四章03「見習いたい相手」
スーパーでタイムセール品を奪われに奪われる不幸の連鎖から抜け出した拓巳。必要なものはなんとか確保し、渡辺家へと直接訪れていた。
「メニューは拓巳君に任せる」
「はいはい、わかってますとも」
慣れきったやりとりと動作。それでも拓巳の手はいつもより遅い。歩美がそれに気づかないはずがなかった。
「どうしたの? さっちんの手が温かいのを思い出してた?」
「思い出してないから。それに手の温度なんて覚えてないぞ」
「それってドキドキしすぎて覚えてないの?」
「わからん」
それが本音だった。あの時の気持ちをどう表現すればいいのか。ただそれより前の部室での宣言を聞いて、芙蓉幸に尊敬の念のようなものを抱いていたのは事実。
見直したというべきか、見誤っていたというべきか。とにかく彼女の印象が変わったのだ。
「じゃあどうしたの」
「うん、幸の決意を聞いてね」
「あれ? さっちんを名前で呼んでた?」
「そこは今いいから話の腰を折らないでくれ」
「しょうがない。わかった」
歩美が聞く姿勢になったので話しかけていたことを口にする。珍しくパンチラさせないで背筋を真っ直ぐにソファーの上で正座していた。
正座には突っ込まないことにする。絶対ツッコミをいれるだろうと思っての行動に違いない。
「部のためにがんばるって言ってくれただろ」
「うん。さっちんが積極的に苦手を克服したいと言ったのは意外だった」
「あの時から思ってたし、家まで送り届けて思ったんだ」
「どんなことを?」
「俺は彼女を見習いたい。いや、見習わなきゃいけないって」
「どうしてそんな風に思うの」
「華楽部はあゆ姉が俺を一人にしないために作っただろ。確かに一人じゃなくなったけど、今のままの自分ではあゆ姉の気遣いが無駄になると思ったんだ」
「そんなことない」
「いや、あるよ。俺はどこでもなんとかやっていけるのだと楽観視してたんだ」
「実際拓巳君ならどこでもやってけると思うけど」
「あぁ、そうだな。自分にはトラブル回避の運があるから。そこに無意識的に頼って、驕っていた。この国で死ぬことは絶対ない。甘えていたんだ。自分の運命に」
不幸な出来事で死ぬことがない。戦場に立っても死なない運。それがあるのだから、と勝手に安心した。
「でも俺の運が絶対でないことが幸によって証明された今、後悔のない学生生活を送りたいって思うようになってた。もっと言えば、ワクワクしたんだ」
あの日、初対面の幸によってもたらされた不幸。どこか不幸を楽しんでる自分がいたことは否定できない。
「それにようやく気づいたんだ。トラブル回避の運に頼るだけじゃなくて、トラブルに遭わないように人付き合いを避けてたってことに」
「うん、そうだね。だからワタシは無理矢理にでも人と関わる場所を用意した」
彼女はやはりそこに気づいて華楽部を作ったのだ。部員を集めて、部を続けてほしい。それは誰かと関わらなければ成り立たない。
「だから幸を見習って、俺も積極的にトラブルだろうとなんだろうと突っ込んでいくことに決めたよ。普通の学生生活とは程遠いことになっても、それから逃げることはやめる」
「良かった。あの頃の拓巳君に戻ったみたいでホッとした」
かつて歩美に手を差し伸べて助けた日向拓巳。その拓巳に憧れた歩美がその頃に戻ってほしかったからこその華楽部創設。彼女のがんばりが報われた瞬間でもあった。
「あの頃、か。そうだな、それに近い気持ちではあるよ。活気が戻ったっていうのかな。もちろん俺は世界を救えるわけじゃない。ただ目の前のトラブルをきちんと超えていくよ。そのついでに見える範囲の人を手助けする」
「うん、いいと思う」
さすがに足がしびれてきたらしく、ゆっくりと座り直す。タイミングがタイミングだが、真剣に話を聞いてくれてたのはさすがにわかる。
「ありがとう。それにそうしているうちに何かが見える気がするんだ」
「何か、って?」
脚を擦りながらこちらに視線を再び向ける。
「将来やりたいこと、なりたいものさ。前は漠然と海外に戻って何かするのかも、って曖昧な展望しかなかったからね」
「拓巳君のやりたいことか」
「今はまだわかんないけどな」
「うん。じゃあワタシが部にいる間はできるだけ手を貸すから」
「ありがとうな」
微笑みながら静かに優しい声で彼女は応援してくれるのだった。
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