一章04「神の舌を持つ少女」
「相変わらず立派だな」
日向邸と同じく、大きな一軒家ではあるが広さが違う。主に庭の大きさ。ちなみに両親の収入の差はない。単に買った時の土地の大きさだと拓巳は勝手に思っている。
「この家で料理の出来ない女の子が一人暮らしか。俺も一人暮らしだけど」
男と女では危険性が全然違う。この地域が平和そのものではあるが、変人がいないわけでない。
「まぁあゆ姉自身が変人とも言えなくないか」
そんな言葉を口にしながら玄関のチャイムを鳴らす。だが、いくら待っても返事は帰ってくることはない。
「そろそろかな」
慣れている彼にとってはいつもことで、そのまま鍵のかかってない玄関のドアを開けて入っていく。
「お邪魔します」
「律義なのは悪いことではない」
リビングに入ると拓巳をそんな言葉で迎えるこの家の住人がいた。ソファーに膝を抱えるようにして深く座っている。
「あの、見えてますけど」
「拓巳君には見られても別に平気」
「俺も男だぞ。急に狼になって押し倒すかもしれないだろ」
「胸の大きい子が好きな拓巳君でもワタシを襲うことはない。あと胸の小さいまどちんも」
「さらっとひどいことを言ったな。まぁ、いや、コメントは差し控えさせてもらおう」
拓巳の幼馴染はおっぱいが慎ましい。その幼馴染より背が小さい昔馴染みの胸はそこそこ大きさを誇っていた。芙蓉幸ほど大きいわけではないが、櫻華理紗とほぼ同じと推測する。
「拓巳君はワタシみたいな無口な地味巨乳より、さっちんみたいな気弱な巨乳な娘が好き?」
大きめなのは自覚があるようだ。
「コメントしないっての。てか、さっちん? 芙蓉幸だからか」
「そう、さっちん」
なにかと彼女はあだ名に「ちん」をつけて呼ぶことが多い。例外の一人が拓巳で「君」をつけて呼ばれる。平坦なしゃべりのわりにほんわりとした呼び方されて戸惑う人も結構いると彼の耳にも届いたことがあった。
「今日は何を作るの」
「うーん、何がいいって聞くとなんでもいいって返ってくるだろうしな」
「なんでもいい。冷蔵庫の中身を把握してない」
「ここ、あゆ姉の家だよ? ジュースとか飲むときに見るだろ」
「見たから覚えているとは限らない」
「あー、それもそうか」
目的のもの以外は目に入らない。他に何があるかを把握するために冷蔵庫を開けようと思わなければわりとわからないもの。
「ん? でも飲み物あることはわかってるのか」
「なければマヨネーズを吸う」
「やめなさい。なかったら俺の家に来ていいから、それはやめろ」
「醤油ならいい?」
「もっといかんわ。出される料理にはうるさいのに自分で摂る食事に対して無頓着すぎる」
「食べられればそれでいい。この国は恵まれているから忘れがち」
「……そうだな」
拓巳は彼女と出会った時のことを思いだしていた。二人はこの国ではなく、海外で出会っている。互いに両親が同じ仕事をしていたこともあって、砲弾の飛び交う戦場近くで初めて言葉を交わした。
「何でも食べてみる。これ鉄則」
「それで舌が鍛えられてしまったわけだしな。俺も助けられたし、今では料理店から頼られるくらいの特技になってるし」
何振り構わずに毒見をしていた歩美。そのおかげで拓巳は何を食べていいかを知ることができた。だから天才的と世間では言われるが、努力の結晶であることを拓巳はよく理解していた。
「拓巳君はワタシの判別した食材で料理作ってたからね」
「あぁ、俺が今も生きているのはあゆ姉のおかげだしな」
拓巳の調理技術がどれほどかは本人にはわからない。しかし、互いが互いのために特技を伸ばしたのは事実だ。それが二人の今の関係を形作ってもいる。
「その恩を感じて料理を作ってくれてる?」
「ない、とは言えないかな。実際、あゆ姉がいてこその俺達兄妹だったし」
「あー、ゆいちん元気かな」
「便りがないのは元気な証拠だろ」
日向拓巳には妹がいる。それはもう大きな、大きな乳房を持ったそこそこ背の高い妹、日向遊依。胸が成長していれば芙蓉幸と同じくらいになっているかもしれない。
彼女は自分の夢を現実とするために再びこの国を出る両親と共に行ってしまった。
「拓巳君が一緒にいれば安全は確実だったのに」
「かもしれないが、絶対はない。今日みたいにな」
「ついていこうか散々悩んでワタシとまどちんに色々と打ち明けてたくせに」
「心配なのは今も変わらないけどな」
拓巳が国内に残った理由があったわけでない。むしろついていく理由のほうが大きかった。それでも残った理由は本人も未だにわからないままなのは言うまでもない。
「今日は出前にする?」
彼が悩んでいた時のことを知ってるからか、歩美は変に気を遣ってしまう。それを拓巳もなんとなくわかってしまった。
「いや、作るよ。もう慣れたしな」
「ならいい」
膝を抱えたままで前後にゆらゆらと揺れる。神秘の布が見えていることを拓巳は指摘しない。あれはもう見せているのだと言い聞かせて台所へと入っていく。
「それなりに残ってたはずだけど」
冷蔵庫を開けて食材と調味料を確認していく。扉を長く開けるのは電気代がもったいないだけ。それは拓巳もわかっている。
「……あれ? ねぇ、あゆ姉。昨日あれから何か食べた?」
「食べてない。マヨネーズは吸った」
「だからそれはやめろって」
夕食と料理店での味見以外は適当に済ませてしまう食生活。健康に悪いが、さすがに拓巳もそこまで面倒を見切れない。
「どうかした?」
「いや、昨日に比べて食材とかが減ってるからさ」
「じゃあワタシが食べた」
「さっき否定してただろ」
「拓巳君の記憶違いの可能性は?」
「ありえるな……まぁいいか」
気にするだけ無駄だと判断した彼はさっそく調理へと移っていく。春先なのもあって鍋という選択肢はない。色々考えると一品というわけにもいかないのは拓巳も理解していた。
「この時間の夕食があゆ姉にとって一日の栄養源だからな。毎回困るんだよな」
「バランス悪いのは自覚してる」
「せめて朝食をたくさん摂るようにすればいいのに。夕食食べても寝て起きたら腹減るだろ。そのまま夕方まで……よく耐えられるな」
「慣れてる」
数日食べないでいることに、という言葉を続けなくても拓巳には伝わった。彼女の胃は正直異常と言っていい。食べようと思えばいくらでも食べれる大食い。しかし、普段は一日一回の割と普通の量の食事を摂っている。量をとっても維持に使う栄養は同じで、余ったものは排出されてしまうのだ。
だから渡辺歩美にとって食事の量、味の質は関係ない。胃に何かしら入っていればいい。例えば水があれば数日平然とした顔をしていられる。加えて毒素を分解する力も強い。
彼女は胸は成長するが他は太ることもなく、痩せることもない。それはすべて彼女の海外での経験による進化とも言える。
「そろそろ平和な国の生活に慣れませんかね」
「いつでも海外に行けるようにしてるだけ」
「もしかして……俺のために?」
彼女の両親も日向夫妻と共に国境なき医師団として海外を飛び回っている。歩美にも日向遊依と同じような選択肢があったはずだ。
「自意識過剰。ただ世界の味は堪能したから。日本の味をしゃぶりつくすまではいるつもり」
「ちぇ、俺が一人で寂しいだろうから残ったと言ってくれると思ったのに」
「同じようなくだり、何回もやってるけどいいの?」
「この一年で四回やったな」
「五回」
そんなにやっていたかと拓巳は反省しながら包丁で野菜を切っていく。ちなみに歩美は未だに膝を抱えたままソファーの上でゆらゆらしてる。拓巳の目線が動いたのは様子を見るためで、決してパンチラを見ているわけではない。
「そうなんだよな。わざとだったら俺でも見れるよな」
本人にとってトラブルでないなら運のいい男にも見れてしまう。ただそんなことをするのは一人しかいないだけの話。意外なことにまどかは女のエロスを使って拓巳に迫ったことがない。それともまどかが勘違いして通じないと思っているかである。
「拓巳君、料理に集中しなくていいの?」
「し、してるって」
「さっきからチラチラ見てない?」
「見てるけど」
「そこは素直で意外」
「俺も男だからな。それに今まであゆ姉以外で見れたことないし」
「今まで? もしかしてさっちんのを見た?」
「まぁ、ちょっとな」
彼は盛大に転んでがっつり見えたことまで言う必要がない、と思いながらまな板に視線を落とす。しかし、すぐに炊飯器のほうをチラッと見て、ボタンを押してたかを確認する。
「ワタシのを見ても興奮したことないのにさっちんのはした?」
「正直、ラッキースケベが目撃できたことに驚いて興奮とかなかったぞ」
「パンツは見慣れてる?」
「あゆ姉のだけな。それに興奮したことがない、とは言ってない」
「……ヘンタイ」
その言葉を最後に黙ってしまう。それでもまだ見せ続けている状況に拓巳は少し混乱を覚えながら調理を続ける。
少女の頬がほんのりと赤いことに拓巳も本人も気づくことはなかったのであった。
それから数十分後、ご飯が炊きあがる。本日のメニューはきのこのソテー、野菜の肉巻、ポテトサラダ、そして白飯。それらがダイニングのテーブルに並ぶと歩美がやってくる。もちろん料理は二人前で、拓巳自身が食べる分も用意してあった。
「いつもと同じこと言うけど、少し盛り付けが雑」
「やっぱり言うと思った。あれだろ、あれ」
「料理は見た目も味」
「そう、それだ。確かにあゆ姉の言う通りなんだけどさ。家庭料理だし、お腹すいてるかなって急いだから大目に見てくれよ」
言い訳でしかないのは拓巳も自覚しているが、常に盛り付けにこだわれるわけではない。ほぼ毎日作りに来てるならサボりたくなる面である。
「定番になってたから言わないといけないと思っただけ。感謝してる」
「まぁ定番かどうかはおいておいて、冷めないうちにめしあがれ」
椅子を引くとちょこんと歩美が座る。足が床から浮いてることは指摘してはならないことを拓巳はよく知っている。
「ん、いただきます」
きちんと手を合わせた彼女は箸をとり、まず主菜である野菜の肉巻に手を伸ばす。小さな口を開けパクリと一口でほうばった。リスのように頬を膨らませてそしゃくする歩美を見るのは誰が見ても微笑ましい光景である。
「ごくっ、ん、巻いていた豚肉はあらかじめソースにつけて馴染ませた、と。中身の野菜もなかなか。にんじんもアスパラも程よくゆでてる。シンプルに見えて手間のかかる一品」
「肝心の味のほうは?」
「ワタシの好みにはぴったり。一般的にはもう少し味を薄くしたほうが好まれるかもしれない」
「それなら良かった」
おいしいならそれでいい。拓巳にとって重要なのはそこだけ。ただでさえ少ない食事回数なのにまずいご飯を食べるのは悲しいだけである。
「拓巳君の料理の腕、ワタシに特化した形になっているのがもったいない」
「いいんだよ。あゆ姉以外に作る相手いないからな。あゆ姉の好みならだいたいわかるし、それでいいじゃん」
「本人がそれでいいなら、いい」
黙々と食べ続ける歩美。いつもならご飯の炊き加減だって口にする彼女が静かであった。
「他の料理の味は評価してくれないのか?」
「前にも作ってもらったことのある料理に同じこと言われたい?」
「評価が同じなら聞きたくないかな」
「じゃあ言わない。拓巳君は一度作ったものをまったく同じ味で作るから」
「言われなかったら前と変わってないってことか」
きのこのソテーとポテトサラダ。どちらもおいしいと言われたものである。ポテトサラダの味が「濃いかも」と出して「ちょうどいい」と言われたことを拓巳は思い返していた。
「いつも同じ味を作れるその器用さは異常」
「そうか? 分量をきちんと決めて図ってその通りにしているだけだぞ」
「いくら器用でも一流の料理人だって誰もができるものじゃない」
「まぁ俺が器用なのは遺伝だな」
両親がどちらも外科手術等においてかなりの技術を誇っている医者のはず。そんな記憶が拓巳にもかすかに残っている。確かゴットハンドとか言われてたっけな。
「うん、それはそう思う。とにかく料理がワタシ特化なのが残念」
「ま、あゆ姉がおいしいって言うんだから他の誰が食べてもまずいとは言わないだろうよ」
両親と共に世界を渡り歩きながら身についた特技、舌の良さ。それに認めてもらえているなら食べてもらう料理として十分通用なもののはず。
「でもワタシ以外に作ることない」
「友達いねぇからな。ま、ストーカーとか変人ばっかいるけど……今はなくてもいずれ誰かに食べさせる機会がくるんじゃねぇかな」
「……そうなる日はきっとくる」
彼女の声のトーンが低かったのが拓巳は少し気になった。
「拓巳君は食べないの?」
「あ、あぁ、そうだな。いただきます」
その言葉でハッとなった彼は椅子に腰かけ、箸をとった。気にすることでもないのかもしれない、と拓巳も夕食を摂り始めるのだった。
「ごちそうさま」
米粒一つ残さずに綺麗に食べ終わった人間が手を合わせると後光が差しているようにも見える。そんなことを拓巳がまどかに語ったことがあるが、理解はしてもらえなかった。
「お粗末様」
ほぼ同じくらいに食べ終わった拓巳は食器を流し台に持っていく。
「あ、洗うのはワタシの仕事だから」
「わかってるって」
後ろから食器を持ってきた歩美に割り込まれて、拓巳は譲る形で一歩下がった。
「食べるだけではあまりにも横暴が過ぎる。せめてこれくらいはしないと拓巳君に申し訳ない」
自然とできたルールで言い出したのはもちろん彼女のほうである。拓巳は片づけをするまでが料理と語るタイプで言われるまで全部一人でするつもりでいた。
「にしても洗っている姿を見てると母親の手伝いをしてるお子様にしか見えないな」
「ち、ちっさい……とは言ってないね、う、ううん、もう少し大人扱いしてほしいかなっ」
身長に関することを指摘すると反射的にムキになるのは悪い彼女の癖である。
「俺らはまだ子供だろ。どんなに大人ぶっても、大人のしている仕事をしていてもな」
「そうだけど」
「まだ大人ぶらなくてもいいだろ。年齢に多少釣り合わなくてもあゆ姉っぽく振る舞えば」
「……ワタシらしく」
いつもの大人びた感じに戻ってしまう。まどかと歩美はある意味正反対である。普段は明るいのに本質は大人しいまどか。普段は大人びているが、本質は子供っぽい歩美。
人は何かしらの仮面をつけて誰かと接する。
拓巳は二人のその仮面が脱げる相手が自分であることに少し嬉しさを抱いている。もちろん当人に言ったことはない。
「でも、今はあゆ姉を気にかけてる場合じゃないのかもね。今起きてることに向き合わないと最悪死にかねない」
「トラブルが降りかかってきた、ということ?」
「あぁ、俺はトラブル回避の運が強いってのをよく嘆いてたけどさ。それは突然の事故で死ぬってことはない、そんな安心感があったから言えてたんだと今日実感したよ」
確率は人によっても違うし、環境や状況にもよる。だが、誰もが死ぬかもしれない世界に生きていることを拓巳自身はその認識がすっかり抜け落ちていた。
「たぶん芙蓉さんが関係してるはずだけど」
「気になるなら華楽部の部室に来ればいい」
「あれ? 勧誘をしない約束だったはずだけど」
「明日だけの約束」
だから今日は大丈夫という発想に拓巳もため息をつかざるを得ない。
「勧誘はしないけど、明日部室に来て、か。勧誘と変わらなくないか?」
「それは拓巳君の勝手な被害妄想」
「ものは言いようだな」
「いつでも待ってる」
華楽部の部長として諦めるつもりはない。そんな宣言をされているのだと拓巳も言葉の意味を飲みこんだ。
「考えておくよ」
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