3. 勇者 vs 獣将軍リリ

3-1. はじめてのおつかい(大惨事)


「いくよー! みんないいかな? いいよね?」

『ちょっと待て』


 あわてて呼びかけるが、一段高い岩の上に立つには聞こえていないようだった。俺は人混みを強引に押し分け、前へ出ようとする。

 押されたせいでつんのめりかけたオークが不機嫌そうに絡んでくるのを《雷光撃スタンボルト》の一撃で悶絶させ、そのまま流れるようにボディブローを叩き込んで沈黙させる。ごめんよ! 君に構ってる暇はないんだ。それよりあの馬鹿だ。


「さん、にー、いちでスタートね! ずるっこはだめ!」

『おい聞け。ちょっと待て!』


 聞こえていない。


「さん! にーい! いち!」

『――あああァ止まれ! リリ! このクソガキ!』


 俺は黒騎士オニキス卿としての口調も忘れ、あらん限りの罵り声をあげた。


「スタート!」


 雄叫びと共に、獣将軍リリ配下のが一斉に駆け出した。

 魔犬族ハウンドが我先にと大地を駆け、巨鳥族ロックは翼を広げて空を飛び、その後ろをコボルトやゴブリンといった比較的身軽な獣人が、さらにその後ろをオークや巨人族ジャイアントといった鈍重な奴らがのそのそと走っていく。


 それらを圧倒的に引き離して先頭を独走するのがリリだ。

 実に元気で、非常に楽しそうだった。

 遠巻きに見ていた農家の皆さんは、“大丈夫なの?” ”はやく帰ってくれない?” と言いたげな、実に不安そうな目を俺に向けている。


『…………』


 兵站部隊――もとい、獣将軍リリの頭の悪さ――は、

 俺の予想の遥か上を行っていた。




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 勇者、辞めます ~次の職場は魔王城~


 ……第三話:勇者 vs 獣将軍リリ

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 ――――ラルゴ海。

 魔王城のはるか南方に位置し、海域の実に8割以上が謎に包まれた前人未到の地だ。


 情報を集めたければ、それこそ適当な港町の適当な酒場に行き、適当な船乗りにエールを奢ってやるだけでいい。

 ラルゴ海のことが聞きたい――そう告げるだけで、中央大陸では採れない希少鉱石がいっぱいだとか、見たこともない生物が生息しているだとか、旧時代――俺達が日々お世話になっている魔術とはまた違う “機械文明” の遺産が眠ってるだとか、色々な話が聞けるだろう。信憑性はともかく。


 そんな感じに、とにかくオトコノコの冒険心をくすぐるエリアなのだが、だからと言ってバカ正直に船で行くのはおすすめしない。

 理由は簡単。死ぬからだ。


 海域全体で複雑な海流が渦を巻いており、足を踏み入れたが最後、二度と生きては出られない。

 しかも海域のあちこちに得体のしれない海竜・海獣が生息しており、仮に海流を凌いだとしても今度はそれらの相手をしないといけない。

 船で近づく者は誰もおらず、あちらと中央大陸を気ままに行き来できるのはせいぜい渡り鳥くらいだった。


 それでもなお、美しいラルゴ海に浮かぶと言われる無数の島々の噂は、人々を魅了して離さない。

 中には西方エルキアに匹敵する大きさの大陸まであると言われているが、結局はそれも噂に過ぎない。

 だって、“魔のラルゴ”から生きて帰った者など、誰もいないのだから――――






(まあ、ここにいるんだけどね)


 そういう事で、俺は今ラルゴ海に浮かぶ島のひとつに来ている。ここに来るのは何度目だったか……回数を忘れるくらいには来ている。

 出力を弱めた《風刃ウィンドカッター》で南国の木の実――名前はココヤシ――を叩き割り、したたる果汁に肉厚の果肉を浸して食べる。甘ったるいジュースとほどよい酸味のある果肉が良い感じにマッチして、疲れきった俺の頭を活性化させてくれた。


 「ああー! まって、にいちゃん! だめ!

  あたしがってしてあげる!」


 ココヤシの匂いをかぎつけたのか、俺のいる天幕にリリが飛び込んできた。

 木製スプーンごとココヤシをひったくられ、再度口元につきつけられる。


 「はい! あーん!」

 「ありがとうな……」

 「どういたしまして!」


 断っておくと、別に魔王軍を辞めてバカンスに来たとかそういうわけじゃない。

 シュティーナに内緒でサボっているわけでもない。

 とうとうリリと夫婦になって新婚旅行というわけでもない。


 この島は――というか、ラルゴ海域ほぼ全体が――魔王軍の補給基地なのだ。


 「せい!」


 ココヤシを素手で叩き割り、中のジュースをゴクゴクと飲みだす。

 この野生児リリがここの責任者だ。


 なぜラルゴが補給基地なのか? というのは、ちゃんとした理由がある。

 人の世界との繋がりを絶ち、ひっそりとラルゴに住んでいる竜人という種族が居るのだ。そう、人間嫌いで有名なあの竜人族だ。

 彼らは人間と魔王軍を天秤にかけた結果、後者に協力する道を選んだ。魔王エキドナと密かに盟約を結び、魔王城と島々を結ぶ《転送門ワープポータル》の設置を許可し、魔王軍が持ち寄る多少の資源と引き換えに様々な物資の提供を約束した。


「あのね、畑でにんじんも貰ったの! たべる?」

「いや、俺はいい」

「ふーん?」 生でバリボリと人参を齧りだす。


 こんな具合に、たとえば農作地を尋ねれば新鮮な野菜がどっさりと手に入るし、沿岸部を尋ねればナマで食っても美味い採れたての魚が山ほど貰える。

 それだけではなく、竜人の集落に行けば武器や防具、霊薬、毛布に衣服といったあらゆるものが手に入る。


 食料、装備、その他もろもろ。

 ここラルゴ海域とそこに浮かぶ島々は、まさに魔王軍の生命線というわけだ。


 そういった事情を知ってはじめて、獣将軍リリが軍の生命線たる兵站部門に置かれた理由を少し理解できた。

 なにせ、ここまで環境が整っているのだ。あとはもう簡単なおつかいでしかない。


 村々を周り、シュティーナが予めリストアップしておいた物資を受領する。

 部下総出でその物資をポータルまで運搬する。

 ポータルを通じて魔王城の倉庫へ運び込む。


 規模こそ大きいが、やる事は子供のおつかいだ。しかもリリの配下には様々な獣人・亜人・魔獣どもが揃っているから、業務の効率化もしやすい。


 巨鳥族ロックは空が飛べるから、船を待たずとも別の島々に用意された物資を回収してこれる。

 巨人族ジャイアントの腕力は凄まじい。穀物や野菜を入れた木箱はかなりの重さになるが、こいつらなら問題なく運搬できる。

 数量指定や現地挨拶をはじめとする交渉はゴブリンのような賢い亜人に任せればいい。魔犬族ハウンドにソリでもひかせれば、脚の遅い彼らでも島中に点在する村々をラクに移動できるだろう。


 適材適所で運用すれば、それこそ一日で物資の運び込みは完了するはずだった。

 適材適所で運用な!



「はあああ」

「どうしたの? おなかいたい?」

「頭が痛い」

「――たいへん! まってて!」


 いや、本当に痛いわけじゃなくてね……と俺が付け加えた時には、既にバタバタと天幕を飛び出していったあとだった。外から元気な声が聞こえてくる。


「薬! くすり持ってるひとー!」

「はあああ」


 何の話だったか……適材適所だ。さすが野生児というかなんというか、リリはそういった適材適所の運用をまったくしていなかった。


 見ててね! あたしの仕事っぷりを見ててね!

 自信満々にそう言い放った彼女は、招集した部下たちに「誰が一番はやく物資を運んでこれるか競争ね!」と指示を出し、唖然とする俺の目の前で

 “チキチキ! 魔王軍・かけっこ大会”を初めたのだった。


 一度にどれくらい運べばいいんですか――比較的賢明なコボルト君はそう問うた。

 比較的賢明ではない獣将軍閣下は両腕を大きく広げ、「!」と仰った。


 一往復で終わりでいいんですか――別のゴブリンがそう訪ねた。

 遊び盛りの獣将軍閣下は「きょうはそれで終わりで、のこりは明日やろう!」と仰った。


 言わせてくれ。

 こんな調子で仕事が終わるわけねーだろ!


 こんな!

 調子で!


 仕事が終わるわけ!

 ねーだろ!

 バカ!!!



 長くとも二日で終わるはずの補給作業は既に六日目に突入し、魔王城のシュティーナからは『物資不足で兵士の訓練が滞っている』と連絡が入っていた。

 現地住民――竜人の皆さんからも大量のクレームが届いている。そりゃあ、あれだけの軍団が秩序なしに移動すれば文句も出るよなあ……

 とりあえず部隊をいくつかに分けてあちこちの村に置き、農家の手伝いなどをさせてお詫びとしているが、こんなの焼け石に水だろう。


 率直に言って帰りたい。

 シュティーナかメルネスかエドヴァルトの仕事を手伝いたい。



「俺が……俺が指揮すれば、容易に終わるが……」



 地面につっぷす。それでは。軍団のためにならない。

 俺とて、ずっとここにつきっきりで面倒をみれるわけではない。リリが一人で仕事――子供のおつかい――をこなせるようにするには、俺がなんとかして


 『組織そしきのために納期のうきを守ろう』

 『みんなで協力きょうりょくして効率こうりつよく作業さぎょうを進めよう』

 『現地げんちの人にめいわくはかけないようにしよう』


 みたいな事を教えてやるほかないのだ。

 さもなければ、兵站部隊は永久にこの生活を続ける事になるだろう。いや、その前に補給不全で魔王軍が潰れるか、竜人の皆さんからのクレームによって業務提携を解消される可能性のほうが遥かに高い。そうなれば魔王軍は即・おしまいだ。


「……かと言ってなあ~。業務効率とかそういうのをバカ正直に子供に説くか? それでこの状況が改善するか? 無理だろ……」


 頭を抱える。シュティーナの時と違い、子供には“理”が通じないから困る。

 いっそ、子持ちの竜人さんに『たのしくお勉強させるコツ』でも聞いてくるか。

 外からは未だにリリのうるさい声が聞こえてくる。


「おくすりもってる人ー! にいちゃんが大変なのー!」

「……」


 リリの良いところは、俺の言うことは(理解できる内容なら)聞いてくれるし、俺の為ならば真摯に頑張ってくれるところだった。

 はあ。俺を気に入ってくれたのは別にいいんだが、その情熱の半分、いや、一割でも仕事に向けてくれれば――――――。


 ピンと来て跳ね起きる。


「…………これだ!」


 うん、うん。島中に軍団が散らばっている今がチャンスだ。


 子供を納得させるのは、言葉ではない。経験だ。

 成功経験が人を育て、楽しかった経験が人を惹きつける。

 要は『協力して仕事をするのは楽しい』みたいな経験をさせてやればいい!


 俺は思いついた計画を即座に実行へ移すべく、《獣召喚サモンビースト》の呪文を唱え――お目当ての動物を足元に呼び出した。


 ----


 ――数分後、リリがバタバタと天幕に戻ってきた。


「にいちゃんごめんね! 遅くなっちゃった!」

「……」


「にいちゃん? だいじょうぶ?」

「……」

「あたまいたい?」


 返事が無いのを訝しみ、ゆっくりと近寄ってくる。

 ぺたぺたと歩いてきて俺の顔を覗き込み――驚きのあまり目をまんまるに見開く。


「……!!!」


 果たしてそこには――猛毒に冒され、顔を赤紫色に染め、荒い息を吐く勇者レオの姿があった。

 俺を噛んだ毒蛇、エルキアマダラヘビがリリの足元をすりぬけ、しゅるしゅると逃げていった。

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