一章03「ストーカー幼馴染」
鍵を差し込んで回そうとした瞬間、彼の手が止まった。右に回せば開く構造だが、右に回せる余裕はない。ゆっくりと鍵を抜いて、玄関のドアの取っ手を引いてみる。
「開いてる……今朝鍵かけて出たはず」
きちんと確かめてから出ていくタイプの彼が締め忘れるわけがない。スペアのカギを郵便受けに置いておくこともしない。それなのに開いているということは確実に不法侵入されている。
トラブル回避の運の強さを持つ彼の住む家はストーカーにピッキングされても玄関のドアが開くことがない。不思議な力が働いているかのように守られているはず。
なのにまたこうしてありえないことがまた起きてしまっている現実を拓巳は静かに受け止めていた。
「……武器になるものあったかな」
つぶやく拓巳は何も持たないままで真っ直ぐ二階の自室へと階段を上っていく。警戒しないわけでも、武器になるものがないわけでもない。
侵入した人物が誰であるかがわかっているからこそ、何も持っていかないという理由。
「ここに置いておくか」
念のために部屋の前で鞄とズボンのポケットに入っていた携帯電話を置いた。もしもを考えての行動だが、通常時の拓巳ではありえない行動をしている。だが、自室に侵入している人物に限り、電子機器を手放しておくのが正しい警戒の仕方なのだ。
拓巳はドアの取っ手を掴んでゆっくりと下げながら自室へを踏み込む。
「おかえりなさいませ、タクミ」
正座をした状態で笑顔で待ち構えていた少女がすぐ目に入る。
「やっぱりお前か、まどか」
予想通りの人物がいて彼は内心ちょっとだけ安心していた。彼女以外がいたら、と考えなかったわけではないから。
「はいっ、あなたの愛人、高宮まどかですっ! 今日はあたしを襲ってくれます? それともあたしが襲います?」
サイドテールを揺らしながらぐいぐいと近寄ってくるまどかに対して、近づかれた距離と同じ距離を下がって廊下に出てしまう拓巳。
「うるせぇ、ストーカー。愛人にした覚えはないぞ」
「いえいえ、好きな人に勝手な愛をぶつける人、愛人と書いてストーカーですよ」
「自覚してるならやめろよな」
「じゃあ華楽部に入ってくれる?」
「入らないっての。つか、入ってもストーカー続けるだろ」
「うん、やめないと思う」
ここで素直に答えるのが高宮まどかという人間の真っ直ぐさ。真っ直ぐ過ぎて色々と突き抜けている。
「副部長としてどうなんだ、それ」
「えー? あたし、副部長(仮)だし、副部長じゃないよ」
「どう違うんだよ。頑なに認めないよな」
「だって、副部長はタクミの予定だもん。それまでの代理だから」
「何度も聞いたよ。いい加減諦めて正式に副部長になってくれよ」
「でもあゆっちがタクミの永久的な位置だからってあけてるよ」
「はぁ、あの人はもう……」
昔から一度決めたら突き通す人間である。歩美はあまりにも変わらない性格に拓巳が額に手を当ててしまうほど頑固な一面を持つ。
部室に撤退したであろう新入生二人と後を尾行する部長。そして、不法侵入して待ち構えている副部長(仮)。これでは日向拓巳を部に入れたいだけの部活である。
さきほどの部長の言葉を繰り返せば、彼を部に入れてようやく華楽部と名乗れる。だからまどかについている(仮)は消えないことを拓巳もなんとなくわかっていた。
「幼馴染の縁もそろそろ考慮して入ってくれないかなぁ?」
「お前と幼馴染という事実を消し去りたいよ、今すぐに」
創作物でよく描かれる幼馴染像と何一つ当てはまることのない、この例外。今や幼馴染よりストーカーと呼ぶことのほうが多い。
「幼馴染なんて飾りだよ。言うならあゆっちだって幼馴染じゃん」
「だから俺はあゆ姉との関係を説明するとは昔馴染みと言わせてもらってるぞ」
「なんで?」
「お前と区別するためだよ、この幼馴染め」
一緒にしてはいけない。そんな義務感とも言えるものから決めた拓巳のルールの一つである。
「じゃあ、あたしってタクミにとってオンリーワンの幼馴染ってこと?」
「色んな意味でそうなるが」
「うーん、オンリーワンなら幼馴染でもいいか……」
その言葉を聞いて拓巳は気づく。まどかは拓巳の中で誰かと同じくくりにいたくなかったのではないか、と。
「まさか、オンリーワンになるためにわざとストーカーに」
「えっ、あたしがストーカーチックな行動をとるのはタクミが好きだからだよ」
「お、おう」
何度もまどかから言われたことのある言葉だが、正面から言われてしまうと拓巳はどうしても照れてしまう。もっと平気で受け流せるときもあるが、目を合わせられるとどうしようもない。その行動はチックではなく、ストーカーそのものであるとツッコミを入れることができなかった理由がそこにある。
「タクミ、いいよね?」
彼女は大きく両手を広げて、眩しいほどの笑顔になった。これだけを切り取ると女の子に迫られているように見える。冷静に見れば高宮まどかは美人である。愛嬌のある笑顔を見せるので変に憎めない。しかし、美人でもストーカーというフィルターがあると恐怖を覚える。
「俺に抱きつくってやつか。やるだけ無駄だぞ。今のまどかの抱きつきは凶器だ」
「知ってるよ」
本人も拓巳にとってトラブルと判定されるために、超常現象のように急激な重力変化が起こって抱きつけないのは彼女も理解している。
「それでもやるのか」
「愛は諦めたらそこで終わるの」
「あぁ、そうかもな」
まどかがもっともらしいことを言っているので彼は同意だけをして適当に頷いた。
「受け止めてもいいんだよ?」
「遠慮する」
放っておけばトラブルはやってこない。たが、拓巳から抱きつけば話は別。そういう意味での、受け止めてという趣旨の発言である。
「愛は体当たりだ!」
両手を広げてままで突っ込んでくる。拓巳は諦めが悪いのはまどかのいいところだとため息をつきながら微動だにしない。抱きつかれることなんてない。その安心感、慢心としか言えない油断。
「あれっ? いや、これ――」
いつもなら謎の補正がかかるラインを越えても近づいてくる。彼の脳裏を本日の出来事が駆け巡った。
「しまっ!」
逃げなければ、と判断した時にはすでに遅かった。
「あっ、つーかまえたっ!」
最初に腕を掴まれ、そのまま勢いよく身体を密着させながら手を背中に回してくる。
それと同時に拓巳の体に電流が駆け巡っていく。
「あがががっ!」
感電。彼女から発せられる電気を一身に浴びていく。がっちりとホールドされている拓巳に逃げ場はなく、ただ受けることしかできない。
低周波マッサージ機の最大威力をさらに強化したような痛みに晒されること十数秒。まどかに溜まっていた電気が完全に放出されて、ようやく痛みが和らいでいく。
「あぐぅ、い、いってぇ……まどか、離れてくれ、ない?」
「やだー」
それでも彼女は抱きついたままで離れようとしない。
「こうしてタクミに抱きつけるのっていつぶりかな」
「覚えてねぇよ。つか、電気を放出すればいつでも抱きつけるのになんでそうしないんだよ」
帯電体質である彼女は触れると感電してしまう。周囲の電子機器が一時的におかしくなったり、最悪壊れることもある。しかし、絶縁体などにあらかじめ放出していまえば、しばらくの間は普通の女の子。トラブルの対象として見られず、謎現象で抱きつけないということはなくなる。
「決まってるでしょ。ありのままのあたしを受け止めて欲しいからだよ」
「愛が、重い……」
かけられる体重は驚くほど軽いのに、想いは計り知れないほど重い。痺れがまだ続いていて、もうしばらくこの状態でいるしかない。拓巳は冷静に状況を分析しようと思考を巡らせ始めていた。
「でもどうして今日は抱きつけたのかな?」
「帰り道でトラブルばっかり起きてたから、それがまだ続いているみたいだ」
「タクミにトラブルかぁ。つまり不幸? ……あー、そっかそっか。さっちゃんのせいか」
金髪少女に入れ知恵していたこともあって新入生とうまくやっていることが拓巳にも伝わってくる。しかし、彼にはそれよりも気になることがあった。
「やっぱりこれは芙蓉さんの不幸体質のせいなのか?」
芙蓉幸自身に不幸が降りかかるのはわかる。だが、拓巳に幸の不幸が降りかかるというのはわからない。
「一時的に伝染する、とかじゃないかな。あたしの勝手な想像だけどねっ」
「可能性としてはありえるか……いい加減離れてくれないか?」
「やだ。どうせこのあと他の女に会いに行くんでしょ?」
ギュッと回している腕の力を少しいれて、上目づかいで彼の顔を見上げる。歩美よりわずかに身長が高いだけ。平均身長程度の拓巳を近くで見ようとするとそういう体勢になってしまう。
「一緒に来たいのか?」
「……それはやめておく」
スルリと回してた腕の力を緩めて、身体を離した。さきほどまでとテンションがまったく違って、積極性の欠片も感じられない無表情に変化する。
「急に素に戻るよな」
「違うよぉ、今のは気を抜いてただけだよ」
「まぁいいけど」
幼馴染だから深く踏み込んでほしくない瞬間がいつなのかが拓巳にはわかる。だからこそ話題を適当に流した。
まどかは拓巳に背を向けてしまい、そのまま沈黙がやってきた。こういう時の対処の仕方は放っておくのが一番いいことを彼は知っている。
拓巳は足音を忍ばせて少し歩き、廊下に置いておいた鞄と携帯を手に取った。
「念のために身体から手放しておいてよかったな」
拓巳自身、帯電状態のまどかに抱きつかれたことに驚いている。しかし、心の準備と対策をしていたから被害も最小限で済んだ。
そう、学園内で時々起っている謎の電子機器の破壊事件の犯人は言うまでもなく高宮まどかである。帯電している彼女は周囲に電磁波のようなものを一定範囲で発生させてしまう。それに当てられた携帯電話だったり、ゲーム機だったり、電子辞書も例外ではなかった。普段の拓巳なら運の良さから壊れることはない。しかし、今日は違った。
芙蓉幸に関わってから不運なトラブルが重なり続けているのは事実。一説として伝染するタイプの不幸体質が考えられる。だが、まどかの口ぶりから察する限り、きちんとわかっているわけではない。拓巳はそんな風に静かに分析する。
「よしっ」
まどかの中でピースがハマり直ったらしく、笑顔に戻って拓巳のほうへと向き直る。
「って、タクミ?」
「念のために携帯の無事を確認していただけだ」
体から離していても周囲に影響を及ぼす電磁波が廊下まで届いてる可能性があった。
「女の子からのメールチェックじゃなくて?」
「来てないよ、そんなの」
メール履歴の画面をまどかに突きつける。彼女に放出したばかりなら電子機器を近づけても壊れることはない。時間が経って帯電し始めたらアウトとなるのだが。
「んー、あたしからのメールは当然の多さとしても、あたし以外で最後に来たのメールが一週間前って……」
ちなみにまどかのメールはパソコンから限定である。放電した後に今日一日の日向拓巳の観察した内容を写真付きでメールで報告してくるのだ。
「しかも名探偵からだ。添付された画像見るか?」
「や、やめておくよぉ。何が写ってるかわからなくてこわい」
あだ名で名探偵と呼ばれる彼は平気で事件現場の写真を送ってくる。血の飛び散っただけのものならまだしも、ご遺体が写りこんでいることもざらであった。
「あいつ、俺のトラブル回避の運の良さを見込んでやたらと現場に連れて行きたがってたからな」
まどかだけでなく、彼もまた拓巳が華楽部に入りたくない理由である。いずれ確実に何かしらの事件に巻き込まれてしまうに違いない。
「最近はないみたいだねぇ」
「さすがに諦めたんじゃないか。俺が華楽部じゃないのもあるんだろうけど」
そうであってほしいと願う拓巳ではあるが、単に事件解決に忙しいだけとも密かに考えていた。
「あ、そういえば部室でよく着信音が鳴ってるかも」
「ということは単に忙しいってことだな」
部室に住んでいるとも言われているハッカーに名探偵がメールをしている。情報操作の依頼はもちろんであるが、多くはハッカーの持つある特技を頼ってのことだと拓巳は察した。
「まどか、そろそろ出て行かないと通報するぞ」
「えぇっ、いきなりだなぁ……」
「だいぶ待ったほうだ。事実として不法侵入してるだろ」
「開いてたよ。道具を差し込んでガチャガチャとしてたら開いてた」
「それは開けたっていうんだよ」
ピッキングツールを使って開けたようだ。鍵穴に新しくできた傷はなかった。うまくあけたことだけは拓巳も理解する。
「うーん……」
「なんでそこで考え込む」
「あのね、いつもなら絶対に開かないのに今日はあっさり開いたんだよねぇ。不思議だよね」
拓巳から見ればまどかのこの態度はわざとらしく見える。さきほど芙蓉幸の話をしたばかりだというのに。
「話をそらしても無駄だ。はい、さっさと出て行く」
「はいはい、わかりましたよぉ」
すんなりと出ていくまどか。拓巳は一息つくとブレザーに手をかけた。
「着替え覗いてもいい?」
「出てけっ!」
ひょっこりと顔だけを出したストーカーを遮るようにドアを勢いよく閉めて鍵をかけた。すぐさまガチャガチャと取っ手が激しく動くが開くことはない。
「しまったっ、ガム詰めておくの忘れてたっ」
「その方法を使ったら侍先輩に色々頼むけどいいよな?」
「……ごめんなさい。また本物の刀から逃げ回るのは嫌です」
かなりのトラウマになっているのは震えている声からも伝わってきた。あの先輩も本気で斬るつもりはなかったと拓巳は聞いている。だが、達人クラスが刀を持って殺気を出しながら追いかけてきたら恐怖でしかない。
「あ、でもあの人は今、山籠もりに」
「携帯も使えないような古風な人ではないぞ、あの人」
「……大人しく帰って今日のタクミの一日をまとめます」
「おう」
「あとでメールするね」
「だからストーカー記録を本人に見せるなよっ! 脅迫でしかないぞっ」
「あたしの愛の証明記録だよ?」
「いらん」
愛があれば何でも許されると思ったら大間違いである。
「しょうがない。ブログを作ってそこに」
「嘘つくな。すでにあるだろ、知ってるぞ」
「うっ……ハッカーちゃんめ」
誰から仕入れた情報なのかは同じ部であるまどかにはバレバレだった。
「やりすぎたらデータの全部消してもらうぞ」
「やめてー! 写真データを破壊していくのはもうやめてー」
過去にハッキングによってデータを壊されているまどか。言うまでもなく、依頼者は拓巳である。
「少しは自分の行動を改めろよ」
ようやく着替え終わった彼は制服をハンガーに通した。洗うカッターシャツを持ったままで、近くのクローゼットへとブレザーとズボンをかけていく。
「タクミって華楽部じゃないのに華楽部の人の力を借りてるよね」
「友人として好意を受け取っているだけだ。俺だってそれなりにお礼はしてるぞ」
「部に入ってよ」
「お断りだ」
「もー、変に頑固なんだから。じゃあね」
その言葉を最後に階段を下りる音が聞こえる。しばらくすると玄関が開いて締まる音までした。
「ようやく帰ってくれたか。カモフラージュかもしれないけど」
鍵を開けたら入ってくることを覚悟しながら拓巳も部屋から出る。だが、その予想に反してまどかの姿はなかった。
「本当に帰ったな。疲れたな、色々と」
しかし、さらに疲れることをこれからすることを拓巳は理解している。まどかの件は運さえよければまったく疲れない。
「変に頑固、か」
自分自身でも実はわかっている。断る理由と行動が矛盾していることに。面倒なのは事実だが、入部したら死んでしまうというほど嫌なわけではない。
「とにかく運の悪さは今だけが特別だと思いたいな」
ため息をつきながら階段を下りて玄関を出る。拓巳は周囲を注意深く見回し、物陰を見てまどかの姿がないのを確認し終わった。
「これでよし」
しっかりと鍵を閉めたあと、すぐ隣の家へと足を進めるのだった。
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