二章03「入部祝い」

「で、なんでこうなったんだ」

 渡辺邸にいつも通りに夕食を作りに来た彼が初めに言った言葉がこれだった。

「拓巳君の入部祝い」

 リビングでソファーにだらりなく寝そべる歩美が当然のように告げる。

「ぶ、部長さん、見えてますっ!」

 制服のスカートがめくれてるのを慌てて直す幸。

「家ではだらしない部長、いいですね。特にパンツ!」

 その光景に歪みのない返答をする理紗は息遣いが荒い。

「同意を俺に求めるなよ。さすがに毎日履き替えてるんだぞ」

「えっ、それはつまり毎日見ていると」

「あんな無防備だと見えない日はないだろ」

「う、羨ましい……」

「えぇ、まさかの羨望の眼差し。あゆ姉本人ですら変態だと罵ってくるぞ」

「変態であることは恥ずべきことではないですよ」

 こんなにも平然と言い放つのを見ていると彼女が理事長の娘であることを忘れてしまう。

「そ、そうだな。あぁ、それであゆ姉」

「なに?」

 身体を起こしてソファーの上に座り直す歩美。

「膝を抱えたらダメですっ、見えてますからっ」

 見せつけられる神秘の三角ゾーンを慌てて隠そうとする幸。不幸体質であるのもそうだが、本人がフォローに走ろうとするからトラブルに巻き込まれているようにも見える。

「先に帰らせたのはこれを秘密にしたかったこと?」

「違う。拓巳君が帰った後にりさちんが来たいと言い出しただけ」

「一人暮らしの女の子の家に興味があります!」

「タンスを漁るなよ、変態」

 この家に招いてはいけないのが目の前にいる金髪少女である。そう確信した拓巳はそんなセリフを言わざるを得ない。

「今日はしませんよ」

「おい、明日からもダメだぞ」

「なぜ副部長が部長の心配を?」

「心配じゃない。倫理的に注意しただけだ」

 同じ部活だから、昔馴染みだから、ではない。そもそも歩美ではなく、理紗に向けて言っているのである。

「別に見られ」

「部長さん、それ以上はダメです!」

「ナイスブロック」

 思わず親指を立てるくらいの仕事をした幸に感謝をする。歩美の見られてもいいなんて許しを聞けば理紗は大暴走するに違いない。

「むー……まぁいいです。幸、もませてー」

「ちょ、ちょっと待ってっ!」

「肩だよ、肩」

 幸の慌て損。本当に肩を揉み始めた理紗であったが、その表情は女の子がしていいものではない。しかも本人にばれないように深呼吸もして匂いを嗅いでいる。

「それなら……まぁ」

 騙されているがツッコミは入れないでおく。しかし、幸に気弱そうな印象を最初持っていたが、意外としっかりとしている。体質のせいでただ人付き合い、特に男が苦手なだけのようだ。

「今日も俺が料理作るんだよな?」

「当然」

「俺の入部祝いなのに?」

「あ、あの、わたしも、その……副部長さんの料理、食べてみたいです……」

「あー、そう言われると弱いな」

 基本的に褒められると嬉しくなってしまうのが日向拓巳である。そんな風に言われて作らないわけには行かない。

「えっと、俺を入れて四人分か」

「五人分ですよ」

「えっ?」

 理紗のその言葉に思わず気の抜けた声が出てしまう拓巳。しかし、彼の視界には三人しかおらず、自分を入れても四人である。

「ほら、そこに」

 彼女が指さしたのは拓巳。ではなく、その後ろ。

「あたしの分も作ってくれるのっ!」

「いつからそこにいた……」

 振り返るとほぼ真後ろにまどかが立っていた。ぴったりとくっつけないのは帯電しているからトラブルに判定されて謎の力でそれ以上近づけないから。

「いつからがいい?」

「さっき来たと言ってくれ」

 しかしまどかは眩しい笑顔を返してくるだけ。

「副部長が入ってきた時から後ろにいましたよ」

「もー、りさちゃん、言ったらおもしろくないでしょー」

「すいません、つい」

 玄関を入る時にはすでに後ろにいた。

「まどか、忍び足に磨きがかかったんじゃないのか」

「えっ? 極めちゃってから何も変わらないよ。ただタクミに近づけないからそう思うんじゃない?」

 帯電体質である彼女がそばにいればすぐにわかる。それは普通の人の話。拓巳には運の良さが作用して電磁波の作用する範囲内に近づけない。だからさらに気配を消されるとまどかの存在に気づけない。

 しかし、まどかは帯電している限りは拓巳に触れられない。

「そんなものを極めなくてよかったのに」

「タクミを毎日つけてたら身についちゃった」

 ペロリと舌を出しながらお茶目さを醸し出す。拓巳にとっては苛立ちさしか感じない仕草。

「理紗、どうだ。あいつもなかなか可愛いだろう」

「さすがの私でもちょっとコメントしかねます」

 女の子大好きな彼女から真顔で拒否するレベル。そんな危険レベルの高い幼馴染を毎日相手にしていると認識した瞬間、彼の体が戦慄した。

「あれぇ? 歓喜の震え?」

「恐怖の戦慄だよ、ストーカーめ」

「褒められたー」

 もはやツッコミを入れることすら諦めた拓巳。はしゃいでいるまどかを背に幸の介護する歩美に向き直る。よく見ればスカートの裾をつまんだりして、身体に触れないようにしているのに気づく。

「芙蓉さん、それは疲れないか?」

「触れてしまったら部長さんに何が起きるか……」

「別に起きてもいい。家の中では簡単に死にはしない」

「そういう問題じゃないですよ……」

 軽くため息をついて肩を落としていた。こちらに視線を向けてないおかげなのか、割と普通にしゃべってくれる。向き合って話すのが苦手なのかもしれない。

「芙蓉さん、隠す努力をしてるところで悪いけどさ。あゆ姉はずっとこんな調子だから諦めたほうがいい」

「……そんな気はしてました。見えても副部長さんが困らないならいいかな、と」

 気づいてなかったわけではなかった。普通の感覚で言えば彼女のほうが正解なのだ。

「ところで拓巳君、今日の夕食の予定は?」

「こんな人数なんて想定してないから足りないと思うぞ」

「どれくらい足らない?」

「ちょっと待ってくれ」

 台所へと入るとすぐに冷蔵庫を開けて確認する。昨日の夕食を作ったから本人以外が弄ることはないが、念のために見ておきたかった。

「あれ? やっぱ減ってるな」

 確実になくなっているものがある。何と何が消えたかを確実に把握するには部室の奥にいるハッカーを引っ張り出さないと無理な話。

「どうしたんですか? 副部長」

「食材がいくつかなくなってるんだよ」

 近くまで来た理紗に聞こえるように話すが、同時にリビングにいる他の皆にも届いていた。

「まどか先輩が食べたとかでは?」

「あいつは俺のストーカーだからな」

「あゆちゃんの冷蔵庫をいじるとか絶対しないよ、あたし。あとが怖い」

 いつの間にか台所まで来ていたらしく、拓巳のすぐ隣にまどかが立っていた。

「怖い、って……つまみぐいしたことあるのか?」

「ないよ。ないけど、あたしでもそんな恨みを買うようなことしないよ。食べ物の恨みが怖いのは二人から色々聞かされて、あー……若干トラウマかも」

 海外での出来事をまどかにもいくつか話していた。当事者からすれば今や笑い話だが、聞くほうからすれば怖い話かもしれない。

「ないなら買うしかない」

「まぁな、あゆ姉の言う通りだ。どっちみちなくなってたものがあっても足りなかったし」

 下手をすれば二人分の料理が作れるかも怪しかった。

「じゃあ買い出しに行く人を決めないと」

 歩美のその言葉を言いきる前にまどかが大きく手を挙げた。

「いきます!」

「じゃあ俺は行かないからよろしく」

「あ、あれ? タクミ?」

「まどちんが確定、と」

「いや、料理をする人が一緒にいかないとほら、意味がない……」

 てっきり拓巳と一緒に買い物に行けると思って立候補したために完全に狙いがはずれていた。

「色々と準備しないと作るのに時間がかかるからな」

 拓巳は何を作るかをある程度決めて、メモに買う食材を書き始めていた。

「ならあたしも残――」

「買い出しはまどちんと新入生ズの二人で行って欲しい」

「いいですよ、部長」

「あ、わかりました」

 まどかの思惑とすれ違って、あっさりと決まってしまう。

「二人に任せてあたしはタクミの手伝いを」

「まどちん、お願い」

「……行ってきます」

 歩美から発せられる圧倒的なプレッシャーに耐えかねたまどかは折れてしまった。

「りさちん、お金はこれで」

「さ、財布ごと……いいんですか」

 何の迷いもなしに自分の手持ちの全財産を預けてくることに理紗も驚きを隠せない。

「拓巳君に頼まれたものをそれからだして」

「それからって……結構入ってますね」

 中身をチェックする理紗の手が震えていた。理事長の娘でそこそこお金持ちの家であったとしても、百万ほどの現金の束を手にしたことがあるかはわからない。この様子だとないのは明白だろう。

「それなりに稼いでるから」

「部長の舌で稼いだ、お金」

「それだけ聞くと怪しい稼ぎに聞こえるな」

 間違ってはないが、料理店のアドバイザーをしているからのお金とはわかりにくい。

「や、っぱり、お、男の人って……さ、さいていです……」

「ドン引きされた」

 幸から見た拓巳の印象が変わっていくのが言葉だけで伝わってくる。

「でも、さっちゃんも最低ってわかるってことは知識があるってことだよね」

「……ちょっとくらいは」

 墓穴を掘ったことに気づいたらしく、それ以上のコメントを避けた。

「ところで拓巳君、買い出しのリストは?」

「あぁ、今書き終えたところだよ」

「あ、私がもらいます」

「頼んだ」

 理紗の手のひらの上に拓巳がメモを乗せる形で渡す。

「じゃあ……い、行ってきます」

 幸とともにリビングを出ていく。彼女と一度も視線が合わなかったのはさっきの発言のせいではないと思いたい。

「行きましょう、まどか先輩」

「……あい」

 渡辺家の財布を握った理事長の娘に呼ばれ、重い足取りでまどかも買い物へと向かった。


「昨日の今日で、か」

 リビングに戻ってきた彼の口からポツリとそんな言葉が出る。

「賑やかになった」

「今は静かだけどな」

 三人がいたからこそ賑やかであった。二人だけだとこうなってしまうのは必然。

「ワタシ達、友達いないから」

「言うなよ。ちょっと気にしてるんだから」

 まどかの付きまといもあってクラスではかなり浮いてしまっている。友達が欲しいか、欲しくないかと聞かれたらわからないとしか答えられない。

「あゆ姉、友達がいないのはやっぱおかしいかな」

「おかしくない。ワタシにもいない。けど、部活の仲間はいる」

「そうか……」

 はっきりとそんな風に言ってもらえたおかげか、拓巳は安心したように息を吐き出した。

「まぁ、なんというか、周りとうまく合わせられないんだよ」

 協調性がないということを遠まわしに口にする。それだけは拓巳も自覚していた。

「それはたぶん価値観が違うから」

「価値観、か」

「そう、拓巳君は同じ価値観を持っている人しか友達になろうとしない。だから持つ人がいないからならない」

「確かにな」

 言われると納得してしまうほどの説得力があった。厳しい世界も見てきた拓巳はこの国のぬるい部分に実は馴染めていない。恵まれた、豊かな国で育った人では拓巳と同じ価値観は抱かない。

「そうだよな。俺自身もトラブル回避の運に気づいて、いつの間にか死を意識しなくなってたしな」

「確か……人は誰しも死と隣り合わせ、とよく言ってたはず」

「あぁ、運命に守られているのも知らずに偉そうなことを言ったもんだ、あの頃の俺は」

 銃弾の飛び交う戦場を通り抜けたこともあるから抱いたもの。いくつもの死体を見て、さっきまで生きていた人が死んでいくのを見た。両親のそばで生き延びた命も、力尽きて消えた命も見続けた。

「この国にいても死ぬ時は死ぬからな」

「だから拓巳君は必要以上に関わりを避けてる、と思う」

「……悲しむ人は少ないほうがいいと思ってるからだろうな」

 指摘されて自分の思っていることにようやく気づいた。死を悲しんでくれる人がいるのは嬉しくもあり、誇らしくもある。だが、生きる人には強く刻まれてしまう。

 死という記録や記録は生きる人を立ち止まらせる。一瞬だったり、数日だったり、数年だったり、一生だったり。それを知っているからこそ、巻き込みたくないと深層心理のどこかでずっと考えていたから。

 これからは部活の活動上、関わり合いを避けては通れない。もしかして彼女はそこまで考えて自分を華楽部にいれたかっただろうか。

「でも拓巳君が死ぬことは絶対にないから作ってもいいと思う」

「そうかもしれないけど、今更な……」

 もう少しトラブルが避けていく幸運を持っていることに気づくのが早ければ、人生は何かが違ったのだろうか。

「じゃあ作らなくてもいい」

「おいおい」

「少なくとも華楽部にいれば拓巳君は寂しくならない」

「今まで寂しくなんてなかったけど」

 悔しさから強がった拓巳だが、それも見透かされていると察する。昔馴染みに隠し通せるものではない。

「とにかく拓巳君は一人じゃなくなった。それだけで十分」

「ずっとあゆ姉とかまどかがいただろ」

「ワタシとまどちんはただの姉とストーカーだから」

 年齢が一つ上の姉と主張されても、歩美のどこにも姉要素がない。いや、胸には母性を感じる。だが、さすがにこの状況で口にできるほど拓巳は無神経ではなかった。

「はぁ、友達を作れと言ってみたり、作らなくてもいいと言ってみたり」

「おかしいこと言ってない」

「あゆ姉も似たようなもんだろ。友達がいなくても似た者同士が集まってればそれでいいと思うけど」

「それには同意見。だから別にいなくてもいい」

「ん? もしかして華楽部って」

 歩美がそういうことのために作った部活ではないのかと気づく。とても今更ではあるが、そこに昔馴染みを引き入れたがるのもわかる。

「たぶん拓巳君が思っているのとは少し違う」

「そうなのか?」

「うん」

 心を読める力に目覚めた、とか一瞬考えた拓巳だがそうでないとすぐに考え直す。簡単に超能力に目覚めたりしない。それに心を読むには能力がなくてもそれに近いことができる。

「どう違うんだ?」

「それは――」

 ピリリと携帯の着信音が鳴り響く。なんの設定もしてないデフォルトの音でも誰の携帯かがすぐにわかる。

「拓巳君、誰かから電話」

「電話がかかってくるなんていつぶりだよ。携帯の番号知ってるのって三人だけだぞ」

「まどちん」

「いや、あいつの着信音だけは変えてる」

「地味にひどい」

「ひどくねぇよ」

 そんな言葉を交わしながら鳴り続ける携帯を手に取る。ディスプレイには番号だけしかなく、登録のある三人の一人ではない。

 出るかどうかを迷うこともなく、通話のボタンを押して耳に当てる。

「はい、もしもし」

『あ、副部長。私です、私』

「理紗? なんで俺の番号を」

『まどか先輩が覚えていたので聞きました』

「あ、あぁ、そうなのか。それでどうしたんだ?」

『はい。あのメモに書いてある卵のサイズが書いてなくて』

「どっちでもいいよ。黄身の大きさはどのサイズでもあんま変わんないし」

『そうなんですか?』

「あれは産んだニワトリの年齢らしいぞ」

『そうなんですかっ!』

 さすがにそのことには驚いたらしく、声のトーンが跳ね上がった。

「そんなわけだから賞味期限の一番長いやつでよろしく」

『わかりました。買ったらすぐ帰りまーす』

 プツリと切れたのを確認してボタンを押して終了する。

「終わった?」

「あぁ、卵の話だった」

「ちなみに電話番号の登録があるのはワタシとゆいちんと?」

「うちのハッカーだよ」

「あの子かと思った」

「名探偵に教えたら事件現場に呼び出されそうで嫌だからな」

「違う、まどちん」

「携帯持ってるわけないじゃん」

「あ、そっか」

 帯電体質のことをすっかり忘れていたらしい。あまりうろうろされると家電にも影響があるというのに無頓着にもほどがある。

「じゃあ着信音が違うと言ってたのは?」

「あいつの家からの電話の番号」

「……四件にならない?」

「まどかの番号は携帯番号でも数にはいれないから」

 歩美はそれを聞いて「そういうことか」と少しの間を目を閉じる。彼女も納得したようだ。

「それで拓巳君。その番号は登録するの?」

「……かかってきたものはしょうがないだろ」

 四件目の携帯電話番号を登録しつつ、顔がニヤけてしまうのを抑えられない。

「ふーん、まぁいいけど」

「あゆ姉、もしかして嫉妬?」

 色々と含んだ言い方をされて気になってそんな言葉が彼の口から出てしまう。

「してない。そんなのしてない」

 ソファーの上にベターンと寝そべってしまう。その勢いでスカートがめくれてしまうが、隠しに走る幸もいないので丸見えだった。

「あの見えてますが」

「見ても興奮しないくせに」

「いや、まぁ、しないわけじゃ、ないけど」

 綺麗な脚と意外としっかりとした臀部に心を惹かれないわけではない。胸だけが男のウィークポイントではない。

「そう」

 興味なさげに脚をパタパタし始める。この子供っぽさがまた姉とは思えない行動の一つである。指摘したらややこしくなりそうで拓巳は言わなかった。

 そして、そのまま沈黙がやってきてしまう。会話を切り出すタイミングが見いだせないでいると買い出し組が帰ってきてしまった。

「ま、またですかっ」

 リビングに入るなり幸が慌てて歩美のスカートを直しに走るのだった。


 その後、騒ぎに騒ぎながら夕食を食べたあと、理紗を迎えにきた家の車で幸は送られて帰宅。まどかは拓巳が帰るまで渡辺邸に居座ったのだった。

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