二章04「バントの名人」

 華楽部に入部したその翌日。今日もいつもと同じ朝を迎える。

「昨日は楽しかったな」

 あんな風に騒ぐのも悪くない。迷惑とか、面倒とか逃げていたが結局寂しかったのだ、と拓巳は気づいてしまったのである。

 今日からは華楽部の副部長として、生徒の悩みを解決できるようにがんばらないとな、と決意を密かに改める。

「そもそも悩みを解決とか言いつつ、目安箱とかないんだよな……」

 そんなことをつぶやきながら本日も何もなく普通に登校できたことを感謝する。そんな幸せを噛みしめつつ、下駄箱を開けると上履きの上に白い封筒が乗っていた。

「まさか、これはラブレター!」

 手に取ってみると白い封筒に「果たし状」と書いてある。拓巳としても可愛らしい模様の入った封筒でない時点で予想はついていた。

 わざわざ口に出したのは周囲へアピールしたいだけ。気になって足を止める生徒はいない。少し寂しさを感じつつも果たし状に目を落とした。テープやのりでも止められてない封筒をめくって中から白い紙を取り出す。

 『本日、昼のグランドにて待つ』とシンプルに黒文字で書かれていただけだった。

「そうか。ついにきたか」

 去年も挑まれた対決だ。男として逃げるわけにはいかない。

「怖い顔をしてますね、副部長」

 自分に話しかけられているものであると気づいて横を向くと金髪少女が立っていた。よく見れば彼女に隠れる形で芙蓉幸の姿もある。

「どうして二人ともここに?」

「たまたま通りかかっただけです。一年の下駄箱はあっちなので」

 奥にある下駄箱から教室へはどうやってもここを通らないと行けない。同じタイミングで登校していたのは気づかなかった。

「そ、それでどうしたんですか? 副部長さん」

「あぁ、果たし状をもらったんだよ」

「なんの勝負ですか?」

 理紗が内容を見せてほしいとアピールするので拓巳は封筒ごと渡す。白い紙を広げると後ろにいた幸がひょこっと顔をだした。

「場所と時間しかありませんね」

「しかも、お昼……ですか。昼休憩ですかね」

「おそらくはそういうことだな」

「えっと……誰からなんでしょう」

 幸は拓巳に近づかないように距離をとりながら会話を続ける。

「あいつしかいない」

「誰ですか? 教えてほしいです」

 金髪少女は興味津々に目を輝かせて聞いてくる。何も教えないとしつこく聞いてきそうだと思った拓巳は少し語ることにした。

「この学園にはバントの名人がいるんだ」

「野球の、ですか?」

「あぁ、野球のバントだ」

 まったく知らなそうな幸の口から野球という単語を聞くとは思わなかった。

「おそらく去年までの華楽部で部に一番貢献していると言ってもいい。野球部は試合の度に依頼してきているみたいだからな」

「……助っ人もお悩み解決ではあると思いますが、それが一番って」

「理紗の言いたいことはわかるが言うな」

 新人、いや、幸が入るまでの華楽部は活動目的をほぼ果たせていなかったと断言してもいい。逆に問題の中心になることは多々あった。当時の拓巳もなんだかんだで巻き込まれてしまっていたのだ。

「それでどうして副部長がバントの名人に挑まれるのですか?」

「俺が変化球をいくつか投げられるから、かな」

「それ……もしかして、その……副部長さんの投げた球をバントできなかったから、ですか?」

「ご明察だよ、芙蓉さん。プライドが許さないんだろうね。一年越しの再戦ってやつだ」

「あ、そうだったのですか」

 理紗の体を挟んで会話しているこの状況。胸を押し当てられている理紗はとても幸せそうな表情をしている。拓巳はあえてそこにツッコミをいれなかった。

「そんな人が相手で大丈夫、ですか?」

「対決のこと?」

「はい。勝つつもり、ですよね」

 珍しく幸のほうからがんばって話しかけてくれる。彼女も彼女で努力しているのだろう。

「俺も相手もそのつもりだ。ケンカをするわけじゃないから心配しなくてもいいよ。まぁ、怪我をすることもあるかもしれないが……その時はその時だ」

 トラブル回避の運のある拓巳でも自分の投げた球で指が傷つくことは当然ある。打球を股間に受けない等の不幸を回避できるだけで自らの行為に幸運は働かない。

「そうですか……あ、が、がんばってください」

「あぁ、ありがとう」

「こっそり見に行きます」

「面白い対決じゃないからおすすめしないぞ」

 見たがっている理紗に釘を刺してからその場を後にする。教室についたらイメージトレーニングをしようと心に決めて。


 そして迎えた昼休憩。軽く菓子パンを食べ終えてグランドへとやってきた。グランドの詳細な場所は書いてなかったが、去年と同じなら野球部の使っている端のところが正解。ホームベースを埋め込まれており、他のベースは練習前に乗せるようにできている。

 そんなホームベースに一人の少女が立っていた。

「待ってたよぉ、タクミ」

「あぁ、待たせたな。まどか」

 バントの名人、高宮まどか。帯電体質は彼女の特性の一つであり、バントはひたすらに極めた特技の一つである。

「勝ったら当然あたしと恋人になってね」

「おいおい、部に入ったからってその要求かよ」

「あたし、タクミのストーカーだもん」

「どういう理屈かは理解したくないな」

 まどかは去年の対決では部に入ることを賭けた。しかし、あくまでメインは勝負。部に入るかどうかはその賞品として。

「どうするの? やめちゃう?」

「いいぜ。のってやるともさ。でも忘れてないよな? 去年、一球もかすらなかったぞ」

 一年前に挑まれたバント勝負は拓巳の完全勝利で幕を閉じている。まどかが昔のままで彼が付け焼刃程度の変化球しか投げれないと思い込んでいたのも敗因だった。

「今回は油断も、慢心もしない。バントの名人としての誇りを取り戻すためにここにいるっ」

「いつもこれくらい真面目でいてくれたらな」

 ストーカー行為などせずになぜ勝負のように正面から来ないのか。放電すれば抱きつけるのにしない。彼女の中のルールが拓巳にはまだ見えていなかった。

「あたしはいつだって大真面目だよ?」

「はいはい。それで、今回はどうするんだ。前回と同じでいいのか」

「同じでいいよ。三回投げる間に当てられなければあたしの負け」

「当たってもファールならノーカウントだっけか」

「うん。ファールしまくればタクミの体力が削れてヒットになりやすくなるから、粘るよ」

「去年は一球も当たらず三球で終わったまどかが強気だな」

「うぅ……でも、去年とは違うもん」

 こっそり練習していたのだと拓巳はなんとなく悟る。うちの野球部の練習試合でどうしても出塁したいという時に呼ばれたのがまどかだった。送りバントも合わせて失敗したことは一度としてないと聞く。名人と呼ぶにふさわしい特技。それからは試合の度にベンチに必ず呼ばれるようになっている。

 そんな名人が苦戦するのが拓巳の変化球である。

「野球部にも何回か勧誘された俺の球、今回も魅せてやるよ」

「その自信……何もしてなかったわけじゃないんだね」

「帰宅部は暇でな。サイコロで遊ぶとすぐ飽きるからボールを握ることが多かったんだ」

 運の強さに関係なく、指先の投げ方でサイコロの目を自在に出す技術。海外にいた時にサイコロの目で数字の大きいほうが勝ち、という勝負を持ちかけて危ない場面を何度か切り抜けてきた。

 この国でも使うことはないこともないが、大抵はボードゲームでしか出番はない。遊ぶ相手がいない拓巳にとって、今ではいつ活用されるかもわからない特技となっている。

 何よりもサイコロはすでに極めた技術で進化しない。それなら他のものを極めるのである。

「タクミが負ける気がないのはよくわかったかも」

「当たり前だ。負けたらお前と恋人だからな。絶対に勝つ」

 男には負けられない戦いがある。拓巳にとって今がその時である。

「あたしだって負けられない。今は恋人になって欲しい気持ちよりも、ただバントの名人としてのプライドを取り戻したいもん」

 ここにいるのは幼馴染ではなく、宿敵。

「スカートのままでいいのか? 恥ずかしくて鈍ったとかそんな言い訳をいうなよ」

「そうやって煽っても冷静さは失わないよ、タクミ」

 作戦をあっさりと見抜かれていた。拓巳としても期待していたわけではないが、まったく通じないのは予想外だった。

「じゃあ、やるか」

「うん。始めよう」

 互いのプライドをかけた真剣勝負が幕を開けた。


 どこからか噂を聞きつけたのか、周りにちらほらと生徒の姿が見える。野球部は当然として、野次馬としてきてるだけの人もいるようだ。見知った顔もある。

「さぁーて、ねじ伏せますかね」

 腕や脚を伸ばして準備運動みたいなことを軽くやる。すでにバッターボックスにはまどかが入っており、それにつられるようにマウンドに立つ。

 キャッチャーはもちろんいない。通り過ぎたボールが後ろのフェンスに直撃して、落ちた球をまどかに投げ返してもらう方式。そうする理由はもちろんある。

 この対決をフェンス越しに見守る中に金髪少女と巨乳少女の姿もあった。

「行くぞー!」

「ばっちこーい!」

 気合充分な彼女を前にグローブで隠しながらボールの握りを決める。そうして片足を軽く上げた後、大きく振りかぶって全力投球。

「ふんっ!」

 投げた球はまどかに到達する前から球筋が下へと変化し、ある地点を境にガクンとさらに下方向に落ちた。

「あっ!」

 直前でバッドを下げるも遅くすでにボールが通過してしまう。

「くっ! フォーク……」

 地面に転がったボールを恨めしそうに見つめるまどか。この勝負はストライクかボールかの判定はなく、三球を空振りしたら終わり。当ててファールなら続行という特殊ルール。

「これで一球目だ。あと二球だ。泣いてもおまけしないぞ」

「泣かないもん。まだ一球だし」

 まだ余裕を見せるまどかはボールを拾い上げてこちらに投げる。返球されたボールを受け取って次の投球へと移る。

 睨み合うようにしながら球種を決めるとゆっくりと構えて二球目を投げつけた。

「ふっ!」

 同じような軌道を描いた球筋が斜め方向に落ちて行く。フォークではなく、カーブがきても彼女はしっかりと目で追いついていた。

「えいっ!」

 スイングするような掛け声でバッドを当てにいったまどかだったが、見事にスカってボールは抜けてフェンスに直撃して地面に落ちた。

「惜しかったな」

 かすりもしないが前回より目がついていけているあたり、一年前より成長していることを彼は実感していた。

「全然だよっ。あと一球……」

 互いに熱くなっているのを感じながら勝負は続いていく。

「おーい、日向!」

「あれは……野球部の主将さんか」

 拓巳にとっては一年前にも見たような既視感を覚えた。

「やっぱり今からでも野球部にはいらないかー!」

 唐突に勧誘を始める野球部の主将。もちろん誘われるのは初めでではなく、去年も二球目を投げたあとで勧誘をしてきた。。

「無理ですよ、主将っ! 俺は体力もないし、速度もない。変化球の種類とキレだけじゃ使い物になりませんから」

「たまには違うパターンでことわれー!」

「すいませーん」

 笑顔でやりとりするほど軽いものだが、拓巳は主将が本気で誘っていることは知っていた。


 勧誘した主将は断られるとはわかっていた。その胸中は残念な気持ちでいっぱいであったが、清々しい気分でもある。だが、それでもこういわざるを得ない。

「はぁ、もったいないな」

「ちょっとすいません。少しお聞きしたいのですけど」

 主将がその声で振り返ると理事長の娘が立っていて驚きの表情を浮かべてる。まさか話しかけられると思ってなかったようだ。

「あそこまで投げれるとやっぱり野球部としては投手で欲しいですか?」

「あぁ、欲しいね。日向のやつは変化球を四種類も無駄に投げることができてな。これがまたどれも無駄にキレがいい。ただ捕れるキャッチャーがいないのが問題でな」

 この勝負で拓巳がフェンスに向かって投げている理由の一つだ。

「そ、それなのに……勧誘するんですね」

 理事長の娘の後ろに隠れていた少女も会話にがんばって参加する。彼女的には見知らぬ人が相手でもどうしても聞きたいことだった。

「理由は華楽部の君たちと一緒だよ。彼の力が部に欲しい。今は捕れないだけで、練習すれば捕れるようになるはずだからな」

「そこまで望まれても副部長さんは……」

 占いの得意な彼女は勝手に占っているから知っていることがある。日向拓巳が頑固であることを。

「そんな人がようやく部活に入ったわけですか……今更ながらすごいことしたんだ、私」

 卑怯な手段を使っても折れてくれないという可能性は理紗自身も考えていた。しかし、あっさりと負けを認めて入部した。内心、驚きで動揺していたのは内緒である。

「あぁ、君らの華楽部にね。羨ましいよ。そっちも散々断られてたみたいだし、回数で言えば野球部は今のを入れて四回目だから」

 一年以上もどの部にも入らなかった拓巳。幼馴染が誘っても入らなかった人がようやく自分達をきっかけに入部した。幸がいなければ興味を持たなかったし、自身の超能力がいなければサイコロ勝負に負けていた。

「でも、どうしてそこまで断っていたのかな」

 幸は不思議でならない。華楽部に入らなかったのはわかる。しかし、必要とされている他の部の誘いも断っている。

「副部長も言ってたでしょ」

「……あ、そうだね」

 幸はきっかけが欲しかったと拓巳が話したことを思いだした。一年も断ってきたのは途中から意固地になっていただけ。いつからかは本人もわからないが、華楽部に入りたかった気持ちがあったのだ。

 だから他の部を断り続けていた。

「それならもしかして」

 だとしたら幼馴染が恋人になれない理由も同じで、互いにきっかけが欲しいだけ。これにまどかが勝てば、あっさりと付き合うことになるかもしれない。なら、部員として彼女がしてあげられるのは、

「高宮さん! がんばってくださーい!」

 応援だけだった。

「さ、幸?」

 急に彼女が大声で応援を始めたことに驚いてしまう。


 その応援は当然二人にも届いていた。最後の一球をどうするかと悩んでいる拓巳と、タイムを申し出て精神を集中しているまどかに。

「さっちゃん、ありがとー!」

 すぐに手を振って返事をするあたり、後輩を大事に思っているのが拓巳に伝わる。今ので集中が乱されたのは確実。怒鳴ってしまう人間だって中に入るかもしれない。

「よし、ふー……少しはいいところを見せなきゃね」

 こうして緊張がほぐれて逆に気合の入る人間だっている。

「厄介だな」

 プライドにこだわってなんとしても当てる気持ちだけが先行していたまどか。投げた二球は彼女が多少の焦りやプレッシャーのおかげでやりすごせていた。

「いつでもいいよ、タクミ!」

 バットを構えてバントの姿勢をとる。さっきまでと同じ感覚で投げれば確実に当てられると拓巳は本能で悟る。まだ出していない変化球をぶつけるか、それとも同じ変化球をぶつけるか。

「……とっておきだよな、ここは」

 去年の三球でも出さなかった変化球。スライダー、フォーク、カーブ。そして、この変化球。握りをあの特殊なものに変えて、まどかを見据える。

「いくぞっ!」

 彼が球を投げた瞬間、主将を含めた野球部の一部から驚嘆の声があがる。

「これっ……!」

 同時にまどかも球が無回転であることに気づく。

 ナックル。

 投げた本人ですらどう変化するかわからない変化球。野球部の主将がキレが良すぎて捕れる奴が今はいない、と言っていた最大の理由。

「でもっ!」

 一歩前に踏み出て当てに行く。変化する球を少しでも変化しきる前に捉えるために。キレのいい変化は目で追うだけでは辛い。

「名人なめんなっ!」

 コツンッ、と当たる音がして球が上へと跳ね上がる。

「あっ!」

 思わず拓巳も声をあげるが、高く上がりすぎた打球はまどかの後ろへと飛んで落ちた。

「ファールだね」

 戻るように足元に転がってきた球を掴んでまどかは拓巳に投げ返した。彼女の今の表情はとても自信で満ち溢れている。

「最大の武器だったんだけどな」

「知ってるよ。昔、投げられるようになったのを聞いたことあるからね。警戒は去年からしてたよ」

 幼馴染である故の情報。他にまったく知らない人がいないわけではない。だが、知る人は限られている。

 野球部の主将である彼はたまたま目撃しただけ。まどかが拓巳のナックルを実際に見るのはこれが初めてであった。

「一球だけ延命したな」

「次はヒットにする!」

 負けられない二人は自然と笑みを浮かべていた。心の熱さを感じながら、昔に遊んでいたあの頃のような懐かしさを覚える。

「宣言だ。もう一回、ナックルで行くぞ」

 余裕や慢心ではなく、敬意を表して拓巳はあえて口にした。勝負ごとに置いて運の良さは発揮されない。あくまで自身に降りかかる不幸がないという運の良さ。

 勝負運は互いの実力と勘、その時の運が決める。だから拓巳は最大の武器であるナックルを投げると宣言した。これ以上のものは自分にないのだ、と。

「望むところ!」

 構えたまどかを見て、拓巳は投球へと移っていく。これで打たれたら、それは運命であったとしてまどかと恋人になってみるのも悪くない。彼は口角が吊り上りながら腕を振りぬいた。

「ふんっ!」

 放たれた球は色んなものの影響を受けて変化を始める。その動きを逃さぬようまどかの目が素早く動く。同時に当てるためにバットも動かした。

「くっ!」

 捉えられた、とそんな直感が拓巳の脳内をよぎる。変化に合わせて綺麗にバットが動いて対応できていた。まどかの表情が「やった」と叫んでいる。

 しかし、そこから急に下へと落ち、無情にもバットが空振った。


「あー……また負けた」

 バッターボックスで両手、両膝をついてがっくりとうなだれて燃え尽きている女の子がそこにいた。

「た、高宮さんっ、見えてますってばっ」

 幸が慌てるのも無理はない。いわゆる四つん這いになれば後ろで見ている人にはパンツが丸見えなのだ。拓巳の位置からは見えないのがとても残念であった。

「えー? そんなの見せておけばいいよ、はぁ」

 羞恥心に勝る敗北感によって彼女は投げやりになってしまっている。

「バントの名人の名が泣いている……」

 恋人になることを賭けたことなんてすでに頭になく、プライドが砕け散った現実がのしかかっていた。

「俺の勝ちだけど、正直勝った気はしない。それくらい危なかった」

「そんな慰めはいいよ……」

 勝者の言葉はいつだって敗者には皮肉や自慢にしか聞こえない。去年も似たような光景を拓巳は見たが、そこにいなかった人が今はいる。

「た、立ってください。そうすれば見えません」

「えー? じゃあさっちゃんがそうしてよー。あたし、やーだー」

「わ、わかりました」

 グイッと手を引っ張って立たせようとする幸。理紗もやってきたが、一生懸命にがんばる彼女を見て顔がニヤけるだけ。片腕を引っ張って立て起こすには身長も力もない。

「なぁ、芙蓉さん。とりあえず隠すように後ろに立てばいいんじゃないかな?」

「あっ、そうですね! 名案です」

 慌てて彼女はまどかの後ろに回り込む。それで周囲から三角ゾーンが男子達に見えることはない。しかし、おかしな光景であるのは言うまでもなかった。

「勝負運は運の良さに含まれない、でしたよね」

「あぁ、そうだよ。実際ズルとはいえ理紗に負けたしな」

 正気に戻ったのか、普通に話しかけてくる彼女に普通に答える拓巳。さきほどまでの理沙のことに触れていいのかはわからない。

「俺の運の良さはあくまでトラブル回避だ。それに幸の不幸体質にはあっさり負けて影響されるしな」

「そうでしたね。それにしてもすごく熱い勝負でしたね」

「面白くはなかっただろ?」

「まぁ、あまり……変化球のすごさを語られてもピンとこないので」

「野球を知らないとそうだよな」

 知っていても面白いかと聞かれれば微妙である。

「すごいのだけはわかりました」

 周りの雰囲気から察した理紗はそう語る。

「あ、あのー……高宮さんはどうしましょう」

「ピースがかみ合ったら復活するから放っておくといいよ」

「え、えぇ……放置です、か」

 さすがに気が引けるらしく、幸はまどかと拓巳を交互に見ながら戸惑っていた。

「心配ないよ。折れやすいけど、切り替えは早いからさ」

「そうなんですか?」

 付き合いの長い拓巳が言うならそうかもしれない。納得とはいかないまでも、それに相当するものは幸にも伝わってきていた。

 気づけばゆっくりとまどかが立ち上がっている。それに気づいた幸は数歩後ろに下がた。

「よしっ! 次は絶対当てる!」

「うわっ、本当に切り替えはやい」

 これには理紗も驚いたようだ。時間にして数分で復活したからだ。

「まぁ、次も俺が勝つけどな」

「ふーんだっ! 次は絶対に負けないから!」

 そう叫ぶとまどかはすぐ走り去っていってしまう。まるでその姿は負け惜しみを言うライバルキャラそのものである。

「あ、そういえば副部長さん。今日は、あの……部室に来ますか?」

「ん、そうだな。昨日の今日だし、たぶん行くと思う」

「わかりました。その……待ってます」

 なぜ幸がそんなことを聞くのか。しかも待っているのか。それはわからないまま昼休憩を終えるのだった。

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