二章01「無駄な華(才能)を楽しく活かす人達」

 日向拓巳が人生の中で一番運の悪かった日。その翌日を迎えたが、結局まどかの待ち伏せ以降にトラブルが起きなかった。しかし、本日もトラブルが起こるかもしれない。

「ま、大丈夫だろ」

 起きた時にどうするかを考えればいいだけの話。不幸なトラブルだってずっと起きるわけではないのだから。

 拓巳が不安を少しだけ抱きながら学園へと登校するが、昨日の朝と同じで何事も起きることなく、校門まで到着してしまうのだった。


「昨日はなんだったんだ?」

 拍子抜けするほどに何もなかった。あの放課後が異常だっただけで、何もないのが拓巳にとって日常ではある。いつもと違ったのは一つだけ。

「芙蓉さんと出会ったこと、か」

 まどかにストーカーされるのも、歩美に勧誘されるのも日常の一幕。ただ違ったのはそれだけだからこそ、余計に目立つ。

「きちんと話にいかないとな。いや、でもまた……」

 何が原因で急激に運が悪くなったのかがわからないと芙蓉幸には近づきづらい。もし伝染するとして近寄っただけなら学園内がトラブルの嵐になる。

「……そういえば触られたな」

 話す前に背中を掴まれた、突かれたというべきか。そのあとも少し触れられていたが、それでもたったあれだけの短い時間。それだけでトラブルが次々に起きた。

「ありえないけど……でも、そうとしか考えられないか」

「あ、あのあの……」

 拓巳の中で今話題の芙蓉幸が校門の前で待っていた。

「ん? あぁ、おはようさん」

「あ、お、おはようございます」

 まず挨拶をしなければ、と思い至ったらしく、すぐに返してくれた。男が苦手なのは昨日の時点でわかっていたが、やはり保護欲に駆られる雰囲気を持ってる。

「おはようございます、先輩」

 隠れていたであろう金髪少女が出てきて幸の隣に並ぶ。そんなことをするなら初めから二人で並んでればいいのではないか。

 それに昨日効果があるとわかった先輩呼びを忘れてない。だから拓巳はまだ二人が勧誘を諦めたわけでないと悟る。

「今日はどうして俺のところに? 勧誘なら今日一日は禁止ってあゆ姉と約束したけど」

「あ、その、し、心配で」

 幸があれから拓巳に何が起きたか、までは知らない。そのことは気遣われる拓巳にもなんとなく伝わってきた。

「日向先輩、やっぱり不幸なこと起きちゃいました?」

「君は遠慮というか、配慮が」

「はっきり言わないと伝わらないこともあります」

 確かに理紗の言う通り。ある程度察してくれ、と言われることがあっても、言われないとわからないことはたくさんある。

「色々と起きたけど、途中から普通に戻ってたかな、たぶん」

 拓巳は可能性として歩美の家に行った時にはすでにいつもの運に戻っていたと考えていた。パンツが見えたのが原因で細かくはわからない。歩美が鉄壁であったなら、見えている時は戻ってなかったと判断できたのだが。

「そう感じましたか、なるほどなるほど……」

「えっと、櫻華さん。何か知ってるなら俺にも教えて欲し」

「理紗でいいです」

「理事長の娘さんを呼び捨てはちょっとな」

「いいんです。後輩ですから」

「あ、あぁ、わかった」

 本人がそうして欲しいというのならそれに従うべきだと拓巳も考え直す。

「理紗、その昨日のことで知ってることがあるなら教え」

「ダメです」

「えっ?」

「華楽部でない人に大事な大事な幸の秘密は教えられません」

「り、理紗ちゃんっ」

 慌てた様子で咎める幸が理紗の身体を揺らす。何かを訴えているのはわかるが、その何かまでは拓巳にはさっぱりわからない。とりあえず幸のスリーサイズは秘密でないことはわかった。

「実は私も知らないんです!」

「秘密をあっさり言ったな」

「はい。幸も詳しくは知らないみたいなので、昨日みたいに自分なりに検証してみて知ろうと思いまして」

 唐突に背中を突き飛ばした理由がそこにあった。つまり勧誘だけでなく、理紗の検証実験に付き合わされたことにもなる。

「仲が良さそうなのに知らないのか。まぁ本人も知らないなら当たり前か」

「えぇ、それに親しき仲にも礼儀あり。仲が良くても相手の全部を知ってるわけじゃありません」

「あー、そうだな」

 まず彼の脳内に出てきたのが華楽部の部長と副部長(仮)の二人であった。

「それに出会って二週間くらいなので」

「えっ、そうなの?」

 幸のほうを見ると小さく頷いた。不幸体質がどうこうよりもその事実が一番驚きである。

「たまたま、その隣の席になって……理紗ちゃんから話しかけてくれて、それで」

「こんな可愛くて、おっぱい大きな子を見たらまず友達になりたいって思うでしょ」

「なんだか思考回路が男子に近いぞ」

 金髪少女も見た目は立派な女の子なのに、漏れ出る欲望が思春期の男子そのものである。

「可愛いものを可愛いと言ってるだけだから」

「あ、うん、そうだな」

 同意すれば幸に引かれる。まともに答えたら巻き込まれる。そんな一瞬の判断から拓巳は適当な返事しかできなかった。

「毎日揉みまくってます」

「おいおい」

 何をと聞かなくてもわかってしまう。羨ましいとも言えずにそんな言葉しか出てこない。

「あの、その、日向さ、ん……えっと、あ、ここまで、大丈夫、でした?」

「なにが?」

「幸は今日の運はどうですか? って聞いてるみたいです」

「あぁ、そういうことか。いつも通りかな」

 そう答えるしかない。昨日の不運さがやはり異常であった。普通の人にとってはどっちも異常ではあるのだが。

「そうだ。試したいことがあるんだった」

「え、えぇ……試したいこと、ですか?」

 今どき顔を傾けて不思議そうな顔をするあざとさを自然してしまう彼女に驚く。思わず見とれてしまっていたが拓巳はすぐに正気に戻って、試したいことを口にする。

「芙蓉さん、握手してみようか」

「えっ! あ、いや、それは……」

 手を差し出すと彼女は一歩後ろに下がった。だが、すぐに何かを思い出してハッとなる。

「あ、あの、その日向さんのほうから……触れてくれるなら」

 目を閉じてしまうと色んな意味で捉えることができるが、それは今は置いておく。

「芙蓉さんから触ったらダメなのか?」

「あ……はい、だめです。たぶん日向さんが不幸になってトラブルが起きてしまいます」

 答えを迷ったのを見て、拓巳は理紗にちらりと視線を送った。静観していた理紗がなんとなくどうして欲しいかを理解したらしく、ため息をつく。

「ごめんね、幸」

「えっ? きゃっ」

 軽くトンッと押されて前に軽くよろけてしまう。昨日の突き飛ばしに比べてかなり弱いが、気を抜いていたためにバランスを崩した。

 こけないようにする幸の手が上から下へと降りていく。その手を受け止める形で拓巳は彼女の手を取った。

「あっ……ま、また」

「また? 何か起きるのか?」

 慌てる彼女と対象的に周囲は静か。その間に体勢を立て直す幸。その際に手は離れてしまう。

「わ、わかりません」

「なら大丈夫なんじゃないか?」

 下駄箱で何か起こることは早々ない。昨日で懲りていなかった「自分は大丈夫」という慢心から拓巳は注意を怠っていた。

「あっ、日向先輩!」

「えっ? どうした?」

 理紗が急に焦った声を出したので周りをぐるっと見るも生徒がいるだけ。

「なにもな――」

 ゴトッ、バシッ!

「いってぇっ!」

 頭頂部に軽い痛みを感じるとポトッと上履きが落ちた。

「ど、どこから」

「上です。下駄箱の上に乗っていたみたいで、グラグラっと揺れて出てきて、そのまま日向先輩の頭の上に落ちました」

「揺れて、出てきた? 地震も起きたわけじゃないのに、か」

「はい。見てましたから」

 理紗がそう言うのなら本当にそうなっていたのだ。とても嘘をついている顔にも見えない。それに事実として上履きが頭に落ちてきたのだから。

「もしかしてさ」

「な、なんでしょう」

 怒られると思ったのか幸はビクッと体が跳ねてしまう。

「芙蓉さんから触れるとその人に不幸が起きる、のか?」

「……たぶんそうじゃないかと思っています」

 だから彼女は自分から触れることを躊躇したというわけである。

「なるほど。やっぱりそうなんだね」

 同じようなことを理紗も感じたらしい。昨日の突き飛ばしを検証と言っていた。それはつまり出会ってからすぐ疑っていたということ。

「つまりこっちから芙蓉さんに触れると問題ないのは確かだな」

「みたいですね」

「あ、あの……? なんで二人は急に仲良く」

「意見が一致しただけだよ」

「そうそう」

 互いに仲が良くなったとはこれっぽっちも思っていない。ただどちらとも芙蓉幸の体質に強く興味を持っている。

「はぁ、これはひさしぶりに部室に行くしかないな」

 部長である彼女に確かめたいことができた。昨日約束させたことも無駄にすることになる。でも、彼は知らずにはいられない。

「え、えっと、よくわかりませんけど……いつでもどうぞ、です」

「放課後にでも行かせてもらうよ」

「お待ちしておりますよ、日向先輩」

 後輩二人の笑顔と困惑の対照的な表情に見送られながら教室へと向かうのだった。

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