはいえ、全身鎧は全身鎧だ。これまで分厚い兜に包まれていた顔は知らぬうちに火照っていて、ひんやりとした外気が心地よかった。
「いや、正体を隠すなら口調も変えたほうがいいかなーってさ。
面白かったぞ。廊下で出会う下級魔族やら妖魔達がみんな敬礼してくるの」
中にはどこぞの町でボコボコにしてやったダークエルフの妖術師やら、町を襲って住人すべてを自分の眷属に変えようとして俺に返り討ちにあったヴァンパイアロードやら、難攻不落の砦に引きこもっていたのでその砦ごと崖下に落としてやったゴブリン盗賊団の生き残りやらも居たが、敬礼している相手が元勇者のレオ・デモンハートだとは誰も気づいていない様子だった。
“五人目の四天王としてエキドナ様に仕える事となった黒騎士”――そんな感じで立ち回れば、とりあえずの正体はバレなさそうだ。良かった良かった。
四天王なのに五人ってどうなんだという問題とか、仮採用の身で四天王を名乗って良いのかとかそういう問題はありそうだが、まあいいだろう。
本来、俺の実力なら魔王と同格に扱われても不思議ではないんだし……というか実際に倒したしな、魔王。
「じゃあ次の仕事をお願いしましょうか。ええと……」
「いや、いい。ちょっと疲れた」
「え?」
はやくも他の仕事を振ろうとするシュティーナを制止すると、俺は魔術で生み出した黒い物質――極小の《魔眼》を彼女の頭上に浮かべた。
魔眼は空中でピタリと静止し、シュティーナと執務机の両方を上からじっと見下ろしている。
「――《
「ああ。休憩がてら、お前さんの仕事を見学させてもらうよ」
《
習得難度が低い割に応用が利く呪文だから、今の世の中ではいろいろな場面で役に立っている。偵察、諜報、牢に入れた犯罪者の監視に商店の盗難防止。はては留守番中の子供を親が見守ったりと便利なものだ。
――まあ、元々はどこかのエロ仙人が女の着替えをコッソリ覗きたいと考えたのがきっかけらしいのだが。
戦争と性欲は文明を大きく発展させる。それは分かるが、それにしてももう少しマシな理由で術を開発しようとは思わなかったんだろうか。
ともかく俺は窓際に腰を下ろし、心地よい日光浴を楽しみながら彼女の仕事っぷりを見学する事にした。
「邪魔はしない。ここで黙って座ってるから、安心して仕事してくれ」
「……いいでしょう。休憩が終わったら次の仕事を振りますからね」
---
「いいですか? そろそろ次の仕事を――」
「待て。《
「……」
支給されたパンを齧りながらモソモソと応える。
このパン、あまり美味しくないな。時間が出来たら食堂改革もしなければならん。
----
「1時間経ちました。もう十分休んだでしょう」
「いや。もうちょいだ。もうちょい見学させてくれ」
「このっ、怠け者! いいから立ちなさ……重いっ!」
「はははは。《
「立ちなさいっ!」
---
「……」
「うーん。どっちかな」
「……」
「“ゴッドハート卿”か。それとも“ブラッドソード卿”か」
「……」
「いや、方向性を変えて“黒騎士オニキス”も悪くないか。なあ、どう思う?」
返答はなかった。
シュティーナが執務の手を止め、ゆらりと立ち上がる。愛用の魔杖クラウストルムをその手に呼び出すと、魔力を全力でチャージしだした。彼女が着込んでいる丈の長いローブが音を立ててはためき、翻る。
「分かりました、勇者レオ」
「おう」
「やはり貴方はダラダラダラダラサボってばかりの、最低最悪の穀潰しです」
「ちょっと待て」
怒りに燃える瞳が俺に向けられる。どうも、魔将軍は本気で俺を追い出す気になってしまったようだった。
まあ無理もない。30分ほど外に出て仕事をしてからというもの、俺はずっと《
いや実際は違うのだが、少なくともこいつからはそうとしか見えなかっただろう。
「待て。落ち着け。冷静になれ」
「私は冷静です。冷静に冷静に冷静に考えた結果、あなたはまったくもって、これっぽっちも役に立たないという結論に至りました」
杖を一振りしギリギリと歯ぎしりする。魔力圧だけで書類が宙を舞い、窓枠がガタガタと音を立てて軋んだ。暖炉の火が消え、灰が舞い散る。
「なぁにがお前を後悔させる事は絶対にないですか。後悔だらけです!
私の胸の中では、今! 後悔という大波が荒れ狂っています!」
「
「やかましい!」
そうこうしている間にも魔力は高まっていく。杖の先端を取り巻くように光が収束し、バチバチという嫌なスパーク音が聞こえてきた。
これはマズい。何がマズいって――――こいつ、室内で雷電系の最大呪文を放つつもりだ!
そんなことをしたら室内の書類が全てパーだ。自分の仕事成果を無に返してでも俺を始末しようとする気だ。完全に頭に血がのぼってやがる! やめろバカ!
「いいから聞け。話せばわかる!」
「やかましいーっ!」
「バカ野郎!」
――コン、コン。
「……」
「……」
俺に向けて《
控えめなノックの音が執務室にこだました。
――コン、コン。
聞き違いではない。確かに誰かが――この執務室を訪ねてきた誰かが、扉をノックをしている。
「客……客だぞ。ほら。入れてやらなくていいのか?」
「……」
「大事な用かもしれないぞ」
シュティーナが杖を収める。俺も《
咳払いをひとつ。魔将軍の威厳を取り戻したあと、来訪者を出迎える。
「ど……どうぞ。入りなさい」
「――はい、失礼します」
果たして、おずおずと姿を現したのは予想通りの奴だった。
真面目で頭が回りそうなダークエルフの女。
すなわち、約2時間ほど前に俺が仕事を教えてやったやつだ。
「あの――――シュティーナ様の魔力炉四基、魔力供給終わりました」
「は?」
よかった。
俺の目論見――つまり、シュティーナ以外の誰でも魔力供給の仕事をできるようにするのは、どうやら成功したようだった。
あっけにとられたシュティーナが口を滑らせる前に、俺が応対してやった。
『――ご苦労であった。では、詳細を報告せよ』
地の底から響くような、低く威厳に満ちた声でねぎらってやる。
ダークエルフはぴしりと背筋を伸ばし、報告に入った。
さあ。ここからは答え合わせの時間だ。
シュティーナの驚く顔を想像し、俺は漆黒の
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