二章02「入部を賭けてサイコロを振る」

 放課後を迎えた学園の廊下を歩く。授業を受ける教室のある西館。職員室や美術室、音楽室などをまとめてある東館。その二つを各階の渡り廊下が結んでいる。櫻華学園はこの構造で建っており、華楽部の部室は東館の角部屋にある。

 普通ならば角部屋は機能のある教室が配置される。華楽部の部室も例外でなく、本来ならコンピュータルームであった。そこを占拠する形で使っているのである。

 そんな元コンピュータルーム、現華楽部部室のドアの前に立った拓巳。呼吸を整えて、軽くノックをしてドアを開いた。

「いらっしゃい、拓巳君」

 出迎えた部長の表情は待っていた、と言わんばかりに満足そうに見える。他の人には無表情に見えるかもしれないが、拓巳にはそんな風にしか受け取れなかった。

「うまく誘い出された気がしてならないな」

「そんなことない。ただ拓巳君ならさっちんに興味を持ってくれると思った」

「それを乗せられてるっていうんだよ」

 部室内をぐるりと見ると部長だけでなく、櫻華理紗と芙蓉幸の姿もある。そして奥のパソコン群の中にもう一人いる。キーボードを静かに叩く音だけで存在感をかもしだしていた。

「華楽部に入ってくれる気になってると嬉しいけど」

「今日はそのことで来たわけじゃないんだ。あゆ姉もわかってるでしょ」

「言ってみただけ。でも、諦めてない。ワタシが拓巳君を諦めるわけがない」

 言葉だけを聞くとストーカーっぽく聞こえてしまう。ふとそこで彼は気づく。

「まどかはいないのか」

「部室にあまり顔を出せない理由は知ってるはず」

「知ってるけど、来るかなと思ってたからちょっとな」

 帯電体質であるまどかが部室とはいえ、コンピュータルームに入りにくいのは言うまでもない。入室前に絶対に放電することを義務付けられる。破ればこの部室の主であるハッカーを怒らせることになってしまう。

「日向先輩が私や幸よりもこの部の事情には詳しいのは当然ですが、複雑な気分です」

「そ、そうだね。わたし達はまだ入ったばかりだし仕方ないよ。それにおさ、あ、昔馴染みの二人だから」

 拓巳と歩美のすべてを語らなくても通じ合っている感じに戸惑っていた。理紗相手だと彼女は普通にしゃべるなと拓巳は改めて思う。

「さっそくだけど本題に入るけどさ、あゆ姉」

「なにかな?」

「芙蓉さんの体質を俺で試して検証してたよね」

「否定はしない」

 家の前で呼び止められたときのことを拓巳は思いだす。わざわざ尾行していた理由はやはりそこだった。本人も知らない体質を解明しようとしたのだ。部長なりの勝手なお節介。

「彼女に触れられると不幸なことが起きる、だよね」

「そう。でも、ワタシがさっちんを部に誘った理由ではないけど」

「そうなんですか?」

 誰よりも最初に反応したのは話題にされている本人だった。幸としても自分の体質を見て誘われたのだと思っていたから。

「部長! 部長も幸を保護しなきゃって思ったんですね!」

 歩美はゆっくりと親指を立てた。

「占いしてるところを見てるうちに自然と」

「あゆ姉、そんなキャラじゃないでしょ。ちっちゃいけど」

「ち、小さいことを今言うタイミングじゃなかったでしょ! ハッ!」

 思わず身長のことに反応して子供っぽい部分が露呈してしまう。すぐ気づいた歩美であったがすでに遅い。

「部長さんがそんな風にしゃべるの初めて見ました」

「か、可愛いっ! うちに一台欲しいっ」

 理紗の理性を刺激したらしく、歩美に飛びつくように近づいて抱きしめる。

「や、やめ……ワタシはぬいぐるみとかじゃないから……」

 小柄な彼女では理紗から自力で抜け出すことはできない。

「た、助けて」

「助けてもいいけど、部には入らないよ?」

「……じゃあいい」

「そこまで俺を入れたいのかよ」

 抱きしめられて苦しいのにそれよりも優先されること。そこまでこだわる明確な理由が副部長にしたいというだけでは納得いかない。それに入部しなければ華楽部と名乗れない理由が未だにわからないのである。

「お邪魔みたいだし、俺は帰ったほうがいいかな」

「待って、お願いだから待って……」

「本当は助けてほしいでしょ」

 頬ずりをして可愛がる理紗にげんなりしている歩美に問いかける。すると黙り込んでしまい、理紗の荒い息遣いだけが部室に響く。

「あぁ、かわいい、かわいいよぉお」

「とにかくあゆ姉は芙蓉さんの占いを見て誘ったわけだ」

 声を出せないのか、歩美はゆっくりと首を縦に振った。不幸が起きる体質ばかり注目してしまっていたが、最初からそれがわかるわけではない。理紗も言っていた得意な占いが先に目がつくはずだ。

 それに華楽部の目的として、占いができるというのは大いに助かる。それは学園内の悩みを聞くのに適した才能だからだ。問題を解決することは名探偵とハッカーで賄っているが、今まで悩みを聞くことはほぼできなかったに等しい。

「とにかく誘ったあとでさっちんの体質を聞いたから、拓巳君に試してみたくなって」

「だから昨日二人が来たのか」

「あ、いえ、その……わたしだけの、つもりでした、から」

「あー、そうだったね」

 本来なら一人で来るつもりだったのが、心配になった理紗も追いかけてきた。昨日の放課後はそういう話であったことを思いだした。

「ま、でも運の良さだけじゃ生きてこれなかったかもな。トラブル回避の運があると気づいたのは割と最近だから」

「そう……なんですか?」

「あぁ、それまで自分の力で乗り越えてきたと思ってたんだ」

 特に海外での生活を乗り切れたのは歩美の舌と拓巳の特技のおかげな部分も大きい。

「拓巳君のサイコロにはよく助けられた」

 ようやく理紗から解放された歩美が落ち着きを取り戻しながら話し始める。

「サイコロ? どういうことですか?」

 幸もその話に興味を持ったようだった。

「拓巳君はサイコロの目を好きに出せるから。困った時は出た目が大きいほうが勝ちという勝負を持ちかけてた」

「海外でも通じるシンプルな勝負だからな。大きい数字のほうが勝ちってのは」

「そういえば部長と日向先輩は海外を飛び回ってたんですよね」

「あぁ、両親の仕事の都合でな」

 子供が大人に勝負で勝つ手段は多くない。子供ながらに必死に考えた結果、日向拓巳少年が思いついたのがサイコロでの勝負である。のちに運の強いこともあって危険な状況も乗り越えられたと気づく。とにかく当時は生きるために必死だった。

「日向先輩、そのサイコロ勝負で私が勝ったら華楽部に入部してください」

「えっ、おうか、あ、理紗。何を言って」

 つい苗字で呼んでしまい、名前で呼んでくれというのをすぐに思い出したようだ。

「ダメですか?」

「いや、その自在に出せるってことはずっと六を出せるってことだけど」

「でも特技、技術である限り絶対ではありませんよね?」

「あ、あぁ、勝負運には俺の運の良さはかからないからな。あくまでトラブルに見舞われない運の良さだから……」

 そのおかげで勝負に勝ったのに言いがかりをつけられて襲われても無事に逃げられていた。

「なら万が一でも勝てるかもしれないですよ」

「それは……」

 ありえないとは言えないが、絶対にないとも言えない。理紗の言っていることは正しい。

「まどかもあゆ姉も同じ勝負で何回も挑んできて勝ったことないぞ?」

「私とやりたくないんですか?」

「そういうことじゃなくてだな」

 やっても無駄であると遠まわしに言っているのにわかってもらえない。

「一度だけです。これに負けたら私が先輩をもう勧誘することはありません」

「いいのか、そんな約束をして」

「はい。それくらい賭けないと乗ってくれないでしょうから」

 そこまで言う自信はどこから来ているのか。ただのハッタリなのか。

「拓巳君、お願い」

「……あゆ姉がそう言うなら」

 ここまで頼まれたら折れないわけにもいかない。

「日向さんは部長さんに甘いですね」

「それは否定できない」

 付き合いの浅い幸に見抜かれるくらいバレバレな対応だった。

「それじゃあ始めましょうか、日向先輩」

「あぁ、いいよ。サイコロは俺のでいいんだよな?」

 ポケットから二センチ台のサイコロを取り出して見せる。自然と出してきたことに少し呆れた顔で理紗が答える。

「いいもなにも、サイコロを持ち歩いているのは日向先輩くらいだと思いますよ」

「もしかしてあゆ姉から持ち歩いているのを聞いてたのか」

「えぇ、まぁ。でも本当に持っているとは思いませんでした」

 持っている必要はないが、拓巳の中ではお守りのようなものであるためについ携帯してしまう。ずっと使い続けていただけあって、文字盤はかすれているし、傷も所々についている。

「一発勝負でいいのか?」

「もちろんですよ。一度だけと言い出したのは私ですから」

「そうか。それでどっちから振る?」

「私から行かせてもらいます」

 申し出た理紗の手にサイコロを渡す。その光景をしゃべらずに歩美と幸が見守っていた。

「では、さっそく」

 なんの迷いもなく、一回だけの投てきを平然と行う。

「えいっ」

 近くの机の上に手のひらで転がすように投げた。机の上を数回転して止まって出たサイコロの目は『四』。

「可もなく不可もなくかな」

 理紗は喜ぶことも、悔しがることもなく、ただ笑顔のままで言い放つ。一度だけの勝負だというのにそこまで余裕を持てるのかが拓巳は謎で仕方ない。狙った目が出せるとしても勝負である以上、賭けるものがある。拓巳は命をかけたこともあった。

「次は日向先輩ですよ」

「あ、あぁ……」

 彼女からサイコロを受け取ってみるも違和感がぬぐえない。特に何かを細工したわけでもないし、指先で触れるといつものサイコロで安心する。だが、何かがひっかかる。

「これで六を出したら俺の勝ちだけど、いいの?」

「もちろんですよ」

 笑顔の崩れない理紗に拓巳はさらなる不安を抱かざるを得ない。いつも通りにすれば勝つことができる。しかし、このまま普通にやっていいのかがわからない。

「…………」

「どうしました? さっさと私に六を出して勝ってください」

「あぁ、わかったよ」

 これ以上考えても何も出てこない。無心で、いつも通りにやって、六を出して勝てばいい。

 ぐちゃぐちゃとした思考を振り払うように一瞬で指先へと精神を集中させる。つまむようにサイコロを持ち、六を出すための投げ方で宙へと放った。

「勝てたらいいですね」

「えっ? 今なんて言った?」

 すでに投げたサイコロが机の上を転がっていた。その目の行方より、理紗の発言が気になって目がそちらに向いてしまう。

 気を取られている場合でないとサイコロに目を戻すと回転が終わろうとしていた。完全に止まる。これ以上は動くことがない。そんな状態で出た目は『六』。

「勝っ」

 勝利宣言をしようとした次の瞬間、完全に止まるはずだったサイコロがさらに動いた。一面転がって『三』の目が出る。

「なっ!」

「わたしの勝ちですね、日向先輩」

「そんな、バカな……」

 ありえないことが目の前で起きた。万が一の瞬間が今そこにある。それ以上にこの勝負で負けた事実が受け入れられない。

「すいません」

 なぜか理紗が謝ってきた。勝ったというのに謝罪をして、喜んでいる感じが微塵もない。拓巳の状態を見て察しての言葉として受け止めるのが正しいのか。それすら考える余裕がない。

「あ、あの……日向さん、大丈夫ですか」

「大丈夫、だよ」

「その……とてもそうは見えないです」

 平静を装っても幸ですらわかるくらいに動揺していた。数々の修羅場をくぐってきた極め切った特技が負けた。他人から見れば無駄な特技でしかないが、日向拓巳にとっては特別な特技だから。

「拓巳君、ごめんね」

「なんであゆ姉が謝るんだよ」

 そもそも謝られるようなことをされていない。華楽部に入ることが確定したから謝ったのか。それとも何かを知ってて謝ったのか。

 ふとその瞬間、拓巳はあることに気づいた。

「なぁ、理紗。君の『特技』ってなんだ?」

 さきほどから勝ったにしてはうかない顔をしている金髪少女に問う。昨日から一度として考えていなかったことがそれだった。

 華楽部である以上、何かしらの特技や体質を持っている。些細なものから超常現象を引き起こすものまで、持て余している『華』が何かしらあるはず。

「理紗ちゃん……わたしも、そのそろそろ知りたい……かな」

 幸も知らない理紗の特技。おそらくこの場で知っているのは本人と部長である歩美だけ。言えないのか、言わないのかは拓巳にはわからない。だが、知りたい。

 自分の特技の一つを、命すら賭けたことのある勝負に負けた理由を拓巳は知りたい。

「教えてくれないか?」

 しばらく黙っていた理紗がゆっくりと口を開いた。

「……念動力ですよ」

「それは、なんだっけ……テレキネシスってやつか?」

 離れたものを意思の力だけで物体を動かす超能力。そういう力もまた特技であることには変わりない。

「はい。その通りです」

「そうか、それで動いたのか……」

 完全に止まるはずだったサイコロが動いたのは念力で転がされたから。わかれば意外と納得をしている自分に拓巳自身は内心驚いていた。

「すいません。プライドを傷つけるとは考えていましたが、予想以上に日向先輩が辛そうな顔をしたので……本当にごめんなさい」

 彼女は深く頭を下げた。その言動から周りをよく見ている優しい人間であることが拓巳にも伝わってくる。でなければ、彼女から幸に声をかけることなんてない。

「いざやってみたら罪悪感がひどくて謝ってしまった、ってわけか」

「正直に言えばそうです。だからさっきの勝負は無効で――」

「俺の負けでいい」

「えっ?」

 理紗が驚いた表情で顔をあげた。拓巳の言葉に驚いたらしく、身長を指摘された時以外は常に無表情な歩美も何が起こっているのか、ときょとんとしている。

「負けは負けだ。勝負に無効なんてない」

「いいの? 拓巳君」

「あぁ、俺は華楽部に入るよ」

 敗北しても清々しい気分の拓巳はあんなにも渋っていた入部をあっさりと受け入れた。

「あの日向先輩」

「それ以上はいいよ。それに俺もわかってたんだ」

「なにが、ですか?」

 見守っていた幸が不思議そうに聞き返した。

「俺から今更華楽部に入れてくれとも言えないからな。途中から意地になっていたのは自覚してたんだ」

「えっと、つまりはきっかけが欲しかった?」

 理紗のその指摘は的を射ていた。

「そういうことかな。まぁトラブルに巻き込まれるのは嫌だから関わりたくないのは本心だけどね」

「それでも拓巳君は入ってくれる?」

「あぁ、こうなったからには仕方ない。俺も覚悟は決めたよ。それにきちんと悩みを聞いて、解決できる部にしないといけないしな」

 はっきりと口にしてみると妙にすっきりして、しっくりした気分になった拓巳が自然と笑顔が漏れた。

「そうね。有り余る無駄な才能を使って悩みを聞いて問題を解決する部なのにできていなかったもの。でも、今はさっちんもいるから安心よ」

「ぶ、部長さん」

 思わぬ期待の言葉に幸もどう反応していいかわからない。部の重荷を彼女だけに背負わせることはあってはならない。それを和らげる、もしくは一緒に背負う人が必要だ。

 しかし、今の華楽部にその役割をできる人物は見当たらない。だからこそ、彼が必要であると歩美は訴え続けてきた。

「そういうわけで、副部長よろしくね、拓巳君」

「……やっぱりそうなるのか」

「当然。そのためにまどちんを副部長(仮)にしてたから」

 それが本気で言っていたことをようやく実感した。それも受け入れての覚悟。だから拓巳はやりたくないと今更言うつもりはなかった。

「わかったよ。副部長も引き受けてやるさ」

「では……副部長さん、これからよろしくお願いします」

「よろしくです、副部長」

「よろしく、拓巳君」

「あぁ、よろしくな」

 歓迎されて悪い気分はしなかった。これからどんなトラブルが拓巳の周りを通り過ぎていくかはわからない。今の彼はそれも悪くないと感じていた。

「これでようやく華楽部が名乗れる。始められる」

「あゆ姉、今何か言った?」

「なんでもない」

「そう?」

 本当は少し聞こえていた。誘われる度に言われていた言葉。でもその意味が拓巳にはわからない。聞くべきかを迷って、タイミングを逃してしまう。

「とにかくがんばってね、副部長」

 久しぶりに見た歩美の笑顔を見てしまったから。

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